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第五話「夕方・繋がって」
16:53
一瞬躊躇ったけれど、マコトからの電話に出た。
「もしもし……」
「もしもし、カナタ、あぁーよかった繋がったー!」
マコトは泣きだしそうな安堵の声を出す。
「ごめん。俺、カナタとはぐれた後すぐに、スマホの充電が切れちゃって。とりあえず新宿駅には戻ってきたんだけど、また駅の中でぐるぐる迷って」
マコトは気持ちが焦っているようで、早口でまくし立てる。
「それで、モバイルバッテリー買わなきゃって、走り回ったんだけど、なんか一人でパニックになっちゃって。コンビニの場所も分からないし、他に売ってそうな店も見つからないし。もうどうしていいか分かんなくて」
「マコト、落ち着いて」
「あっ、うん。ごめん。とにかくやっと買って充電して、カナタに電話したら繋がらないから、心配で心配で……。無理やり東京連れて来ちゃったのに、このザマでごめん」
マコトは鼻を啜った。もしかして、泣いているのだろうか。
「マコト?」
「でも、よかった。カナタと連絡ついて、本当によかった……もう二度と会えなかったらどうしようとか、思っちゃって……」
二度とって……そんなわけないのに。不安にさせてしまったようだ。
「ごめんね、マコト」
「なんでカナタが謝るんだよ。……ねぇ、今、どこにいる?自由行動したかったってことは、俺、全然、カナタの行きたいところを提案できてなかった?本当にごめん」
互いに謝り合っていても、仕方がない。まずは僕が招いたマコトの不安を、解消してあげなければ。
「マコト、僕、これから新宿駅に向かうから。20分後に合流しよ」
「ちゃんと会えるかな?俺不安だよ。東京舐めてたのかも……。カナタは迷ってない?大丈夫?」
僕は、昔住んでいたマンションに向かって歩いていた足を、回れ右して方向を変える。
あの家を見て、東京で暮らしていた頃の思い出に浸るのは、今日じゃなかったのかもしれない。
「僕は大丈夫だから」
「ホント?」
「マコト、新宿駅の改札から中に入って、千葉方面に行く総武線ホームの一番先頭で待ってて。総武線は13番線の黄色い電車だよ」
「総武線、わかった」
「少し待たせると思うけど、ごめんね」
通話を切ろうとしたとき、マコトが言ってくれた。
「カナタ、早く会いたいよ。俺、ずっと待ってるから。来てくれるまで待ってるから」
その言葉は甘く響き、僕のいじけていた心を再び持ち上げてくれた。
17:06
一番先頭の車両に乗り、電車の中からマコトにメッセージを送る。
『今、電車に乗ったよ。17:15には新宿駅に着くから』
待ち構えていたように即返信が来る。
『一番先頭で待ってるよ』
飼い主を待つ、大型犬みたいなマコトを想像してしまい、思わず口角が上がった。
17:15
新宿駅の混雑したホームに電車が入ってゆく。
扉が開くと、目の前のホームに耳が垂れた大型犬のようなマコトが、佇んでいる。
僕は彼に「こっちこっち」と手招きをした。マコトは僕に指示されるまま車両に乗り込んできてくれる。
「カナターーー!」
彼が本当に犬だったら僕に飛びついてきただろう。それくらい、再び会えた嬉しさを、顔を綻ばせ表してくれた。見えない尻尾もパタパタと揺れている。
たった一時間半離れ離れだっただけなのに、まるで数年ぶりの再会だとでもいうように。
「電車の中じゃなかったら、ぎゅーって抱きしめてたよ」
マコトが耳元でそんなことを口にする。
だから僕は顔をしかめた。
「マコトはさ、すぐそういう発言するから、僕が勘違いしちゃうんだよ」
「勘違いって?」
