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第17話 愛しのアンドロイド

 望んでもいいのなら、終わらない夢がみたい。  いつかは離れる、じゃなく、永遠に離れない。  それが夢じゃなく、現実になるのなら……。  第17話  愛しのアンドロイド  ――記憶の中。  小さな結惟様が泣いていた。  ロボットを作ってやる。  自分を作製した男は結惟様にそう言った。 「結惟が一人にならないように、結惟のそばにいつもいてくれるロボットを作ってやる」  ああ、そうだ――。  自分は結惟様の為に作られた。  結惟様を幸せにするように作られたんだ――。  目を覚ますと、見覚えのある暗い天井があった。 「……目、覚めたか?」  心配そうに顔を覗き込んでいるのは真希だった。 「……博士……? あの、ここは……」 「研究所。お前壊れたんだよ。……って、覚えてないか」  ……壊れた? 「――っ、壊れたっ!?」  驚きのあまり飛び起きる。 「壊れたとは!? 結惟様はっ、結惟様はご無事ですかっ!?」 「えっ!? ああ、怪我もなんにもしてない。まだあまり動くなよ。いい機会だから、いろいろと調整したんだ。まだ検査が終わってない」  真希は書類を捲りながら言う。  結惟が怪我していないと聞いて、少なからず安心した。しかし、壊れたとなればきっと心配しているに違いない……。 「博士、私はどのくらい眠っていたのでしょうか……?」 「あー? うーん……今日で1ヶ月月だなぁ」 「1ヶ月っ!?」  いちいち声を張り上げる若に、真希はビクッとする。 「な、何だっ!! お前感情回路入れてやったら、やたらうるさくなったな」 「1ヶ月……何てことだ……!」  若は寝台から立ち上がると、窓の方へ走って行く。 「おいっ、若! お前何する気だっ!」 「一度、結惟様のもとへ戻ります。心配していらっしゃるでしょうから。……すぐ戻ります」  そう言い残すと、若は窓を開いて外の冷たい空気の中へ飛び出した。 「戻るって……若っ、今夜中だぞーっ!」  叫んだ真希の声は、暗い闇の中へこだました。若の姿は、もうない。 「……っ……大変だっ! 惟織、惟織っ!」  真希は慌てて部屋を飛び出した。 「……惟様、結惟様」  懐かしい声に結惟は眠い瞳を開けた。 「結惟様」 「……わ、か……?」  また、夢を見ているんだろうか……? 何度も繰り返し見た夢……。  閉めたはずの窓が開いていて、待ち望んだ若が、目の前にいる。 「若……」  結惟は確かめるようにそっと若に抱きついた。  夢じゃない。そう言い返すように、若の腕が強く自分を抱きしめた。  待ちわびた腕の中。 「ご心配をお掛け致しました」  耳に届く大好きな声。栓が外れたかのように溢れ出す涙。 「本当に、もうっ、バカっ!」  結惟は泣きじゃくりながら若にしがみつく。  ノックもなく扉が開いて、電話を片手に律が飛び込んで来た。 「若っ! お前……」 「律さん。ご心配をおかけしました」 「ご心配……って……、あぁ、すみません惟織様、若、来てました」  一瞬ポカンとした律だったが、すぐに電話でそう話す。 「若、お前点検がまだだって。帰って来いって、博士怒ってるぞ?」  何してんだよ、と律は若を怪訝そうに見た。 「あぁ、そうでした。忘れていました」  若はニコッと笑うと結惟を抱き上げる。 「というわけなので、結惟様、一緒にいらして下さい」 「……へっ!?」  結惟の了解も聞かず、若は結惟を抱いたまま、窓の外へと飛び出した。  若は夜の風を裂きながら、軽快に屋根の上を飛ぶ。 「若っ、一体どこへ行くの!?」 「博士の研究所です」 「て、点検まだなんでしょ?」 「はい。ですから終わるまで一緒にいて下さい」  若の言葉に、結惟は何も返せず固まった。 