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第78話 一緒にいたい

幼少期の梶原依央には、共感能力が欠如していた。その上、自分とは違うタイプの人間に、その人達が作る作品というものに興味があるのだから、余計にたちが悪かった。 「いおくんが破った!」 その結果、初めて泣かせてしまった相手は、幼稚園で同じひまわり組だった女の子だ。 「どうして破っちゃったのかな?」 「かいたえ、みせてくれなかったから……」 何度「みせて」とお願いしても、その女の子は恥ずかしがって、手で画用紙を隠してしまったのだった。それを無理矢理引っ張ったものだから、せっかくのお姫様の絵が真っ二つに破れてしまった。 「依央くんの気持ちもよく分かるけど、まずは希実ちゃんの気持ちを考えてあげようね」 幼稚園児のしたことだからと、ひどい叱られ方はされなかった。先生は諭すように優しく依央に向き合う。 「相手のことをよく考えて、嫌だって言ってることはしないようにね」 難しいことは依央には分からなかったが、今回の方法で絵を見ようとしたことがまずかったのだけは分かった。 もっと相手のことを見て、知らなきゃいけない。しかしそれを繰り返すと、依央は一方的に相手と相手の作品を好きになるばかりだった。歯止めが効かなくなる前に、相手にも依央のことを好きになってもらいたい。そして相手が自分から依央に作品を見せたくなれば、もう泣かれることなんて無くなるのだろう。 依央が作品の中でも特に好きなのが、有り得ない世界観を表現したものだった。ファンタジーのような幻想世界でも、禅問答のような哲学的コンセプトアートでも構わない。ただ、故人の傑作にはそれほど興味が持てなかった。作品と、それを作った人間ごと好きになるのが依央の恋愛だ。相手がこの世にいなければ、近づくこともできず、高揚を感じられなかった。結果として、依央が好きになるのは、同じ学校の、同級生が多かった。 明るくにこにこして、相手が嫌がる素振りを見せたら絶対にそれ以上はしない。そんな誓いを立ててやり過ごす。そうすれば、次第に心を許して、自分の作品を見せてくれる人も多かった。 中学時代、「もっとあの人の作品が見たいな」と思って、美術部に入ったこともある。やがて放課後ふたりきりでいる時に告白された。夕日に染まった頬を見とれていいよと答えた。 作家と作品は別物だという人がいる。作家の誰かがスキャンダルを起こして炎上する度に、何度も繰り返し議論されているテーマだ。 しかし依央にとっては、作家と作品を別にとらえる人間には、「そんな風に思う人がいるんだ」としか思えなかった。 自分は作家と作品を同一に見ているのだと、同じ美術部の子と付き合って気づいた。醜悪な人間がとても美しい景色を描き上げたなら、その人の中にあった何がそうさせたのか知りたい。聖人君子のような人が二目と見られないほど醜い人間模様を書いたのなら、その人は普段どのように世界を感じているのか知りたい。依央にとっては人間と作品は同一で、作家が描く世界観ごと本人を愛したかった。その全てを理解したかった。 そして作家側の多くが、人に飢えていた。感想が欲しい。理解が欲しい。自分を見てほしい。この世界を知ってほしい。内面を作品として描写し、それを人前で見せるなら、抱いて当然の願いだ。そんな彼らと依央の意志は共鳴するようで、大学生にもなると、個人の展覧会に足を運んでは、作家とよく喋った。 するとやがて、作家側から依央に寄りかかってくるようになる。熱烈なファンと思われたのか。唯一の理解者だと思われたのか。ひらめきを与えるミューズになれたのか。 どれでもいい。作品ごとその心を、貴方という人間を知ることができれば、依央はそれで満足だった。 そして寄りかかられた先に待っているのは、たいてい「恋人になってほしい」という告白だった。 依央には断る理由なんてない。むしろもっと相手を知ることができるかもしれない。だから深く考えるまでもなくふたつ返事でOKした。 そんなこんなで、男女問わずの交際経験が依央に積み重なっていく。しかし、付き合ってから別れるまでの期間が異様に短い。 たいてい、最後は依央が振られて終わる。振られる時はだいたいパターンがあった。 