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第2話

新條は、俺とタカシが跪いているゴミ置き場の奥の細い道からやってきたのだ。手には何やら丸いものを持って、珍しく口角が上がった顔をしていた。 丸いものを持ってにやにやしていた新條は俺と視線が合うと、ん?という顔をした。血だらけの男を抱きかかえているのだから、それは不審に思っただろう。 「笹井?どうしたんだ?」 ヤバい、このままだと新條まで巻き添えにしてしまう。俺はそう思って咄嗟に 「何でもない」 と言った。 だが、俺とタカシに近づいていたいかつい男は、新條に気づいてしまった。 「なんだチビ、お前もこいつらの仲間かぁ?」 いかつい男はそう言って新條の後ろからどんと突き飛ばした。その衝撃で、新條が持っていた丸いものが新條の手から離れ、道路にコロコロと転がって行ってしまった。 「ああ!!」 新條が大きな声を上げる。が、転がっていった先は車道で、あの丸いものはぐしゃりと車に轢かれて潰れてしまった。 「だああああああ!!」 新條は今まで聞いたことのない大声で叫んだ。いかつい男は顔を顰めて新條の襟首をつかもうとした。 「うるせえなチビ‥」 いかつい男は最後まで言い切ることはできなかった。 新條はふっと身体を下げて両手を地面につき、そのまま左足を鋭く振っていかつい男に回し蹴りをかました。ゴッ!と鈍い音がしていかつい男がぐらりとよろけた。 「てめえ、やってくれたな‥」 新條は低い声でそう言いながら立ち上がり、くるりと向きを変えていかつい男の正面に立った。俺は何が起きたのか理解できず、ただただ茫然と新條を見つめていた。 いかつい男は鼻血を出したようだった。それに自分で気づいたのか、いかつい男は顔をどす黒くして新條に「てめえ!」と叫んで殴りかかってきた。新條はひょいとしゃがんでそれを躱し、下から抉るようにいかつい男の腹にパンチを入れた。ドッ!と今まで聞いたことのない音がした。 「おぐっ!!」 いかつい男は腹に受けたダメージが大きかったのか、そのままぐしゃりと地面に座り込んだ。新條はその男の髪を掴んでぐいと持ち上げ、鼻血を噴いている男の顔に自分の顔を近づけた。 「お前あれをゲットするのにどんだけ俺がガチャパトしたと思ってんだ、あ”あ”?」 ‥‥新條が怖い。 いかつい男は完全に戦意喪失している。それはそうだろう、いかつい男は俺よりもたっぱがありそうだし筋肉も結構ついてる。それなのにぱっと見ヒョロガリの陰キャ風新條に手もなくやられてしまったのだ。 いかつい男を締め上げている新條の後ろから、細身の男が迫ってきているのが見えた。 「後ろ!」 俺は思わず叫んだ。新條の後ろから膝蹴りをくらわそうとしていた細身の男を、新條は振り向きざま足の膝を踏みつけるようにして蹴り飛ばし、同時に細身の男の鼻に鋭い肘打ちをお見舞いした。 細身の男もよろよろと後ろによろけ、ぶわっと鼻血を出した。 「どうしてくれんだよ、俺の大事なキーチャーム!」 新條はそう言って不機嫌そうにいかつい男を睨みつけた。 いかつい男は腹と鼻を押さえながらよろよろと立ち上がり、細身の男の傍に行った。細身の男も立ち上がって新條を見た。 二対一になる、ヤバい、と思ったが、男二人はそのままくるっと後ろを向いて走って去っていった。 「おいコラ!てめえ!弁償しろ!」 新條はそう叫んだが彼らの足は速かった。 「‥んだよツイてねえな‥」 と言いながら新條はこちらを見て、また俺と視線が合った。そしてまた、ん?という顔をした。 「‥で、笹井は何してんの?」 気づけばあとの二人のメンバーの姿も見えなくなっていた。どこかのタイミングで逃げてしまったらしい。俺はポケットからハンカチを出してタカシの鼻を押さえてやった。 「新條、助かった。俺たちさっきの男らに絡まれてたんだ」 新條はああ、というような顔をして俺とタカシの傍に寄ってきた。そしてタカシの顔を見て、鼻を触り口を開けさせた。タカシは痛かったのか「ひいっ」と悲鳴をあげた。新條はすぐに手を離して言った。 「鼻はちょっと軟骨曲がったかもな。歯も折れてはねえけど念のために歯医者に行った方がいいぜ。行くなら先に鼻の方だ。整形外科でこの辺、今空いてんのは‥大原総合病院しかねえかも。連れてってやる?救急車呼ぶ?」 てきぱきとそう言ってくる新條の姿は、何というか、すごく。 