「結惟様をお一人にさせてはおけませんので」  若がニコッと微笑む。  結惟には今の状況が把握しきれないまま、若と共に街を駆け抜けた。  ついた所は木々の生い茂る森の中。に佇む、一軒の洋館。開いていた窓から中へ飛び込む。 「……ここがお父さんの研究所?」  見慣れない機械やコードが、あちこちに散らばっている。  結惟はそれを踏まないように、一歩踏み出した。 「なんかごちゃごちゃしてるねー……」  もの珍しそうに辺りを見回す。 「若っ! お前勝手に出歩くなよっ!」  女性の大声が耳に飛び込んで来て、結惟はビクッとして声のした方を見る。 「まだ点検してないって言っただろうがっ! もし何かあったらお前っ……」  女性が結惟に気づいて言葉を切った。  結惟もその人をじっと見る。  ストレートの髪がサラリと肩から落ちる。  綺麗な人だ。どこかで見たような気がする……と結惟は思う。でも思い出せず固まっていると、女性の顔がみるみる赤くなって――。 「ゆゆゆ、結惟っ!? えっ、何、待った! まだ駄目なんだぁぁっ!」  結惟には理解出来ない奇声と共に、女性は部屋の外へと逃げて行った。  その後ろ姿を、結惟はポカンと眺めていた。 「……今の、誰?」  若に聞くと、若はクスクスと笑っていた。 「私の作製者の上司です。今は彼女が私に対する全権を持っています。従わなければならない人です」 「じゃあ、さっきの人が若を直してくれたの?」 「そうです」  二人が話をしていると、独り言を呟きながら、惟織が顔を覗かせた。 「結惟!」 「お父さんっ」  結惟は惟織のもとへ駆けよった。二人しっかりと抱き合う。 「結惟、久しぶり! 元気にしてたかい?」 「うん! お父さんこそ、元気そうで良かった」  惟織は小さな子供を可愛がるように結惟の頭を撫でる。いつも真希の尻に敷かれている時とは違う、ちゃんと父親の顔だと若は思う。 「そうだ。お父さん、さっきの女の人、お父さんの知り合い? 若を直してくれたんでしょ? お礼を言わなきゃ」  そう聞いてくる結惟を連れて、惟織は若のそばへ寄る。 「体、どこもおかしくないかい?」 「ええ。ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」 「まったく、感情回路を入れたとたんに、君はとんでもないことをしてくれるね」  惟織は笑いながら言う。 「お叱りなら、後ほどいくらでも受けます」 「いや、いいんだ。いい機会だよ」 「……僕が来たのはいけないことだった……?」  結惟は少ししょんぼりとして聞いた。 「ううん。いけなくはないんだ。彼女は少し恥ずかしがりやさんで……お礼はもう少し待ってくれるかな?」 「うん、分かった」  惟織は二人の為に部屋を用意してくれた。とは言っても、ベッドとテーブルしかない小さな部屋だ。  若の点検が終わるまでなら、全然構わない。結惟はそう言って笑った。 「しかしホコリっぽいですね~」  若はテーブルの上を指で拭いながら言う。 「しょうがないよ。急に来ちゃったんだもん」 「うーん……。結惟様、少々お部屋の外に出ていて下さいますか? 掃除致しますので」 「え? かまわないよ別に」 「いいえ。結惟様のお綺麗な体が汚れてしまっても困ります」  若にそう言われて、結惟は部屋の外へ出る。 「大丈夫かなぁ……?」  でも、自分には大人しく待つことしか出来ない。  ガタガタ、ガタンッ! 激しい音がしたかと思うと、何事もなかったかのようにシーンとなる。 「結惟様お待たせ致しました。さぁ、どうぞ」  若は優しく微笑んで結惟を中へ通す。  さっきの部屋ではないかのように、窓もテーブルも新品のように美しい。 「うわぁっ! すごいよ若っ」 「お褒め頂き光栄です」 「あ、でも病み上がりにそんなに動いて大丈夫なの?」  