自分じゃ釣り合わないと勝手に劣等感を抱いて去っていく。そんなこと、依央は全然気にしないのに。恋愛に必要なのは自分と相手のふたりだけで。外野なんか存在しないも同然なのに。 あるいは、「重くて怖い」と言われたこともあった。面と向かってしていた別れ話でそう告げられた時は、さすがに顔が引きつった。 「依央はさ、ずっと一緒にいようとするじゃん。創作してる時さえくっつきたがる。何かを作るには、ひとりでいる時間も必要なのに……」 どうして? 俺は独りの時間が必要なんて思えない。 創作の邪魔をしたなら謝る。もう二度としない。 だから別れるなんて言わないで、よく考えてくれないか。 たいてい追いすがるのは依央だけで、相手は深くため息をつくか首を横に振り、去っていった。 依央は運命の相手を信じるほどロマンチストじゃない。しかし相手が受け入れてくれるなら、どこまでも深く一緒に潜っていきたかった。そんな相手は、現実ではなかなか現れなかったが。 いっそ自分が作家になっては、と思い至ったこともある。しかしまず、不思議と自分で何かを作ろうとは思わなかった。美術部。文芸部。漫画研究会。映画サークル。様々な創作の集団には所属していたものの、そこにいるメンバーのように、自分の時間をかけてまで描きたいテーマはなかった。日常を過ごしている時に何かが頭に思い浮かぶということもなかった。 依央は、自分は根っから創作に向いていないんだと結論づける。結局、自分の欲を満たすには、やはり理想の付き合いができる作家を見つけるしかないのだ。 就職先を編集者に決めたのは、そんな経緯からだった。より多くの作家のかかわりたかった。ブラックかホワイトかなんて問わない。自分が確実に編集者になり、クリエイターと関われる道を選んだ。 ある日の会社で、企画を立ち上げるからと依央と静和は呼び出された。企画書は静和が作ったものだという。上司の阿掛は、これにひどいアレンジを加え、依央の企画に変えろという。具体的には、ほのぼのとした世界をエロとグロに書き換える。イケメンがこんなにえげつないことを考えるんだ、縮小してる業界だから話題は何でも欲しいんだ、などと上司は言っていたが、そんな話は依央の頭に入らない。 企画書を読んで、彼のことが知りたいと思った。存在感が希薄なのか、すぐ見失ってしまうと職場の女性が不思議がっていた。しかし、この日から、依央は吉永静和を見失うことはなかった。見失ってなるものかという意地もあったかもしれない。 彼は大人しい人だった。なのにどこかきっぱりと人を拒絶するところがある。企画書に記載されたストーリーを見る限り、人と関わりたい、だけど関わるのは怖い。そんな矛盾をかかえていようだった。どうして?何がきっかけで?今はどんな風に思ってる?一度抱いた疑問は、依央の中で消える気配もない。 彼と話そう。そう思い立ったはいいものの、静和はなかなか捕まらない。話しかけたとしても、自分と目を合わせようとはしない。何かに怯える小動物みたいだ。 だからお詫びという名目で距離を詰めた。彼が案を出したものを自分のものにしている。罪悪感もあり、本心から謝りたいとおもっていた。それが伝わったのか、彼は戸惑いながらも自分を家に入れるようになっていった。 知っていくにつれ分かる。彼はいつもいい子だった。控えめで、でも彼なりの優しさはあって、自己肯定感の低いところだけがたまに気になる。もう少し仲を深めたら、その理由を教えてくれるだろうか。 そのためにも今の関係から進まなければ。触り合いは場の流れでできた。というか正直暴走していた自覚はある。だから好きだとか付き合ってと告げる大切な手順をすっ飛ばしてしまった。彼は経験がほとんどないようなことを言っていたから、遊ばれていると勘違いさせてしまったらたまらない。 その間にも、依央が振られてしまうこともありえるわけだ。たくさんというわけではないが平均くらいの人数はいたであろう恋人たちを思い出す。 自分の好みは生まれてから一貫して変わらない 周囲からは「なんで?」と言われるタイプが好きだ。静かで、創造性がある、とにかく正反対のタイプ。何かを作れる人に向けていた尊敬が、その人の想像の中で描く世界ごと自分のものにしたくなった。