「今日急に東京に誘ってくれたことだって、「駆け落ち」なんて言葉を使わずに、「暇だったらつきあって」って言ってくれればよかったんだ。そしたら僕だって、混乱せずに済んだのに……」
マコトは何かを言おうとしたけれど、ここが混みあう車内だと思い出したのか、不満そうに口をつぐんだ。
17:29
『次は水道橋駅、水道橋です』
「マコト、ここで降りよ」
「え?ここで?」
「うん。まだ新幹線まで時間があるでしょ。折角だもの、もう少し遊ぼう」
たくさんの人が僕らと一緒に降りたが、皆、分かりやすく野球のユニフォームやキャップを身に付けたり、ロゴの入ったタオルを持っている。
「ここどこ?」
「東京ドームがあるところ。この人たちはナイターを見に行くんじゃないかな?」
「へー、俺たちも?野球観戦」
「違うよ。一緒にさ、観覧車に乗ろうよ」
「なにそれ!すごくいいアイデア」
僕は自分の自己憐憫のせいで無駄にした一時間半を、取り戻したいと思っていた。
マコトの気持ちがどうだろうと、僕はやっぱりマコトが好きだから。
本格的な夏がくれば、夏期講習に時間を取られ、バイト先で喋ったりすることもできなくなってしまう。
彼と二人で過ごせる時間は、貴重だから大切にしなければ。
17:45
「うわぁ、あの白いフワフワしてそうな屋根が、東京ドームか!で、こっちは遊園地じゃん。グッズショップやゲームセンターもある。楽しそう」
僕の計画では、もう少し日が暮れてから、マコトと観覧車に乗って東京の街を見下ろしたかった。
だからまずは「アトラクション券」を買って、二人で、子どもでも乗れそうなアトラクションにいくつか乗った。
平日の夕方だけあって、待ち時間はない。僕らは余計な話をする暇もなく、ギャーギャー騒ぎながら純粋に乗り物を楽しんだ。
ゲームセンターではマコトが白い犬のぬいぐるみを欲しいと言い、何度かチャレンジしていたけれど、取れる気配もなく小銭が吸い込まれていく。
「もう一回、もう一回だけ」
結局取れずに膨れるマコトだって可愛かった。
意識的に無邪気に振る舞い、意識的にはしゃぐ。非現実的な逃避旅行にふさわしい賑やかな時間だ。
「マコト、そろそろ、観覧車に乗ろうか」
「そうだね」
僕だけじゃなくマコトも、観覧車に乗ったら懸案事項をしっかり話さなければならない、と分かっているのだろう。心なしか表情が引き締まった。
18:30
僕らの順番がやってきて、観覧車に乗り込み、向かい合って座る。四人乗りの観覧車はこじんまりしていて、膝が触れ合ってしまう距離だ。
ここから15分間、二人だけの空間が始まった。
太陽はかなり低いところまで落ちてきている。景色は少しオレンジがかっていて、なんだか幻想的だった。
二人して窓の向こうを眺めていたけれど、最初に口を開いたのは僕だ。
「エルサってマコトの飼ってる犬なんでしょ?どこかに貰われていっちゃうの?」
「ううん」
マコトは首を振る。
「エルサはどこにも行かない。そうじゃなくて、十カ月前に五匹の子犬たちが生まれたんだけど、今日、最後の一匹が貰われて行った」
「子犬の話だったんだ」
「さっき、新宿駅でカナタを待っている間に、姉ちゃんから「無事に引き渡された」ってメッセージが来た。子犬が車に乗せられるとき、母犬のエルサが、吠えて吠えて、子犬も悲しそうに鳴いて、辛かったって書いてあった」
「そうだったんだ」
「今までの四匹との別れも寂しかったけど、残りの一匹は特に可愛がってたから……」
「それでその場に立ち会いたくなくて、逃げ出してきたんだね」
「実はさ、その子犬「カナタ」っていう名前なんだ」
「カナタって……」
「そう。先輩と俺がショッピングモールの休憩所で初めて会った日に生またから、一番かわいい子に俺がカナタってつけた」
「どうして……」
「初めて会ったとき、この人は俺のことを好きになってくる人だってピンときたから」
