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第1話 知らない部屋、知らない香り

 携帯が振動する音で、陸汰(ろくた)は意識を起こし始める。薄く瞼を開くと、ほんのり日の差す、見慣れない木目調のサイドボードが映った。  その上に置いてある自分の携帯へと手を伸ばすと、振動が鳴り止んでしまう。  布団から手を出すと部屋の空気が冷たく感じて、暖房でもつけて寝るんだったなと後悔しながら携帯の画面を確認した。 「ん~……ん? とーじゅうろーさんか……なんで電話……?」  画面の中には数十件に及ぶ着信履歴がある。それも全部、義父の藤十郎(とうじゅうろう)からだ。  温かく柔らかい布団に包まれていたら、いつになく気持ちのいい部屋の空気のせいで再び意識を飛ばしそうになる。 (そういえばなんとなく甘い良い香りがするな。なんかこう……食いもんとかじゃなくて……)  するとタイミングよく携帯が振動し始め、寝落ちかけたことに気づきながらようやく画面を操作して電話に出た。 「もしも……」 『連絡もしないで、どこほっつき歩いてるんですか!』  カンカンな声を張る藤十郎の声が頭の奥に響いて来る。思わず携帯を耳から離し、陸汰は上体を起こした。 「どこほっつきって……俺ちゃんと帰ってる……ん?」  否定したは良いものの、よく見ると全く見たことのない部屋にいた。  高い天井。なんだか大きい観葉植物。異様に大きなベッド……。誰の部屋?! 「あれ。ここどこ……? エッ?」  急に意識がしっかりしたからか、こめかみが痛くなった。 『あれほど飲み会には気を付けなさいと……』 「あ、それはその。ごめんって」  慌てて謝りながら昨夜の記憶を思い出そうと努力する。  確か職場恒例の安全祈願会という名の飲み会に参加して……なんか今回は建築現場のスタッフには外国人が多くて……でっけえ通訳の人がいて……いやこの辺は飲み会前の記憶だな……。 「Noisy(うるせぇな)……」 「んえ?!」  突然聞こえた低音の出所を探す。心臓は不安で爆発しそうに鈍く脈打っていた。  布団の中で巨大な塊が動き、顔が少し見えると陸汰は目を見開いた。  癖のある茶髪の外国人……この人は! 「え! バートンさん?!」  しかめっ面でこちらを見たのは、昨日知り合ったばかりのバートンという、新しい建築現場の通訳をしてくれるスタッフだ。 『ええ、そうです。私はきみのお母さんから命のバトンを預かっているのですよ!』 「そうじゃなくて……てか、ちょ。ごめん藤十郎さん! ちゃんとかえ、帰るんで! はーい!」  藤十郎の終わらぬ小言を遮り、電話を切る。  すると隣で寝ていたバートンが布団の中で伸びをした。  ただでさえ大きい身体をぐいんと伸ばして、彼はあくびをする。 「Hmm……ああ……起きたんだ」  髪の隙間からはグリーンの瞳が覗き、その気だるげな眼差しが陸汰を見つめている。 「ええっと、おはようござい……?」  とりあえず挨拶をしようとすると、バートンは横になったまま肘を突いて陸汰を見上げる。戸惑いながら布団を胸元に引き寄せていると、バートンは柔らかく笑んで、その甘い表情に思わず心が熱くなった。 「なんにも覚えてないんですね」  シャツの隙間からは立派な胸板が覗き、どう頑張っても人並み程度の自分の筋肉とは違っている。羨ましくなりながら返答をした。 「えっと……飲み会行ったなぁ~までは……」 「ふーん……昨夜はあんなに求めあったのに?」 「も、求めあっ……?」  男が男に色っぽい目線を送ってくる不思議な状況に今度は顔が熱くなり、一気に喉を乾かしながら陸汰はバートンが上体を起こすのを見つめる。 (なにを……?!)  男同士で何を求め合うというのかさっぱり分からず頭が痛い。するとバートンはしばらく陸汰を見つめると、口元を抑え、髪を掻き上げた。 「ハハハッ! 一度言ってみたかったんです。なんもやってないですよ」  昨日挨拶した時にも思ったが、やはりバートンの日本語はまるで日本人が話すような発音だ。そのことに驚きながら、陸汰は後頭部を掻いた。 「で、で、ですよね?!」 「うん。まあ、英語は求められましたけどね。Do you remember(覚えてますか)?」 「んええ?! ど、どぅゆ、り?」 「ハハハ! 相当酔ってたんだね!」  また顔が熱くなる。ベッドから長い脚を下ろして立ち上がったバートンは、再び伸びをしてから陸汰に問いかけた。 「コーヒーでも飲みます?」 「え、ええっと、おれ苦いのはちょっと……」 「そ? じゃあココアかな」  そう言いながら振り返り、カップを傾ける仕草をするバートンに、申し訳なく思いながら肩を竦める。 「寝起きにココアはちょっと……」 「HAHAHA! Baby(赤ちゃん)にはホットミルクだね」  急に外国人のように笑い出したバートンは、カーテンを開けるとドアの方へ移動する。  部屋に一気に光が差し、ほんのり空気が温かくなってきた気がした。 「ちょっ、ばかにしないでくださいよ……! 甘めならコーヒーだって飲めますし……!」 「無理しないでいいよ~」  知らない家のベッドに寝続ける勇気はないので、からかわれながらも慌てて陸汰は起き上がり、バートンへとついて行く。  そして広いリビングに入ると、バートンがソファに掛けてと優しく誘導してくれた。  部屋を見渡し、洒落てるなと驚きながらブラウンの4人掛けソファに座った。 (てか、なんでバートンさんと寝てたんだ……?)  記憶を振り絞ってもサッパリ思い出せない。  ちらりと後ろを振り返り、キッチンの方を見ると、彼の佇む姿はまるでモデルみたいに見えた。  少しすると、ミルクとコーヒーのいい香りが陸汰の元まで漂ってくる。  バートンが来るまでの間、陸汰はテレビに反射する自分の頭の寝癖を直していた。

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