それが依央にとっての恋愛感情だ。 どうすれば、静和と恋人になれるだろう。 重すぎて怖い。自分とは住む世界が違う。一緒にいると劣等感を抱く。貴方は人が怖いと思ったことないでしょう。 今まで振られてきた理由を思い出すと、どうしても恋愛に臆病になった。 周りの声なんて関係なく、ふたりきりで恋愛できればいいのにな。そんな考えが脳裏に浮かぶ。それこそ、静和が思い描いた建物の中、誰にも邪魔されることなくふたりでいられたらいいのに。 駄目だ。疲れているから変な想像ばかりしてしまう。帰路を急いで百貨店から駅まで繋がっている地下通路を使う。 ふと目に入ったのは、シンプルなシルバーのペアリング。 指輪を送ろう。重い自覚は十分にあるが、何か唯一無二の形になれば、静和との関係に名前を付けて呼んでも許されると思えた。 指輪を買った日、知らない女性に声をかけられた。普段なら適当に愛想良くして短時間で立ち去る。時間がなければ、興味がなければ無視だってする。 それなのにわざわさ律儀に対応してしまったのは、女性の雰囲気が静和に似ていたからだ。 困っていたら助けようと思う優しさだったのに、よくよく話を聞いてみればありがちな逆ナンだった。むしろよく指輪を買ってでてきた男を狙おうと思ったものだ。 しかし、そんなところを静和に見られた。そして彼は顔を真っ青にして逃げ出した。 浮気を疑われた?たいてい親密な雰囲気でなければ、たまたま声をかけられただけとかただの友人とか、当たりをつけてさりげなく聞いたりするものだが、彼に限ってはきっとそうじゃない。 静和は自分が好きじゃないみたいだった。別の人間がきたらすぐ諦めてしまうようだった。 彼は必死に逃げていく。依央は人混みの中を見失わないように追いかけていく。ただの浮気現場を目撃しただけとは思えない。彼は何から逃げていたのだろう。 「ただいまー」 依央の仕事は相変わらず忙しい。静和がいないのに続編かファンディスクを急かされているからだ。依央はといえば、代理のクリエイターを探して右往左往している。髪はぼさぼさで、美容院に行く暇もないから、ほとんと地毛の黒に戻っている。眼精疲労で目は充血気味。 今日はとうとう阿掛につっこまれてしまった。 「ほら、あの君の考えたキャラクターにそっくりになってきたね。隠しキャラの、地下にいる怪物」 「俺、あそこまでガキじゃないっすよ」 笑って流した発言は、半分嘘だ。ヴィオは子どもの頃の自分をモデルにしたキャラクターだったから。いつか「もっと早く出会いた」と言ってくれた静和に向けて、淡い願いを込めていた。せめてゲームの中だけでも、一番に依央と出会って恋愛してほしいと。 しかし、静和はゲームの完成を見届けることはなかった。 今、彼のポジションには別のバイトが入っている。数ヶ月持てばいい方で、たいていは一ヶ月経たずにやめていく。理由は阿掛の言動によるものだ。いや、それを止めない周りも同罪か。 新人は、何人も代わる代わるやってくるんだ。静和は「必要とされていることが嬉しい」とか前に言ってたっけ。でも、社会にとっての必要なんてそんなもんだよ。 毎日、仕事を終えたら向かう場所は決まっている。最近では残業も飲み会もなし。出世に響こうと知ったことか。 今の自分には、静和を養っていけるだけの稼ぎがあればいい。 部屋に帰ると、真っ先に洋室へ向かう。がらんとしたゲストルームだったが、静和が来てからは、ベッドを入れた。本棚も設置して、彼が好んでいた詩集も買った。 今、静和はベッドの上で息をしている。 病状は分からない。階段から落ちた時にできた怪我は完治した。脳にも異常は見られないそうだから、精神的な何かだろうと医者は告げた。 静和は一日のほとんどを眠って過ごす。時おり目を覚ましてぼーっとする。でもこの世界は見えていない。 最初は、彼のアパートに訪問診療だけがやって来ていた。連絡がいっているのか分からないが、家族は誰も来ない。精神に問題があるといっても、誰かに危害を加えるわけじゃないから、措置としての入院もなし。だから、依央だけが彼を見ていた。彼のアパートを解約して、依央の家に住まわせるまで、それほど時間はかからなかった。 静和は訳ありで上京したのか、保証人なしで諸々の契約をしていた。