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ブラウの選択
ブラウは渓谷に流れる川岸に倒れていた。
丸みのある石で埋め尽くされた地面には、血まみれの身体を引きずって、俺達の方へ少しでも近づこうとした形跡がある。
俺が、呼んだからか……ッ!
痛烈な後悔に襲われながら、俺は叫ぶ。
「ブラウ動かないで! 俺達が行くから!」
けれど俺の声にも、うつ伏せたままのブラウは身じろぎどころか指のひとつも動かさない。
その様子に『最悪の可能性』が浮かび上がる。
俺が呼ぶまでは辛うじて残されていたブラウの命を、俺の不用意な一言が摘み取ったのではないか……。
「っ……」
俺はリンの腕の中で回復魔法の構成準備をする。
リンは俺をブラウへ魔法をかけるのに丁度良い位置に降ろしてくれる。
回復魔法を1度かけてから、俺は治癒の魔術陣を展開した。
治癒の魔術陣が動き出す。
ああ……、よかった……。
まだ生きていてくれた……。
けれど、ずらりと並んだ損傷箇所のリストに、今度は胸が暗く染まる。
……なんだこれ、滅多刺しじゃないか……。
どうしてブラウがこんな目に遭わなきゃいけないんだ!?
怒りで胃がひっくり返りそうになる。
くそっ、ダメだ!
頭に血がのぼってちゃ、治せるものも治せなくなってしまう!
俺は震える息を意識的にゆっくりと吐き出して、落ち着けと自分に強く言い聞かせる。
怒るのは後からだ。
俺は今、世界一冷静沈着な治癒術師だ、と架空の役に無理矢理入る。
そうでもしないと、とても平静を保てそうになかった。
ブラウに余計なことを言ってこんな惨い目に遭わせた俺と、治癒を行う俺を切り離さなければ、俺は自分を殴り飛ばしたくて仕方がなかったから。
今まで、ブラウがこんな風に俺の指示なく動く事は一度もなかった。
なのにどうして今回、ブラウは俺に何の相談もなく動いたのか。
それは間違いなく、俺のせいだ。
今朝、俺がブラウに……。
ブラウの判断で動けるようになってほしいなんて、言ったから……。
涙が滲んでしまう前に、怒りと後悔がとめどなく溢れる胸に蓋をして、俺は世界一冷静沈着な治癒術師としてブラウの傷を癒す。
リンは何も言わずに、ずっと俺のそばにいてくれた。
3つ4つと治すうち、無数の刺し傷の角度と深さから『この傷は悪戯にブラウを苦しめるために付けられた物ではない』ことに気づく。
これでも、敵はちゃんと急所を狙っていたんだ。
ブラウを一刀で殺すために。
けれどブラウがそれを避けたせいで、刺さった場所がズレ続け、ブラウが失血で動けなくなるまで、こんなにも身体中を裂かれてしまったのか。
……この多すぎる傷は、ブラウが生き残ろうと足掻いた痕だ……。
「ぐ……、ゴボッ、ゲブッ……!」
穴だらけだった肺が塞がると、ブラウが派手に咳き込んで血痰を出した。
一旦治療の手を止めると、その隙にリンがブラウの姿勢を整える。
虚ろに開かれたままだったブラウの瞳がひとつ瞬いて、そこにようやく意思の光が宿った。
「ぁ……、ケイ、ト、さ……」
紺色の瞳に見上げられて、思わず指先が震える。
ああ……、ブラウが生きていてくれて……、本当に良かった……。
「動くな。ケイト様が治癒をなさっている」
リンの言葉に従って口を噤むブラウ。
しばらく治癒を続けていると、ブラウはポロリと涙を零した。
ブラウは言いつけ通りにじっとしたまま、息を乱すことも肩を揺らすこともなく、ただ静かにホロホロと涙を流している。
俺は内臓の損傷を全て治すと、全身の怪我の治癒に入る前に、リンに視線を送った。
リンは俺に頷くと、ブラウに言う。
「命の危機は脱した、発言を許可する。ただしケイト様の治癒の邪魔とならぬよう、なるべく動かずにいろ」
リンの言葉の後に、ズビ、とブラウが鼻をすする音がして、そんなことまで我慢していたのかと感心する。
ブラウは潜伏任務ができるからか、気配も生活音もさせずに過ごせるのか、すごいな……。
「……」
「……」
何も話し出す様子のないブラウと、ブラウの言葉を待つリンが互いに沈黙を続ける。
俺は内心で苦笑しながらも、黙々と治癒を続ける。
先に折れたのはリンだった。
「私の指示が悪かった、訂正しよう。ケイト様はお前に涙の理由を求めておいでだ、お前の可能な……無理のない範囲で口にできることをお伝えしろ」
リンの言葉はブラウには意外だったようで、紺色の瞳が真意を求めるように俺を見上げる。
俺が口元で微笑んで応えると、ブラウは「わかりました。まずは経過をご報告します」と口を開いた。
*** <ブラウ視点>
そこに何者かが潜んでいると気づいたのは、馬車がかなり近づいてからだった。
相手はオイラと同じくらい気配を消すのが上手い。
同族だろうか。
それに気づいた途端、嫌だなと思った。
これまで敵に同族がいようと同郷がいようと、自分には関係なかったのに。
なのに今はなぜか、元仲間がケイト様を脅かすのはとても嫌だと感じた。
微かに会話をしている気配はあるものの、声は囁くほどに潜められ、馬車の上からでは聞き取れない。
少なくとも、ケイト様の馬車がこれだけ迫っても動き出さないところを見る限り、狙いは聖女様の馬車ではないようだ。
ケイト様のご判断を仰ごうと思ったその時『分離成功だ。合図を出せ、一網打尽にしろ!』との鋭い指示の声が聞こえた。
分離?