結惟は思い出したように不安な表情を浮かべた。 「大丈夫です。そんなに弱くは作られていません。しかし……さすがに疲れましたね」  若は苦笑を浮かべながら、結惟の背に手を回し、抱き寄せる。 「結惟様を頂いてもよろしいですか?」  至近距離でそう囁かれる。  結惟の心臓がドキッと震えた。  断る理由はない。1ヶ月も離れていたのだ。ずっと若の帰りを待っていた。 「うん……」  結惟は微笑んで返事をすると、ねだるように唇を差し出した。  シングルベッドは二人で寝るにはとても窮屈だ。おまけに作りが弱いのか、体を揺らすたびにキシキシと音を立てる。  それが結惟の耳にも届いて、いつになく興奮した。  若の舌が肌を這い、忘れかけていた感覚が呼び覚まされる。 「は、あっ……」 「結惟様、あまり大きな声を出されると聞こえてしまうかもしれません。ここは結惟様のお部屋と違って、壁が薄いようですから」  若にそう言われて、結惟は慌てて両手で口を抑える。  それを見て、若は煽るように結惟のペニスを扱き、吸う。  長く放置されていた結惟のペニスは、少しの刺激にも敏感に反応し、白濁を零す。 「ふ、は、んんっ……!」  身体をしならせて荒い息を吐く結惟に、若は囁くように言う。 「声出してもいいんですよ? 聞かせてやればいいんです」 「や、だ……恥ずかしいよ……」 「ダメです。私は結惟様のお声が聞きたいのです」  若は結惟の顔を覆う手を優しく退けて、唇を重ねる。  結惟の尻の蕾に触れると、指先を欲しがるようにひくついた。 「結惟様のお身体は本当に素直です。このお口も素直になってくださればいいのに」 「えっ……あ……」 「ここは、今すぐにでも欲しいと言っていますよ?」  指先で穴を開くように刺激されると、甘い声が止まらなくなる。 「……入れてもいいよ……?」  そう告げるのは、恥ずかしくて小さな声になる。  今すぐに入れてもらってもかまわない。  若のモノで苦しくなるほどかき乱されたら、恥ずかしさも忘れて快楽に堕ちて行ける。 「私が眠っている間、ご自分ではなさらなかったのですか?」 「――っ!」 「自慰では物足りない?」  若の問い掛けに、結惟は顔を赤く染めた。ゆっくりと頷く。若は満足そうに笑った。 「本当にあなたはお可愛いらしい。感情回路を入れて正解でした。こんなにもあなたを愛おしく思える……」  若のしなやかな指が結惟の顔を撫でる。  気持ち良いその感覚に、結惟はゆっくり瞳を閉じる。 「……嫌いになったりしない?」  若のいない間、何度か結惟は一人で性欲を満たした。  最中に思い出すのは、若のことばかり。若のようなテクニックのない自分では、快感にも限界がある。  自慰の後は決まって後悔した。行為の後のように、目を閉じれば引き込まれるように眠ってしまえればいい。なのに、快感の足りない身体はそれを許してはくれない。  布団にくるまってため息をつく。 「……若……」  名前を呟くと、涙が溢れた。  身体も心も若を求めてる。足りないと泣いている。自分ではどうすることも出来ない。  早く会いたい。いつ会えるかも分からないし、もしかしたら、若は自分を嫌いになっているかもしれない。  感情回路を入れることを承諾した時点で、そんな不安があった。自分はそんなに魅力ある人間じゃない。若がいないと、こんなにも弱い……。 「嫌いになんてなりません。あなたは私や和奏にとって、太陽のような存在」  結惟の不安を拭い去ろうとするかのように、若は深く口付ける。 「私は結惟様が好きです。愛しています。あなたは和奏を暗い世界から出してくれた。私に命を与えてくれた」 「でもっ、でも僕はっ……」 「結惟様、私は和奏の分まで結惟様を愛せるようにと作られました。結惟様を心から愛するのは、この世で私ただ一人。