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こうと決めたら猪突猛進。 実際に目の前に深淵の森の姫その人が現れたなら、一歩も動けないかもしれないが、計画を立てるのだけは大得意だ。 深淵の森は深い。 手当り次第に探したところで、迷ってのたれ死にするのがオチだ。 手始めに俺は、登山家、冒険家を募り、登山隊を結成した。 周りには冒険家を支援する、粋な資産家という風に見えただろう。 深淵の森の周辺の山々に登り、森の見える辺りでキャンプを張り、冒険家には勝手に山に行ってもらう。 そして俺はキャンプで数日を過ごし、森を観察。 そうやって、山に登ること五回。 深淵の森の姫の館と目される建物の位置とルートを割り出した。 この頃の俺は、周りからは生き生きとして見えていたようだが、中身は何かに取り憑かれたようだった。 冒険家を支援した事で、新たな人脈もでき、事業も順調。 自分が不在でも仕事が回る組織作りもできた。 そして俺は出発した。 深淵の森へ。 冒険家といった風体で、キャンプ用具を担ぎ、森を進む。 背だけは無駄に高いが、あまり運動が得意な方ではない。けれど、登山で鍛えられ基礎体力はついていた。 そもそも装備があるからこそ冒険家めかして見えるが、それがなければ一目でわかるひ弱…いや、文系男子だ。 深淵の森の姫の館と目される建物へは、ルートさえ把握していればそんなに苦労するような道のりではなかった。 近くの町から細い道を辿り、迷いながらも徒歩で半日程度で屋敷のそばまで来る事ができた。 道を知ったものが馬を使ったなら、麓の町から本当にすぐ到着できるだろう。 この屋敷が今まで公になっていなかったのは、道がうまく隠されていたから。 つまり、ここにはやはり、隠さなければいけない何かがきっとある。 いきなり訪ねても、門前払いは間違いない。 俺はこの屋敷が見える場所にキャンプを張った。 屋敷は前王の姫が住むのには少し簡素な感じがしたが、こんな森深くに建つには充分立派な造りだ。 しかも、見落としそうなくらいものすごく小さくだけど、扉の横に王家の紋章も掲げられてる。間違いようがない。 この中に…姫が。 胸の高鳴りでめまいがする。 部屋は六か七か。 この日確認できた住人は、小さな老人と小間使いの女性。 入り口が見える位置にキャンプを張っていたが、反対側に庭があった。 勝手口も庭側にあり、住人の出入りはこちらでしているようだった。 次の日、庭側の高台にキャンプを移した。 森の中を大きく迂回しなければならなかったため、移動と設営だけで1日が潰れた。 そして翌朝早く、森にこだまする快活な声で目が覚めた。 屋敷を見ると、男が一人庭で棒術の訓練をしていた。 ブンブンと、微かに棒を振る音も聞こえる。 護衛か。 二十代後半から三十代半ばに見える。 髪は短く、服の上からでもわかる引き締まった筋肉に、キレのある動き。 貴族の手習いのように、型通りに止めるのではなく、打ちのめす事を想定して、力強く振り切っている。それから剣術をはじめ、弓、鎌と、実戦を想定した稽古は続く。 俺は美しい動きに見惚れて時を忘れていた。 護衛らしき男が館に入り、窓の中の微かな気配で浴場の位置を割り出す。 朝食前に湯を浴びて汗を流すんだろう。 それからしばらくして、老人や小間使いが日常の仕事をこなしている様子が見えた。 護衛の男は馬の世話をしている。 また、馬の世話をする男の様子をジッと見つめる。 男が館に引っ込んだ。 日がすっかり高くなり、もう昼食どきだ。 俺はその日の午前中、朝食も食べずに、ただあの男を眺めていただけだった。 それからしばらくしてからも、姫の姿は認められなかった。 とはいえ、そう焦らなくていい。 俺はここに十日は居座る気だった。 無茶苦茶なことをしているという自覚はある。だからこそ、一世一代の無茶をしつくすつもりだ。 山からこの近辺を観察していた時に、川の位置も確認していた。 そこにいくまでの道を見つけておいたほうがいい。 ついでに館の周囲の様子も確認しておく。 うっかり屋敷の畑に入り込んだり、罠にかかったりしてはまずい。 不審者として悪印象だけは与えたくない。まあ、周囲をうろついているだけで充分不審者なんだけど。 山の恵みを少し分けてもらってキャンプへ帰ると、あたりはもうすっかり暗くなっていた。 館が見える位置で火を焚くわけにもいかないから、明日は煮炊きができる場所を探したほうがいい。 また次の日、男の鍛錬の声が響いていた。 もう少しよく見える位置に移動して、持ってきた食料と採取した木の実を食べながら、男の棒術を眺める。 あまりに美しい動きにウットリしてしまう。 昨日はおぼろげにしか見えなかった顔もはっきりと見える。 