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三十三話 週に一度、俺は足を売る契約を辞める。
週に一度脚を売る契約を、解除した。
雨下は少し名残惜しそうだったけれど、恋人になったのだし、脚くらいいくらでも―――限度はあるか。触らせてかまわないし、俺としては脚以外も触って欲しいので、妥当な結果だと言える。
「縁ぁ! これ、見てよ! 限定のスニーカー! めっちゃカッコ良くない?」
小井手が感動したように、箱に入ったスニーカーを見せつけてくる。
「良いじゃん。小井手に似合うよ」
「勿体なくて履けない……。雨下さん最高……」
「履かなきゃ勿体ないだろ」
大事そうにスニーカーを抱き締める小井手に、ちょっと笑ってしまう。
小井手はすっかり『セレンディピア』の常連になって、俺が修行するのを見学しながら飲んでいく。
俺はと言えば、斎藤さん指導のもと、料理の修行を始めることになった。当初雨下は、斎藤さんのもとで働くことを面白くなさそうにしていたが、今ではむしろその方が良いと思うようになったようだ。雨下からは海外のレストランで修行する費用も出せる――というようなことを言われたのだが、数秒後には「いや、やっぱりダメ。忙しくなり過ぎる」と自分で却下していた。
俺が海外に行ったとしたら、着いて来そうな勢いのやつである。そのうちに「海外から有名シェフ呼んで新しいレストラン作るのもいいね。縁もそこのスタッフにして修行してもらって」とかとんでもないことを言い出したので、何かしでかす前には相談するように頼んである。
「そういや、雨下さんの誕生日、もうすぐなんだって?」
「うん。セレンディピア貸し切って身内で楽しもうかって話してるんだ。小井手も来るだろ?」
「もちろん。雨下さんにプレゼントとか緊張しかないんだけど……」
そう言って苦笑いしている小井手に相槌を打っていると、店の奥から斎藤さんがやって来る。
「大丈夫。なんでも喜ぶから。まあ、ネタ系のほうがウケるかもね。あいつそういうの縁がないから」
「なるほど~」
常連になったせいで、小井手もすっかり斎藤さんと顔見知りである。雨下のバースデーは身内だけでもそれなりの人数になりそうなので、当日は俺も手伝う予定である。もちろん、恋人として祝うのは別だ。
(プレゼントかあ……)
正直、何でも喜ぶ男だが、それなりに良いものを贈りたい気持ちもあって、悩んでしまう。極貧大学生という代名詞からは逃れたものの、俺の懐事情はそれほど明るいわけでもない。
(なんでも持ってる人ではあるけど……)
身に着けられるものが、いいかもしれないな。
そう思いながら、グラスを拭いた。
◆ ◆ ◆
モダンなインテリアと、名のあるアーティストが飾ったらしい前衛的なフラワーアレンジメント。真新しい店の雰囲気を感じながら扉をくぐると、すぐにスタッフらしい女性店員が声を掛けてくる。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりご覧になってください」
スタッフのにこやかな笑みに、思わず表情を崩す。
雨下と出会う前、俺はこの店に入ることが出来なかった。靴はおんぼろで、擦りきれて細かいキズだらけだったのを覚えている。
(あの頃は、新しい靴を買うなら、一回でも多く肉を食いたいって思ってたんだっけな……)
不思議なもので、今では肉どころか、恋人のプレゼントを買おうとしている。
「何かお探しでしょうか?」
「えっと、プレゼントを探してるんです。手帳カバーが良いかと思ってて……」
「それでしたら、こちらにございます。カラーも16色ありまして……」
深夜から早朝は、配達の仕事。それが終わったら大学に行って、大学が終わったらコンビニでまたバイト。夜にはレストランで働く。一日の睡眠時間は一時間か二時間。働いた金の殆どは公共料金と家賃に消えて、楽しみと言えば月に一回だけ許している牛丼だけ。
それが、俺、|神足縁《こうたりよすが》の人生だと思っていた。
それがずっと、続いていくのだと。
あの時は、そう思っていたのに。
(何が起こるか分からないもんだな……)
感慨深く思っていると、スマートフォンが着信を鳴らした。
「あ。もしもし?」
『縁くん? 今大丈夫?』
「うん。大丈夫だよ」
『今日は早く帰れそうなんだ。ディナーでもどうかと思って』
「ああ、俺も大丈夫」
『良かった。じゃあ迎えに行くから――』
約束をして、電話を切る。
(……これ、デートだよな)
縁は緩む口元を押さえながら、スマートフォンの終話ボタンを押した。
完
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