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第六話「夜・望んで」
19:01
水道橋駅から再び黄色い電車、総武線に乗る。
「あのさ、マコト」
「なになに?」
さっきよりもマコトが顔を寄せてくる距離が近くて、ドキドキしてしまう。絶対意図的にやっているのだろう、この後輩は。
自分を律し、さりげなく半歩ずれて、話を続ける。
「いや、大したことじゃないんだけど、うちにも保護猫がいてね。一年前に譲渡してもらったんだけど」
そう言って、スマホの中の真っ黒な愛猫の写真を彼に見せる。
「うっ、可愛い。目が緑色だね。犬派の俺から見ても、とびきり可愛い」
「この子、マコっていう名前なんだよ」
「それって!」
「うん。一年前の球技大会で初めて見かけたんだ、マコトのこと。大活躍だったでしょ?特にバスケで。すごく格好よかったから、目に留まって……一年何組だろうって、こっそり調べて……」
「ふーん」
マコトはさらに顔を近づけてきて、その先の言葉を聞きだそうとする。
「あっ、ここで乗換だよ」
僕がそう告げると、残念そうに唇を尖らせた。
19:06
「目の前に来る中央線に乗り換えれば、あと二駅で東京駅だから」
「ねぇ、さっきから感じてたんだけど、カナタ、もしかして東京に詳しくない?」
「あっ、うん。中学一年までこの沿線で育ったんだ」
「え?そうなの?全然知らなかった」
僕らは黄色い電車から、オレンジ色の電車へ乗り換える。
「さっきの自由行動もね、ちょっとだけ昔住んでいた街に行ってたんだ」
「そっか。それは俺じゃ組めないプランだったな。リサーチ不足だった。ごめん」
僕はただただ首を横に振る。
「いや、僕の我が儘だよ。謝るのは僕。ごめんね、不安にさせて」
マコトの気持ちを疑い、勝手に被害妄想を抱き、衝動的に彼を裏切ったことは、口にできなかったし、謝れなかった。
いつかもっと時が経って、実はあの時と謝れる日がくるといい……。
19:10
東京駅に到着した頃には、日が沈んでいた。
丸の内南口改札から出て、帰りの新幹線切符を二枚購入する。
約束通り、今度は代金を僕が支払った。これで「日帰り」の駆け落ちになることが確定したのだ。
少し寂しい気持ちはあったけれど、まだ旅は終わっていない。
僕は切符を財布にしまい、駅舎の外に出て、目の前にある昭和と現在が融合したようなビルを指さす。
「あのビルの六階に屋上庭園があるんだ。東京駅を一望できるんだよ」
「へー!いいね。行ってみよう」
商業ビルは吹き抜けで、お洒落なショップがいくつも並んでいる。僕たちは、キョロキョロしながらエスカレーターで一階ずつ上がっていく。
屋上庭園に出ると、まず温かみのある色に光る東京駅丸の内駅舎が見えた。ぐるりと視線をずらせば、背の高いビルがたくさんあって、見ごたえのある夜景が広がっている。
「六階っていうから、夜景は見えるのかなって、ちょっと心配だったけど、これすごいね!めっちゃ綺麗。自分も夜景の中に入り込んでるって感じ」
マコトはスマホを取り出し、何枚も写真を撮っている。
「この景色、すごく映えるわー」
風は湿度を含んでいるけれど、暑くもなく寒くもないちょうどいい気温。景色もロマンチックで……。
告白するのにぴったりな条件が揃っていた。
そのつもりで、この場所に来たと言っても過言ではない。不自然に咳払いなどしてみる。
「あ、あのね、マコト……」
「なに?」
けれど、物事は思うようには進まないものだ。
このタイミングで、マコトのスマホにお姉さんからの電話が掛かってきてしまう。
「もしもし。なに?姉ちゃん……うん……うん。いや、早く帰ってこいって言われても、今、すぐに帰れるところにいない……うん。どこって……先輩んち。……え?嘘じゃないよ……うん。エルサの夜の散歩は、帰ったら俺が行くから。うん。十時半までには帰る。……はい。じゃ、切るよ」
