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ディアリンドの報告

 6日の朝、制服姿でキッチン側に現れた蒼は、俺を見るなり言った。 「兄ちゃんマジで頼むからなっ。オレが戻るまで、ぜってー父さんにセリクを会わせねーでくれよ!?」 「うんうん。大丈夫だよ。気をつけて行っておいでね」 「つーか、あいつはいつまで家にいる気なんだよ……」 「いや、この家の家主は父さんだからね……?」  蒼は既に朝食を部屋に運んでセリクと食べ終わっていたようで、手には2人分の空の食器が並んだトレイがあった。  蒼は今日から学校で、今日は始業式だ。  俺は明日の土曜が入学式で、今日は休みだった。 「蒼ももう高校2年生かぁ。早いもんだねぇ。ちょっと前までこんな小さかったのに……」  俺が久々のブレザーにネクタイ姿の弟を上から下まで眺めて言うと、蒼は「それ兄弟が言うセリフじゃねーから」と半眼で答えて「んじゃ行ってくるからな」と背中で手を振りつつキッチン側からリビングダイニングを出て行った。  うーん。蒼は何をしてもスマートだよなぁ。  リンの貴族的な優雅さのある所作とはまた違うけど、クールでサマになるって言うか……。  これでもうちょっと身長が高ければ、そこそこモテそうな気がする。  ……160センチしかない身長が最大のネックかな……。  蒼の部屋は今、ドアノブに浄化かけるとドアが開くようにしてあるらしい。  父さん対策が万全だ。  セリクがトイレに行く時はリンと俺で護衛するか、難しそうなら浄化で対応するように言われて、俺は改めて浄化ってすごいなと思った。  医療従事者が皆使えるようになったら、ものすごく便利になるんじゃないだろうか……。  9時までに1度はセリクにトイレと水分補給を促すように言われたけど、蒼はセリクの保護者かな? それともマネージャー……?  どうやらセリクは、蒼にがっつり体調管理をされているみたいだ。  しかし、こんなことで月曜からはどうするんだろう。  俺も蒼も学校に行き始めたら……。  母さんも俺達と一緒で月~金まで仕事だし、リンも俺についてくるとなったら、家は父さんとセリクの2人だけになっちゃうよね。  俺は食卓で食後のお茶を傾けながら、繋がるリビングを眺める。  そこではソファに父さんが座り、リンがローテーブルを挟むようにスツールに座っていた。 「ふむ、ディアリンド君には剣を振るための場所が必要なわけか……」  父さんは相変わらずカタカタと軽快な音を立ててノートパソコンのキーボードを叩いている。 「しかし庭ではいくら目隠しを高めにしたところで、ご近所の2階や3階から見えてしまうだろうね。地下か屋上か……。いっそ庭にガレージでも建てようか。妻は家庭菜園だとかには、まるで興味がないようだしいいだろう」  ……うん? 何やら自宅改造計画が立ち上がっている……? 「子ども達が小さい頃は小さなアスレチックやブランコを置いていたんだが、今では洗濯物を干す場としてしか利用されていないからね。ガレージは頑丈にコンクリで作って、端に階段でもつけて、洗濯物はガレージの上に干せるようにしようか。デメリットがあるとしたら、一階の日当たりが多少悪くなるくらいかな」  待って待って?  そういうのは母さんにも相談してね!?  俺が慌てて口を挟もうとした時、出かける用意を済ませたらしい母さんがキッチンの方から入ってくる。 「稔さん、楽しそうな話ねぇ? 報連相をすっ飛ばしたら、私今度こそ家を出るわよ?」  母さんの不穏な一言に、父さんが「ひぇっ」と小さく飛び跳ねた。 『今度こそ』ってところに、父さんの前科が窺えるなぁ……。  俺は出社する母さんを玄関まで見送ってから、もう一度リビングに戻ってくる。  リンも母さんを見送りたそうにしてたけど、父さんに離してもらえなくて、母さんに「ごめんなさいね、その人しつこいでしょ。度を越すようなら物理的に黙らせてやってねぇ」と微笑まれ、どういう反応をしたらいいのか分からないという顔をしていた。 「ひとまず剣だけは早めに登録しておいた方が、後々誰かに見咎められた時にも良いだろう。手続きも私が行う方が良いだろうな。なに、心配はいらんよ。書類も理由も私が用意してあげよう。私なら研究の為のレプリカだとかいくらでも言いようがある」  父さんは色々と面倒だけど、色々と頼りにもなるんだよなぁ……。  そんなことを思いながら食器を片付けていたら、リンに指示を求めるような視線を向けられたので「ここは父さんに甘えておこうか」と笑って答えておいた。  *** 「ただいまー」と玄関から聞こえたのはアオイ様の声だった。  私はすぐさまケイトのお父上に中座を申し出る。  渋々ながらも了承をいただいて、私は廊下へ出た。 「アオイ様、おかえりなさいませ」 「おう。つかディアはあれからずっと父さんに付き合ってたのか?」 「はい、セリクの被害を防ぐためにはこれが最良です」 「そうか、悪ぃな。助かった。つかディアもそろそろオレに敬語やめろって。それともお前はそっちの方が話しやすいのか?」  尋ねられて、私は少し考えてから頷く。 「はい、私はケイトとアオイ様を尊敬しております」 「ふぅん……。そんじゃいいや、オレにはそのままで」 「寛大なお心、ありがたく存じます」  私は心からの感謝を伝える。  正直、アオイ様にそう言っていただけたのは非常に助かった。  真に敬重している相手に敬語を使うなと言われるのは、私にとってはそれなりに難しいのだ。  ケイトは何故か、私が言葉遣いを改める事をとても喜んでくれるので、彼のためならば努力したいと思っているのだが……。  そこへケイトが2階から階段をおりてくる。 「おかえり蒼。セリクはずっと机に向かってたよ。本当にあの集中力はすごいねぇ、俺も見習いたいよ」 「ただいま兄ちゃん、助かったよ。つかセリクのあれは過集中だろ。度を超えてっから、兄ちゃんが真似する必要ねーよ」  アオイ様の視線が私をチラと掠める。  意図を理解して、私は口を開いた。 「お父上には今、聖女の式典について話をしていたところなんだが、もし良ければ聖女からの視点を……」 「それなら俺が話するから、リンは少しでも休んでおいてね」  ケイトは私を見上げて明るく微笑む。  彼が笑うと彼の周囲までもが明るく照らされるようだ。  昨夜の件で、少しは彼の心も晴れたのだろうか。  彼のまとう空気は昨日よりもずっと軽くなったような気がする。  私はと言えば、昨夜の彼を思い出すと喜びに心が支配され地に足がつかないほど浮ついてしまうのだが。  この感情は決して表に出さないよう、全力で気を引き締めている。  リビングへと消えたケイトの背を見送ると、アオイ様は「来いよ」と顎先を軽く振る仕草で私を部屋に呼んだ。  アオイ様の部屋では相変わらずセリクが脇目も振らずに机に向かっていた。  私はアオイ様に報告するにあたり、一度頭の中を整理する。  つまりはこうだ。  彼は迷い悩んでいた。  それは、フロウリアを見捨てようかどうか、ではない。  向こうに助けに行くことは、彼の中では既に決まっていた。  けれど、私を伴って行くことによって、私がまた彼より早く老いてしまうことを……、それにより私が悲しみを負う事を憂いていたのだ。  それでも彼は、私に迷いを見せたくなかった。  それは私が聖女としての彼を敬愛していると、彼自身が知っていたからだ。  私に止められる事を恐れていた部分もあるのだろうが、彼はそれで考えを改めるような人ではない。  結局、彼が一人で苦しみを抱え込んでいたのは、全て私を思っての事だったのだ。  それほどに、彼は私を深く愛してくれている。  さらには、私の幸せのためならば、それほどに愛している私を手離すことすら厭わないと言う。  その痛みは私にはとても耐え難いもので、その覚悟は私の覚悟をゆうに超えているとすら思う。  ……ああ、ケイトはなんて強く優しくいじらしく、その上愛情深くて美しい人なのだろう。  胸に湧き上がる喜びは、もう私の身体には収まらないほどに溢れていた。 「……もしかして、オレは今ディアから惚気を聞かされてんのか?」  アオイ様は、ケイトに良く似たその黒い瞳を眼鏡の向こうで半分にして私を面倒そうに見る。 「いいえ。私は今、アオイ様に依頼された件について調査報告をしています」 「ディアはそのつもりでも、こっちにとっちゃ延々惚気を聞かされ続けてるようなもんだかんな?」 「そうでしょうか……?」 「そーなんだよっ! まあいい。もうわかった。兄ちゃんの憂いはオレ達……っつーかセリクが何とかするから、ディアはさっさと魔力操作の精度上げて、剣の腕もなるべく鈍らせんなよ」  アオイ様の言葉はまるで、暗い闇に差す一筋の光のようだった。  自身が成すべき事を明確に指示され、目の前がハッキリと見える。  私は、背筋を伸ばし胸に手を当てて「はい!」と力強く応えた。

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