何が……と振り返った時、後続の馬車が、夜番が寝ているはずの荷馬車の音だけが無いことに気づいた。
いつの間に切り離された!?
荷馬車自体は見えているが、あれはおそらく幻だろう。
ゆっくりと後ろだけに遮音をかけたのか、それとも薬の類か。
自分がついていてそれに気づかなかったなんて、と歯噛みする。
同時に、自分でも驚くくらいにすんなりと足が離れていた。
ケイト様の馬車から、近くの木々へと飛び移る。
ああ、せめてケイト様に一言だけでも伝えればよかった。
心でそう思いながらも、身体は自然と『疾走』をかけて駆け出している。
遠ざかる馬車の音が、ケイト様との距離をオイラに伝える。
それだけで胸にぽっかりと穴が空くのを感じて、自分がどれほど普段からケイト様を頼っているのかを思い知った。
フッと口端が勝手に上がる。
仕える主人から離れて、ホッとするのではなく寂しく思うなんて。
こんなこと、ケイト様に会うまでの自分に言っても、きっと信じないだろうな。
オイラは元来た道を辿って、荷馬車が道を違えた先を探す。
こっちは……渓谷にかかる一本きりの橋だ。
まさか……橋ごと荷馬車を落とすつもりか……!?
荷馬車の御者は……、っ、敵にすり替わってるのか!
御者がいるはずの場所からは、オイラの知らない人間の呼吸音が聞こえる。
咄嗟に犬笛を取り出して吹く。
どうか効いてくれ!
突然の音に馬は動揺を見せるが、止まるには至らない。
だが、犬笛が聞こえた奴がいたのか、荷馬車の後ろから男が顔を出した。
ああ、シオンさんか。
人攫いのリーダーを務めていたくせに、ケイト様に拾われて生かされている男だ。
立場的にはオイラとよく似たその男は、周囲を見渡してオイラに気づいた。
『荷馬車を止めろ』と手振りで伝えれば、男はすぐ頷いて奥へと戻る。
こちらからは見えない荷馬車の前側で殴打音がして、次の瞬間、見知らぬ男が地面に転がり落ちて後方へと姿を消した。
荷馬車が止まる予感に『疾走』を解く。
減速する荷馬車の向かう先、橋の手前には幾つもの気配が潜んでいた。
これは……!
「魔物だ! 魔法技師もいる!」
走り続けた後の無茶な大声に、喉が窄まり咳き込む。
ようやく止まった荷馬車からは、見慣れた騎士達が次々に降りてきた。
荷馬車からは異変に気づいた人から順に甲冑を装着し始める音がしていた。
そのおかげで、止まると同時に装備を整えた騎士が姿を現せたんだろう。
「俺達だけ本隊と切り離されたのか」
「マジか、つかここどこだよ」
「おい、ソーン起こせ」
「無理だろ。隅に隠しとけ」
「おう、ブラウ、よく知らせてくれたな」
まだ咽せるオイラの背を、駆け寄ってきた8班の班長さんがポンポンと撫でてくれる。
「橋のっ、手前で、待ち伏せ……。数が多い、です、魔物が10体……、人も、20人はいます」
オイラは今わかる限りの情報を8班の班長さんに伝える。
「こっちの倍か、しかも魔法技師もいるんだよな?」
「魔物は、おそらく技師のです」
「聞いたかお前ら! 気ぃ引き締めろよ! いつもの魔物とは動きが違うぞ!」
そこへ、9班の班長とシオンさんがイチャイチャしながら降りてくる。
「シオンさんは残っていてください」
「いや、俺も戦う。戦わせてくれ」
「シオンさんの事は俺が守りますから!」
「俺にはお前に守られる資格なんてない」
本人達は真剣に揉めてるつもりのようだけど、周りはあの2人を生温かい感じで見守っているようだ。
それでも、敵の気配が近づくと、護衛騎士達は1人残らずピリッとした緊張感を纏って剣を構えた。
荷馬車を守るようにして、周囲にぐるりと騎士達が並ぶ。
オイラは戦闘はからっきしだから、なるべく邪魔にならないよう荷馬車の後ろに寄った。
魔法技師の指令通りに飛びかかってくる魔物は、普段戦っている瘴気を纏った魔物とは動きがまるで違うようで、騎士達も苦戦している。
なんせ向こうには魔法技師までいるってのに、こっちは向こうの半分の人数しかいない。
……いや、待て、敵の気配の数が足りない。どこかに……っ!!
「こっちか!」
オイラが荷馬車の前に回り込んだのと、馬に鞭が入ったのは同時だった。
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