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水も滴るディアリンド

 サラサラと細い雨の降る音で俺は目が覚めた。  翌朝は雨だった。  これでは、公園に行っても七凪さんには会えないだろうな……。  隣を見れば、寝袋は既に片付けられている。  目を擦りながらカーテンを開けると、うちの狭い庭でリンが剣を振っているのが見えた。  上半身裸で。  いや、なんで?  雨だから?  まあ、レインコートを着て剣を振るってのもおかしいのかもしれないけど、服は着ておこうよ。  そんな姿ご近所さんに見られたら、なんて言い訳したらいいんだ……。  俺は部屋を飛び出すと、階段を駆け下りて洗面所でバスタオルを掴んでからリビングに向かう。  幸いうちの庭は背の高い木々と高めのフェンスに遮られて、外から見えづらくはあるけど……。  あんなに鍛え上げられた美しい身体はそう簡単に目にできるようなものじゃないから、チラとでも見られた日には間違いなくご近所の奥様方の噂になっちゃうよ。  庭に面したリビングの掃き出し窓をガラッと開けて「リン!」と呼ぶ。  あ。つい声が大きくなってしまった。  余計な注目を集めない事を願いつつ、雨に濡れたスリッパをひっかけてリンの元に行こう……としたときには、リンが素早く俺の元へと駆け寄っていた。 「ケイト、雨に濡れてしまいま……いや、雨に濡れてしまう。用件なら中で聞く。そのまま待っていてくれ」 「う、うん」  敬語の抜けたリンの力強い言葉に、俺は思わず頷いてしまった。  雨粒を滴らせた半裸のリンは、くっきりした凹凸に沿って伝う水滴がどうにも色気たっぷりだ。  リンの上半身には俺が贈ったペンダントが1つあるきりで、それがまた余計に艶っぽい。 「っ、じゃなくて、リン、すぐに身体を隠してほしいんだよっ」  俺は握っていたバスタオルを広げてリンの肩にかける。  リンはキョトンと瞬いてから「わかった」と答えて腰に巻いていた布でサッとブーツを拭いて掃き出し窓から上がってきた。  こういう時に素早く動けるのは流石だなあと思うけれど、できればそれよりも事前に相談が欲しかったな……。  話を聞くと、やはり雨で服が濡れないように脱いでいたようだが、さらに細かく聞き出したところ、天気が良くても汗で服が濡れないように1人で行う修練の時はほぼ半裸のようだ。  俺は、ご近所の目があるので庭では必ず服を着てくれるよう約束させる。  あと剣も……その真剣を振っているのは流石にまずいんだよなぁ……。  ちょっとこの辺も後で蒼とセリクに相談してみるか……。  リンは汗を拭いてくると洗面所に向かう。  汗はシャワーで流していいよと説明すると、リンは水源の心配をしてくれた。  俺は水道代と上下水道の仕組みをざっくり説明する。  そうしているうちに、蒼が降りてきた。 「兄ちゃん、なんかあったのか?」  ああ、さっき俺が叫んだせいで起こしてしまったのか。 「ごめん、大きな声出して。リンが庭で剣振ってたから止めたとこ」 「あー……、その格好でか、そりゃ兄ちゃんも叫ぶわ……」  呟いた蒼が半裸のリンをジロリと見る。 「おいディア、お前はオレが『こっちに慣れた』と判断を下すまでは、何か行動を起こす前に必ずオレか兄ちゃんに行動許可を取れ。いいな?」  蒼の指示に、リンは手を胸に当て背筋を伸ばして「はい」と答えた。 「とりあえずこれでしばらくなんとかなんだろ」  蒼は面倒臭そうに言って「オレは寝直すから」と2階に戻っていった。  なんか、朝からドッと疲れたな……。  風呂場からはリンがシャワーを浴びる音が聞こえ始める。  時計を見れば、まだ5時半だ。  ふわぁと大きなあくびが出る。  6時を回らないと母さんも起きてこないだろうし、俺も寝直そうかなぁ。  ショッピングモールに行くにしろ靴屋に行くにしろ、まだしばらくは店も開かないからな……。  2階に上る階段に足をかけた時、風呂場の戸が開く音がした。  早いな。まさに汗を流しただけって感じなのか。  そういえば、リンってドライヤーを使わないんだよな。  説明は初日にしたんだけど……。  俺は気になって風呂場に続く洗面所の入り口まで戻る。 「リン、中入ってもいい?」 「ケイトならいつでも。ケイトが私に遠慮する事は一つもない」  うっ。  ただの入室許可のはずが、何やらリンの熱い思いが返ってきた。 「お、お邪魔します……」  そろりと足を踏み入れれば、リンがふっと小さく笑う。 「ケイトの家だろう」  そうなんだけど! そうなんだけど!!  リンさんはこちらに上の服は持ってきてないんですかね!?  リンは上半身裸のまま、ズボンを引き上げたところだった。 「リン、上の服は……!?」 「部屋に置いている」  つまり!?  リンは俺の隣で半裸になってから、剣を手に玄関から出て庭に回ったと、そういうことなのか!?  目撃者はいなかったんだろうか……?  俺が焦りを浮かべてリンを見上げると、リンは「ケイトが来るまで、誰の気配もなかった」と答えた。  はぁぁぁぁ。と、ため息をついて俺は項垂れる。  いやまあ、人に見られてなくてよかったけど。  あんまりハラハラさせないでほしい。 「すまない。以後気をつける」 『すまない』なんて言葉も新鮮でかっこいいな。  ここまではずっと『申し訳ありません』の連呼だったから。  俺が見上げると、リンは少し俯いて、反省の意を示していた。  いつもサラサラの青みがかった黒髪が、今は濡れていくつかの束になっていた。  リンの形のいい耳の後ろにかけられた髪の毛先から、今にも滴り落ちそうな雫が、見ている間に彼のしっかりとした首筋に落ちて、静かにゆっくりと肌を伝う。 「っ……」  俺は何だか見てはいけないようなものを見てしまった気持ちになって、リンの首にかかっていたタオルでガシガシとリンの髪を拭いた。 「ケイト……?」 「ちょっとそこの椅子に座ってくれる?」 「これだろうか」と尋ねるリンに「そうそう」と答えながら俺はドライヤーのプラグをコンセントに挿して構える。 「一昨日も説明したけど、大きな音がするよ」 「ああ、わかった」  リンの髪にドライヤーを当て始めると、リンがすぐに俺を止めた。 「使い方は十分理解した。ケイトが侍従の真似事をする必要はない」  リンは綺麗な眉を顰めるようにして、どこか困った様子で言う。  うーん……。相変わらずガードが固いなぁ。  いや、貴族として生まれ育った彼にとっては、価値観がこうなんだからそこは仕方ないんだろうけど。  俺は、せっかくの機会を逃したくなくて、リンの髪をこの手でサラサラにしたくて、何とか言い訳をする。 「これはそういうのじゃなくて……、ほら、恋人同士の触れ合いだよ」 「こっ……恋人、同士の……」  そこを繰り返さないでください。  俺だって言ってしまってから恥ずかしくなってきたのに、そんな目の前で真っ赤になられたら俺だって赤くなっちゃうよ。 「……だから、いいよね?」  俺の言葉に、リンは赤い顔のままコクリと頷いた。

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