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ディアリンドの言葉

 明かりを落とした自分の部屋で、俺は今日のことを振り返っていた。  朝からリンの金塊に驚いて、それから買い物をして、元聖女さんに会って、リンの剣に……。一日で何だか色々あったなぁ……。  夕食の時には、昼間に蒼が立てたスレッドが伸びていると蒼に報告された。 『フロウリア暦何年生?』というシンプルなタイトルの、元聖女達にフロウリアで過ごした際のフロウリア暦を尋ねたスレッドだが、覚えている人もいれば覚えてない人もいて、自分の前後の聖女が分かるとそれはそれで作った聖球を見たとか、こんな噂を聞いたとかで盛り上がり、確かにほんの半日後とは思えないほどにコメントはたくさん寄せられていた。  まだ今の時期は春休みの最中で暇な人も多いからかもしれないな。  やれ先輩だ後輩だと楽しそうな学生ノリは蒼の付けたタイトルのせいだろう。  蒼はこういうことがさらっとできるのがすごい。  俺だったら『フロウリア暦何年にフロウリアにいたか教えてください』みたいな平凡なタイトルになってただろうな。 「今んとこ1825年担当の奴が一番古いかな。ま、しばらく様子見てみっから」  蒼はさらりと言ったが、この量のコメントは読むだけでも大変な気がする。  夕食の最後には母さんが「明日にはディアリンド君の布団も届くからね」とも言っていたな。  どうやら昨日のうちにネット通販で頼んでおいてくれたらしい。  俺はベッドの上で寝返りをうった。  視界に入るのは見慣れたいつもの室内。  だけど、そこにいつもの姿見は無い。  今、あの簡易ゲートでもある姿見は蒼の部屋だ。  そこそこ大きな姿見をリンに運ばせた蒼は、セリクに厳重に言い聞かせていた。  7時と19時の前後10分は絶対に姿見に近寄らないように。と。  何なら部屋を出ておくようにとまで言われて「でも発動中の様子が見たいのに……」とセリクは嘆いていた。  蒼が「オレがなるべく時間合わせてやっから。発動時の様子を見ていいのは、絶対にオレが居る時だけだ」と言うので、今日の19時のゲート発動時間には4人揃って姿見を見ていたのだけれど、姿見から溢れる紫色の光が見えたのはリン1人だった。 「あー、なるほどな。ディアだけ体が新しくなってからヤってねーのか」  蒼の言葉に、何だか俺の方が恥ずかしくなる。  なのに、リンはいたって真面目な顔で「はい」と答えている。 「僕、触ってもいい?」 「オレの手を離さないならな」  蒼は念の為にスマホや靴を詰めたリュックサックも背負っている。  もし2人が向こうへ行っても、こちらでは明日の朝には帰ってくるだろうし親にも俺から説明できるけど……。やっぱり向こうでの一年が心配ではある。  それに、向こうに無事出られるならともかく、狭間に取り残されてしまうのは相当マズイ。  もし万が一、狭間でセリクだけがフロウリアと同じ体内時間に戻ってしまったら……。  蒼とセリクの頭ならその危険も十分わかってるはずなのに、2人は平然とそれを行った。  もしかしたらセリクはゲートの術構成をいくらか理解しているのだろうか。  俺はゲートの魔術陣を見ても、まるで分からないことしかわからなかったが……。  皆の見守る中でセリクが姿見に触れる。  セリクが吸い込まれる事はなかった。  セリクは蒼と手を繋いだまま、器用に片手で鑑定魔法を使う。  俺もいくつかのごく簡単な魔法なら片手で使えるけど、本来魔法は両手で発動させるものだ。  それを片手で行うというのは、例えるなら両手で弾くべきピアノ曲を片手で演奏するようなもので、かなり難しい。  右手と左手にはそれぞれに別の役割があるからだ。  やっぱりセリクはすごいなぁ……。  セリクの鑑定はリンの鑑定よりも相当たくさんのことを読み取れるようで、ペラペラと俺達に鑑定結果を話しているうち、リンが「光が消えました」と報告していた。  紫色の光を見ることができるリンは……、あの姿見に触れると、向こうに戻ってしまうんだろうか……。  俺が視線を落とすと、俺のベッドの真横に寝袋に収まったリンが横たわっている。  目を閉じていてもリンの眉は下がりきることがなくて、ほんの少しキリッとした顔のままだ。  閉じられた瞼の縁に並ぶ長い睫毛を綺麗だなぁと思いながら見つめていたら、リンがゆっくり目を開けた。 「あ……ごめん。視線を感じちゃったかな……」 「どうなさったんですか?」  言って、リンは体を起こす。  俺の顔を覗き込んでくるリンの瞳は、その色を変えても相変わらずまっすぐだ。 