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第三十話 夢の終わり
問われても、話すことはないと思っていた。話さなければ、隠し通せると。否、心のどこかで恐れていたのだ。この世の中で唯一無二の、愛しいものの心が離れていくことを。嘘を付き続ければ、偽り続ければ、終わることはないのだと。
そんな、夢みたいなことを本気で信じていた。
「話をしに来ました」
二年前のあの日から、ずっとどこか虚ろな状態だった翠雪 は、なにかがふっきれたような強い瞳で、本来の何者にも染まらない彼らしい態度で、目の前に立っている。その隣には当然のように天雨 がおり、初めて会った時の幼い姿の幻が重なった。
「誰にも邪魔されない場所で、話がしたいです」
風獅 は眼を逸らすことなく、ただ静かに頷く。遅かれ早かれ、こうなるだろうと思っていた。わかっていた、こと。
「私が知っていること、私の罪も含めて····君が望む答えが得られるかは別として、話す時が来たということか」
いいだろう、と風獅 は自室の奥へふたりを導き、その先にあった壁に手を翳した。なにかの陣が白い光を放って消えると同時に、白い壁に扉が現れる。
そのまま先に中へ入り、右手を広げてふたりを促す。翠雪 たちはお互いに視線を交わして頷くと、扉の奥へと足を踏み入れた。
三人がその部屋に入るとその扉は姿を消し、部屋の壁に取り付けられた蝋燭がいくつか灯りを齎す。幾分か明るくなるとお互いの顔が認識できるようになり、部屋の様子もよくわかった。
隠し部屋らしくこじんまりとしているが、壁際にはきちんと整えられた本棚や宝剣、不思議な色の宝玉が置かれていた。
部屋の真ん中には丸い机と椅子がふたつあり、風獅 は翠雪 に対して「座りなさい」と言って、自分も腰を下ろした。
天雨 は翠雪 の傍らに立ち、見下ろす形でふたりの様子を眺めていた。しばらく沈黙が続き、なにかを決意した風獅 が口を開いた。
「まず、先に言っておく。君たちの両親を殺したのは、私ではない。だが、ある事 を隠すために、画策したことは認める」
真っすぐにふたりを見つめ、風獅 は揺らぐことなくそう言った。それが本当か嘘かはわからないが、翠雪 は口を挟むようなことはせず、話の続きを聴くことに努める。
「そしてすべては、私のせいであることも認める」
「····どういう意味ですか?」
怪訝そうに思わず翠雪 は訊ねる。否定しておきながら肯定する風獅 の矛盾に、問わずにはいられなかった。
「順を追って話そう。すべての始まりは、私の父、清風 の死からだった」
風獅 は淡々と語り出す。
十年前。それは、翠雪 たちの両親があんなことになる、ふた月前の出来事った。夕刻。真っ赤な夕陽が空を、部屋を染めていた。風獅 が父に呼ばれて部屋を訪ねた時、目の前に広がる光景に一瞬息が止まり、動くことすら躊躇った。
壁に、床に、部屋の至る所に飛沫した赤。少し黒ずんだ深い赤。それは外から差し込む夕陽に溶けて、風景の一部と化していた。その血だまりの中心で倒れている無残な姿の父に、ゆっくりと近付いていく。一歩、また一歩、そんなに離れていないはずの距離は、なかなか縮まらない。
ピチャ。ピチャ。
天井から滴る赤。なぜ天井からそんなものが滴って来るのか。風獅 は怖いもの見たさで、滴る赤の先を見上げる。そこには、父の退魔剣である『風雅剣』が突き刺さったままの、黒衣を纏った何者かの骸があった。
よく見れば、部屋に同じような格好をした何者かの遺体が数体転がっている。倒れている父の姿に気を取られていたせいもあり、他のモノが目に入っていなかったのかもしれない。
「······ふぉ····ん····し······、」
小さく呻くような声が聞こえ、再び父の方へ視線を向けると、先程までぴくりとも動いていなかった父が、微かに動いているのが見えた。風獅 は一縷の希望を求めて駆け寄る。
うつ伏せになっている身体を仰向けにし、身体中を切り刻まれているかのように衣に血が飛び散っているその姿に、傷口から見える剥き出しになった肉の色に、絶望する。
口の端から流れる血を拭い、何か言いたそうな父の顔に自身の耳を寄せる。
「·····すべて、あの怪物が、仕組んだこと、だ」
息の方が多い掠れた声は、か細く、父ではないようだった。だがなんとか聞き取れた言葉に、風獅 は首を傾げるしかない。
そんな困惑する息子のことなど気にする余裕もなく、清風 は自分の最期の言葉をなんとか伝えようと必死だったのだろう。
「絶対に、騙されるな····あれは、怪物だ······っ」
「怪物? いったい、なんのことですか?」
ごほごほ! と酷い咳をし、詰まった血がさらに口元を染めていく。
