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第十二話 胸騒ぎ
魔族の女はその手に赤い紐で飾られた黒い柄 の槍を宿すと、尖った穂の尖端を天雨 に向けた。
天雨 もまた、下げていた湾曲の刀剣を同じように魔族の女に向ける。先程まで飛び交っていた紅蝶は、すべての殭屍 を消し去り役目を終えたのか、灯りが消えるかのように一頭ずついなくなった。
雨はまだ止まない。ずぶ濡れになった外套に重さを感じながらも、天雨 は刀剣を構え対峙する。お互い、動かずに相手の出方を視線と気配で探っているようだった。その沈黙を破るように、魔族の女が口を開く。
「面白い坊や。特別に私の名を教えてあげる」
「別に必要ない。これ以上用がないならさっさと目の前から消えろ」
「私の名は万姫 。以後お見知りおきを~」
天雨 の言葉など一切聞く気がない様子で、万姫 は妖艶な笑みを湛えたまま陽気な口調で勝手に名乗った。そしてそのまま天雨 の方へとまっすぐに飛び込んできて、一瞬にして間合いを詰める。
刀剣と槍の穂がぶつかり合う。剣戟 の声が雨の音に混じって、森に何度も不規則に響き渡った。槍には槍の利点が、刀剣には刀剣の利点があり、ふたりはそれぞれに熟知しているため、弾き弾かれるを繰り返す。
身軽で予測しづらい動きをする万姫 もそうだが、剣舞を舞うかのように、時に華麗に時に荒々しい回転を付けて剣撃を繰り出す天雨 の動きは、本来なら予測できても躱すのが難しいはずだった。
ぶつかっては離れ、薙いでは後ろへ飛びを繰り返し、ふたりはお互いに隙を窺う。しかしその均衡が崩れる様子はなく、再び向かい合ったまま動かなくなった。
(今は目の前の敵に集中するしかない。あの翠雪 のことだから、よほどの事がない限りひとりでも大丈夫だろう)
まだ数日しか共に過ごしていないが、道士としての彼は間違いなく自分よりも強い。精神的な面は保障できないが、それを装うのは得意だろう。それに、そもそもあの翠雪 がそう簡単に連れ去れるはずはない。今頃、目の前の者の主とやらと対峙し、舌戦でも繰り広げているかもしれない。
だがなぜか、ずっと胸騒ぎが止まない。
(やはり、さっさと終わらせてあのひとの無事を確かめるべきか?)
相手は魔族。
妖魔などとは比べ物にならない存在。
天雨 は変わらない表情とは裏腹に、少しだけだが焦りを覚えていた。
血奏術を使えば済む話と思うだろうが、あれは自身の血を代償にする必要がある。普通の人間よりも治癒が早く、先程傷付けた指も腕もすでに止血している。この術の欠点は、使うことで流した血は戻らないということ。
故に、本来この術は戦闘で不利になった時の切り札として使うことが多い。血が流れていれば流れているほど、術の効果は上がるのだ。
「なんか飽きちゃった。私、圧倒的な力の差で弱い者をいたぶるのが好きなの。坊やは面白いけど、なんか面倒臭い」
そう言って何の躊躇いもなく構えを解くと、肩を竦めて見せた。そこには先程までの殺気は微塵も感じず、万姫 がこれ以上何かしてくる気もないとわかる。本当にただの時間稼ぎをしていたのかもしれない。だが同時に、彼女の主の目的が達せらたともとれる。
「あら大変。あなたのお連れさん、魔界に連れていかれちゃったみたいよ? 大丈夫かしら~。ねえ知ってる?あなたたち人間には魔界の瘴気は毒なの」
魔族が人界を自由に行き来できることに対して、人間は自由に魔界へ行くことは叶わない。その入口は魔界の住人にしか開けられず、通れない。しかし妖魔たちが女や子供を攫って連れ去ることもある。その際に与えられるものがあるとか。
「魔蟲 を体内に入れることで、それも解消されるけど。そんなことはきっとあの方はしないわ。まあ、運が良ければ生きて戻れるかも?」
悪戯っぽく頬に人差し指を当てて、万姫 は片目を閉じる。