だから、私は和奏を殺しました」 「――えっ!?」  若の言葉に心臓が止まるようだった。 「和奏は私が初めて目覚めた時、自分を殺すようにインプットしていたんです。自分の代わりに、自分が理想とした完璧な人間……つまり私を作ることで、彼は結惟様への想いを残したのです。彼は最後にこう言っていました。“それでいい。結惟を頼む”と」  若は静かにそう言った。  結惟の中で若と和奏が伝えてきた言葉が、鮮明に重なる。  愛している、と……。 「もし、結惟様が道に迷うなら、今度は私が結惟様を導きます。如何なる時も結惟様のそばにいます。私はもう迷いません。愛しています、結惟様」  澄んだ若の声は、結惟の心に深く染み込んでいった。  返事をしたつもりだった。だけど上手く出来なかったのかもしれない。  熱い涙が、結惟の言葉を奪った。  翌朝、久々にだるい身体を起こして結惟は朝食を取る。  隣では若がパンにバターを塗って口へ運んでいた。  若が普通に物を食べる姿を、結惟は不思議な気持ちで見つめた。  ここはあの“異空間”ではない。現実の世界。そこで若が物を食べる姿を見たのは初めてかもしれない。 「若、砂糖もかけろよ。甘くなって美味しいぞ」  ほらほら、とシオンは若に砂糖を差し出す。 「生憎、そんな甘いものを好むほど子供じゃないんでな。糖分の取り過ぎは体によくない」  若はきっぱりとシオンに言い返す。 「何だよっ! 人がせっかく勧めてやったのにっ」 「お前は病み上がりの俺を壊したいのか? それとも単なる嫌がらせか?」 「だーっ、ムカつくー!! お前やっぱり性格悪いぞ!」  ギャーギャー騒ぐシオンを、心は横目で見る。でも面倒くさいのか干渉しようとはしない。  結惟は心に近寄ると、耳元で聞く。 「若の性格って……何でああなっちゃったの……?」 「知らない。僕は惟織さんの設計図通りに作っただけだもん」  しかしまぁ、うるさいよね……シオンが、と呟きを返す。  そこへ惟織が眠い目をこすりながら入ってくる。 「ふぁ~、おはよう。朝から元気だねシオン」 「だってさあ、若ってば超性格悪いの!」 「……そうかなぁ? いい子だと思うよ、分かり易くて。ね、結惟?」  惟織は笑いながら席につく。  突然同意を求められて、結惟は若を見た。  その視線に気付いて、若はとろけるような微笑みを返す。昨夜、散々「愛している」と囁かれた時と同じ表情で、結惟は顔を染めて視線を戻す。 「えっと……、ぼ、僕も……悪くないと、思うよ……?」  何だか照れくさくて、途切れ途切れに答えた言葉に、シオンはムキーッと怒る。 「結惟は優しくされてんだからいいだろ~っ! バカにされるこっちの身にもな――」  こっちの身にもなれ、と言う言葉は、若がシオンの目の前に向けたバターナイフで切り裂かれる。 「それ以上結惟様に暴言を吐くな。刺すぞ」  氷のように冷たい目で言われ、シオンはゴクリと唾を飲んだ。 「おやおや、ケンカは良くないよ。仲良くね」  惟織が場に似合わない、穏やかな声で言う。 「そうだよ若、暴力はダメ!」  結惟に言われて、若はしなやかな動きでバターナイフを元の位置に戻す。  そしてまた結惟に笑いかける。 「違うだろ! 俺にゴメンナサイはっ!?」 「はいはい、もういいからねシオン」  心は冷静にシオンに言った。  惟織が若の点検をしている間、暇になった結惟はフラフラと屋敷を歩いてみた。  森の中にあるだけあって、屋敷の中は電気が付いていないと本当に薄暗い。 「どうせなら、もっと明るい所に建てれば良かったのに……」  途中、すれ違う使用人に頭を下げる。この屋敷では、人間の使用人は勿論、アンドロイドの使用人も存在するらしい。結惟にはその区別がつかない。言い換えれば、区別がつかない程、アンドロイドの出来が素晴らしいのだ。  ふと、廊下の外に目を向けると、広く綺麗な花壇が飛び込んで来た。