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第二十六話 無垢な花
十年前のあの凄惨な事件が起こる、二年前の出来事。風獅 が二十三歳、氷鷹 が十八歳の時だった。
父、清風 に連れられてやって来たのは、とある山の頂。強固な結界に阻まれたその場所は、山道の至る所に迷いの陣が敷かれており、それを知らない者は絶対に目的の場所に辿り着けないようになっているようだった。
父は古い付き合いの知人に逢うため、ふたりを連れてここまで来たのだが、前以上に立ち入りを禁止されているようなその仕様に苦笑を浮かべていた。
「なにか理由があるのだろう。あの者たちは凡人の私とは違い、仙に近いと謳われる才能溢れる天才道士。故に、少し変わっているとも言われるが、私にとっては自慢の道友なのだ」
風獅 と氷鷹 はその天才道士たちに何度か会ったことがあった。その時に実力を目の当たりにしていたため、それには妙に説得力があり、父の苦笑の意味もよくわかっていた。風明 派はまだ名も知れ渡っていない、数多ある門派のひとつでしかない。
剣や武芸を極める事によって仙への道を説く流派である、風明 派。これは、そもそも符や陣を得意としない道士たちの救済措置のような門派で、その道を究めるには血の滲むような努力と忍耐力、そして精神力が必要だった。
もちろん方術を得意とする門派の道士が楽であるという意味ではない。こちらはこちらで持って生まれた才能と知力、そもそも法力をどれだけ高められるかによって能力に差が出る。
この先に住む道士の夫婦は後者の中でも上位の道士であるにも関わらず、門派に属すわけでもなく、自ら門派を開くわけでもなく、とにかく山に籠ってなにか難しい研究をしているらしい。
たまに手に負えない依頼を知り合いの門派から請け負い、本来貰えるはずの半分以下の報酬を得る。まさに必要最低限の暮らし、自給自足の日々を送っているのだ。
「これが最後の陣のようだ」
予め聞いていた陣の一時的な解除方法で、清風 はふたりを連れて先に進む。一瞬目が眩むような光が溢れ、しばらくすると視界が戻って来た。
目の前に現われたのは天才道士が住む場所の想像とはかけ離れた、いくつかの平屋の建物と畑以外なにもない、平穏そうな田舎の山村に似たのんびりとした光景だった。
「うん、良くも悪くもなにもない場所だね」
氷鷹 がにこやかにそのままの感想を述べる。
「山頂だけあってちょっと肌寒いかな。氷鷹 、平気かい?」
問題ないよ、と風獅 の問いに嬉しそうに氷鷹 は答える。自分を気にかけてくれる兄対して、単純に喜んでいるようだった。しかし今回の訪問の目的は、ここに住む父の知人にある"お願い"を聞いてもらうためであり、遊びに来たわけではない。
(門派の将来のためとはいえ、その掌門 が自ら知人に頭を下げるのは、さぞかし辛いだろう)
風明 派は曾祖父が開いた門派で、歴史も浅い。そんな門派が他の門派と合流することなくこの先も続けていくためには、やはり何か唯一無二のものが必要になる。
例えば独自の術や剣技、陣などがこれに該当するだろう。退魔剣を使い戦う風明 派は、退魔において殺生を禁じていない。これは独自の道で、その代わり剣術を極限まで究める必要がある。
父が求めているのは、それとはまた別のもののようだ。自分たちを連れて来たのにはなにか意図があるのだろうか。
「兄さん、あそこに誰かいるよ?」
氷鷹 がとんとんと肩を叩いて、花畑の方を指差した。白い花びらが風でふわりと舞う中、その真ん中で雲一つない空を見上げている少女がいた。
肩くらいまでの柔らかそうな茶色い髪の毛が、強い春風によって色白な頬にかかり、眼を細めながらそれを防ぐように右手で耳にかける仕草が、なんだか可愛らしかった。
白い花々が咲き乱れる中、ゆっくりとこちらを振り向く姿を目にした時、風獅 はまるで時が止まってしまったかのように動けなくなる。
あの時の光景は、今でも忘れられない。その少女が実は少女ではなく、ここに住む道士のひとり息子であることを、この後すぐに知ることとなった。
******
父は事情を話し、その知人たちは快く引き受けてくれた。寧ろ、彼らの研究心に火を点けてしまったようで、「そういうことなら三日、いや五日待ってくれれば!」とここの主である蒼迦 という道士が指を三本、五本と立てながら答えた。
