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第3話
「後ろの人、答案用紙を前に持ってきてください」
教師がそう合図すると、最後列に座っている生徒たちは立ち上がって、テストを回収し始めた。
そう、あの男女も。
神崎は二人を見た。
仲睦まじそうに目配せしている。
先ほどのーー男女の接吻を見た時の記憶が、神崎の脳裏に戻ってきた。
ーーいいなあ。
山田はそう言っていた。
あの時、神崎は気付いていたのだ。
そう呟いた時の山田の表情が、かすかに哀愁を帯びていたことを。
神崎は考える。
山田の事は別に好きじゃない。
ホモは嫌いだし、気持ちの悪いやつだ。
でも、だからって嫌っているわけじゃないし、虐めたいと思った事はない。
だって、授業で習った。
差別はいけないって。
そういうの差別するのって、知識ない昔の人じゃん。
そんな浅い教養が、確かに、正義感のある善良な膜を張っていた。
きっと山田もつらいのだ。
ゲイに対する理解も共感も出来ないが、その気持ちを異性に当てはめた時、どこかわかるような気がした。
「おい」
そう言った神崎の身体は、答える隙も与えず、山田の机に向く。
山田は目を見開いた。
そして神崎は、彼の手に持ったそれを奪い取ると、
『 唇 』
と殴り書いた。
やたらインクの滲む赤いペンだった。
山田は喫驚して男を見る。
しかし、男を捕らえることは出来なかった。
すでに神崎は、自分の答案用紙を持って、前へ歩き出していたからだ。
山田は、呆然とその背中を見つめる。
すると、前の席の人に声をかけられた山田は、我にかえり、慌てて席を立った。
そして、自分の列の分の回収をはじめる。
まるで彼を追いかけるように。
心臓が弾む。
神崎の顔が見たい。
どんな顔をしているのだろう。
どんな顔をして、これを書いたのだろう。
ああ、こんなもの提出したくない。
0点でいい。
0点でいいから、
ーー今すぐ持ち帰って抱きしめたい。
男は逃げるように、さっさと教卓へそれらを運ぶ。
素早い彼に追いつくことも出来ず、山田は一足遅れてたどり着いた。
そう、二人は教卓の前で落ち合ったのだ。
すると、バサバサと山田の手からテストが滑り落ちた。
「あ…」
慌てて拾おうと、山田はその場に腰をかがめた。
神崎は、山田の事態に気付いてはいたが、立ち尽くしたままだ。
そして、何か吹っ切れたのか、それとも我にかえったのか、ゆっくりとしゃがむ。
「ほら」
拾ったテストの一部を山田に渡す。
勿論、神崎は目を合わさず、気まずそうに、そっぽを向いたままだ。
しかし、その頰はわずかに赤らんでいるようにも見える。
「二度としない」
神崎は小声でそう言った。
声はびくびく震えているように聞こえた。
教師もほかの生徒たちも、二人を気にかける様子はない。
この教室で、誰も気付く者はいないのだ。
受け取った山田は、
「ありがとう」
と言って、いつものように微笑んだ。
ーーそう。
「何だよお前、余裕ぶっこいて。
ーーこの女子が」
「あはは。やっぱそうかも」
身体じゅうに鳴り響くやかましい鼓動を、そして、張りつめた幸せで困難になる呼吸を、
ーーこの愛しい思い人に気付かれないように。
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