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プロローグ

深淵の森には隠された姫がいる。 先王の寵妃であった、ユイファ様の姫。 その美貌は女神の嫉妬を買うとまで言われたユイファ様に似て、美しすぎるがゆえに先王によって隠された。 …という噂がまことしやかに囁かれている。 俺は、その噂にいつも心をときめかせていた。 幼い頃から物語が大好きで、魔法にかけられたお姫様や、魔物に囚われたお姫様を助けに行く勇者、自分の家に戻ろうと奮闘する王子や姫たちの話をワクワクしながら何度も読んだ。 この世界には魔法も魔物もいない。 でも、平民の俺は見たこともない、美しいお姫様や王子様は確かにいる。 お姫様や王子様には出会えないかもしれない。 けれど、俺にだって心ときめく物語があるんじゃないか……。 運命の出会いはどこかにあるはず。 小さな頃の憧れを胸に抱いたまま俺は大人になった。 大人になれば現実を知る。 多くの人にとって運命の出会いは見落としそうなほどささやかで、物語のようにドラマティックなものなんかそうそうない。 そして俺は奥手で鈍感でささやかな出会いを運命に変える根性がない。 けれど商才はあったらしく、若くして商売で一発当てて、その事業を売っぱらってまた事業を起こし、三十代を前にしてそこそこの財を蓄えた。 今ではイチハという自分の名前を入れ込んた「チハ商会」という会社を基軸にいくつかの事業を展開している。 世間から見れば成功者だろう。 でも実際の自分は、フワフワとした甘い考えを皆の助けを借りてどうにか形にするだけの底の浅い人間だ。 事業が上手くいったとしても、すぐに人にゆだね、また何か新しいことを始める。 それは自分が本当にやりたいことではないからだ。 自分が本当にしたいことはなんなのか。 そう考えたとき、今まで本当に手に入れたかったものから目を背けているのが辛くなった。 俺の心に浮かんだのは『深淵の森の姫』の噂だ。 『深淵の森の姫』の噂は民衆によって面白おかしく脚色された物語にすぎず、ほとんどの民はそれを本当のことだとは思っていない。 貴族ならともかく、庶民は王族といえば、両陛下と第一・二王子くらいまでしか目にすることはなく、他の王子や姫などは全くおぼつかない。 先王の側室であったユイファ様のお顔など知る由もないというのが実際のところなのだ。 王族も貴族にまぎれ市街に出歩いているという噂を聞くが、そもそも顔を知らないので本当かどうか確かめようがない。 姫の噂にはバリエーションがあって『兄妹であるにもかかわらず現王の愛を受け、その愛を一途に守るために身を隠した』などというゴシップ的なものから『魔法によって閉じ込められている』だの『昼間は動物になる呪いをかけられている』だのという、おとぎ話のようなものまでさまざまだ。 ほとんどの人が眉ツバだと思っている『深淵の森の姫』の噂。 俺が初めて『深淵の森の姫』の噂を聞いたのは十年近く前。 すでに大人と認められる年齢だった。 なのに俺は恋をしてしまった。見たこともなく、本当にいるのかもわからない姫に。 しかも噂の中でもかなり変わり種の姫に…。 はっきり言って正気の沙汰じゃない。 無茶苦茶だってわかっている。 でも…。 自分が本当にしたいことはなんなのか。 そう考えて心に浮かんだのはこれしかなかった。 『姫に会いたい』

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