「ううん、何も……」と言いかけてから、俺は言い直した。  リンには以前、思う事を何でも隠さず伝えてほしいと請われていたから。 「リンは今日、ゲートの光を見たよね」 「はい」 「リンは、あれに触れたら向こうに行っちゃうんだろうな……って、思ってた……」  俺の言葉にリンは一つ瞬いて、それから真剣な顔になる。 「私はケイトのそばを離れません。ゲートにも決して勝手に触れることはないと、誓います」  リンがあまりにまっすぐ答えてくれるので、俺の中の不安はするすると小さくなる。 「ありがとう。リン……」  俺は、俺を見つめるリンの頬に手を伸ばす。  リンは俺の手に、すり、と頬を寄せてきた。  さらに甘えるような仕草で、俺の手の甲をリンの手が包む。  俺の手に触れているリンの頬が、じわりと熱くなってくる。 「もしケイトが、ご心配でしたら……、その……」  そこまで言われて、俺は気がついた。  そうか。  俺がリンとその……、関係を持てば、リンはもう帰れなくなるのか。  リンは俺がそれを望むなら、してもいいって言ってるのか。  でもそんなの……。 「……俺は、リンが帰りたいと思っても故郷に帰れないだなんて、そんなのは嫌だよ……。リンにはなるべく、たくさんの道を残しておいてほしいんだ……」  俺の言葉にリンはちょっとだけ眉を寄せて、俺の額にそうっと口付けた。 「私はいつでも、ケイトの望むようにいたします」  それはつまり、するもしないも俺次第って事か。  俺は、リンのまっすぐな愛にちょっとだけ熱を持ってしまった身体に気づかないふりをして、話を変えた。 「明日はリンの靴を買いに行こうね」  リンの靴は、鎧と揃いの金属製のブーツか膝下までの皮のロングブーツしかないので、せめてスニーカーみたいなものを1足買っておきたいなと思っている。 「いえ、明後日はケイトにとって大切な日なのでしょう。明日は一日どうぞごゆっくりお過ごしください」 「いやいや、明後日はガイダンスに行くだけだから、明日買物くらい行っても大丈夫だよ」 「ですが……」  それでも、リンは俺を徹底的に優先しようとしてくる。  こうなってしまうとリンは頑固だからなぁ。  ちょっと話をズラしてみるか。 「じゃあもし俺が明日家で過ごすとしたら、リンはどう過ごすの?」 「私は魔力制御の修練と日課の鍛錬を行います」 「そっか、それも早く身につけておく方がいいもんね。じゃあ午前中はリンが修練してる間に、俺は公園に行ってみようかな」  七凪さんにも早く話を聞きたいしね。 「ケイトが外出なさるのでしたら、私もお供します」  うーん。つまり靴を買いに行くかどうかはさておき、俺が出かければ必然的にリンもついてくるってことだよね。  それなら俺は、そのまま靴屋に行けばいい気がしてきたな……。  それにしてもリンは、せっかく俺の名前が呼び捨てできるようになったのに、敬語が全く崩れそうにないなぁ。 「あのさ、リンは少しずつでいいから、俺に敬語抜きで話してね」 「は、はい……」 「……言い直してみる?」 「っ……、ああ」  俺はその言葉に少しだけ驚く。  「うん」ではないんだ。  リンの普段の肯定語は「ああ」なんだ。  確かにアオイとラフに喋っていたロイスもそんな感じの言葉遣いだった気がする。  そっかぁ……うん。  なんかいいなぁ。  リンのまっすぐな「はい」って言葉も俺は大好きだけど、「ああ」って頷いてくれるのは、すごくいいなぁ。  なんだか、ぐっと距離が近づいたような気がして嬉しい。 「……ケイト……?」  思わず両手で顔を覆ってしまった俺に、リンが尋ねる。 「ごめん、ちょっと、嬉しくて……」 「っ……」  リンが小さく息を呑む音が聞こえた。 「っこんな、事で、喜んでもらえる、なら……いくらでも……」  辿々しい言葉は、うっかり敬語にならないよう精一杯頑張っているように聞こえて、俺は何だかくすぐったくなってしまう。 「ありがとう。でも無理しないでね。少しずつでいいから」 「……ああ、わかった」  リンはそう言って優しく微笑んだ。  うっ。かっこいい……!!  どうしよう、リンが年上なのはわかってたんだけど、喋り方が変わるだけでグッと頼れる年上感が漂うっていうか、大人の男感が増すというか……。  急激に熱くなる顔に耐えきれず枕に顔を突っ込むと、リンの心配そうな声がした。 「ケイト……?」 「いや、その、俺の恋人が、すごくかっこいいなって思って……」  リンはしばらく言葉を探すように黙った後で「……ありがとう」と照れ臭そうに囁いた。

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