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第5話
眩しくも暖かい転移光が静かに消えると、
そこはエプシアール家の大広間だった。
緊張と恐怖が一気に緩み、フィサは力の糸が切れたようにその場へ崩れ落ちる。
呼吸は荒く、肩は細かく震えていた。
シグマはそんなフィサへわずかに視線を落としただけで、
倒れた主を見下ろしながら静かに言った。
「フィサ様、ルヴェーグ様のお召し物を変えたいので、お手伝い頂けますか?」
「は、はい! ……その、何をすれば……?」
「着替えとはいえ魔法によるものです。フィサ様には、ルヴェーグ様を支えて頂ければ十分です。」
「わ、分かりました……!」
フィサは力の抜けたルヴェーグを抱えようとするが、腕が震えて持ち上がらない。
シグマはその様子に、ほんのわずか口元を緩めた。
「……あぁ、ルヴェーグ様は無駄に重いですからね。やはり私が。」
軽々と主を抱え上げると、シグマはフィサへ向き直る。
「フィサ様もお召し物を替えましょう。使用人を呼びます。」
指先を軽く鳴らす。
すぐに専属のメイドが駆け込んできた。
「お呼びでしょうか──っ、ルヴェーグ様……!?」
驚愕の色が浮かぶが、一瞬だけシグマの表情を見て何かを悟り、深く頭を下げる。
「シグマ様がご一緒ということは……命に別状は無いのですね。ご用件を伺います。」
「フィサ様を着替えさせ、お清めと外傷の確認も。」
「承知いたしました。フィサ様、こちらへ。」
フィサが連れて行かれ、大広間にはシグマと彼に抱えられている気絶した主だけが残った。
シグマは衣服を整えながら、誰にも見せない薄い笑みを浮かべる。
「……さて。こちらも始めましょうか。」
◆ ◆ ◆
数刻後。
清められ、服も替えられたフィサは、そっとルヴェーグの寝室に入った。
ベッドには整えられたルヴェーグが静かに眠っている。
その傍らには主へ冷たい視線を落とすシグマが立っていた。
「シグマさん……! レーベは……?」
「おや、フィサ様。ルヴェーグ様でしたらご覧の通りです。あと数刻もすれば目を覚まされますよ。」
「そ、そうですか……。あの……」
「如何なさいました?」
フィサは指先をぎゅっと握りながら、震える声で問う。
「……あのお金で……家族は……助かるでしょうか……?」
シグマはひとつ小さく息をついた。
嘲りでも怒りでもない。
呆れと、どうしようもない愛しさが混じったため息。
「フィサ様……まだ“信じて”おられるのですか?」
「え……?」
シグマは淡々と微笑んだ。
「フィサ様に近づいたあの者は、ルヴェーグ様を引きずり落とすために、あなたを利用しただけですよ。」
「……っ……」
フィサの顔から血の気が引き、視線が揺れる。
「じ、じゃあ……僕は……全部……」
「大丈夫ですよ。」
シグマは軽く肩をすくめた。
「ルヴェーグ様は、そもそも気にしておられません。それよりも──どうして私があなたがたの密会について知っているか、気になりませんか?」
「……っ! そ、そういえば……ちゃんと確認したはずなのに……!」
「ふ……。」
わずかに笑みを浮かべる。
「私はエプシアール家の執事ですから。……という理由もありますが、実を申せば──
ルヴェーグ様に頼まれていたのですよ。『フィサの後をつけてくれ』と。」
「じゃ……じゃあ……全部知ってて……止めてくれなかったんですか!?
分かってたなら……止めてくれれば……!」
シグマは目を細め、陶酔したように微笑む。
「だって……ルヴェーグ様が痛めつけられる場面など、滅多に拝めませんからね。
そんな愉快なもの、止められるはずがありません。」
「で、でも……止めて……ほしかったです……」
その一言に、シグマの表情がほんのわずか歪んだ。
まるで胸の奥を掴まれたように。
「……それは、大変失礼いたしました。」
珍しく深く頭を下げる。
「フィサ様がそのようなお顔をなさるとは……。執事として、許されぬ振る舞いでした。どうかお許しを。」
ゆっくりと立ち上がり、いつもの無表情が戻る。
「では、私は屋敷の仕事に戻ります。何かございましたらお呼びください。」
丁寧な一礼を残し、
シグマは静かに部屋を去っていった。
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