そこだけは陽の光を存分に浴びて、色とりどりの花々が活き活きと咲いている。  結惟は駆け足でその花壇へ向かった。 「やっぱり人間なら一日一回は太陽に当たらなきゃね」  そう言って外へ出ると、そこには既に先客がいた。  昨日見た女性。若を直してくれた人だ。  彼女は機械に触るなんて無縁のような、白く細い指で花を摘んでいる。  声をかけようとして、とっさに口を紡ぐ。 「彼女は少し恥ずかしがりやだから、お礼はもう少し待って」――昨日惟織にそう言われたばかりだ。  ここは彼女の庭なのだろうか……? なら自分が居るのはよくない。  そう思って、屋敷の中に戻ろうとしたが、不意に真希の目が結惟を捉えた。  逃げるタイミングを完全に失って、結惟は時が止まったかのように真希とにらめっこをする。  しなやかな曲線で作られた、優しそうな体。しかし整った顔にある瞳は、強く結惟を見つめる。 「――っ!?」  真希が驚いて立ち上がり、静止していた時が動き出す。 「あっ、あの、お邪魔ですよね! すみません!」  結惟は慌てて真希に謝る。  真希は摘んだ花で顔を隠すような仕草をする。 「ごめんなさい。ここがあまりにも綺麗だったから……」 「いや、別に……気に入ったのなら……」  真希はもごもごと言葉を発する。真希が口を開いたことで、結惟は少なからず安心した。 「あの……若を直してくれて、ありがとうございました」 「え? いや、礼を言われるほどのことじゃない。それに、壊れた原因を見つけて取り除いたのは惟織だ。俺……私じゃない」 「でも、その後の経過を見てくれたのはあなたなんでしょう?」 「そ、そうだけど……。でも私は結惟に感謝されるようなことは、何も……」  なぜか彼女は泣きそうに瞳を曇らせて、結惟は焦る。 「あの、僕何か悪いこと言いました?」 「いや……違……、ごめん、俺……」  彼女の瞳から、ついに涙が零れた。なぜ彼女が泣くのか、結惟にはさっぱり見当がつかない。 「……あ、お花、途中でしたよね。僕お邪魔でしたよね。すみませ……」  結惟の目に、地に落ちる花が映る。あ――、と思った時、結惟は真希の腕にしっかりと包まれていた。 「あ、あの…………」 「ごめん、結惟……本当にごめんね……」  なぜ自分が謝られるのか、結惟は分からなかった。でも彼女の声が、何かひどく後悔しているように聞こえて、結惟は自然に真希の背中に優しく触れた。  彼女の腕の中は、男である結惟にとってけして広い場所ではない。しかしながら、結惟はその腕の中をひどく懐かしく感じた。 「うん。異常ないよ」  惟織は微笑みながら若に言う。 「そうですか。ならもう帰ってもよろしいですね。結惟様にはこの屋敷は似合わない」  若は寝台から立ち上がり、伸びをしながら言った。 「おやおや、冷たいなぁ。感情回路作り間違えたかな?」 「……一体誰をベースに感情回路を作られたんですか?」 「うーん……真希さんと和奏かな?」 「それは大失敗ですね」  ニコッと笑って言う惟織に、若も冷めたような笑顔を返す。 「酷いなぁ~。二人共、素直でいい子だよ」 「そう言うのはあなただけですよ」  あはは、と二人笑いながら部屋を出た。赤い夕焼けの空。二人の長い影が廊下に伸びる。  結惟の待つ部屋の扉を開くと、そこでは結惟と真希がいて、二人仲良くお茶を飲んでいた。  ないと思っていた組み合わせに、惟織はびっくり仰天する。  若は気にせず結惟のそばに寄り、大丈夫です、と告げた。 「そっか、良かった。これでいつでも帰れるの?」 「はい。博士の許可が降りれば」  若は向かいに座る真希を見て言う。 「いいよね、お母さん?」 「もちろん。好きな時に帰りなさい」  真希は穏やかに笑って言った。  今まで離れていたのが嘘のように仲の良い二人。  