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第28話 出立(最終話)(新版)

 陽光を遮る駅舎のホームに佇んだレナードが、傍らのオデルを振り返る。 「忘れ物は?」 「大丈夫です。でも、何だか離れ難くて」  進行方向の線路が地平線へ消えゆく辺りをぼうっと見ていたオデルは、隣りにいるレナードに身体を寄せた。痕は幾筋も残ったものの、決闘で負った傷はすべて塞がり、これからふたりで新婚旅行に発つところだった。 「狩りの季節には帰ってきますよ。馬に乗るきみは美しいですから」  遠く、汽笛が鳴った。  まるで旅立つふたりに語りかけるかのようだ。  初夜の翌日、診療にきた医師を卒倒させかけたレナードと一緒に、愛咬の痕を調べられたオデルは、簡単な問診のあとで、レナードと番ったことを示す証明証を発行された。晴れて番いになったことへの喜びが深まると同時に、レナードと相談し、フレイムトラスト社の小欄に、証明証の写しを載せてもらえるようイアンに頼んだ。  結果、ローズブレイド公爵家に誕生した運命の番いを祝する記事が鼠算式に増えたのは、半分は誤算だった。イアンの一声で一面に堂々と証明書の詳細が掲載されたせいで、ローズブレイド公爵家領へ物見遊山に訪れる野次馬らが増え、半ば追い立てられるようにして、ほとぼりが冷めるまでの間、南へと旅に出る予定を早めざるをえなくなった。  医師にしこたま怒られ、交わることを禁じられていた間も、レナードはオデルを半裸に剥いては、あの時の感覚を思い出させるように、愛撫に耽った。おかげで着衣越しに少し触れられるか、耳元で囁かれるだけで、熾火に炙られるようにオデルは欲しくなってしまう。 「熟成しましたね……?」 「っずるい、です……、レナードは……っ」  オデルの内面の変化は、たちまちレナードに見抜かれてしまい、たまに不意打ちを仕掛けられる。以前ならば、簡単に昂ぶるのを恥ずかしがり、自己嫌悪を抱いただろうが、今は愛した人にされる悦びが勝った。恨めしい表情をつくり睨むオデルに、レナードは微笑みかける。それだけで、自然と口角が上がってしまうほど、レナードと愛し合うことが、オデルを支える柱のひとつになっていた。 「おーい、ふたりとも! 見送りにきてやったぞ……!」  聞き慣れた声とともに、改札を通って、イアンが右手を上げながら歩いてきた。  背後に記者らしきカメラを担いだ社員らを数名、引き連れているのが見えたが、もう少しでイアンの名前を呼ぶ寸前、見慣れた身のこなしで突如、現れたベータに、オデルはぎくりと身体を強張らせた。 「バレッ……アシュリー卿」  瞠目したオデルと、その隣りで警戒心を露わにしたレナードの前へ進み出たバレットは、被っていたハンチング帽を杜撰に取り、硬い表情のまま、レナードと視線を合わせた。 「きみに会わせろと言って、聞かないんだ、レナード。新婚旅行の見送りにゆくと、どこから聞いたのか、あまりに煩いので根負けして連れてきてしまった。でないとフレイムトラスト社のビルの前で、馬車に身投げすると言い出して……。とにかく、何か言ってやってくれ」 「……レナード公爵」  イアンに取り次がれたレナードは、オデルを庇う様子で、険しい顔をしたバレットに対峙した。バレットは極度の緊張を隠そうともせず、低く威嚇するように言った。 「一度、お断りしたはずです。あなたがたからの援助は、一度きり、三つの条件を課したものだけしか受けない、と。それ以上の支援は、一切、お断りすると。なのに、うちの経理が、ここ数週間の金の動きをさらったら、商会へ金を出しているダミー会社が五つも見つかった。あなたはうちを乗っ取るおつもりなのか。説明を、求めます」  オデルが驚き、レナードを振り返ると、レナードはちょっと弱気な表情になった。 「隠すつもりはなかったのです、オデル。なぜなら、私の判断は、この男への情から下したものではない。余計な恩義など不要だと、イアンから言われたのでは? アシュリー卿」 「っそんなもの……っ」  くしゃりと表情を曲げるバレットへ、レナードは怜悧な視線を投げた。 「見解の相違ですね。きみが何をどう思おうと、私ときみの間に特別な関係はない。ただ、オデルが大切にしてきたものは、すべて守ると決めただけです。きみが機嫌を損ねようと、抗おうと、私は好きにやるつもりです。相手がきみ以外の誰かだったとしても、対応は変わりません。それが、どれほど気に食わない、成り上がり者の跳ねっ返りベータだったとしても……。