「すまない。君たちは君たちの研究があるだろう。話を聞いてくれただけでも私は嬉しい。そんなに急がなくとも時間のある時でいいのだが、」
「ふふ。気にしないで。私たちの研究は急いでやるようなものではないから、合間に違うことをするのは日常茶飯事なのよ? 息抜きというやつね」
ぶつぶつとなにやら唱え始めた夫を放置し、明るい笑みを浮かべた彼の妻である翠霧 が空になっている白い陶器の湯呑にお茶を注いでくれた。茉莉花 の独特な香りが漂い、なんだか安らかな気分になる。
「息子さんたちも立派になって! しかも厳ついあなたに少しも似ずに、見目麗しい素敵な青年に育ってくれて、私は本当に嬉しい!」
「う、うん。気持ちはわかるが、そういうことは本人を目の前に言うことじゃない」
清風 は引きつりながら、素直な感想を広い心で受け止める。確かに風獅 も氷鷹 も亡き妻によく似ており、自分の要素はほとんどなかった。清風 は泣く子も黙る強面で、ふたりの息子はそれとは真逆の秀麗で穏やかな雰囲気しかない。
「····母上、父上、お話まだ終わらない?」
そんな中、扉に半分隠れた状態でこちらを窺いながら、遠慮がちに声をかけてきた幼い声。それはあの白い花が咲いていた花畑の中にいた少女だった。大きな翡翠の瞳は、知らない大人たちに向けられており、どこか不安そうに見える。
「翠雪 、おいで」
先程までひとりでぶつぶつとなにか呪文を唱えるようにひとり言を呟いていた蒼迦 が、急に父親の顔になり椅子から立ち上がって中腰になると、優しい表情で少女に向かって両手を広げ、こちらに来るように促す。
扉に隠れていた少女は戸惑いながらも、ゆっくりと部屋に足を一歩踏み出し、それから飛び込むように蒼迦 の方へ駆けてきた。少女は十歳に満たないくらいの幼さで、大きな翡翠の瞳は父である蒼迦 に、可愛らしい顔は母である翠霧 によく似ていた。
「見て見て、可愛いだろう? この子は俺たちの息子 、翠雪 だよ。滞在する数日間だけでも、仲良くしてやってね」
可愛らしい自慢の抱き上げて、蒼迦 はにっと人の良さそうな顔に笑みを浮かべた。三十代なのに二十代前半くらいに見えなくもない蒼迦 と、同じくいつまでも少女のように可愛らしく美しい翠霧 。
そのふたりの子である翠雪 は、まさに美少女といっても過言ではないが、どうやら美少年の間違いだったようだ。
「おい····仮にも自分の息子 と紹介してる子に、なにを着せているんだ····?」
「え? だって可愛いから、ね?」
「え? 駄目なの? こんなに可愛いんだから、別にいいんじゃない?」
駄目だ、この夫婦····清風 は蟀谷を押さえて、眉を寄せるしかない。この天才道士たちは、やはり凡人には理解しがたいところが多すぎる。
彼らは自分の息子が可愛いからという理由で、幼女用の白い上衣の下に、薄桃色のひらひらとした下裳を穿かせていたのだ。
風獅 と氷鷹 はそのやり取りを黙って見ていたわけだが、父のあのような顔を見たのは初めてで、このふたりとの関係性も垣間見えた。ただの知人ではなく、確かに道友といっていい間柄のようで、あの厳格で真面目な父が翻弄されている貴重な姿を見ることもできた。
「今日は天雨 、帰って来る?」
そんな大人たちをよそに、抱き上げられ顔が近くなった父親である蒼迦 に、そっと耳打ちするように訊ねる翠雪 は、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「うーん、そうだなぁ。今回は討伐の依頼で隣の町まで行ってるから、早ければ明日には戻って来るかな? まだ三日しか経ってないのに、寂しくなっちゃったの?」
「違うもん。寂しいなんて言ってない。つまらないだけだもん」
むぅと頬を膨らませて反論する翠雪 に対して、蒼迦 は思わずにやにやしそうになる口元をぐっと抑える。
「ああ、天雨 っていうのは、縁あってここに居候している退魔師の夫婦の子で、この子の遊び相手になってくれてるのよ」
翠霧 が補足するように簡潔に教えてくれた。
それから他愛のない会話が続き、そのまま夕餉を一緒に食べた後、風獅 たちは客人用の部屋に案内され、その日から数日の間、ここに滞在することになるのだった。
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