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五話 十二足

 翌日、店の営業開始前に、雨下はやって来た。ニコニコ顔で、手には大きな袋を三つも抱えている。 「やあ、神足くん」 「雨下さん――まだ営業前ですけど……」  怪訝な顔をする俺に、雨下はとびきりの笑顔で頷く。黙っていれば良い男なのに、中身は変態だと知ってしまったので、なんとも言えない気持ちになる。 「靴、持ってきたよ」 「早いですね?」 「神足くんが困るだろ?」 「まあ、そうなんですけど」  俺が今履いているのは、例のオンボロスニーカーだ。漂白剤に漬け置きして洗い、シミは薄くなったがボロさには磨きがかかった品である。  半ば雨下に押し切られるように、バックヤードにある更衣室へと連れていかれる。客のクセに、勝手なヤツだ。 「あの、俺、仕事中なんですけど」 「斎藤には言っておくから大丈夫。それに、僕こう見えて半分出資してるから」 「は? マジで?」  思わず敬語も忘れてそんなことを口にする。ハッとして口許を押さえるが、雨下は笑ったままだ。 「そうそう。マジで」  その言葉に、俺は昨日、この男を出禁にして欲しいと言わなくて良かったと思った。出資者ということは、実質、半分は雨下の店でもあるということだ。 (仲が良いとは思ったけど)  そういうことだったか。  雨下は俺を更衣室のパイプ椅子に座らせ、テーブルの上に紙袋から次々と箱を取り出して並べていく。大きさからして、靴の箱のようだが……。 「え? 雨下さん? 何足持ってきてるんです? 俺、足のサイズ言いましたよね?」 「うん。でもさ、神足くん、デザインは任せるって言ったじゃない? どんな靴が似合うか考えたら――これも似合うし、こっちも似合うなーって」  そう言って、鮮やかな青に黄色のアクセントが入ったスニーカーと、流線型の変わった形をした、銀のスニーカーを見せてくる。  普段、安物の海外製ノーブランドの靴を履いている俺が見ても、かなり良いものだと分かるスニーカーだ。 「え? まさか」 「全部で十二足。まあ、示談金代わりだし、妥当だよね。こっちのレザーの靴も良くてね」 「いやいやいや」  レザーの趣味の良い靴を片手に、雨下が足元に膝を着く。 「履かせても良いかな」 「いや、待って……!」 「舐めないから」  いや、そういう問題じゃないが。まあ、舐められたくはないけども。  戸惑う間に、するりと足からスニーカーを抜き取られる。ドキリ、心臓が跳ねた。  雨下の目が、俺の足をじっと見ていたから。 「ちょ、雨下さんっ……!」 「大学生だろ? こういうのも一足あると良いよ~」 「自分で! 履くから!」 「あ」  雨下の手から靴を奪い、そのまま履く。柔らかなレザーは肌にピッタリとフィットして、足を包み込むようだ。  まるで、俺のために作られたみたいに、しっくり来る。 「―――」  思わず言葉を失う俺に、雨下は嬉しそうに靴(履いた足)を眺める。床に頬が着きそうなほど屈んで、舐めるように足を見回す。  変態だ。 「ちょっと、雨下さんっ……!」 「おっとゴメンゴメン。似合ってるよ」 「それは……どうも。って、コレ、高いですよね? 分かりますよさすがに。今まで履いてた靴と次元が違いますもん」 「そうだよ。だってお詫びだから。ね? 出来れば履いて欲しいけど、邪魔なら売っても良いからね」 「いや……」  確かに、示談金代わりではあるのだが……。売る、と言われて、一瞬それも頭をよぎる。だが、ダメだ。物の価値も分からないのに、そんなことしたら。 「とにかく、負担に思うことは何もないよ。君の正当な権利だ。それに、十二足も持ってきたのは僕の趣味だしね」 「あんた……、それが無きゃなあ……」  ハァとため息を吐き、真新しいスニーカーに履き替える。こちらも、かなり履き心地が良いし、通気性も良い。しかも軽い。 (今まで履いていたスニーカーって、何だったんだってレベルだな……)  この靴なら、長時間働いても疲れなさそうだ。その上、交換する靴も沢山あるから、傷みにくくなるだろう。 「……ありがとうございます。大事にします」 「ハハ。今度、手入れの道具も持ってくるよ。今日は靴で頭がいっぱいで……」 「あー、ありがたいです」  固辞しようかと思ったが、手入れの道具に金なんかかけられないし、かといって、こんなに良いものを手入れしないのもダメだろう。素直に受けとることにする。 「……靴下をプレゼントしても?」 「それはあんたの趣味だろ」  呆れてじとっと雨下を睨む。雨下は悪びれず笑っていた。  笑いながら、俺の古いスニーカーを紙袋に入れて片付ける。 「履いたところ、全部見せてくれたらなお良いんだけど」 「ちょっと待て変態。なに持ち帰ろうとしてるんだよ」 「ゴ、ゴミヲモッテイコウトシテルダケダヨ?」 「嘘吐くな?」  雨下はしっかりと、俺の履き潰したスニーカーが入った紙袋を抱きしめ、離すまいとしている。  正直、ゴミだし、要らないといえば要らないのだが。 「良いじゃない! こんなに履かれた靴、見たことないんだよ! ここまで使い倒されてボロボロなの、貴重なんだよー!」 「開き直るな!」  恥ずかしいから止めてくれ。何が悲しくて、ボロボロのスニーカーを差し出さなきゃならないんだ。  俺が奪い取ろうとすると、雨下は長身を逆手に、サッと頭上に袋を上げて、届かなくさせてしまう。 「あっ! 卑怯もの!」 「はっはっは! って、やめて!?」  俺は雨下の脇の下を、思いっきりくすぐってやる。 「こうしてやる!」 「ぶはっ! ちょ、神足くんっ! やめてっ!」 「はやく返せって!」 「分かった、分かったからっ……!」  涙目で笑いを堪える雨下に、俺は手を離してやった。雨下はまだヒーヒー言っている。 「もう……。分かったよ。こうしよう」 「あ?」 「売ってくれ。十万出す」 「―――」  一瞬、雨下がなにを言っているのか理解できなかった。ゆっくりとその意味が脳に浸透して、怪訝な顔で雨下を見る。雨下は、だいぶ真面目な顔をしていた。 「――は?」  ようやく絞り出した声に、雨下が真面目くさった顔で口を開く。言ってることは最低なんだが。 「買い取らせてくれ。今手持ちの現金が十万円ある。足りないならもっと出す」  馬鹿じゃないのか。 「……それ、二千円しないっすよ」  セール品で、展示品で。汚れがあったからさらに値下がりしていた。1980円だった。十万円の価値など、勿論ない。 「僕にはその価値がある」  ハッキリと、雨下がそう言う。  正直、揺れていた。バイト漬けで疲弊していた。その十万円で、かなり楽になるのが分かっていた。  その金があれば、少しは勉強に回せる。卒業することだけを意地になってしがみついているけれど、勉強しなけりゃ意味の無い行為だから。 「……なんで?」  なんで、俺の靴なんか。足フェチってそう言うものなのか? 理解できない。 (いや、したくないけどさ……) 「君の足が綺麗だからだよ」  当たり前のようにそう言う雨下に、俺は結局、絆されてしまったのだろう。

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