「ぼ、僕そんな分かりやすい顔してた?」
「してた。俺その瞬間、これが恋の予感っていうんだって、胸が踊った。この人と恋人になれる未来があるのかもしれないって。そんな目で先輩のこと見てたから、好きになるのは、あっという間だったよ」
窓に目を移せば、スカイツリーがよく見えた。
マコトから大切なことを言われた気がしたけれど、頭がよく回らず、犬の話題に戻す。
「子犬のカナタの写真ある?」
マコトは、スマホを操作し、お姉さんから送られてきたばかりの写真を見せてくれる。
一軒家の玄関で、真っ白いサモエドが、二匹仲睦まじく写っていた。
「これが最後の母と子のツーショット。右がカナタね。立ち会ってあげれなくて少し後悔してるけど、時間が巻き戻ったとしても、俺はまた逃げちゃうだろうな」
「カナタ、もう子犬の大きさじゃないね」
「そう。十カ月で母親のエルサと同じサイズ。うちで二匹飼おうって俺は主張したんだけど、父さんも母さんも、こんなに大きいからやっぱり無理だって」
「そっか。僕も会いたかったな、犬のカナタに」
「俺さ、先輩がバイトしてるパスタ屋の店長が、話してるの聞いちゃったんだ。夏休みに入る前にバイト辞めるんでしょ?受験生だからしょうがないって分かってるのに、それがショックで。犬のカナタも先輩も、俺の前から居なくなっちゃうような気がして」
「僕は居なくなりはしないよ」
「まぁ、そうなんだけどね。そんな現実からも妄想からも逃げ出したくてさ。俺の心情的には「駆け落ち」って言葉がぴったりだったんだ」
「そっか」
観覧車はてっぺんをすぎ、今度は地面に向けてゆっくりと下降する。
僕の思考もだんだんと、ここまでの会話に追いついてきた。
「……え?」
「なに?どうしたの?カナタ」
「いや、それってさ。マコトは、マコトは、僕のことが……」
「好きだよ。すごく好き。俺、カナタが好き。カナタは?」
「いや、え、だって。……知ってるんでしょ?気付いてたんでしょ?僕の気持ち」
「ちゃんと言葉にして。早く言ってくれないと、観覧車の中でキスできないよ」
キスなんて言われたあとで告白なんて、さらにハードルが上がってしまう。口をパクパクするばかりで、僕は何も言えなかった。
「仕方ないな」
マコトはそう言って僕の手を恭しく取り、王子様のように手の甲にキスをしてくれた。
「帰るまでに、言ってね。そしたらココにキスしてあげるから」
唇を指し示すその顔は、大型犬というより、白い狼みたいだった。
18:45
『お疲れ様でした。お気をつけてお降りください』
観覧車から降りると、足元がフワフワとしていて、地面からほんの少し浮いているようにすら感じる。
「さて、どうしようか?カナタ」
平然としているマコトが恨めしい。
「うーん。マコト、夜景見たいって言ってたでしょ?東京駅の近くのビルから見るのはどう?」
「いいね!じゃ、そこで告白してくれる?」
さっき新宿駅からの電話では泣きそうな声を出していたくせに、どうしてこんな強気でグイグイくるのだろう?
僕は曖昧に返事をし、駅へ向かった。
マコトは僕の横に、ぴったりとくっついてくる。恥ずかしいと思いながらも、二人並んで歩いた。
道行く女子高生グループが、「ねぇ見て、めっちゃ格好イイ」と呟いたのが耳に入る。
僕は心の中で彼女たちに賛同する。でしょ?格好イイよね、と。
「今、あの子たちカナタを見て、格好イイって言ってたよ」
勘違いをしたマコトが僕にそんなことを囁くから、声を出して笑ってしまった。
さっきまで心を曇らせていた、勝手に自由行動したくなるような悲しい気持ちは、もうどこにも残っていない。
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