夢でも見ているんだろうか、と惟織は思う。 「僕らだけ帰るの? みんなで帰ろうよ、心たちも一緒にさ。ね、だめ?」  首を傾げて結惟は惟織と真希を交互に見た。真希は何も言わず、惟織に視線を投げる。 「え? あ、あぁ、もちろんそれは構わないけど」  惟織は急に返答を求められ、惟織は戸惑いながらも返す。 「じゃ、約束ね。絶対絶対だよ!」  結惟は嬉しそうに笑うと、若を連れて一足先に屋敷を後にした。  二人きりになった部屋で、惟織は真希に向きあう。 「……驚いたぁ。いつの間に仲良くなったの?」 「外の花壇に結惟が来て……それで……話しちゃって……」  真希が生きていたこと、半陽陰であること。その真実を話しても、結惟なら受け入れてくれるだろうと惟織は思っていた。  本当なら真希を納得させ、結惟と三人で話しがしたかった。真希は自分のことになると、めっぽう弱気になる。  そんな真希が自分で自分のことを結惟に話した事が、惟織にとって驚きだった。 「結惟……俺のこと“お母さん”って呼んでくれて……。俺がおかしな体でも、関係ないって……」  ぽつりぽつりと話す真希を、惟織の腕が優しく包む。惟織に抱かれ、真希は暖かな涙を零した。 「家、帰ろうか……。結惟もああ言ってたし。もう真希を嫌う親もいない」 「でも……」 「大丈夫。……結惟が待ってるよ」  真希を励まし、惟織は電話を取る。 「田中、部屋を整えておいて。真希と一緒に帰るから」  家に着くと、律が我先にと二人を出迎えた。  元気そうな二人を見て、律はほっと胸を撫で下ろす。 「心配おかけしました」  若が言うと、律は深く息を吐いた。 「本当だよ。ちゃんと直ったんだろうな……?」 「ええ、もちろんです」  にこやかに返す若に、律もやっと笑顔を見せた。 「疲れたろ? とりあえず休憩しよう。」 「はい。急いでお茶の用意しますね」  律の言葉を聞いて、きりが動き出す。  数歩進んで、何か思い出したようにきりは振り返った。 「でも僕、紅茶は淹れませんよ」  きりの言葉に、結惟は「あ」と冷や汗をかく。そう言えば、若がいない間きりが淹れてくれた紅茶を、若を思い出すからと拒否したんだった。 「あ、あの、きり! あれはきりの淹れる紅茶が不味いってことじゃなくて……」 「分かっています。……若が帰って来たのなら、若が淹れるべきでしょう?」  慌てて弁解する結惟に、きりはそう言って笑顔を向けた。  久しぶりに若が淹れてくれた紅茶は、どこか懐かしい味がした。 「ええっ! お前、博士に会ったのか!?」  律が紅茶を零しそうな程に取り乱して聞いた。 「うん、会ったよ。綺麗な人だった。律さんも酷いよ! お母さんが生きてるなら教えてくれたっていいのに」  結惟は拗ねたように口を尖らせる。 「黙ってろって言われたら、言えないじゃん。……つーか……あの博士がねぇ……」  律は意外という顔で見ている。 「あの博士が、素直にお前と話しするとは……」 「何で? 話するよ。親子だもん」  結惟は何の不思議があるんだと首を傾げる。 「いや、あの人を扱うのは、ちょっとばかり難しい。……博士といい、和奏といい、お前は難しい人間を手名付けるのが上手いな」  律は少しばかり尊敬の眼差しを結惟に向けた。  夕食も終わると、やっと寛ぎの時間がやってくる。  風呂から出ると、若はドライヤーを用意して待っていた。一昨日までなかった懐かしい風景がそこにあって、安心する。 「ねえ、若。お母さんはそんなに怖い人なのかな……?」  律の言葉を思い出して聞いた。怖いとは限らないが、難しいとはどういうことだろう……。 「博士ですか? そうですね……素直な方ですよ。好き嫌いがとてもハッキリとしていらっしゃいます。惟織様は尻に敷かれっ放しですよ」  思い出し笑いをしながら、若は話す。 「でも、そこがいいのかもしれませんね。