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進歩のない俺

 翌日、俺の提案に父さんは拍子抜けするほどすんなり乗ってきた。 「いやぁ巡礼にももちろん興味はあるんだが、まずは定点観測がしたくてねぇ」  父さんはそう言って楽しそうに笑う。  久々に入った聖女専用の部屋は、今ではすっかり研究室の様相を呈していた。  こんなに勝手に色々持ち込んで大丈夫なのかなぁ……。  いや、大丈夫じゃないから、俺が司祭に呼び出されたのか……。  あれから司祭の手回しがあったらしく、俺は翌朝には聖女専用空間への出入りを認められていた。  なるほど、そういう方向の気配りはできる人なんだなぁ……。 「じゃあ今年の巡礼には俺が行くから、父さんは教会で待っていてね」 「よしわかった。それじゃあ、ここから一番近くて魔物を観測できるところはどこだろうか」  父さんの言葉に、俺の疲れがドッと増す。 「それじゃあじゃないし魔物が出てる時点でアウトだよ、近づいちゃダメな場所だよ」 「その点私は浄化も加護も障壁もマスターしているから、問題ない」  胸を張る父はそういうところばかり優秀で困る。 「でも浄化だけでは魔物は倒せないよ? 聖騎士さんは教会を守るのが仕事だから、魔物は斬った事がない人が多いんだよ。瘴気のある場所に行くなら、魔物と戦い慣れてる護衛騎士さんと一緒じゃないと危ないんだ」  俺の言葉に、マリーと部屋に詰めている護衛騎士達が大きく頷く。  部屋の外に立つ聖騎士達まで頷いている気配がした。 「そうなのか? 瘴気が濃い年には、ここから近い東の森に出ることもあると聞いたが……?」 「あそこに出るようになったら街の人達が危ないよ。討伐の前に森を封鎖しないといけなくなる。森に入れるって事は魔物は出ないって事だからね?」 「ほう……圭斗は詳しいなぁ」 「うんまあ……45年前に東の森に魔物が出た時浄化に行ったのは俺だし、森を封鎖してもらったのも俺だからね……」  咲希ちゃんの年は4801年~4802年で、今思えばあの頃はずっと0の影響が続いていたんだなぁ。  俺の年の4800年にシルヴィンの負傷引退だけで済んだのは奇跡だったのかもしれない。  不意にガシャンと音がして、俺達は一斉にそちらを見た。  部屋に立っていたはずの護衛騎士が1人、膝をついている。 「どうしたの? 立ちくらみ!?」  具合が悪いのだろうかと、俺は慌てて駆け寄る。  差し伸べた俺の手は、なぜか護衛騎士の分厚い手に下から掬い上げられた。  リンがすぐさま護衛騎士を引き剥がそうとするので、俺は首を振って制する。  だってなんかこの人プルプルしてるんだけど、えっと……もしかして、泣いてる……? 「大丈夫……?」  掴まれていない方の手でそっと鎧に包まれた肩を撫でると、護衛騎士はようやく顔を上げた。  その顔はやはり涙で濡れている。  何か拭くものを……と振り返った時にはマリーが手拭いを俺に差し出していた。  あー、この気が利く感じ懐かしいなぁ。  流石聖女の専属侍女に選ばれる子は違うなぁ、と思ってしまってから、俺はそっと胸中でアンナに謝る。  別にアンナがダメって事じゃないんだよ!?  アンナにはアンナの良さがあるってだけで……。 「ありがとう」とマリーから手拭いを受け取って護衛騎士に差し出すと、彼は涙を拭いながら話してくれた。  彼……ドルーグと名乗った護衛騎士は、あの時、東の森で魔物に襲われ怪我をしていた男性の子だそうだ。  ああ、俺がこの地で初めてこの体で治癒をかけて倒れた時の彼か……。  確かそのあと荷車に付き添って、暑い中俺を教会まで送ってくれたんだったよな。  37歳だというドルーグは、父の話を聞いて甚く感動し、聖女を助ける騎士になろうとここまで頑張ってきたそうだ。 「ケイ様というお名前と、お人柄しか分からなかったので、まさかお会いできるとは……夢にも思っておらず……っ」  言葉を詰まらせる彼に、俺は罪悪感を覚えつつ謝罪する。 「ごめんね、本名は圭斗なんだけど、こちらではケイトって女性名に聞こえるから最初の頃は一字取ってケイって名乗ってたんだ」  まあ、実際はその理由よりもリンを誤魔化すためってのが大きかったわけだけど。  