俺の心臓がまたどえらい速さでばっくんばっくん音を立てる。 小柄で、陰キャでオタク気質に見えるのに、実は。 ヒーローみたいじゃねえか。新條。 「‥新條は喧嘩慣れしてんの?」 俺がそう聞くと、新條はぎくりと肩を震わせた。そして小さな声で「やべ‥」と呟き、じっと俺の顔を見た。 「笹井、今日見たことは忘れろ。話すな。俺はお前とは会わなかった。な!じゃな!」 新條はそう言い捨てるや否や、すぐにそこから走り去っていった。 俺はその後、タカシの親に連絡を取り、ざっくりとした説明をして(新條のことには触れず、何とか逃げたことにした)タカシを病院に連れて行き、そこにやってきたタカシの親と合流して家に戻った。 家に戻ったころ、姿を消していた二人の内の一人からSNS伝いに連絡が来たので、とりあえず無事だ、とだけ返しておいた。俺たちを見捨てて逃げておいて今さらなんだ、という気持ちもなくはなかったが、言っても仕方がないことなので特に責めたりもしなかった。 あちこち汚れていたので風呂場に行き、シャワーを浴びた。熱いシャワーがおれの身体と心の中まで響いてくるようだった。 かっこよかった。 新條はたまらなくかっこよかった。 あの男たちに何の危機感も覚えていない様子、俺たちの事情なんか気づいていないのにあっという間に二人を戦意喪失させたこと。 あいつらをボコっている時にちらりと見えた新條の顔。 別にイケメンでも何でもない、普通の顔立ちだったと思う。 ただ、鼻の辺りに薄くそばかすが散っているようだったのとちらっと見えた目がきらきらしていたのが印象的で。 胎の奥がずく、と疼いた。 ふと下半身に目をやれば、ガチガチに勃起して腹を打たんばかりになっているちんこが見えた。 俺は何も考えずにそれを握った。熱い湯が降り注いでくるその下で、夢中になって扱いた。頭の中には色々な新條の姿が浮かんだ。 「ふ、うっ、新條っ」 熱が放たれて途轍もない快楽に浸る。ぼうっとして、その後我に返った。 「‥‥やべえな‥」 放たれたものが流れ落ちる湯にどんどん流されていくのを、俺はぼんやりと見つめていた。 翌日、登校して新條が来るのを待った。自分の席に座り、二十分ほど待っていると新條も登校してきた。 「おはよ」 「おはよう」 新條はいつものように短くそう返すと、何事もなかったかのように椅子に座って荷物を置き本を取り出した。 そのまま俺に構わず、本を読もうとし始めたので声をかけた。 「新條」 「何?」 新條は本から顔もあげずに返事をした。俺はずいと新條の方の身体を寄せ、本を取り上げた。そんなことをされた新條は最初驚いたのか止まっていたが、その後すぐにぐいっと本を奪い返された。 「何すんだよ」 「昨日ありがとう」 新條は俺がそう言うと、がたっと椅子から立ち上がって口を塞ぎ、またそのまま椅子に座った。そして一度机に突っ伏してから顔をあげ、俺の方を見た。 「‥そんなの別にいいからその話はするな」 「なんで」 「なんででも!するな」 新條は低い声でそう言うとそっぽを向いて、また本を読み始めた。だがその横顔はまだ赤くなったままだった。 赤くなっているその頬がかわいくて、俺はそっと新條の頬に手を伸ばして指の背ですり、と触れた。 「おわ!?」 新條は面白いほどに驚いて、ガタン!と椅子からずり落ちた。びっくりした顔が少しだけ見える。ああ、あの前髪切りてえな。新條の顔が、はっきり見たい。 「な、何すんだよ」 「大丈夫か?」 俺はそう言って新條の腕を掴んで立ち上がらせようとした。ついでにそっと背を撫でてみた。やはりあまり肉はついていないが、しなやかな筋肉の感じはした。 「うわ」 背を撫でられた新條は俺の手を振り払い、完全におれの事を警戒した目で見てきた。眼鏡の奥の目がきらきらしているのが見えた。 「ごめん」 俺はそう言って新條の顔を眺めた。そして言った。 「俺、新條の事もっと知りたい」 そう言った俺の事を、新條は心底気持ち悪そうに眺めて返事をしなかった。 昼休みに隣のクラスのやつが新條のところに来た。新條の漫画仲間だ。いつもそいつと昼飯を食べているのをおれは知っていた。 「アキ、今日弁当?俺弁当なんだけど」 「あ、俺も弁当。どこで食べる?」 二人がそう話しているのを俺は横で聞いていた。というか二人の事をガン見していた。隣のクラスのやつが新條の事を「アキ」と呼んでいるのは知っていたが、それが前から気にくわなかった。 