142 / 151

いくつかの予想外 (7巻 想像以上に魔法聖女)

 日曜の朝7時前。  俺達4人はまた蒼の部屋に集まっていた。  セリクは鏡の前にレポート用紙を何枚か並べて手順を確認している。  俺はそれを後ろから眺めつつ、たった2分の発動時間中に効率的に実験と解析ができるように、よく考えて準備してあるんだなぁと感心していた。  あともう少しで時間だな……。  時刻を確認したスマホをポケットに戻したその時、俺の隣でリンがバッと後ろを振り返った。 「チッ」と蒼が舌打ちして、セリクに言う。 「父さんはオレ達が何とかする。お前は何があっても予定通り実験と解析をしてろ」 「う、うん」 「ディア、扉を押さえとけ」 「はい」  普段は魔法でロックがかかっている蒼の部屋は、ゲートを触るセリクが飲み込まれた場合に備えて、今だけロックを外されていた。  リンが素早くドアを押さえた途端、ガチャガチャッとドアノブを回す音がした。 「あれ? あれ?? 今なら開いてると思ったのになぁ」  父さん……。それって確信犯だよ……。  セリクの集中を削ぐからそこで騒ぐのはやめてほしいなぁ。  かといってこの部屋は遮音魔法がかかってるから、こっちの言葉は父さんには聞こえないし……。  俺達が対応に悩む間も、父さんはずっと、どうしてもゲートが見たい、大人しくしているから見せてくれとドアの前で訴え続けている。  時刻はそろそろ7時になりそうだ。  セリクは既に魔術陣の構成に入り始めている。 「このままじゃセリクの邪魔だ。ディア、廊下で父さんを確保できるか?」 「はい」 「んじゃ兄ちゃんが扉押さえとく役な」 「わかった」  リンは俺と位置を入れ替わると、扉の開く側に陣取る。  俺はそーっと扉を開けた。  途端、父さんが大興奮で飛び込んでくる。  すかさずリンが父さんの腕と肩を掴む。  ってこんな大荷物!?  父さん本当に大人しくしてる気ある!?  父さんが探検服と帽子に山盛りの荷物を背負っているのを見て顔色を変えたのは蒼もだった。  突如、背後で大きな魔力が絡み合うように動く。  パキンっと薄い何かが割れたような音がした瞬間、強い悪寒が襲った。  反射的に振り返った俺の目に映ったのは、セリクが蒼ごと吹き飛ぶ瞬間だった。  リンが大きく跳んで2人を空中で両腕に抱え込む。  しかし2人が鏡に弾かれた勢いは相当で、リンの背は酷い音を立てて部屋の壁に叩きつけられた。 「リン!」  咳き込んで顔を顰めたままのリンが、両腕から2人を離しながら俺に答える。 「っ、大丈夫だ……っ」 「セリク、無事か!?」 「ごめんっ、最後ちょっと反動消去にミスった。でも書き換えは完了したはず……」  セリクが見つめる先のゲートは、確かに淡い紫色の光を放っていた。 「おおお、これがゲート発動時の輝きか!」  うわ、やっぱ父さんにも見えるんだ!?  俺は慌てて両手を広げて父さんの前に立ち塞がる。 「セリク立てるか、すぐ解析に移るぞ」  蒼の声にふらつきながら立ち上がりかけたセリクを、それよりも早く体勢を整えたリンがヒョイと抱えてゲートまで連れて行く。  蒼もそれにピッタリ付き添う。  蒼はあらかじめロープでセリクと胴を繋いでいたが、その上でセリクの肩を離さず掴んでいた。  セリクの両手が使えるように、でもゲートに飲まれた時に2人が共にいられるようにという蒼の、セリクを絶対に離すもんかという強い意思を感じる。  セリクを下ろしたリンが、今度は父さんを押さえるためにこちらに向かう。  眉を顰めたままのリンの口端から僅かに溢れたものは、赤く泡立っていた。  口の中を切った程度ではない、そんな予感がする。  俺の脳裏に俺を庇って潰された時のロイスの姿が蘇る。  甲冑も無しに壁にぶち当たったんだ。  リンの胸の骨は折れているかもしれない。  治癒をしなきゃと思ったその時、前にいたはずの父さんが消えた。  しまった! リンに意識が行った隙に! 「おお、これがゲート……」  だからなんで鏡の前に行っちゃうんだよ!? 「ちょっ、父さん! 危ないから近寄らないで!!」 「大丈夫だ、触りはしないとも」  そう言って大きく頷いた父さんの帽子のつばが今にも鏡に触れそうで、俺は必死に父さんへ手を伸ばした。 「下がって!」  なんとか父さんのリュックを掴む。 「ケイト!」  俺の名を叫ぶリンに、もう片方の手を伸ばす。  リンの指にもう少しで届く――、瞬間、鏡の方から強烈な重力めいたものに引っ張られる。  目に映る景色が急速に流れる。 「ディア! これを!」  蒼の声が遠ざかる。 「ケイト!!」  叫んだリンの声はずいぶん遠くに聞こえた。  見えたのは、四角く切り抜かれた蒼の部屋から、リンが悲痛な表情でこちらへ手を伸ばしている姿だった。  そうか、俺は父さんと一緒にゲートに入ってしまったのか。  そう気づいた時には全身が熱い空気に包まれて、俺の足は石の床に着地していた。  目の前では俺にリュックの端を掴まれたままの父さん……だったであろう聖女が、大量の荷物に潰されるように着地に失敗して座り込んだ。  