ドルーグによると、東の森の魔物の件をきっかけに護衛騎士になったのは彼だけではないらしい。  あの時、東の森の魔物討伐に付き合ってくれた聖騎士。そのお孫さんも今、護衛騎士になっているという。  当時魔物を全然倒せず不甲斐なかったと悔やむ祖父の分も、自分が護衛騎士になって魔物をたくさん倒すんだというおじいちゃんっ子で、ちょっと血の気が多めな青年とのことだ。  その彼は今日は非番らしいので、明日来たら早速伝えたいと言ってドルーグは涙に濡れる頬で笑った。  うーん……。あの時の俺の行動が、こんな風にいろんな人の人生に影響を与えてしまってるのか……。  何だか不思議だし、ちょっと怖い気もするけど……。  こんな風に『会えて嬉しい』って言ってもらえるのはやっぱり嬉しい。  それに、俺が助けた人がその後の人生をしっかり生きてくれたんだなぁと感じるのも嬉しい。 「あの時頑張って良かったよ」  思わずそう言って笑うと、護衛騎士さんは俺を眩しそうに見上げた。  というかいつまでも俺に膝をついてなくていいからね?  腰痛くなっちゃうから、立ってね……?  あと、ずっと握ってる俺の手は、そろそろ返してもらってもいいかな……?  そろりと手を引っ込めようとした俺の手を、ドルーグはキュッと握った。 「失礼ですが、ケイト様は今年の巡礼に行かれるのですか?」 「うん、今のところそのつもりだよ」 「でしたら、ぜひ護衛には私ドルーグをご指名ください」  ドルーグは、ようやく涙の止まった茶色い力強い瞳で俺をじっと見つめる。 「私が命をかけてケイト様をお守りします」  えーと……、気持ちは嬉しいけど、俺は父さんの代役なわけだし父さんには既に護衛が決まってるから……。  と考える間に、ドルーグは俺の手を恭しく掲げて唇を近づける。  あ、待ってそれはちょっとリンの見てる前では遠慮したいなって思うんだけど――。  振り払うのも申し訳なくて焦る俺の手を、横からスイっと持ち上げたのはリンではなかった。 「シヴァル……」  背の高い彼の肩口で緩く結ばれた銀糸のような髪が、俺の目の前でさらりと揺れる。  シルヴィン譲りの美しい銀髪に、俺は思わずホッとしてしまった。 「残念だが、巡礼中のケイト様の護衛は私の仕事だ」  静かな口調も落ち着いた声も、シルヴィンによく似ている。  シヴァルは俺の手を、壊れ物でも扱うかのようにそうっと俺に返してくれる。  俺は思わず「ありがとう」と言ってしまいそうになって、それではドルーグに失礼だなと、言葉を飲み込んだ。  静かに父の後ろに戻ってゆくシヴァルに、俺はお礼の気持ちを込めて小さく微笑む。  シヴァルは黙ったまま、小さく頭を下げて応えてくれた。  父の専属護衛を担当しているシヴァルは、シルヴィンとエミーの次男だ。  兄である聖騎士のエヴァンと違って護衛騎士のシヴァルは父の専属護衛の仕事もあって任務外では中々会えない。  けれど、たまたま顔を合わせた時にはいつも頭を下げて挨拶をしてくれていた。  俺はさっきのシヴァルの言葉を頭の中で繰り返す。  巡礼中の俺の護衛はシヴァルの仕事って言ってたよね……?  つまり、今年俺が父の代役として巡礼に行くことになったら、父付きのメンバーは俺についてきてくれる事になる……ってことかな。  ドルーグは立ち上がると、たくましく微笑んで告げる。 「では、もし再選考がありましたら、是非とも私をご指名ください」  俺は苦笑を浮かべて答える。 「俺にはもう専属の護衛がいるから、気持ちだけもらっておくね。ありがとう」  チラとリンの様子を見ると、リンは少しだけ困ったような顔で俺を見た。  そこでようやく気づく。  俺が聖女として巡礼に参加してしまったら、俺の周りは護衛騎士に囲まれることになるんだ。  だからリンは、俺の一番側にはいられない。  ああ、どうして俺はいつも気づくのが遅いんだろう。  リンはきっと、すぐにわかっていたはずなのに……。  ……俺はまた、リンに辛い思いをさせてしまうのかな……。  思わず俯きかけた俺の背を、リンの手が優しくポンと撫でた。

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