スマホをしまったマコトに「ごめん、それで続きは?」と聞かれても、僕は首を振る。
「それよりさ、新幹線絶対に乗り遅れないように、もう駅へ移動しよっか」
マコトも「そうだな」と頷いてくれた。
19:40
東京駅構内で、僕らは夕食用の駅弁を選ぶ。
あっちがいい、こっちもいいと楽しく目移りしながら、結局お揃いの牛タン極み弁当を奮発して購入した。
東京らしい土産も買いたかったけれど、内緒の逃避行だから誰かに買って帰るわけにもいかない。
自分たちが車内で食べきれるよう有名なバナナのお菓子の四つ入りを買って、二つずつ分け合うことにした。
19:57
新幹線こだまの車内に乗り込むと、列車が走り出す前にマコトは牛タン弁当を開封し、割りばしを割る。
「もう食べるの?」
「お腹めっちゃ空いてるんだよ」
「こういうのは、発車してから食べ始めるんじゃない?」
「そういうもの?」
「たぶん、そいうもの」
マコトは、犬が「待て」をするように、牛タン弁当を見つめ、新幹線が走り出すのをじっと待っている。
そして東京駅から発車した途端に、分厚い牛タンにかぶりついた。
「美味っ」
僕も彼の横で、割りばしを割り「いただきます」と、まずは牛タンに箸を伸ばす。
「本当に美味しいね。炭火で焼いた感じで、高かった「極み」だけのことはある」
「俺、今月はもう贅沢できないな」
「僕も。でも後悔はしてない。満足」
「同じく」
牛タン弁当に続き、バナナのお菓子も食べ終えたマコトは、僕が食べ終わるのを待って、「はい」と右手をさし出してくる。
「なに?」
「手、つなご」
そんなにサラっと言われても、すぐには反応できなかった。
でも、もうすぐ旅は終わる。躊躇っている場合ではない。そう思って、通路を歩く人から見えないように、互いの太腿と太腿の間でこっそりと指を絡め合った。
マコトはうれしそうに目を閉じ、あっという間にウトウトと眠りに落ちていく。
健やかなマコトの寝息が、隣にいる僕にだけ聞こえている。
僕自身は、まだ告白という大イベントが残っているせいで、ちっとも眠くならない。
マコトの寝顔と、繋いだ指先と、ガラス窓に映る自分の髪型を代わる代わる眺めて、夜の新幹線での時間を過ごした。
「起きて、マコト。もうすぐ着くよ」
「へ?あぁ……、俺、なんかカナタの夢、見てた……」
そう言って目を覚ました彼が大きく伸びをしたせいで、ごく自然に離れてしまった手が、寂しい。
21:36
新幹線から在来線に乗り換える駅のトイレは、朝寄ったときと当たり前に、何も変わっていない。
僕は洗面所で手を濡らし、綺麗にセットしてもらった髪を、クシャクシャに乱して、母親に変に思われないよう小細工をする。
「終わっちゃうね、駆け落ち」
鏡越しに僕が言えば、彼も鏡越しに頷く。
「終わっちゃうな、日帰りはあっという間だった」
マコトも格好よかった髪型を、乱暴に崩してしまう。少し勿体ないけれど、仕方がない。
「髪、セットしなくても、マコトは格好イイよね」
「トイレで告白?俺、ここで初キスは嫌だな」
ちょっと褒めただけなのに、そんな風に揶揄われ、僕はプイっと横を向いて、先にトイレを出た。
「ちょっと、待ってよ、カナタ」
慌てて追いかけてきたマコトは、ふざけて背後から僕に抱き着いた。
こんなことでも、心臓が跳ね上がってしまう僕に、告白など出来るのだろうか……。
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
21:52
在来線に乗り換え、二人並んで空いている座席に座る。
「カナタは、何が一番楽しかった?」
