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第九話 信頼

 泣き疲れて眠っていたのだろう。しばらくして目を覚ました翠雪(ツェイシュエ)は、視線だけ動かして辺りを観察し始める。枕元には小さな骨壺と母から譲り受けた大扇、それから一冊の書物が置かれていた。  身体を起こして手に取ってみれば、それはあの未完成の煉丹術の秘伝書だった。 「目が覚めたかい? 五日も眠り続けていたから心配していたんだが、どうやらもう起きても平気なようだね」 「····あなたは、私を助けてくれたひと、ですよね」  視線は合わせず、書物を閉じる。どうしてこの書物がここにあるのか、不思議だった。狙われていたのはこの書物ではなかったのだろうか。  確かに他にも、たくさんの符術や陣、仙薬の在り処を綴った貴重な研究資料もあった。もちろん何重にも封印が施されて隠されていただろうから、運良く見つからなかったのかもしれない。  しかし、翠雪(ツェイシュエ)は何の疑問も持たずに目の前の者を信じられるほど、お人好しではなかった。  ひとが誰かに親切に接する時、見返りを求めるのが普通だ。無償の施しができるのは、親くらいだろう。ましてや他人で会ったこともない人間ならば当然、無償なわけがない。 「改めて、名乗った方が良いかな。私はこの風明(フォンミン)派の掌門(しょうもん)風獅(フォンシー)。掌門、といっても先日貰ったばかりの肩書だから、たいして偉くもないんだ。君は、翠雪(ツェイシュエ)だね?」  風明(フォンミン)派。翠雪(ツェイシュエ)はあまり聞いた事のないその門派に首を傾げる。元々両親がそれらとの関係を遠ざけていた事もあって、翠雪(ツェイシュエ)もあまり詳しくは知らなかった。そもそも修仙門派は数多くあり、その中でも名の知れた有名な門派は五大門派くらいで、他のその他大勢(・・・・・)までは把握していないのが普通だろう。 「確か····あなたのお父上が、私の両親と知り合いだとか」 「ああ。何度か怪異退治でおふたりには世話になったよ。あんなことになる前に一度だけだが、あの場所へも父と共に訪ねたことがある。君のことはその時に知ったんだ。君は、憶えていないようだね、」  翠雪(ツェイシュエ)の素直な反応を察した風獅(フォンシー)が、その穏やかな眼差しのまま苦笑を浮かべる。 「あの、ひとつ聞いても良いですか?」  なにかな? と風獅(フォンシー)は寝台の横にある椅子に腰かける。翠雪(ツェイシュエ)は手元にある煉丹術の研究をまとめた書物に視線を落とし、ひと呼吸おいてから気になっていたことを訊ねる。 「この書物が狙われていたことは、間違いないんです。仙人になるための秘術である煉丹術の研究資料。賊たちは私の両親を殺してでも手に入れたかったはずなのに、どうしてこれがここにあるんですか? あなたがあの日、たまたまあの場所を訪れ、運良く私をみつけてくれたのは、ただの偶然だと?」  まだ十歳の少年とは思えない、しっかりとした言動に驚きつつも、風獅(フォンシー)は冷静にその言葉を受け止める。それが事実なら、誰がどう見ても確かにできすぎた偶然だろう。  魔族が秘術書を奪いに来たその日に、鉢合わせたというその偶然。しかし実際に奪われたのは、秘術書以外の書物や資料、貴重な仙薬や宝器、宝具などだったと聞いた。  あの書庫の惨状を思い出すと、胸の奥がずきずきと痛む。 「父と母を火葬してくださったことは、感謝しています。けれども同時に死因を確認することができなくなりました。私の両親がどのようにして亡くなったのか、私には知る権利があったはずです」  小さな骨壺に納められた真白い灰。この地ではこのような方法が主流なのかもしれない。亡くなったひとをどう葬るのかは、その地の習慣によって違うのは知っていた。  その方法は、埋葬だったり火葬だったり水葬だったり鳥葬だったり、様々だ。おそらく火葬した上で灰にするのが、この地の葬り方なのだろう。 「死因は私以外にも他の道士が目の当たりにしている。到底、幼い君に見せられるような状態ではなかった。知りたいという気持ちを無下にしてしまったことは申し訳なく思う。