きみが倒れてオデルがわずかでも哀しむ可能性があるのなら、その芽を摘むのは、私の仕事だ。誰の指図も受けません。何か問題でも?」 「っあなたは……っ」  バレットが悔しげにねめつけるが、レナードは微風ほどの影響も受けない様子だった。 「私はてっきり、証明書のことで会いにきたのだとばかり……。それと、言い忘れていましたが、きみの治療費は一時的に公爵家が立て替えていますが、いずれ出世払いできみの給金から補填されますよ。意味のない金をばら撒くほど、私は気前のいい人間ではありません。きみへの投資も、ちゃんと回収します」  いつもより少し饒舌になったレナードを横で盗み見たオデルは、半分嘘だとわかったが、何も言わなかった。レナードは、何故か、お人好しだと思われることを嫌う天邪鬼なところがある。バレットは身体の横に垂らした両手をきつく握りしめ、肩を震わせ、ゆっくりと俯いた。 「それぐらいは……わかっています、公爵……俺は」 「私が興味があるのは、あくまで商会に対してです。きみ個人にじゃない」  勝負に負けた人間は、黙し、立ち去るべきだと、レナードは示した。 「レナード……そろそろ」  不機嫌になったレナードの背中を、オデルはそっと撫でた。レナードは、たまに詐欺師顔負けの嘘つきになる。照れ隠しのつもりだろうが、オデルがかかわる事柄に、特にそういう傾向が強く出ることを知っていた。 「そうですね。……アシュリー卿。きみの納得など、私は欲していません。が、これ以上、オデルや我々にしつこく付き纏うなら、こちらにも考えが……」  刹那、言いかけたレナードへ、バレットは緊張に強張った顔を決然と上げると、突然、片膝を付いた。 「数々の非礼を……謝罪させてくれ……っ。あなたが、我が商会を救ってくれたことに変わりはない。認めたくはないが、仲間を助けてくれたことは、事実だ……っ。それに、商会に当座の仕事を回す手配まで……っ、俺は……っ」  バレットの行動に驚き、瞠目したレナードは迷惑そうな顔でため息をついた。 「……止してください。人が見ています」 「本当は、あなたが俺に手加減したことも、わかっていました……。認めたく、なかっただけで……っ。なのに、あなたは……っ。オデル様を利用していると信じ込んでいた、俺の方が、目が曇っていた……っ」  バレットはそのまま頭を垂れ、蹲った。 「金輪際、二度と、あなたと、あなたの家族を……あなたに類する者たちを裏切る真似は、しないと誓います。公爵と、その伴侶の名にかけて……っ」  震えながら零すバレットの言葉は、彼の気性が激しく、表裏がないことを、表していた。オデルは痛ましげに立ち尽くしたまま、レナードの衣の端をきゅっと握ってしまう。同情がないわけがなかった。一度は心を捧げようとした人だ。が、オデルは喉元まで出かかった謝罪と贖罪の言葉を、強く呑み込んだ。  レナードは隣りで、少なくともオデルよりは、ずっと冷静だった。 「我々の取り引きはフェアであるべきだ。そういうことなら、必要のないことですが、きみの謝罪を受け入れましょう」 「オデル様にも……二度と近づかないことを誓います。ローズブレイド公爵」  バレットはそう呻くように声を絞り出すと、重い動作でゆっくりと立ち上がった。青ざめた表情は、決別した日よりもずっと頑なな決意に満ちていた。 「そうまでして会いにきて、私がきみの顔を見て、決断を翻すとは思わなかったのですか?」 「そうだとしても……過去の俺なら……本望だと思ったでしょう。周りからも散々に言われました。もう個人的にかかわるな、会いにゆくなど論外だ、と……、でも、俺は、けじめをつけなければ、とても生きられなかった……だから、これは俺の勝手な、自意識からきた、ただの我が儘です」  バレットは否定するだろうが、そう主張することで、レナードの不機嫌が商会自体へ及ぶことを防いだようにも、オデルには見えた。 「それが本当なら、きみは彼らに感謝すべきですね」 「はい……」  萎れたまま頷いたバレットは、憑き物が落ちたようだった。  だが、諾々とレナードの言葉を受け取ったあと、最後にちらりとオデルを見た。 「あなたを……傷つけたことを、お許しください。オデル様……」 「もう過去のことです、アシュリー卿。……いきましょう、レナード。乗り遅れたら大変です」  オデルが水を向けると、レナードはオデルの方を向いて頷いた。  そこを、ちょうど機材を担いできた記者らが、写真におさめる。 「……ところで、イアン。まさかこれも記事にするのか? きみはローズブレイド公爵家を何だと思っているんだ?」 