「うーん。やっぱりパフェだけど、美容院も、観覧車も、楽しかった。マコトは?」
「俺はね、マコトがパフェを好きなこととか、東京生まれだったこととか、やっぱり先輩は頼もしいなってこととか、そういうのを知れたことかな」
「なにそれ……」
「あ、あと猫の名前もね。バイトの控室や更衣室で話すだけじゃ、分からなかったことがたくさん知れて、カナタをもっと好きになれた」
さり気なく言われたことに、僕はいちいち心を動かされ動揺し、赤い顔で俯いてしまう。
ここまでくると、マコトは結構いじわるな後輩なんじゃないかとすら思えてきた。
21:58
コインロッカーに預けた荷物を取り出し、それぞれの通学鞄に収め、二人で駐輪場に向かって歩いた。
雨は降っておらず、道も濡れていない。降っていたのは、朝のひと時だけだったのかもしれない。
辺りはいつも通り真っ暗で、さっきまでの東京の賑やかさが信じられなかった。
「マコト」
名を呼ぶと、少し先を歩いていた彼が足を止め、振り向く。
「僕、僕……マコトが好きだよ。好きだから、バイト先も隣の店にマコトがいるあのパスタ屋にしたんだ……。だから、えっと、今日はありがとう」
マコトは僕へと手を伸ばし、手首を掴んで、何も言わずにずんずんと引っ張るように歩いてゆく。
「な、なに?」
「タイミングが悪いんだよ、カナタ」
「え?」
「ここじゃ、キスもできない」
僕は駐輪場の暗がりに連れ込まれ、コンクリート打ちっ放しの壁に押し付けられた。
「ねぇ、カナタ……」
そんな甘い声で僕を呼ぶのは反則だ。
ゆっくりとマコトの顔が近づいてきて、唇が重なった。
温かく、やさしいキスだったけれど、すぐに離れてしまう。
「もっと」
思わずそう言えば、今度は唇が触れたあと、彼の舌が僕の口内に入り込んできた。
「んっ」
舌が絡み合って、口内を舐められて。一旦離れても、また違う角度で合わさって……。
甘い甘いそれは、僕を心から幸せで蕩けた気分にしてくれる。
「この駆け落ちの相手、カナタしかありえなかったんだって、分かってくれた?」
「よく分かった……」
僕は唇を拭いながら、コクリと頷いた。
21:15
コンビニまで一緒に自転車を走らせ、そこで離れ離れとなる。
「マコト、おやすみ」
「カナタも、おやすみ」
「あっ、マコト」
彼を呼び止める。
「愛犬エルサにやさしくしてあげて。貰われていったカナタはきっと大丈夫だよ。今頃、新しい飼い主さんにやさしくしてもらってるはず」
「うん……そうだね。ありがとう」
そう言って、手を振りながら自転車を漕ぎ出し、帰路に着いてしまった。エルサの元へ早く帰ってあげたくなったのだろう。
僕らの明日からがどうなるのかは、少しも分からないけれど、今日という日は、きっとずっと忘れない一日になった。
22:25
「ただいま」
「おかえりなさい。遅かったわね。パフェ食べてきたの?」
一瞬、新宿のフルーツパーラーのことかと思い、ドキリとするが朝「ファミレスに行くかも」と母親に伝えていたことを思い出す。
「食べてきた。メロンパフェ、めっちゃ美味しかった!今まで食べた中で断トツトップ」
「え?そんなに。じゃ、お母さんも行かなくっちゃ。中島さん、誘ってみようかしら」
「ミャー」
猫のマコが「私はなんでもお見通しよ」とでも言いたそうにすり寄ってきた。
「マコ、ただいま」
愛おしい愛猫を抱きあげる。
「ミャー」
「あら?カナタ、髪切った?」
「あっうん。今日学校早く終わって時間あったから」
「そう。とっても似合ってるわね」
母親は今日一日僕が東京に行っていたなんて、少しも疑っていない。
そう考えると僕らの「日帰りの駆け落ち」は大成功だったと言えるだろう。
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