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俺の迷いに、どうか誰も気づかないで
「すごい数の人だな……」
リンがそう言ったのは、既に今日3回目だ。
俺の後ろから、ちょっと警戒しつつエスカレーターに乗るリンを振り返って、俺は思わず小さく笑う。
家から歩いて15分ほどの距離にある大型ショッピングモールには、地下2階から地上7階までの9フロアに300以上の店舗が入っている。
平日とはいえ春休みの昼間のショッピングモールはそれなりににぎわっていて、中央の吹き抜けに面したエスカレーターからは各階で買い物を楽しむ人々の姿が一望できた。
フロウリアの教会も中庭を囲んでぐるりと建物がロの字になっていたけれど、そこに暮らす人の数はそれほど多くなかったからなぁ。
まあでも、人の数で言えば蒼の出立式や帰還式の方が上だったけどね。
俺はエスカレーターから慎重に足を下ろしたリンに尋ねる。
「疲れた? ちょっと休もうか?」
「私は問題ない。しかしケイトが少しでも疲れているなら、すぐに休もう」
相変わらずのブレない返事に俺は苦笑を堪えて返す。
「俺もまだ平気だよ、ありがとう」
帰りは雨も止んで、荷物が濡れずに済んでよかったなんて思いながら、なんとなく遠回りして公園を覗いてから帰る。
公園には実玖ちゃん達はいなかった。
「あんなに咲いていた花が……たった一晩で全て散ったというのか……」
俺の斜め後ろから、驚いたようなリンの声がした。
ああそっか。俺達にとっては雨や風で桜が一気に散るのはよくある事だけど、初めて見たリンには公園一杯に広がったピンク色の絨毯は衝撃的だったか。
「うん。こんな風にすぐ散ってしまうから、皆、咲いているほんの一瞬を愛でるんだろうね」
「そう、か……」
リンの声が揺れた気がして振り返ると、リンの拳は強く握り込まれていた。
……もしかして、リンは桜と自分の命を重ねてしまったんだろうか。
俺とリンがまたフロウリアに行ってしまうと、きっとリンは元の身体に戻ってしまう。
俺にとってほんの一瞬の寿命しか持たない、リンの本当の身体に……。
視線を巡らせると、人の居ない公園で、ブランコは雨に濡れたまま静かにそこにあった。
……昨日、この公園に来なければ、彼女に会うことはなかったはずなのに……。
俺がコロッケを買っていなければ……。
俺が彼女に浄化をかけなければ……。
俺は今も何も知らないまま、この先もずっとリンと共に年齢を重ねていけたのかな……。
夢のような幸せな現実に、心を緩ませたまま……。
大学に通いながら、休日はリンとこんな風にふたりで過ごして。
夏は一緒に夏祭りに行って、秋の過ごしやすい季節には旅行に行ったりして。
冬は一緒にこたつに入って、初詣に行って、おみくじを引いて。
そして春にはまた、一緒にお花見をして……。
そんな日々に、一瞬でも手が届くと思ってしまったから。
だから。
一度描いてしまったその幸せな未来図を、自分から投げ捨ててしまうのが苦しくて。
本当は、辛くて辛くて、しょうがない……。
せめて、俺達が誰も向こうに戻れないならよかったんだろうか……。
でもあのゲートの魔法陣が読めたセリクならきっと、時間はかかったとしても、あの魔法陣を理解し紐解いてしまうだろう。
俺のために、睡眠時間を削ってまで頑張ってくれているんだから。
早かれ遅かれ、俺達はいずれフロウリアに移動できるようになるはずだ……。
目頭が熱くなってしまって、俺は息を詰める。
ツンと痛む鼻の奥に、地面を睨みつけた。
こんなとこで泣いたってしょうがないだろ!
こんな事、知りたくなかった。
せめてもう少しだけでも、リンと幸せな時間を過ごしたかったのに。
そんな自分勝手な思いが胸から溢れそうで、俺は胸元を押さえつける。
じゃあ俺は本当に何も知らないままでいたかったのか!?
そんなわけないだろ!?
何も知らないうちにフロウリアが滅んでしまうのは嫌なくせに!
後から知って後悔するよりは、今知って良かったと思ってるくせに!!