「ははっ、心配するな。記事にはするが、ちゃんとおれが書くよ。大団円のハッピーエンドにしておいてやるから、旅先で確認するといい」  さりげなく自社の新聞記事の宣伝を挟み、イアンが告げる。レナードはため息とともに、それを許したが、バレットへの言葉とは違い、明るい色が混じっていた。 「ゴシップも程々にしてくれ。嘘を書いたら、普通に怒るからな。いきましょう、オデル」  汽車が駅のホームへゆっくりと滑り込んでくる。オデルと連れ立ち、レナードは、イアンや、連れてきた記者ら、そしてバレットに背を向け、一等客車の乗り口へと急いだ。オデルの視界には、軽快なイアンと、焦慮の末に破れた表情のバレットが片隅に映り込んだが、無言のまま背を向け、レナードと歩調を合わせることに集中した。バレットと、もっと言葉を尽くし話し合うこともできたが、オデルはその機会を放棄した。レナードとの未来を選び続けるために、できることをすべてやろうと決めたのは、今にはじまったことではない。 「ふたりとも、良い旅を……! 土産話を楽しみにしているぞ!」  ゆったりした速さで動きはじめた客車へ乗り込んだオデルとレナードが振り返ると、イアンがひとり歩幅と歩調を上げて、追いかけてきていた。 「二度ときみの前へ現れないと、言ったはずだったのに……」  零したレナードを、イアンが揶揄する。 「やきもちか? レナード」 「うるさい」 「レナードの焼きもちなら、ぼくは嬉しいです」 「オデルまで……」 「あなたがぼくを、愛してくれているとわかるから」  オデルがそう囁くと、レナードは表情を和らげた。 「やれやれ、御馳走様」  イアンが笑うと、緑の匂いに満ちた風が吹き抜ける気がした。 「イアン、ありがとうございました。アシュリー卿のことも」 「何、ネタにするぞと脅してやったら、それでもかまわないと言うからさ。楽しい旅を……! 帰ってきたら、三人で飯でも食べましょう」 「今度こそ、乗馬の訓練をしておいてくれ、イアン。きみと駆ける楽しみが、私には必要なんだ」 「善処する」 「手紙を書きます、イアン」 「待っていますよ」  途切れた駅舎のホームの端まできたイアンが手を振る姿が、やがて小さく遠くなってゆく。イアンが連れてきた記者らは、仕事が済んだ様子で、少し離れたところで撤収の準備をしていた。バレットとも目が合ったが、ひとつも言葉を交わさず、これが本当に最後の別れだとオデルは郷愁とともに思った。 「風邪を引くといけません、オデル」 「はい、レナード。中に入りましょう。傷に触るといけませんから」  レナードがオデルの背中を促し、オデルが頷くと、ふたりの左薬指にある指輪の宝石が、一瞬、陽光を反射したように見えた。一等客車のコンパートメントに向かいながら、レナードの手を緩く握ると、すかさず握り返される。 「……愛しています、オデル」  廊下で囁かれたレナードの真摯な呟きに、オデルの胸の奥に温かい何かが満ちる。それは、オデルを、たったひとつの宝物を手に入れたような、特別な気持ちに、幾度もさせる。 「ぼくも、あなたを愛しています……レナード」  レナードの左腕が腰に回されると、オデルはじんと身体の芯が痺れるような快い感覚を覚えた。心地いいと感じるのは、レナードに教えられた感情だ。支えるように回されたレナードの左手に、オデルは自分の左手を重ねた。互いの薬指には、結婚指輪とともに、あの歪な宝石が冠された婚約指輪が嵌まっている。 (この形が、好きになるだなんて……)  少し歪なそれが、まるで今の自分たちみたいだと、オデルは思った。 「きみは、誘い文句が上手くなりました」 「ち、ちがいま……っ、いえ、そう、ですが……あなたのせいです、レナード」  イアンとともに揶揄された、先ほどの意趣返しとばかりにレナードに言われる。何度もしているのに、未だにあたふたするオデルと視線を絡め、目元だけで器用にレナードは笑った。 「きみも、言うようになりました」 「毎日、鍛えられていますから」  ひとつの季節が終わったような感慨があった。  オデルは数字を見つけ出し、個室へ入ると、レナードを振り返り、その身をそっと預けた。 「あなたの形を……思い出してしまいます、レナード……」  速度を増す汽車の中、遥か遠くへ引きずられてゆく景色を背に、オデルは隣りにいるレナードへ、はにかみながら、囁いた。  =終=

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