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信頼と欲望の間で
食卓には、彩り豊かな洋食が並んでいた。
ソテーの香り、焼きたてのパンの香ばしさ。
律は黙って席につき、ナイフとフォークを手に取る。
俺は何も言わずに律の動きを見守った。
――お、ちゃんと覚えてる。
律は先ほど教えた通りにナイフを持ち、フォークで食べ物を切る。
背筋も自然に伸びていて、手元の動きも滑らか。口元に運ぶ仕草も完璧だ。
「……律、いい感じだ」
軽く声をかけると、律はちらっとこちらを見ただけで、すぐ視線を逸らした。
――可愛い。ほんとに。
言葉にはしないが、律の成長も、その奥にある信頼も、全部が愛しくてたまらない。
食事が終わり、律が最後の一口を静かに口へ運ぶのを見届けてから、俺は立ち上がる。
「よし、片付けて部屋に戻ろうか」
律は黙ってうなずく。
動作ひとつひとつに、俺への信頼がにじんでいるようだった。
二人でリビングを出て、自室へ戻る。
ひと息つこうと椅子に腰掛けた、その瞬間だった。
ノックもなく、勢いよくドアが開く。
「冬馬」
誠だ。
「なんだよ」
「お前ら、もう付き合ってんじゃねぇの?」
「……は?」
思わず椅子からずり落ちそうになる。
「だってさ、お前ら距離感おかしいだろ。今日のマナー指導、俺見てたぞ?」
「そんなことない」
「嘘つけ。律のこと見る目、完全に“惚れてる男”の目だったからな」
「……そんな目してねえよ」
「してるって」
軽口なのに、誠の目だけは妙に鋭い。
「律もさ、お前のこと好きだと思うけどな」
その一言に、喉が詰まる。
律の体温。
そばにいたときに、ふわっと甘くなるΩの匂い。
眠るときの小さな呼吸音。
俺の名前を寝言で呼んだ声。
全部が、鮮明に蘇る。
「律、嫌がってるようで、全然嫌がってないじゃん。お前に懐いてるし」
「……それは、信頼関係だ」
「へぇ。信頼って呼ぶんだ、あれを」
「……誠」
「冗談だよ」
そう言いながらも、誠の表情は急に真面目なものへ変わる。
――たしかに。
律は無意識に、俺というαを受け入れ始めている。
俺の匂いにも、触れる距離にも、戸惑いながらも拒まない。
「なぁ、冬馬。お前が律を守りたいのはわかるけど……守るって、距離を取ることじゃねぇだろ」
軽く肩を叩かれて、俺は黙り込む。
「好きなら、ちゃんと認めろ。お前ら、変に我慢してても見てる方がしんどい」
理性と本能の間でぐちゃぐちゃになっていた部分を、全部見透かされている気がした。
「まあ、焦んなくていいけどさ。律を泣かせんなよ」
そう言って、誠は出て行った。
静かになった部屋に、時計の針の音だけが響く。
――素直に、か。
誠の言葉が胸に刺さったまま抜けない。
律の笑った顔が浮かぶ。
眠るときの穏やかな表情。
昨日、軽く触れた唇のやわらかさ。
あれで何も感じるわけがない。
「……好きだ」
思わず、声が漏れる。
教育係と生徒。
αとΩ。
簡単には越えられない境界線。
一度踏み越えたら、もう戻れない。
デスクの明かりを落とすと、部屋は静かな暗さに包まれた。
胸にはまだ消えきらない熱が残っていて、俺はしばらくそれを抱えたまま座り込んでいた。
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