俺を慕って尽くしてくれたエミーに、陰に日向に見守ってくれたロイス。
シルヴィンや騎士の皆、いつも優しい司祭様や教会の皆。
彼らが寿命を迎えた後も、彼らの家族がフロウリアに残る。
俺が名前をつけたアリアだって、そのうち家庭を持って、子を育てるだろう。
そんな子達が皆、残らず魔物に食い尽くされてしまう未来なんて、絶対に見過ごせることじゃない。
ほら、分かってるんだろ。
そんな事。
自分は絶対に許せないって。
……じゃあもう、いつまでも無様に迷うなよ。
俺が迷ってちゃ、リンだって蒼だって対応に困るだろ。
俺が躊躇っていると知れば、きっと彼らは俺を引き留めようとしてしまうから。
しっかりしろよ俺!
どうしてもフロウリアを捨てきれないんなら、まっすぐ飛び込む姿勢を貫け!!
俺は迷い続ける自身を胸の内で静かに叱咤して、視線を道路に戻す。
「リン、帰ろうか」
俺の言葉は震えなかっただろうか。
俺の迷いは、リンに気づかれなかっただろうか。
「ああ」と答えたリンと俺は、今日のショッピングモールでの話をしながら、フロウリアの話題を一度も出すことなく家に帰った。
***
その夜。
俺は明かりを落とした自室のベッドの上で、布団の中から天井を眺めていた。
帰宅したら玄関にでかい荷物が届いていた。
母さんの頼んでくれていたリンとセリクの布団一式が届いたようだ。
明日には、俺の入学祝いをするとかで久々に父さんも家に帰ってくるので、ギリギリのタイミングだったな。
夕食時には蒼が「オレは布団よりでかいベッドが欲しい」と言っていたけれど、俺も母さんもひとまず聞かなかった事にした。
「父さんにはリンとセリクの事ってどう説明してるの?」という俺の質問に、母さんは「息子たちが異世界から彼氏を連れて帰ってうちで同棲してるって説明したわよ」と答えた。
そうしたら、父から質問攻めにあったらしい。それはそうだろう。あまりにザックリ過ぎる。
「面倒だから、帰ったら子ども達に聞いてって言っておいたから」と言われて、明日はまた長い話をすることになりそうだなと思った。
俺は寝返りを打って、隣のリンを見る。
布団に横たわるリンは、寝袋よりゆったり寝られるようになっただろうか。
リンは俺の視線を感じたのか、閉じていた瞳をそっと開いて俺を見上げた。
「ごめん、起こした?」
「いや、まだ寝てはいない」
答えるリンは俺を見つめたままゆっくりと瞬く。
リンのきらめく宝石のような青い瞳も綺麗だったけど、暗いところで見る黒っぽい瞳は、なんだかすごく存在感があって、妙に色っぽく見える。
「俺、明日は朝から大学に行くから、リンは家でゆっくりしててね」
俺の言葉にリンは即答した。
「私も入場を規制される所までは行く。そこでケイトが終わるまで待っている」
うーん。やっぱりリンはついてくるつもりだなぁ。
調べてみたところ、大学の構内までは基本的に誰でも入れるみたいだから、建物の中に入ろうとしない限りは大丈夫そうだけど……。
まあ、リンにとっては今までも護衛対象が用事を済ませるまで部屋の外で立って番をするような事も多かったわけだし、俺のガイダンスが終わるまで待ち続けるのは別に苦じゃないんだろうな。
それよりも、俺に置いて行かれることの方が辛いって事なら、もう仕方ないか。
「わかった。明日は8時半には家を出るからね」
「ああ。……ありがとう」
ふ、とリンが目を細めて幸せそうに笑った。
うっ。カッコイイ……っっっっっ。
俺と一緒に行っていいって事が、そんなに嬉しい……のかな。
「こちらこそ、いつも守ってくれてありがとう」
感謝の気持ちを込めて微笑むと、リンはガバッと上半身を起こして、口元を大きな手で隠す。
俺が見つめる前で、リンは綺麗なその顔を赤く染めた。
リンは少しの間視線を彷徨わせてから、黒い瞳で俺を見つめ直して、少しだけ躊躇うように口を開く。
「……っ、ケイトに、触れてもいいだろうか……」
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