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8月31日 PM11:14 ―1

 颯也(そうや)の手の動きが俺の神経を巧みに擦りあげ、煽り、駆り立てていく。  たまらず跳ねあがると、足の奥にいた左手がシャツに潜り込んできて、胸を優しく押さえつけた。 「…ふ、ン、…んッ…」  上下の歯でぎりっ、と、棒ジュースの厚めのビニールを噛みしめなおした。 ―― わかっている。  こいつは、俺のすべてを。  忍ばせた興奮や、理性や、必死で抑えこもうとする、快感まで…―― ―― ! 「ん、くっ! …はぁ…ッ!」  颯也の腕のせいでやや前かがみになった俺の目に、小さなため息と一緒に飛び出したそれが、奴の指の隙間から弧を描くようにして飛び、膝の間を抜け、プールに浮かぶ白い満月を超えるのが映った。  俺の膝は少し震えている。 「…はあ… …はあ… …」  寮と学園から少し離れたところにある、新設されたばかりのぴかぴかのプール。  二人占めしているというのに、俺はプールのへりに腰掛ける颯也の膝の上にちょこんと座らされている。 「…ふッ、ふぅ、……ッ」  自分で要求したとはいえ、ひとりだけ息があがっているこの異常な状況にはさすがに多少の違和感を否めない。ゆっくりと体を持ち上げて、颯也の肩に頭をつける。  冷静さを取り戻すために細かく呼吸を繰り返しながら息を整えた。  そんな俺の様子を知ってか知らずか、颯也は、くわえていた棒ジュースのビニールを俺の前に無邪気にぶら下げてみせた。  下の方にまだ白いジュースが残っている。カルピス味。 「優海(ゆう)が出したのにそっくり。」  にやにやした声で颯也がからかう。 「俺、うまくなった?“優海ちゃん”。…それとも優海が、さらに敏感になっちゃった?…ふふっ」 (…馬鹿が…。)  言い返したくなるが、今何かを口にしてしまったら、さっきまでの余韻が消えてしまいそうな気がして、だから俺は、すでに吸い尽くした棒ジュースのビニールの先っぽをさらに小さく吸ってみた。  凍らせた棒ジュース。1本だったのを、颯也が半分に折って片方くれたのだ。  街から戻ってきたばかりなんだろう、颯也の左の人差指には、ターコイズがはめられた羽のような形のシルバーリングが新たに増えている。  白い無地のカットソーにも真新しいレザーのネックレスを垂らしていた。  夏期講習にだって最後まで来なかったし、きっと、夏休み最後の一日を、街に繰り出して地元の連中と楽しく過ごしていたんだろう。  お気に入りでいつも履いているクロップドパンツは膝下がプールに浸かって濡れてしまっている。俺は寝間着代わりのゆるいスェットパンツと綿Tだから気にならないけど、いいのか?…いいのか。そんなの気にする奴じゃないか。  俺のスウェットは膝のあたりまでずり下ろされていて、根本は颯也の右手に握りしめられたまま少し前にもらった快感に未だビクビクと喘いでいる。やはり、あまり見栄えがいい恰好じゃない。 (…まあ、ここには颯也しかいないから、別にいいか。)  校舎から離れたこの場所に、どうしてプールなんか造る気になったんだろうな。大人の考えることはよくわからん。  プールサイドにはデッキチェアまで備わっていて、本気でここで水泳の授業をするつもりとは到底思えない。どちらかというと娯楽施設に近い。  真新しいフェンスのはるか向こうには、かつて俺が住んでいた街の夜景が広がっている。  あの向こうには海がある。今は、街の蒸気で曇っているのかよく見えない。  棒ジュースを握っていた颯也の左手が俺の顔に近づき、その長い指が、俺のくわえていたビニールをあっさりと引きずり出した。  半透明の少し厚手なビニールの先っぽは、俺の口から出る瞬間、ちゅぽ、と軽く淫らな音をたてる。 「ふふふ。」  俺に無視されたというのに颯也はなぜかまた嬉しそうに笑い、両手を俺の体に巻き付けるようにして後ろから抱きしめてきた。  膝に乗せられたままがっしりとした両腕に上半身を抱え込まれると、颯也の飼い猫にでもなれた気分だ。  背中越しに颯也の鼓動を感じ取れる気がして、俺は、背中に全神経を集中させてみたりする。  目を閉じて、ぴったりと貼りついた胸の形をなぞるように、そっと背中に息を溜める。 (…こいつ、また少し逞しくなったな。)  頑丈で力強くて、胸の中で俺がどれだけ動き回ってもビクともしない。 …俺ひとりがどんどん取り残されていってるようで、絶頂にあった気分がまた少し落ち込む。  あと数十分で8月が終わる。  ここへ向かって、山の中腹を嘗め上げるようにして吹いてくる街からの風にも、ひやりとした冷気が混じり始めている。  颯也にわからない程度の強さで呼吸を繰り返すたび、夜の大気が胸の底辺に触れる。  すると、そこから漠然とした寂しさや侘しさのようなものがじわじわと込み上げてくる。 …そのせいだろう。  颯也の温もりが、いつもより余計に愛おしく感じられてしまうのは。 …颯也のほうは、どうなんだろう。 (…ひとつになれればいいのになあ…このまま。)  俺か颯也か、どちらかが溶けてしまって、もう片方に吸収されてしまえばいい。  定理や公式の詰め込み過ぎで少し疲れた脳細胞がそんなばかげたことを考えていると、すぐ耳元で、颯也の声が響くのが聞こえた。 「…次、何して欲しい?」 …つぎ… 「…キス…とか、どう?」 「…んん…そうだな…、じゃ、それで…」 「ふふっ。了解。」  体を傾けられて軽く上を仰ぎ見れば、斜め後ろから颯也のきれいな顔が躊躇もなく近づいてくる。 「…ふ…ン…」  あたたかい颯也の唇が触れ、すぐに舌が入って来る。同時に、颯也の指先がシャツの中に潜り込んできて、俺の乳首をそっと撫でてからくにん、と押す。 「…ンッ…」  とたんに体が震えてしまう。…そっちは頼んでない。  でも、いいか。  悪い気はしない。  颯也の片腕に全身を預けたまま、しばらく颯也の飼い猫気分をぼんやりとあじわうことにする。 ―― 泳ぎ()めしよーぜ、 ゆう!プールできてんよ!すげーピカピカ!冷蔵庫から棒アイス持ってきてー。俺のまだあと1本ある。  1時間前に颯也から届いたLINE。 ―― 何時だと思ってんだ。早く寮に帰れ。  それに対する俺の返信。 ―― いいから来い。今日は ゆうの誕生日だから、ゆうの好きなこと、なんでもするよ、俺。 ……。(…ほんとに?( *´艸`)) …こんな言葉にとろけてしまった俺。 (…ほんとは俺、こんなことしてる場合じゃないんですけど。)  明日の実力考査の結果次第では、颯也とクラスが分かれるかもしれない。  颯也は最上位のクラスAが確実視されている。学年で上位20位までに入らないと、俺はその下のクラスB。  今年は俺のゲイ(とも)の何人かが颯也狙いでAを狙うと予告している。 (くそ。)  いつの間にかライバルまで増えてしまっていて、俺はいよいよやばいのだ。 --------------→つづく

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