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プロローグ
世間の荒波に揉まれる、社会人六年目の冬。取引先の忘年会に招かれた。
愛想笑いを張り付けて、お偉いさんに酒を注いで回り、くだらないジョークに手を叩いて大笑いすること数時間。ようやく解放される頃には、終電の時刻が迫っていた。今からでも特急列車に飛び乗れば、一時過ぎには家に帰り着くことができるだろう。
師走の慌ただしい駅前を、人混みを掻き分けて小走りに走る。ふと、喫煙所が目に留まった。普段、煙草はよく吸う方だが、絶対に粗相は許されないというプレッシャーに晒されていたせいか、全く吸いたくならなかった。
しかし、あのガラス張りの、もくもくと煙を吐き出しているあの場所を見つけてしまうと、まるで本能が呼び覚まされるように、急に吸いたくなってくる。もうすっかり煙草の口だ。あの不健康な煙を、脳も体も欲している。
一服するくらいの余裕はある。電車内は当然禁煙のため、吸うなら今しかない。全く、近頃は分煙だ何だと煩わしくていけない、と内心ぼやきつつ、ジャケットの内ポケットから煙草とライターを取り出しながら、喫煙所に駆け込んだ。
終電間際のこの時間、わざわざこんな場所で一服する物好きもいないらしく、喫煙所内はがらんとしていた。灰皿の前へ陣取って、煙草を咥えて火をつける。しかし、ライターは虚しい音を響かせるだけ。カチカチカチッ、と苛立ち紛れに何度繰り返してみても同じことだ。オイル切れである。
ここに来てのこの仕打ち。全く今日は厄日らしい。ライターをぶん投げたくなった。いや、こんなことでいちいち腹を立てている場合ではない。今はとにかく煙草だ。火だ。自分のライターが使えないなら、誰かに火を借りればいい。幸い、喫煙所内は無人ではない。隅の方で紫煙を燻らせている男がいる。
すみません、ライター貸してもらえますか。そう言ったか言わないかのうちにこちらを振り向いた、男の顔を知っていた。
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