大きな口にはっきりとした鼻梁。強い視線。 見るからに力強い武人といった容貌だった。 姫の護衛(推定)をしているくらいなのだから、名のある人物なのかもしれない。 …しかし、まてよ。 深窓の姫君だと思っていたけど、こんな男臭い男前がそばにいて…一緒に暮らして…。 何もないはず…ないよな。 ゔぁぁ…。 あの男前な護衛が、俺みたいに物語の姫にしか恋のできないドへたれなわけがない。 好きな人の1m以内に入れません…とか思ってモジモジして不審がられるような腐れ童貞には見えない。 きっと、とっくに…。 いちゃいちゃして、エロエロして…。 「ひめ!愛してます」「護衛!愛してる!」 ってな…。 ここまで執念を燃やしてたどり着いたのに…。 姫を見る前に…………尽きた。 いっそ、護衛の食指も動かぬほど性格ブスのダメダメな姫ならいい。 『筋肉ダルマ近寄るな』などと言われ3メートル以内には近寄れないとか。 もう完全に方向性を失った支離滅裂な妄想に苛まれながら、昨日と同じように馬の世話を眺めた。 愛情深く馬にブラッシングをしている。 遠目だが、優しく微笑んで話しかけているのがわかる。 強くて、たくましくて、しかも優しい。 完璧じゃないか……。 勝てる気がまったくしない。 ただただ見惚れるばかりだ。 俺は彼が世話を終え立ち去るまで、またぼーっと眺めてしまっていた。 昼食にするため川に行って魚を獲った。 煮炊きの煙が館から見えないよう、場所を探し魚を焼いて食べた。 保存食や狩りの道具など色々準備してたのに、調味料がなかった。 魚だからまだ大丈夫だけど、獣類は塩なしじゃキツイ。 調理のバリエーションがいきなり減ってしまった。 とはいえ、ちょっと教えてもらった以外は狩ったことがない。 それに実際捕まえても、下処理がきちんとできるか自信がない。 食事を終え、煮炊きの形跡を消して、ダラダラとキャンプに戻る途中で、護衛の男を見かけた。 どうやら狩りをしているらしい。 日常的に狩りは彼の役割なのか手慣れた様子だ。 獲物と間違って攻撃されないよう身をひそめる。 彼はほんのちょっとの間に弓と槍で鹿を仕留めてしまった。 ちょっと、手早すぎないか……。 狩った獲物を前に命を頂く事への感謝と謝罪の祈りを捧げている。 木の間からこぼれる光に照らされるその姿に神々しささえ感じ、子供の頃に読んだ神話の戦神に彼を重ねた。 普段からこうしているのだろう、慣れた様子なのにその祈りは真摯で、彼の誠実な性格が垣間見える。 それが余計に胸に響いた。 そして、護衛の男は数十キロはあるはずの鹿を軽々肩に抱えた。 この山道を、あの鹿を丸まま担いで歩くのか!? 当たり前のように鹿を担いで悠々と立ち去る姿を呆然と見送る。 護衛さん…いや、護衛さま…カッコよすぎです。 次の日もまた同じ朝。 護衛の…いや護衛さまの稽古をウットリと眺め、馬の世話を眺める。 昨日の森での様子が思い出され、俺の目には槍を振る姿が戦神のように神々しく映った。 飛び散る汗がキラキラきらめいて美しかった。 ……はぁ。 本当、カッコいい。 武人だけあって、顔は少しイカツイかもしれない。 けれどその佇まいに、男らしい美しさがあった。 そのあと俺は煮炊きの場所へ移動して食事を取った。 そして今日は、身体を洗うために川へ。 水はたまらなく冷たいが我慢して垢をこすり落とす。 軟弱な肌がすぐに真っ赤に染まってしまった。 それにしても、姫は全く姿を現さない。 深窓の姫君とはいえ、あんまりじゃないか? ヘタレな俺は、姫と護衛さまの恋愛妄想だけで、もう、すっかり姫のことを諦めてしまっていた。 それでも、ここまできたのだから、一目だけでもその姿を見てみたかった。 もしかしたら 、この屋敷は王家所有ではあるが、姫のための屋敷ではない? いや、でもそれならあんなすごい護衛さま(推定)をこんなところに置いておくわけがない。 必ず姫はいるはずだ。 水滴をぬぐって服を身につけ、ひと心地つく。 すると、上流の方から「あっ」という女性の声が聞こえた。 ガサガサと慌てたような音がすると同時に、何か赤い布らしきものが流れてきた。 とっさに川に入ってその布をつかむ。 しかし、踏み入れたところが悪かったらしく、深みにはまって倒れ込み、流されそうになる。 足元の石がゴロリと転がる音と、ジャプリという水音が妙に大きく聞こえる。 命の危機を感じた。 流されまいと必死で岩にしがみつく。 川岸から手が伸び、俺の腕をグイッと掴んで、力任せに引かれた。 助かった。と思ったのもつかの間、俺は岩にしたたか頭を打ち付け、意識を失ってしまった。

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