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十二話 悪い大人
「お疲れ様でしたー」
疲れた身体を引きずりながら、溜め息とともに外へ出る。いつの間にか雨が降りだしていたらしく、路面に水溜まりが出来て街灯の明かりを反射していた。
「うわ。傘ないんだけど……」
生憎、傘を持ち歩いて居ない。がっかりした気持ちと同時に、真新しいスニーカーが汚れることに、抵抗を感じた。
なんとなく、自分の感覚に自嘲する。雨下には迷惑そうなことを言ったが、俺自身は随分、この靴を気に入っているようだ。妥協して選んだわけでもなく、身体に合わないわけでもない。そんな、俺のために選ばれた靴だ。
「はぁ……仕方がない……」
覚悟して一歩踏み出したところに、聞き慣れた声が呼び止めてきた。
「神足くん」
「――え? 雨下さん?」
路地の陰に潜むように、雨下が立っていた。いつから立っていたのか、傘を差しているというのに、スーツの裾が濡れている。
「どうしたんですか? 今日はもうお店閉めちゃいましたけど」
今日は、雨下は店に顔を出さなかった。だから、逢うことはないと思っていたのだが。
首をかしげる俺に、雨下が近づく。どこか意味ありげな表情で、瞳の奥は、なにか熱を孕んでいるように見えた。
なんとなく、足元のスニーカーが気になって、爪先で地面を叩く。濡れて泥の跳ねた靴を彼に見られるのが、申し訳なく思えた。
「あの……」
「神足くん」
「あ、はい」
「僕はね、結構こう見えてやり手で」
「……はあ」
思わず、気のない返事をする。そんなことは、聞くまでもなく知っていた。実家が太いらしいが、それ以上に、雨下自身が嗅覚に優れている。ビジネスはほとんど成功しており、立ち上げして軌道に乗ったら売却するようなこともしているらしい。そして、本当に好きな店だけを、自分の手で回している。
そんなことができる人間は、一握りの人間だ。
「まあ、秘訣は、チャンスを見極めることだと思ってる」
「そういうの、得意そうですよね」
俺の返答に、雨下はニコリと微笑んだ。
「だから、僕はね。どんなチャンスも、逃さないことにしてるんだよ」
そこまで聞いて、俺は眉を寄せた。どうして雨下は、俺にこんな話をしているのだろうか。
雨下の指が、俺の頬に触れた。
「僕は、悪い大人だから」
「―――は」
雨下が、意味深な笑みを浮かべる。
「僕は、困っている君に、付け入るために来たんだよ」
「―――」
ドクン。
心臓が跳ねた。
雨下の目は真剣で、冗談を言っているようには見えない。急速に喉の渇きを感じて、唾を飲み込む。
「―――あ、の……?」
俺の声は、自分でもびっくりするくらい、掠れていた。
「神足くん。―――僕に、君の脚を、売ってくれない?」
雨音が大きくなる。
俺は雨下をじっと見つめた。
雨下は、静かに俺を見下ろしている。
その瞳が、熱い。
俺は。
何も言い返せないまま。
ただ、雨下のことを呆然と見上げていた。
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