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四話 その代わりに

 本当に驚いて、恐怖心を抱いた時、人間は動けないし声が出ないのだと知った。  雨下は冷たいコンクリートの床に正座で座らされている。すっかりズボンを履き替えた俺の足を、いまだに未練がましい表情で見る雨下に引きながら、俺はひきつった笑みを浮かべた。笑いたい訳じゃない。笑うしかないからだ。 「この馬鹿が悪かったな……。神足くん。根は悪いヤツじゃないんだが……何しろ、この通りの変態でね。怖かっただろ?」 「あ、はあ、その……驚き、ました……」 「すみません。出来心で」  そう言って雨下は、土下座して謝る。斎藤さんはため息を吐いて、自分も頭を下げた。 「従業員を守れなくて、済まない……。神足くんが嫌なら、出禁にするから。あと、訴訟するなら協力するから」 「出来れば示談で」 「お前は反省しろ!!」  ゴツン! と、かなり重めのげんこつを雨下の頭上に降らせる。それを見ていたら、何だか少し、どうでも良くなってしまった。  雨下は変態ではあるものの、まあ、不快というか、驚いただけだし、足を舐められただけだ。一応。 (それに、オーナーの斎藤さんとは、親友らしいしな……)  斎藤さんは出禁にしても良いと言っているが、それで俺が働き続けるのは、なんとなく気まずい。この職場は気に入っているし、俺も辞めたいと思っていない。 (まあ、かといって、何もなく良いですよ、とは行かないよな)  斎藤さんがしっかり怒ってくれている分、適当にも出来ない気がする。それは、斎藤さんが俺を尊重してのことだろうから。 「じゃあ――」  俺の言葉に、雨下がこちらを見た。顔は良いのに。残念なヤツ。 「示談で。お金じゃなくて、靴、買って貰えます?」 「靴?」 「神足くん。それは――」  斎藤さんが、眉をひそめる。言いかけたのを、雨下が制した。自分と俺の話だと言いたいのかも知れない。  俺のスニーカーは、もう何年も履いていて、擦りきれている。その上、今回、ワインを被ってしまい、落ちようのないシミが付いてしまっている。買い換えたい気持ちはあるが、スニーカーは高い。安物でセール品だったとしても、俺には痛い出費なのだ。 「これ、スニーカー、ダメになっちゃったんで。代わりのが欲しいんです。それで、この件はチャラで」 「分かったよ! どんなスニーカーが好み? 足のサイズ測っても?」 「だから、足フェチにそれはダメだって……」  生き生きとし出した雨下と、斎藤さんの頭を抱える姿に、俺は自分の選択ミスに気がついたのだった。

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