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【日常編】1.魚屋じゃねえ、雑貨屋だ。

早朝、まだ空が白みはじめたばかりの頃。  ラスヴァンは目を覚ました――いや、目が覚めた、としたほうが正しい。重たいものが体に絡みついていたからだ。 「……またか」  寝相の悪い金髪の青年、ジェイスが、腕と脚でしっかりとラスヴァンに巻きついている。息がかかるほど近い顔に、一瞬だけため息をついたが、すぐにその頬に軽くキスを落とした。 「んふゃっ……くすぐったい……」  寝ぼけたままジェイスが眉をひそめ、ぺちんと頬を叩いてくる。ラスヴァンはひそかにその反応に満足しながら、そっと身体をほどいてベッドを抜け出した。  軽く髭を剃り、Tシャツと短パンに着替え、リュックを背負って外に出る。朝の空気が気持ちよく肺に広がる。  草原を駆け抜け、木こり小屋の前を通り過ぎ、森の奥に架かる木製の大きな橋を渡る。川沿いの道を、まっすぐ、まっすぐ――やがて、潮風が頬をなでる。  海だ。  ラスヴァンは波打ち際を歩きながら、今日も変わったものを探す。  流れ着いた変な顔の人形。  丸く磨かれたシーグラス。  中身の見えない瓶。  そして、妙に形のよい木片。  拾えるだけ拾い、リュックに詰め込むと、再び走り出す。町の隅、ひっそりと佇む黒い木の小さな建物へ。  シャッターをガラガラと開ける。潮の香りとともに、朝の日差しが差し込んだ。 ――ここが、ラスヴァンの店だ。  古びた木の看板には、小さく「アンティーク風雑貨店」と記されている。  店のドアの横には、小さなポスト。  郵便物を取り、その下には、誰かが置いていったらしい木箱がいくつも積まれていた。  乾いた薪、焚きつけ用の細かい枝、色づいた木の実に、果実、小魚の干物。  そして、ふたの緩い瓶に詰められた――どろどろの緑色の液体。正体は、考えたくもない。 「……またかよ」  ラスヴァンは深くため息をついたが、木箱ごとすべて抱えて店内へと運びこむ。  途端に、むわりと生臭いにおいが店内に充満した。  ラスヴァンは眉をしかめながら、勢いよく窓を全開にする。  風が吹き抜け、光が差し込むと、店の全貌があらわになる。  棚には、乾燥した薬草や妙な形の雑貨、古い珍しい模様がついている皿、蓋のついた籠、すでに誰かが着古した古服などが所狭しと並んでいた。  ラスヴァンは、先ほどの木箱の中身を、迷いなく所定の場所へと配置していく。  緑の液体は裏の棚、魚の干物は扉近くの木箱、木の実は花瓶の横――まるで、すでに定められていたように手が勝手に動いていた。  そして、海辺で拾ってきた人形やガラス片、木片や瓶は、カウンターの上へ。  一つひとつ、まるで宝物のように並べていく。  作業を終えると、ラスヴァンはタオルで汗をぬぐい、リュックを壁にかけた。  棚の奥から、恋人――ジェイスが植物から作ってくれたスプレーを取り出す。  しゅっと一吹き。  肌にやさしく馴染む香りが広がる。ハーブのような、草花のような――ジェイスそのもののような香り。  臭いとともに、体にまとわりついていた疲れも、少しずつほどけていった。  店にかかっている小さな木の時計を、ラスヴァンはちらりと見やる。  開店までは、まだ一時間ある。  海で拾ってきた貝や流木、小瓶、ガラス片。  それらを丁寧に水で洗い、布で拭き、天日干しにする。  大きな男が所狭しと動き回りながら、黙々と作業を進めていた。  開店まで残り三十分という頃。  どうにも小魚の干物が生臭いので、ラスヴァンは外のドアの横に引っ掛けておくことにした。  ふぅ、と一息ついてカウンターの椅子に腰かけると、扉の向こうから声がする。 「……ラスヴァン」  ジェイスだった。  朝食のフルーツと手作りのサンドウィッチを持って、顔をのぞかせている。 「どうした?」 「……雑貨屋、だよね?」 「……? ああ、あの髭の男が時々ギフトをくれるから、道具屋になりつつあるが」 「ハハハ」  愚痴っぽく言ったつもりだったが、ジェイスが笑ってくれたことが、ラスヴァンは嬉しかった。 「魚があったから、魚屋もはじめたのかと思った」 「あれは……あの小僧だ」  ため息をつくラスヴァンに、ジェイスはにこりと笑って見せる。 「また木の実とフルーツももらったんだね。はい、朝ごはんに使ったよ」 「ああ、ありがとう」  美味しそうなサンドウィッチに、ラスヴァンは素直に感謝して手を伸ばす。  ふたり並んで朝食をとる中で、ジェイスのほほにパンくずがついているのに気づき、ラスヴァンはそれを舌でぬぐい――そのままキスをする。 「も、もう……/// あ……髭、剃り残しあるよ」  照れながらも、ジェイスはラスヴァンの顎に手を伸ばし、ザリザリとした髭を優しく撫でて音を鳴らす。  そしておでこにそっとキスを落とす。  名残惜しそうに互いを見つめながらも、ジェイスはラスヴァンの店を後にする。  道路を挟んだ向こう側――グリーンのこぢんまりとした可愛らしい花屋のシャッターを開け、扉の中へと入っていった。  そう、あそこがジェイスの店だ。  目と鼻の先にあるというのに、恋人たちは毎朝、別れがたいようにイチャイチャしている。  ラスヴァンはというと――  撫でてもらった顎の髭を剃るのが惜しくて、そのままの顔で店を開けた。 「“あの魚はいくらだい? あれ、魚屋じゃないんかね?”」  ギイッ、とガラス扉を鳴らして入ってきたのは、旅の途中らしい中年の男だった。 「……違う。欲しけりゃ持ってけ」  ラスヴァンは眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに答える。 「なんだい、いいのかい? あらまあ、薪まであるじゃないか……いくらだね?」  それでも男は気にする様子もなく、勝手に商品を物色しはじめた。 「……三百ミル」 (※一ミル=一円) 「やすっ! 他じゃ倍はするのに……全部買わせてもらうよ」  上機嫌な男はさらに店内を見回し、値札のない棚に目を止めた。 「お、薬草もあるのか! いくらだね?」 「……一枚、一万ミル」 「っはあああ!? 普通十枚で百ミルが相場だろうが!」  男の大声に、ラスヴァンは眉をひそめ、静かに睨みつけた。 「……るせえな。嫌なら買うな」  その顔は、冗談の通じない凶悪な面持ち。思わず男はビクリと肩をすくめた。  薬草はジェイスが育て、丁寧に干して整えたものだった。本当は売る気などない。ただの飾りだった。 「おお、おっかねえっ……」  驚きつつも、魚と薪を抱え、男はそそくさと代金を置いて、逃げるように店を出ていった。 「……雑貨、買ってけや」  ラスヴァンは小さく、ぽつりとつぶやいた。  ガラス扉の向こうでは、エプロン姿のジェイスが花を束ねたり、土を運んだりと忙しなく働いている。真剣な表情で、尻をふりふり動かしている姿が、ラスヴァンにとっては癒しだった。  けれど――その光景を遮るように、次の客の影がドアの向こうに立っていた。

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