「守ってくれ····私の友を、その妻と子を····あの秘伝書を······あやつに渡してはならない····っ」
それに関しては、誰のことを言っているのか、すぐに思い当たった。
二年前に訪れた、あの山の頂に住む父の道友たちと、あの子のことだと。秘伝書とは、なにか研究をしているというあの夫婦と関係があるのだろう。
そして、父が息を引き取る直後に伝えられた最期の言葉に、風獅 はゆっくりと首を振った。
そんなはずはない。そんなことはあり得ない。そんなことにはならない。
その後、父の死を門派の者たちに伝え、刺客たちの正体が魔族だとわかり、他に侵入者がいないか捜索させた。しかしいくら捜しても見つかるわけはなく、風獅 は天井に突き刺さっていた風雅剣を魔族の身体から引き抜いた。
どさり! と重い音が足元でしたが、それに対してなにか想うこともなく、感情の消えた表情で大事な剣を穢している血を拭った。
「兄さん、大丈夫?」
後ろからかけられた声に、冷え切った心を隠す。眼を細め、振り向くことなく「問題ないよ」と頷いた。父の遺体は丁重に別の場所に運ばれ、血で濡れた部屋の真ん中で風獅 は願っていた。
どうか、嘘であって欲しい。
こんなことは夢であって欲しい。
そしてそのふた月後、父の危惧していたことが起こってしまう。
「私は門派の者たちを数人引き連れ、ある場所へ向かった。父が"怪物"と称した者の行動を常に探らせ、奴がそこへ向かっていると報告を受けたからだ。私たちがそこへ向かい、迷いの陣や結界をなんとか解除して辿り着いた時には、すでに遅かった」
動向を探っていた者からの連絡が途絶え、あの場所を思い出すこともそうだが、辿り着くまでに時間がかかり、辿り着いた時には数日経ってしまっていたのだ。
「そこに広がっていたのは、何体もの無残な状態の遺体。ここで何が起こっていたのかを物語るような、凄惨な状態だった。仙に近いと謳われていたはずのあのふたりと、手練れの退魔師の夫婦の遺体。同じような状態にされた黒衣を纏った魔族たちの遺体。まるで、同じ人物にやられたかのような、傷痕だった」
敵味方関係なく後始末をした、痕跡。
「そして遺体をひとつずつ確かめ、君たちがいないことに気付いた」
あの秘密の部屋を見つけある陣 を使って無効化すると、固く閉ざされた扉の先に、翠雪 と天雨 が寄り添うようにぐったりとした状態でそこにいた。
「······ちち、うえ?」
か細い声が、小さな手が、なにかを求めるように伸ばされる。守るようにその手を取り、守れなかったことを告げる。
「その子も衰弱しているが無事のようだ。ふたりとも、よく頑張ったね」
「····この子、誰? わたし、この子、知らない······あなた、誰?」
傍らで眠っている天雨 に対して、翠雪 は戸惑いの表情を浮かべていた。これはいったいどういうことなのだろうか。風獅 はなにがなんだがわからなかった。
「こわ、い····たすけ、て····」
ぎゅっと握りしめられた小さな手に、風獅 は今まで自分の中にあった使命感のようなものが薄れ、ある邪な考えが思考を占めている事に気付く。
「君が彼という存在を拒否した時、あること を考えた。君たちを保護した後も何度か一緒に行動させたが、記憶は戻らなかった。それどころか、お互いに興味もないようで、会話すらしなかったんだ」
苦笑を浮かべ、風獅 はふたりを見つめる。翠雪 も天雨 もまったく身に覚えがなく、そんなはずないと風獅 を疑ってしまうほどだ。
「その後も特に進展はなく、数年後、翠雪 に自分の気持ちを告げた。君がそれに応えてくれたこと、私は純粋に嬉しかった」
そんな中あの事件が起き、畳みかけるように氷鷹 が戻っていた。
「父が怪物と称した人物。すべての元凶。もう、君たちも想像がつくだろう?」
翠雪 も天雨 も、ひとりだけ思い当たる人物がいた。まだ一度しか顔を合わせていない。会話もあれ以降交わしていないが、その違和感をわざと自分たちの前で見せてきた人物。
「氷鷹 。彼の行動理由はただひとつ。私の望みを叶えること。そのためならば、どんな汚いことも平気でする。君たちは、そんな"怪物"を相手にしているんだ」
風獅 は淡々と自分の弟に対して"怪物"と言い切る。それが何を意味するのか、彼が何をしようとしているのか。この時のふたりは、そんなことを考えている余裕がなかった。
ひとつだけわかること。
それぞれの夢が終わりを告げ、現実と向き合う時が来たということ。
しかしまだ、この時は誰も気付いていなかった。
すべてを塗り替えてしまうほどの本当の終わりが、すぐ傍まで近付いていることを――――。
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