惟織様がお優しいので何でも言えるのかもしれません。結惟様とよく似ていらっしゃる」 「僕と? 僕はそんなに優しくなんて……」  優しいと言うより、結惟は自分に自信がない。何でもこなせるわけでもないし、器用だとも思わない。だから人に強く言えないし、何でも言うことを聞いてしまうのかもしれない。  若は乾いた髪を櫛で丁寧に梳きながら言う。 「結惟様はお優しいです。惟織様のように心が広く、真希様のようにお美しくいらっしゃる」 「そんな、僕よりお母さんの方がよっぽど綺麗だよ! お父さんの方がずっと優しいし」 「それは結惟様がまだお二人のように、歳を重ねていらっしゃらないからです。結惟様がお二人くらいの年齢に成られる頃には、きっと今よりお素敵な紳士になっていらっしゃるはずです」  若は迷いもないように、はっきりとそう告げる。 「私は、そんな結惟様に、ずっと寄り添っていられたら幸せです」  願いを請うその表情は、どこか切なげに結惟を見つめる。 「当たり前だよ。途中で若が僕に幻滅したとしても、若は一生僕のそばにいなきゃ駄目なんだからね」  結惟は若に命令するかのように強く言った。  若はその言葉に苦笑する。 「幻滅するなんて……そんなこと有り得ない。私はあなたを愛しているんですから」 「でも一生愛するって保証はないんだよ?」  若に感情回路が入ってしまったから。好きも嫌いも分かるようになってしまった。それを承諾したのは自分……。  後悔はしていない。だけど、不安にはなる。 「一生愛します。信じられないのなら、不安になる度に私が言葉にして差し上げます。愛しています、結惟様」  誓いをのせて、結惟にも言い聞かせるように、深く長く口付けた。  眠りに落ちていくような気だるさの中、若の声が穏やかに響く。 「まだ眠らせませんよ……?」 「んぅ……」  ぼーっと開く口に若の舌が入り込んで、目を覚まさせるように弄られた。  そっと目を開くと、微笑んで自分を見る若の顔。その笑顔を見つめていると、何の前触れもなく若のペニスが入ってくる。 「はっ、あ……」  若の白濁で潤ったままの蕾は、躊躇することなく奥までそれを受け入れた。先程、行為が終わったばかりの中は、興奮が覚めやらぬまま、若をきつく締め付ける。 「あっ、ま、だ、動いちゃだめっ……」  結惟はビクッと身体を震わせながらお願いする。 「私は動いていませんよ? ただ深く挿しているだけです」  若は余裕の顔でそう言った。  じゃあ何でこんなに身体が揺れるのか……? 結惟には分からない。 「結惟様がご自分で腰を揺らしていらっしゃるんですよ。……そう、まるで私から逃げるかのように……」  若の言葉にまたビクンと身体が揺れた。  若の言う通りかもしれない。快感で伸びきった足先が、逃れるようにベッドを蹴る。 「……逃がしませんけどね」  恐ろしいほど穏やかに言いながら、若は結惟の腰を抑え、結惟の最奥を捕らえる。  強い力で抑え込まれ、身動きがとれない。おまけに、結惟の尻は弛緩するたびに、若のペニスを扱き、同時に快感を齎す場所へと勝手にこすりつける。 「あっ、ん――っ! ……やっ、離してぇっ! もっ、もうやだぁっ!」  結惟は精液を出し尽くしたペニスを勃たせたまま、悲鳴に近い声を上げ続ける。絶えず襲いかかる快感に、結惟は殺される気さえする。 「嫌だなんて……。そんなこと仰らず、好きだと言って下さい。愛している、と言って下さい」  若は困ったように言う。 「好きっ! 愛してる! 愛してるからっ!」 「本当に? 私が聞くから言うんじゃ嫌ですよ……?」  よく聞こえるように、若はわざと耳元でそう告げた。 「ほ……本当だよ……っ、本当に好き。愛してる……からっ……」  若を見つめて答えた。耐えきれない涙が、視界を濁らせる。声が小さく震える。 