24 / 27
第24話 映画のように、優しく
朝、窓一面に広がるガラス越しに、街が白く霞んで見えた。
都心の高層マンションの最上階。
夜の灯りが消え、静けさとともに朝の光が差し込み始める。
リビングの奥、まだ温もりの残るソファに目をやる。
テーブルには輝が用意してくれたであろう朝食が置かれていた。
――あいつは、もう出たのか。
俺が寝坊しないように、わざわざアラームまでセットしていったのだろう。
「……世話焼きめ」
小さく笑いながら、ワイシャツの袖を通す。
鏡の前でネクタイを結びながら、ふと胸の奥に小さな違和感が生まれる。
この広い部屋で、俺だけが取り残されたような――そんな感覚。
腕時計を確かめ、スマホをポケットに入れる。
玄関のドアを開けた瞬間、冷たい朝の空気が頬を撫でた。
「……行くか」
仕事モードに切り替えたつもりでも、どこか後ろ髪を引かれるように一度だけ振り返る。
まだ静まり返った部屋の奥に、昨夜の温もりが微かに残っている気がした。
――それでも、今日も行かないとな。
そう自分に言い聞かせて、俺はエレベーターに乗り込んだ。
その先で待っているのが、またあの冷たい現実だと分かっていても。
「五十嵐! またミスしやがって!」
今日も上司の怒鳴り声がオフィスに響く。
わざと俺を追い詰めるような口調。
空気まで重く、周りの同僚の視線が突き刺さる。
「す、すみません……どの部分でしょうか」
「ここだ、この数字だ! 何度も確認しろって言っただろう!」
書類を見て、確かに一桁間違っている。
でも……確認したはずだ。何度も、何度も。
心臓が早鐘のように打つ。
周りの視線が痛い。また俺がやらかした、という空気が漂っている。
「五十嵐、お前、本当に仕事向いてないんじゃないか?」
冷ややかな言葉が胸に突き刺さる。
いや、これはわざとだ……上司の楽しみのために俺は責められている。
「今すぐ修正して、関係部署に謝罪しろ」
「はい……」
視線を上げると、周りの同僚は微妙に目をそらす。
俺一人が、理不尽な矢面に立たされていることを痛感した。
耐えきれず、俺はトイレに逃げ込む。
扉を閉めると、外の視線や怒号から隔絶された世界が広がった。
手が震え、汗ばんだ掌をスマホに伸ばす。
画面を開くと、輝からメッセージが届いていた。
『お疲れさま。今夜、映画でも見に行かない?』
映画か……久しぶりに、少しだけ楽しそうだと思えた。
でも、ふと胸に浮かぶのは、昔の記憶だった。
――高校時代、輝と映画に行ったあの日のこと。
ある日曜日、駅前の映画館で待ち合わせた。
「おー、圭!」
輝が手を振っている。私服姿の彼は、いつもより少し大人っぽく見えた。
「悪い、待った?」
「ううん、今来たとこ」
映画を見て、その後カフェに入った。
「あの爆発シーンすげえよな!」
「ああ、迫力あったな」
たわいもない話をしながら、カッコつけてコーヒーを飲んだ。
いつも通り笑い合っているだけなのに、胸の奥が妙にドキドキした。
「なあ、圭。俺さ、お前と一緒にいるの、すごく楽しいんだ」
「……そうか」
「うん。なんかさ、気を使わなくていいっていうか」
輝がカップを両手で包み込むその仕草に、目が離せなかった。
「他のやつらといる時は、なんか疲れるんだよな。明るくいなきゃとか、面白いこと言わなきゃとか」
「……ああ」
「でも、圭といる時は、そういうの全然ない。素でいられるっていうか」
少し笑った彼の言葉が、胸にじんわりと染みて――
「懐かしいな……」
気づけば、そんな言葉がこぼれていた。
スマホの画面には、輝からのメッセージ。
それはただの誘いじゃなく、昔と同じ温かさを思い出させてくれるようだった。
ともだちにシェアしよう!

