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第1話 まさかの遭遇

    第1章  いつも通り七時四十七分発の電車に乗って会社へ向かう。五月晴れのその朝も、かわりばえのしないスタートを切る──はずが。  電車が走りだして数十秒後、一ノ瀬英斗(いちのせひでと)は尻がもぞつく気がして眉をひそめた。掏摸(すり)がスラックスの尻ポケットを漁っている場面が脳裡をよぎってドキリとしたものの、車内は鮨詰め状態だ。だから偶然で片づけた。  そう、通路の中ほどに押しやられた乗客がビジネスバッグを持ち替えるなどしたさいに、それの角が当たったとか。  広告代理店に就職して、この春で丸六年。堅実な仕事ぶりが評価されてチームリーダーに昇進した。沿線の、青葉が眩しい車窓の景色を眺めながら今日の段取りを考える。  と、スラックスとひとまとめに下着を尻の割れ目にめり込ませるような感覚に襲われた。ぴくりと肩が跳ねて、真横に立つ女子高生にぶつかった。  睨まれ、頭を下げて返す。正面は七人がけのシート、背後は人垣に阻まれる。  英斗はミリ単位のカニ歩きで左にずれた。しかし掏摸(?)から逃れるどころか、ねちっこい動きからいって恐らく指──は、股ぐりの縫い目に沿って這い進む。 「マジか」が「まさか」を逆転するにつれて、小作りな顔が蒼ざめていく。背後にひそむゲスいやつが、何をトチ狂ったのか、おれの尻を撫で回している。  アーモンド形の目がぎらりと光った。混雑時のマナーに従って胸に抱えているリュックサック。それの肩紐を、そっとずらした。  こいつを振り向きざま痴漢、あるいは痴女に叩きつけてやろうか。……別人に命中すれば慰謝料ものだ。  と、過密ダイヤによる弊害だ。前を行く電車が(つか)えているとみえて、がくんと速度が落ちた。  通路を埋め尽くす乗客が団子状によろけたのに釣られて、英斗もつんのめった。  いきおい下劣な手に尻をすりつける形に。  どうぞご自由に、と煽っているような構図だ。そして、ご要望に応えてと言いたげだ。早速、尻たぶをこね回すわ、もみもみするわ。  英斗は咄嗟に腰をひねった。ただちに手を引きはがすのが正しい対処法だ。そう自分を急き立てても、ナメクジが双丘を這い回っているような気色悪さが闘争心を()ぐ。  吊り革に摑まったまま、さりげなく周囲に視線を走らせる。もっとも視界に入るのは、おなじみの顔ぶれだ。  通勤地獄における憂さ晴らしの対象は男のケツ。マニアックな性癖の持ち主が、彼ら、彼女らに混じっているとは思えないが?

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