だが日も経っていたし、赤の他人なら未だしも、知人をあのままにしておくのは忍びなかったのだ」  それを聞いて、翠雪(ツェイシュエ)は自分がどうしようもない我が儘な子供のように思えてきた。  それくらい、風獅(フォンシー)は落ち着いた声音で諭すように大人の対応をしてくれた。その理由も間違いなく理にかなっている。  先程までの強気な態度から一変して、沈んだ表情を浮かべている翠雪(ツェイシュエ)に対して、風獅(フォンシー)はそっと薄い肩に手を置いた。 「君が疑う気持ちもわかる。だが、信じて欲しい。その書物は君を捜している時に偶然見つけた。何重にも封印がかけられていて、もしかしたらと思って破った扉の先にあったんだ。魔族たちは単純にあの封印を破れなかったのだろう。君がいた場所もそうだったように、君の母上の守りたかったものは、ちゃんと残せたということだ」  その言葉を聞いた時、翠雪(ツェイシュエ)翠霧(ツェイウー)が最期に残したあの言葉が頭に響いた。 『私たちに何かあっても、あなただけは絶対に死なせない。だから、あなたは生きて、私たちの意志を受け継いで欲しい。復讐なんて必要ない。そんなことよりも、私たちが成し得なかった研究を、あなたが完成させるの』  復讐よりもふたりの意志を受け継ぐことを、母である翠霧(ツェイウー)は望んだ。なら、自分が進むべき道は決まっている。 「風獅(フォンシー)様、私は有能です。あなたの望みはなんですか? そのお手伝いをすると言ったら、私の望みを叶えてくれますか?」  大きな瞳が風獅(フォンシー)だけを映し、自身の優れた能力を貸す代わりに見返りをくれと、堂々とした口調で訊ねてくる翠雪(ツェイシュエ)に、風獅(フォンシー)は思わず目を瞠った。  少女のような容貌をしているのに、信念が強く度胸もある。それに、まだ子供だとしても自分自身を"有能"だなどと売り込む者はまずいないだろう。もっとも仙に近いと謳われたあのふたりの子供ならば、それも過言ではない。 「取引というわけだね。いいだろう。私の望みはただひとつ。この門派を大きくすることだ。五大門派と呼ばれるほどの、誰もが知る名実ともに有名な門派に、ね」  ずっと穏やかな印象しかなかった風獅(フォンシー)の瞳に、揺るがない決意のようなものを感じた翠雪(ツェイシュエ)は、その望みが間違いなく彼の望みであることを知る。  大きな門派にするためには、その門派の理念を共にする者を集め、誰もやらないような厄介な依頼をこつこつと解決し、評判を上げていくしかないだろう。一朝一夕でできることではない。 「では、君の望みは?」  肩に置いていた手を離し、あの穏やかな眼差しに戻った風獅(フォンシー)は、ゆっくりとした口調で訊ねてくる。 「私の望みは、この煉丹術の研究を続けることです。そのためには誰にも邪魔されない場所と、たくさんの資料が必要なんです」 「そうか。なら、君には特別に肩書をあげよう。もちろん、君が本当に有能であることが条件だよ。その肩書を手にするためのいくつかの試験を受けてもらう。その基準に達したら誰も君に文句は言わないだろうし、私が言わせない」  そうして、ふたりの間で契約が交わされる。  あれから八年。数多あるその他大勢の門派のひとつだった風明(フォンミン)派は、この数年で五大門派の中に名を連ねるほどの大きな門派となった。  そこには時間をかけて積み上げてきた信頼という名の絆が芽生え、翠雪(ツェイシュエ)にとって風獅(フォンシー)は、歳はひと回り以上も離れているが、心を許せる唯一の存在となっていた。  聖人君子と名高い風獅(フォンシー)は、妖魔や魔族によって家族を失った多くの孤児を引き取り保護し、仕事を与えたり希望する者は門下弟として育てた。  その中から実力のある者だけが道士となりその思想を広め、門派の理念に共感した別門派の道士が、常に開かれているこの門をたたくのだ。  風明(フォンミン)派はその歴史こそ浅いが、その名を知らない者はいないと言っても過言ではない、有名な門派へと成長を遂げたのだった。

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