「どういう意味だ····」
低い声音に怒りを乗せて、天雨 が珍しく感情を露わにする。万姫 はそれを待っていたかのように話を続けた。
「簡単よ。私たち魔族から離れないこと。触れたまま、離さないこと。それができなければ、半刻 もつかどうか。あなたのお連れさんが、賢い子だと良いけど。じゃあ、私の役目はこれにて完遂! また遊びましょうね、坊や」
天雨 が口を開くより早く、万姫 はひらりと下裳を翻すように一回転すると、その場から消え去ってしまった。残された天雨 もまた、迷わずに反対方向へと走り出す。跳ね返ってくる水飛沫など気にする余裕はなかった。森を抜け、宿へと急ぐ。
(あの女の言葉を鵜呑みにする気はないが、なぜわざわざそれを俺に言った? あの様子だと、この状況を楽しんでいるようにしか見えない)
触れたまま、離さないこと。
魔族の女の主は上級魔族だろう。魔族が人間に対して、しかも敵である道士に対してそんな優遇はしないはず。本当に魔界に連れ去られたのだとしたら、取り戻すための手段はない。このまま単独行動をするのも良くない気がする。
(風獅 様に助けを求めたところで、魔界へ行くことなどできない。翠雪 が自力で戻って来るか、攫った奴の気が変わるのを待つしかないのか?)
あの女を逃がしたのは、得策ではなかったのかもしれない。
天雨 は女の話が全て噓である可能性に賭けるしかなかった。しかし宿に戻った時、店主の老人とその孫の陽 がずぶ濡れになっている自分の姿を見るなり、不思議そうに首を傾げていた。
「おやおや、こんな雨の日に散歩ですか?言ってくだされば、傘をお貸ししたのに。外套は乾かしておきますから、こちらへどうぞ」
雨も降り朝から寒かったため、店主は火を熾してくれていたようだ。せっかくの好意だったが、天雨 はその前に確かめなければならないことがあった。それを訊ねようとした矢先、陽 が口を開く。
「あれ? お嬢さんは一緒じゃないんですか?」
お嬢さん、というのは翠雪 のことだろう。こんな事態でなければ本人を目の前に揶揄ってやりたいところだったが、今はそんな余裕はない。
「一度部屋に呼びに行ったんですが、反応がなくて。ついさっきもう一度様子を見に行って声をかけてみたんですが、やっぱり返事がなくて。ほら、なんだかあなたたち訳ありな感じだったし、心中なんかしてたらどうしようって。それで心配で部屋に入ったんです。でもふたりともいなくて」
陽 が要らぬ心配をしてくれたことで、元々可能性の低かった一縷の望みが絶たれたことを知る。
天雨 は顔を歪めて俯き、拳を握り締めていた。その意味を知らない陽 は、天雨 の横や後ろに視線を巡らせて、表情を曇らせる。
「あなたが戻ってきたから、てっきりお嬢さんも一緒かと思っていたんですけど。お嬢さんの上衣や外套がそのままだったので、もしかして宿の中にいるのかな? もう一回捜してみましょうか?」
「いや······あのひとは俺がひとりで捜すから、気にしないでくれ」
でも、と陽 は声をかけようとするが、老人が首を振って止める。何か事情があるのだろう、と天雨 のどこか切羽詰まった様子から感じ取ったようだ。
なにか思うところがあった天雨 はふたりに背を向け、無言でそのまま外へと出て行ってしまった。
「お嬢さんがいなくなったのって、もしかして、」
「ふむ······村で起きてる失踪事件が関係しとるかもしれんのぅ」
だとしたら、ただの村人でしかない自分たちにはどうすることもできない。たまたま村を訪れてしまったために、またひとり失踪人が出てしまった。
一体、この村はどうなっているのだろう。そんな底知れない不安を胸に、せめて客人の無事を祈ろう、と開いたままの扉をふたりでしばらく見つめるのだった。
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