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さりげない午後が、少しだけ熱い

side 朝比奈 律 冬馬が来て三週間。 生活は落ち着いているはずなのに、俺の心だけは妙に落ち着かない。 礼儀、マナー、勉強。 全部ちゃんとやれてると思う。 ……冬馬が教えるの、上手いから。 朝、起こしてくる声。 勉強を教えてくれる時の距離。 一緒に食事する時間。 どれも普通のはずなのに、妙に意識してしまう。 αの匂いのせいか、ただの俺の問題か。 ……どっちにしろ、言わないけど。 今日は日曜で、久しぶりに自由な一日。 ゆっくり朝食をとっていると、向かいの冬馬がふいに口を開いた。 「律、今日は何したい?」 「……別に。なんでもいい」 ついそっけなく答える。 本当は、“冬馬と一緒なら”わりと何でもいい。 でもそれは胸の奥にしまっておく。 「じゃあ、午後から買い物に行こうか」 「買い物?」 「服だ。フォーマルも必要だろ」 そう言って冬馬が柔らかく笑う。 「お前が社交の場に出ても困らないように」 「……ふーん」 胸の奥がくすぐったいような、なんとも言えない感覚が残る。 準備を済ませ、車に乗って街へ向かう。 「……どこ行くの」 「デパート。色々揃ってるからな」 「了解」 「服は俺が選んでやるよ」 「……勝手にどうぞ」 否定しない。任せるのは嫌じゃないから。 デパートの紳士服売り場。 ずらりと並んだスーツの数に、思わず目を細める。 「……種類多すぎ」 小さく呟くと、冬馬はすぐにネイビーのスーツを手に取った。 「律はこれが合う」 その迷いのなさに、少しだけ安心する。 「ほら、試着だ」 「……わかった」 試着室で袖を通し、鏡を見ると、思ったより大人っぽくて一瞬固まった。 見慣れない自分に、心臓がほんの少しだけ跳ねる。 外に出ると、冬馬が俺をじっと見つめた。 「……どう」 自分から聞いたくせに、目は合わせづらい。 「似合ってる。驚くほど」 冬馬の言葉が、素直すぎて反応に困る。 耳が熱くなるのを抑えるのに必死だ。 「……まあ、悪くないなら」 そう言うと、冬馬は穏やかに頷いた。 シャツとネクタイも冬馬が選び、次はカジュアルフロアへ。 淡いブルーのセーターを手にした冬馬が言う。 「これ、律にちょうどいいんじゃないか」 冬馬が淡いブルーのセーターを掲げる。 試着すると、冬馬が少しだけ目を細めた。 「すごく似合うな」 「……そう」 平然を装って返すけど、胸の奥は静かに温度を上げていた。 買い物を終え、袋を持って車に向かう。 「荷物貸せ。重いだろ」 「平気」 「いいから貸せ。今からカフェに寄る」 「……うん」 紙袋が冬馬の手に移った瞬間、肩の力がふっと抜けた。 入ったカフェは照明が落ち着いていて、客も少ない。 窓際の席に座ると、ほっと息が抜けた。 メニューを開いた俺に、冬馬が軽く身を乗り出す。 「律は何にする?」 「……ココア」 「ココアな。じゃあ俺はコーヒーにする」 店員が去り、しばらくすると温かい湯気といっしょに飲み物が運ばれてきた。 その向こうで、冬馬が穏やかに俺を見ている。 「律」 「……何」 「最近、本当に頑張ってるな」 その一言が、思ったより強く心に触れた。 「……普通だろ」 「ちゃんと真面目にやってるし、成長も早い」 「……だから?」 嬉しいくせに、素直に受け取るのが悔しい。 視線を逸らすと、冬馬は少しだけ笑って続けた。 「無理はするなよ。疲れたら休め」 「……わかってるって」 ふいに感情があふれそうになって、視線をカップに落とす。 「……冬馬」 「ん?」 数秒の沈黙のあと、ぽつりと小さく言った。 「……ありがと」 ほとんど聞こえない声で。 冬馬の眉がわずかに和らぎ、口元が緩んだ。 「どういたしまして」 その笑顔が優しい。 胸の奥のきゅっとなる感じが、また大きくなる。 ココアを一口飲む。 甘さと温かさが広がり、少しだけ視界が柔らかく見えた。 冬馬は特に何も言わず、ただ同じ空間で静かにくつろいでいる。 そんな時間が、思っていたより心地いい。 ……俺、こんなはずじゃなかったのに。

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