「ここで食うか。‥前の奴いないみたいだからその椅子座れば」 新條がそう言って自分の席の前を指し、弁当を取り出した。隣のクラスのやつは言われるままにその椅子に腰掛け、新條の方を向いてその机に弁当をのせた。 俺は完全に身体を新條たちの方に向けて、机の上に出していたパンを食い始めた。新條は、俺の視線など気にせず弁当を食い始めたが、隣のクラスのやつは自分たちの方に身体を向けて飯を食っている俺の事が気になるのかちらちらと俺の方を見ている。 「なあ」 急に話しかけた俺に新條は反応しなかったが、隣のクラスのやつはビクッとしてこっちを見た。 「お前、名前なんて言うの?」 「‥音原‥」 「おとはら?どんな字?」 「音楽の音に原っぱの原‥」 「そうか。俺は笹井。笹の葉の笹に井戸の井」 「‥おう‥」 音原は短くそう言うとまた弁当の方に目を向けてもそもそ食べ始めた。ちらちらと新條の方を見て何か言いたそうにしているが、俺があまりに近い距離にいるので何も言えないようだ。 そんな音原の様子を見て、はあ〜っと長いため息をついた新條が俺の方を見た。 「何?お前何がしたいの?」 「ん?」 「なんで急に俺や音ちゃんに構うんだよ」 俺はどう言おうかと少し考えたが、他にいい言葉も思いつかなかったので思ったことをそのまま言った。 「新條の事もっと知りたいから音原とも仲良くなりたいなと思って」 音原はびっくりしてこっちを見ている。新條は少し目を大きくしたが、そのまま俺をじっと見つめた。 「‥なんで俺のこと知りたいわけ?」 「好きだから」 思わずするりとその言葉が出てしまって、おれ自身驚いた。だからその後すぐに「あ」と言ってしまった。 音原と新條が俺以上に驚いた顔をしてこっちを凝視している。音原が小さい声で「リ、リアルBL‥?」とよくわからないことを言っていた。 新條がしばらく沈黙した後、ぼそりと言った。 「‥で?何してほしいの俺に」 「とりあえず友達になってくれ」 「‥高校生にもなってそんなこと言うやつ初めて聞いたわ」 新條が小さい声でぶつぶつ言っている。横で音原も何だか挙動不審なのでついでに声をかけた。 「だから音原も俺と友達になってくれよ。‥いいかな?」 「ふへっ?!あ、や、うん」 「いいのかダメなのかどっちだよ」 びくん!と跳ねて俺を見た音原の意味不明な返しに思わず笑った。 夜の街をうろつくのをやめた。別に理由はない。 戸倉が「あいつらも怖くて思わず逃げただけだからさ〜」とか言って俺をまた連れ出そうとしてきたが、別に逃げた二人の事を恨んでいるわけでも何でもなかったので、そう伝えるにとどめた。 その代わり、というわけでもないが、俺は新條と音原の二人にくっついて回るようになった。と言っても、そもそも俺は高校で誰かとしょっちゅう一緒にいるタイプではなく、たまに戸倉がちょっかいかけてくるくらいで基本一人でぼんやりしていることが多かったので、クラスのやつから不審がられることもなかった、と思う。 ただ、新條と音原にはだいぶん不審がられた。特に新條。 「なんでお前俺たちと一緒にいんの?」 「新條が好きだから」 「俺はおまけなんだな‥」 「いや、音原も話すとなんか面白いから好きだぞ」 「笹井が魔性‥!」 二人は今まで話したことがないタイプで、俺の知らないことばかり話すのでなんか面白かった。 新條は相変わらずちゃんと話すのは音原くらいで、クラスではほとんど話すこともなく静かだった。俺は新條と話したい気持ちはめちゃめちゃあったが、もともとあまり人と話す方ではなかったから何を話していいかわからず、音原がいる時に二人が話すのを聞いてたまに相槌を打つ毎日だった。 音原はやはり俺の事が少し怖かったらしく最初はかなり挙動不審だったが、一週間もすると慣れてきて俺にもよく話しかけてくれるようになった。 新條は、あまり今までと変わらない。 新條の中で、俺はどういう存在なんだろうか。友達のカテゴリの中にはまだ入れてもらえてないんだろうか。 俺は、特別顔がいいわけでも成績がいいわけでも運動ができるわけでもない、普通の男だ。 そんな俺が、新條に恋愛的な意味で好きになってもらえる確率はひょっとしたら宝くじより低いかもしれない。 わかっていても新條を見つめて、新條の傍にいることを、俺はやめられなかった。

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