周囲を囲む護衛騎士達を見る限りでは、前の聖女を返した後で、新しい聖女を待っていたところか。  ここに俺達が居ると新しい聖女の到着の邪魔になるな。  早めに避けないと……。  リュックをぐいと引っ張って父さんを立たせようとしたところで、俺は護衛騎士に腕を掴まれた。 「聖女様から手を離してください」  え。  ……あ。  新しい聖女がまだ来てないってことはつまり……、今ここに来た父さんこそが今期の聖女になるのか!?  いやでも10代じゃないし!?  護衛騎士を見回すも、見知った顔は1人もいない。  司祭様も代替わりしたのか、30代後半ほどの若い男性が、見慣れたデザインの司祭服を纏って立っていた。  どこから説明をしようかと思う間に、俺の腕を掴む力が強まる。 「――痛っ!」  父の荷物から手を離すと、護衛騎士は表情を変えないまま俺を父から引き離すように押し除けた。 「元聖女様に手荒なことはいけませんよ」  場違いな程に落ち着いた声は、若い司祭のもののようだ。  しかしそこに俺を案じる気持ちはまるでなく、俺はなんとなく不信感を感じる。  ん?  司祭の後ろから心配そうな視線が……。  司祭の男の斜め後ろに控える40代ほどの片眼鏡の男性と、そのさらに後ろにいる20代前半くらいの侍女服を着た女性が、俺を気遣うような眼差しで見つめているのに気づく。  ここにいる侍女さんって事は、彼女は今年の聖女様の担当侍女さんなのかな。  明るめの茶髪を後ろで三つ編みにした彼女は俺に声をかけたそうにしていたけれど、流石に今は難しいよね。  司祭の侍従っぽい人も侍女さんも、心配してくれてありがとう。大丈夫だよ。  感謝の気持ちを込めて小さく微笑むと、彼と彼女は小さく肩を揺らして息を詰めた。 「あー、いやいや、私はただの学者なのだよ。こちらの世界を見てみたくてね。息子に無理を言って連れてきてもらったんだ。それは私の息子だから、邪険にしないでもらえるかい?」  鮮やかな赤髪を揺らして、聖女の姿をした父が説明する。  父の発言に、ざわりと動揺が広がる。  ……そうだよね。  今まで聖女は常に10代だったんだから、こんなにデカい子持ちの聖女とか前代未聞だよ……。  しかし、父はあれよあれよという間に司祭と護衛騎士達に囲まれ、教会へと連れていかれてしまった。  教会としては聖女に逃げられるわけにいかないから、ここからすぐ離れたいんだよな。  理由もわかるし、彼らが父に危害を加えることもないだろうから、ここは大人しく見送ろう。  侍従さんと侍女さんは去り際に俺へ申し訳なさそうに頭を下げてくれたので、俺は黙ったまま微笑みだけで応えた。  開かれたままのゲートが光り続ける神殿の広場に、ポツンと取り残された俺の足の裏を、夏の日差しに熱された石の床が温めてゆく。  ……あー……。靴持ってきてないな……。  コンパクトも持ってきてないし、俺が持ってるのはセリクの魔力が入ったブレスレットとスマホだけか。  俺はポケットに入れていたブレスレットを腕に通して、スマホで時刻を確認する。  7:01という表示をじっと見つめる。  もうフロウリアでの昼は過ぎたってことか。  ひとまずここだと暑すぎるから、せめて木陰に移動しようか。  容赦なく照り付ける夏の日差しが、ジリジリと首の後ろを炙る。  俺は苛立ちと焦燥を呑み込みながら、開けた広場の隅っこにほんの少しの日陰を見つけて、そこへ膝を抱えて座り込んだ。  その間も、リンの口端から零れた赤色が、繰り返し胸に蘇る。  痛かっただろうな……。  すぐにでも、治してあげたいのに……。  俺はセリクに教わった麻酔付きの治癒魔術陣を頭の中で詳細に思い描く。  まだ一度も実際には使っていないけど、もしもの時に備えて何度も何度も頭の中で練習した。  だからきっと、リンの怪我も、痛い思いをさせずに治せるはずなんだ。  リン……。  俺は紫色の光を放つ大きなゲートを、もう一度見上げた。  向こうでこのゲートが閉じるのは7:02だけど、フロウリアでは夜中だ。  おそらくリンなら、俺を追ってゲートに入ろうとするだろう。  だけど怪我もあったし、もしかしたら蒼が引き止めたかもしれない。  その答えは、リンがここに現れるか、このゲートが閉じるまで分からない。  あの時、俺へ手を伸ばしたリンは今にも泣きそうな顔をしていた。  俺の手を掴みきれなかった事が悔しくて、信じられなくて、俺を行かせたくないって必死で俺の名を叫んでいた。  ああ……。またリンを傷つけてしまったな……。  じわりと滲みそうになる視界を誤魔化すように、俺は膝を抱えた腕に顔を押し付けた。  少しでも早くリンに会いたい。  会って、俺がすぐにでも、痛むその傷を癒したい。  ……体の傷も、心の傷も。  そこへ、教会側から小さな足音が聞こえてくる。  教会の侍女服を着た女性は、階段を駆け上がってきたのか肩で息をつきながらもキョロキョロと辺りを見回して……。  俺を見つけて、破顔した。

ともだちにシェアしよう!