「いちばん、若が好きっ――だから……」 「結惟様……。私も結惟様が一番好きです。愛しています」  結惟を抑えつけていた力が緩まる。若のペニスが引き抜かれ、そしてゆっくりと挿入される。 「可愛い結惟……私だけのものです……。ずっと、永遠に……」  低く、本心から紡ぎ出される言葉は、まるで結惟を呪縛するかのよう……。 「わ……か……」  独占欲が心地良いと、結惟は名前を呼び、その呪縛を受け入れるかのように唇をねだる。  永遠を約束するにしては、滑稽すぎる。  でも今の二人には、これがもっともらしかった。  ※※※※※  ――カタンッ……  暖炉で小さく燃えている木の崩れる音に、老人は薄く目を開く。 「あぁ……」  いつの間にか眠ってしまっていた……。老人は少しだけ体を動かす。  キシッと揺り椅子が音を立てた。 「……お目覚めですか?」  美しい金色の髪の青年が、老人の落ち掛けたタオルケットを、静かにかけ直す。 「外は雪が積もりましたよ」 「……どうりで肌寒いと……」  老人は視力の弱くなった目を開いて、窓の外を見た。真っ白な雪が、森一面を覆っている。 「――若い頃の夢を見たよ」  老人はポツリと呟く。 「走馬灯のようだった……」 「またご冗談を……」  青年は薄く笑った。それとも、本当なのだろうか……? この老人の命がもう長くないことも、青年には分かっている。 「……本当に約束を守ってくれたね……。僕がこんなに老いぼれても、ずっとそばに居てくれた……。ありがとう、若……」  老人になった結惟は、しわのたくさん出来た顔で微笑む。 「年を重ねられても、結惟様は結惟様のままです。私はいつまでも愛しています」  若は年老いて、カサカサになった結惟の唇にキスをする。  結惟が衰退していく間、若は変わることのない自分の体を、嫌と言うほど憎んだ。結惟と一緒に老いていけたら、どんなに幸せだろうと思った。アンドロイドの自分には、決して起こり得ない老い。迫ることのない死期……。  だけど、結惟は違う。 「みんなや、若がいてくれて……僕は本当に幸せだったよ……」  そう言って、結惟はまた瞼を閉じる。 「……結惟様……?」  若が不安そうに呼びかけると、結惟は「大丈夫」と呟いた。 「まだ眠いんだ……もう少し寝かせて」 「……かしこまりました」  若は名残惜しそうに結惟のそばを離れようとする。 「あぁ、いいんだ。そばにいて」  結惟は若を呼び止め、暖かな手を握る。 「……若」 「はい」 「愛しているよ……。ずうっと、愛している……」  幸せそうに微笑み、結惟は静かに瞳を閉じる。  小さな呼吸が若の耳に届いていた。  外はまた雪が降り始める。  結惟が眠った後、若はすべてのものを始末して、また部屋へ戻ってきた。  小さな火が燃える中、冷たく動かない老人が一人……。  若はポケットにしまっていた小瓶を取り出すと、蓋を開けて、それを火の中へ投げ入れた。  薬品でも入っていたのだろう。緩やかに燃えていた火は、瞬く間に勢いよく燃え上がり、炎の柱となって、壁を包んだ。 「……結惟様、愛しています。いつまでも、ずっと――」  若は最後のキスをすると、自分の手を握ったまま硬くなった結惟の手を包んで、体を預けるように結惟の足元へ座った。  そばにいる。  いつまでも、  いつまでも、ずっと……。  炎が二人を包んで、  思い出も、  願いも、  すべて包み込んで、  まるで二人を守るかのように  何もかも焼き尽くした。  永遠に終わらない、約束と共に――。 ―『愛しのアンドロイド』END finish 2010.8 藤原海馨 postscript 2025.11 七槻みつ specialthanks 読者の皆さま

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