不動産屋もうちの会社も、ゆるいにも程があるが、依央にとっては都合がよかった。会社の人間は、依央が同情して静和の見舞いをしているのだと勘違いしている。「お前は悪くない」と直接言ってくる人もいた。 全然違うのに。そもそも本当に親切なら、興信所を使ってでも家族に一報入れるんだろう。でも依央はそうしなかったし、彼が孤独な身であることを知ってほくそ笑んでいた。 「これで、全部俺のものにできる」と。 マンションの入口で先ほどもらった袋は、中身も見ずにゴミ箱に投げた。 彼はいつも依央の帰宅時間を読んでマンションに来る。なんでも静和の事故現場に遭遇して、彼を受け止められなかったと後悔しているらしい。一番に救急車を呼んだのも、その男だった。俺がすべて手配するはずだったのに。 「清野くんだっけ?」 声をかける度、デカい図体の割にすぐ怯える男だった。 「これお見舞い?ありがと」 いつも言うのはそれだけだ。決して部屋に上げたりしない。静和の現状も見せず、さっさと追い返す。 遭遇しただけなのに責任を感じるなんて、彼はたいそうな好青年だ。 だからこそ焦りがあった。静和が起きたら、自分じゃなく彼を選んでしまうかもしれない。 静和の様子を確かめてから、花を活ける。花屋で買ってきたものと、その辺に生えていた小さな青い花だ。リビングに花瓶はふたつ用意されている。自分が買ってきたものと彼が作ったペットボトル製。並べて生けていると不思議なことに二種類の花束はお互いに向かい合った。 静和が寝ている部屋に入って、繰り返し彼の日記を読む。その度に、俺がいたのにと思う。言ってくれたらよかった。いや、俺が気づけたら。彼に踏み込めていたら。 そうするとたまらなくなって、寝ている静和体を起こし抱きしめる。力が抜けているから、されるがままにぐったりと依央にもたれかかってくる。 もっと早く静和のことを知れていたら、自分ができることは全部した。彼の欲しがるものは何でもあげた。海外に行って家族になるのもいい。あのゲームみたいに、ひたすら甘やかす恋人にだってなれる。どれだけだって愛してるって言えた。 「愛してるよ、静和」 何度もそう言ってキスをしている。しかし、おとぎ話でもゲームでもないから、彼は目を覚まさない。 「そろそろ汗を拭こうか」 最初は、服を脱がせて、ざっと拭いておしまいにしていた。 しかし、許されることではないと思いながらも脱がせて無防備な姿を見ていると触れたくなってしまう。 最初は前を擦るだけだった。溜まると苦しいだろうと、同じ男だから分かると言い訳を重ねて触れた。なのにある日、後ろがひくついていることに気づいた。誰かとしていた?それとも自分で?日記ではそこまであけすけなことはさすがに書かれていない。指を挿れてみるが、中は狭い。そこからはもう、歯止めが効かなくなっていた。 「ん……ぅ……」 「気持ちいい?」 最初は無反応で、人形を犯しているようなもだった。しかし最近は漏れる吐息で応えてくれるようになった。 「はぁっ……あ、ん……んんっ」 「すっかり中でイけるようになったな」 企画書を見た時から惚れ込んでいた。本当はもっと前の、初めて話した時から気になっていた。 だからこうして、ひとつになることができて嬉しい。ふたりでぐちゃぐちゃになるまで溶け合えることが幸せだ。心からそう思っているのに。 「静和、まだ起きない……?」 いつからか、依央は静和を抱きながら涙を流すようになっていた。彼に何を話しかけても、返ってくるのは、快楽に染まった喘ぎ声だけだ。 「そろそろ目を覚ましてよ……」 駄目だ。そんなことをしたら、依央が何をしているのかバレてしまう。いくら優しい静和でも、こんなことを許してくれるとは思えない。 「……やっぱり、このままずっと一緒にいたい」 泣きながら抱きしめて、彼の中で果てる。 目を覚まして。やっぱり覚まさないで。矛盾していると自分でも思うけど。 「……いいよな。ゲームのヴィオは」 薄暗い冷えきった場所で、世界でふたりきりの恋をしている。 俺も、静和とそうなりたかった。 囁くように語りかけると、彼の腕が僅かに動き、初めて抱きしめ返されたような気がした。

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