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〔プロローグ〕 どちらさまですか!?

 普段は閉まっているはずの遮光カーテンを揺らし、そよ風が吹き込む。  その隙間から自分を照らす陽光で目を覚ました立花(たちばな)詩音(しおん)は、自分がベッドの横で寝ている事に気付いた。  床で寝ていたせいなのか、全身の至るところが痛い。  起き上がると、特に腰が重苦しかった。 「…………?」  ぼんやりとした頭で(寝ぼけて落ちたのかな)と思ったが、すぐに自分がほぼ裸だとわかり少し混乱する。  昨日は確か簡単に食事を済ませて、それから……。  記憶がない。 (あれ? スープを飲んで……飲んで、薬は……もしかして飲んでない?)  口元を押さえて、必死に飛んだ記憶をたぐり寄せる。しかし、何度繰り返し考えても、食事を済ませた後の事は何も覚えていない。  では、なぜ自分は裸なのか。  改めてよく見てみれば、明らかな情交の痕がある。歯形、引っ()き傷、強く吸われた痕も体中に点在していた。それに、腹に残る満足感。  一年前に番関係を解消され、アルファとセックスをしていなかった。そのせいで自身が酷く弱っていた事は詩音も理解している。  だからこそ余計に、自分の〝飢え〟が和らいでいるのもわかった。  しかし、一体誰と……?  詩音は近くに落ちていたパジャマの袖に腕を通してから、恐る恐るベッドを振り返った。  そこでは、ミルクティー色の髪をした青年が壁の方を向いて丸くなっている。顔は見えない。  けれど、この髪の色は……。 「……ミク……?」  いなくなった元番の愛称を呼びながら、その顔を(のぞ)き込む。  そして、ひゅっと息を()み慌ててベッドから離れた。  知らない青年だった。  髪の色こそそっくりではあるが、元番よりも精悍(せいかん)で男らしい体つきの彼は日本人離れした美貌をしていた。海外の血でも入っているのだろうか。色素の薄い金色のまつげは長く、白い肌に影を落とすほどだ。  問題は、一体いつこの青年を家に招き入れたか。  詩音自身の記憶は全く当てにならない。  もしかしたら発情期がつらすぎて、街で声をかけてきた事も否定できないのだ。もしそうだとしても、きっと顔など関係なく髪の色だけで相手として選んだ可能性が高い。  教師という立場上、いわゆる盛り場には近付かないようにしている。  しかし記憶がないのであれば、ぼうっとしたまま駅前くらいには行ったのかもしれない。 「ん……?」  青年が、僅かに動く。  詩音は慌てて隠れ場所を探し、彼が起き上がる前にカーテンの裏で頭を抱えた。今まで一夜の相手という存在は一人としていなかったので、セックスをしたのだろう彼としらふでどう向き合ったらいいかわからない。  そんな詩音の動揺も知らずに、ゆっくりと青年が身を起こす気配がする。 「……詩音……?」  その声は少し低めのハスキーボイスだった。(かす)れた感じがセクシーで、さぞかしモテるだろう彼を自分は一体どう口説いて家に連れ込んだのだろう。  元番を想い続けていると自負しているだけに、この現実がどうしても受け入れられなかった。 「……見つけた」  隠れて座り込んでいる詩音をカーテンごと抱き締めた青年が、(うれ)しそうに(つぶや)く。生地越しとはいえ、耳元で(ささや)かれる感覚にゾクゾクした。 「いなくなっちゃったのかと思ったよ、詩音」  甘い声で呟いて、さらに強く体を押し付けてくる。  詩音は顔を真っ赤にしながら彼の腕から逃れると、カーテンから顔を出した状態で尋ねた。 「どっ、どちらさまですか!?」 「どちら……? 俺、ミクだよ?」  不思議そうに首を傾げる青年に、詩音は何度も首を横に振った。 「違います違います! ミクは背も少し低かったし、顔も普通でした!」  見慣れないイケメンに戸惑いながら訴えるが、彼はかまわず詩音を抱き締め直す。自分よりも大きな体に包まれる安心感があるものの、それに流されてしまっては真実がわからない。 「でも……ずっと、詩音はミクって呼んでたから。俺はミクなんだよ」  青年は少しだけしゅんっとしているが、詩音の頭を()でたり、(ほお)に唇を落としたりしてくる。柔らかいスキンシップが止まらない。  その自然な愛情表現は、本当に〝ずっと〟一緒にいたかのような温もりを感じてドキドキした。 (初対面なのに。何で、こんなに優しくて甘いの……っ?)  昨日は本当に何があったのだろう。  ただ、やはり彼の言う〝ずっと〟に違和感を覚える。詩音はハッとなり、青年の顔を押しのけた。キスをしようとしていた彼は、少しびっくりしているようだった。 「ずっと……って、違います。あなたとは初めて、その……会いました!」 「初めてじゃないよ、もうずっと一緒にいるじゃん」  優しく囁く青年の言葉に、ぽかんっとしてしまう。  こんなにカッコイイ男と暮らしていた覚えは当然ない。  もしや話が通じない人種なのか? だとしたら危険だ。  そんな不安に駆られた時、不意に自分を真剣に見つめてくる目がきらめくのを見た。  透き通るように奥深い、緑色の瞳。  こんなにまじまじと真正面から見ていなかったから、こんなに美しい宝石のような瞳があるのか、と思った。  しかし、不思議と見覚えがある気もした。  ただ、それをどこで見た? 混乱が続く。全く思い出せない。 (僕が、この人、と……?)  呆然(ぼうぜん)としながら、詩音は青年を改めて見つめ直す。  緑色の瞳に、ミルクティー色の髪。  肌の色は白く、体躯(たいく)は自分をすっぽり包み込める程度には大きい。  平凡な容姿の自分と、誰もが惹かれるような美貌を持つ彼。  それくらい不釣り合いで、そして初対面でもある。そんな青年が自分をこんなに愛してくれるなんて、にわかには信じられない。 (どうしよう、本当に全然覚えてないよ……)  彼は「ずっと一緒にいる」と主張しているけど……。  ぐるぐると考えている詩音は、気を失いたくなるくらい動揺していた。 (いや、本当に……どちらさまですか……っ!?)

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