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柔らかなベッド。そして白い天井。そして誰かが歩き回る生活音。 ……家に帰って来たのか? そう思ったのも仕方がないだろう。 しかし、ぼーっと見渡したその室内は、全く見覚えのない場所だった。 サイドテーブルには可愛らしい野生の花。 温かみのあるピンクオレンジと生成り色の寝具はシルクだろうか。 華美でなく品のいい室内だ。 起き上がろうとすると、ズキン!と頭に痛みが響いた。 ああ、そうだ。 川で布を拾ったら流されそうになって、それから誰かに助けられた時にしたたか頭を打ち付けたんだ。 記憶をたどり、あることに気付く。 あの川で誰かに助けてもらって、今部屋に寝ている。ということは、ここは……。 ドキドキしてきた。 きっと、きっとここは…姫の館の中! キョロキョロと室内を見渡そうとするが、頭が痛む。 本当に、かなり酷く打ったようだ。 そーっと視線を巡らせてみるが、室内に人の気配はない。 慎重にベッドから降り、ゆっくりドアに近づく。 本調子でない体に、五歩程度の距離が遠い。 すがりつくようにドアを開けると、そこは廊下。 他の部屋まで歩いていく気にもなれなかった。 「すみません……」 自分の声がびっくりするくらいに弱々しい。 1メートル先にも届かなさそうだ。 すぐにクラリと目眩がしてその場に座り込んだ。 きっと痛みに身体が耐えきれずに呼吸のバランスが崩れたせいだろう。俺はそのまま気を失ってしまった。 どのくらいそこに倒れていたのか、ぐっと抱え上げられた感触があった。 冷えた身体に他人(ひと)の体温が気持ち良い。 寝かされ、体温が離れていく。それを惜しむようにすがっていた。 一旦離れた体温がまた戻って来てくれる。 手を握り、頬を撫でてくれているのだ。 うっすら意識は戻っているが、目はまだしっかり開いていない。 優しいこの手の主は………もしかして……姫か? それからまた意識が沈んだ。 再び意識が浮上するまでに、それなりに時間がたったのだろう。 身体が少し楽になった気がする。 あの優しい手は、俺の汗ばんだ身体を拭き、傷の手当をしてくれいるようだった。 まだうっすらとしか意識が保てない。 時々意識が沈む。 それでも浮上するたびに、その人は側に居てくれる。 ずっと側についていてくれたのだろうか。 傷を気づかう声が聞こえる。その声がやさしく心に染み入る。 一生懸命に話しかけようとするが「うう……」と、うめき声が出るだけだ。 しかし、だんだんと視界が定まってきた。 自分を撫でてくれるその顔を見ようと首を巡らせる。 そしてその手の主を視界にどうにか捉えた。 「………」 ぼんやりと眺める。 「えっ!? うっっっっわっ!」 俺はその人物に驚いて飛び起き、激しい頭の痛みにそのまま気を失ってしまった。 ……そりゃそうだ。 姫が俺を抱えてベッドに運ぶはずはない。 俺を運んで撫でてくれていたのは、護衛さま(推定)だった。 いたわるように触れる優しい手はごつごつとしていた。 はああぁ。 護衛さま……。 めっちゃかっこいい……。 ◇ 俺はまた、ベッドの中で目を覚ました。 サイドテーブルには呼び鈴が置かれていた。 目覚めたら呼べという事だろう。 しかし、俺はなかなかその呼び鈴に手を伸ばせなかった。 護衛さまのかっこよさに驚いて失神…そんな自分が恥ずかしすぎた。 いや、実際は痛みで失神したんだけれど。 ちょっとの間だったけど、間近でみた護衛さまは本当にかっこ良かった。 個性的な顔立ちですこし怖そうに見えるけど、しっかりしたくちびるに、黒く切れ長な目。 近くで見ると目元に印象なほくろがあって…すごくセクシーだった。 思い出すと顔が赤くなる。 顔を見たとたん失神してしまった、おかしな自分を護衛さまはどう思っただろうか。 あの人の手が俺を撫でてくれてたのか。 あの腕で、俺を抱き上げてベッドまで運んでくれた……。 もしかすると、あの川からここまで運んでくれたのだって護衛さまかも知れない。 いや、きっとそうだ。 カッと全身が熱くなった。 思わず自分で自分を抱きしめる。 ここまで来ると、さすがに自覚している。 また俺は…身の程知らずな片想いをしてしまった……。 ◇ ノックの音に返事をすると、小間使いの女性が入ってきた。 近くで見ると、五十代後半くらいか。人が良さそうで愛嬌もあって好感が持てた。 俺が目覚めているのを確認すると、食事を持ってきてくれた。 暖かいスープで消化にいい病人食だ。 噛むのが頭に響きそうだったので助かった。 「ここは……どちらのお屋敷ですか?」 期待を胸に聞いた。 「こちらはチーバイ家が管理する山荘でございます」 山荘…という雰囲気ではないように思えたが、余暇などに利用する屋敷という意味なのかもしれない。 チーバイ家は姫の母君と言われているユイファ様の実家だ。 そこが管理し、王家の紋章を掲げる館ということは、やっぱりここは姫の館にちがいない。 「あの、お礼を申し上げたいので俺を助けてくれたかたに会わせていただけないでしょうか」 つまり、護衛さまに会わせてほしいということだ。 「申し訳ございません。ただいま外出しておりまして」 にっこりと人好きのする微笑みをくれて女性はそそくさと部屋を出て行った。 目覚めたばかりの俺をゆっくり休ませようという気遣いだろう。 実際俺は食事をとっただけで体力を使ってしまっていた。 その後使用人の男性が部屋にやってきた。 「おや、起きていらっしゃったのですか?まだ体力が戻っておられないでしょう。今日はこのままお休みください」 そう言って、床に反射する陽光を遮るようにカーテンを引いた。 使用人の男性は、近くで見てみると上品な顔立ちで、動きも表情も若々しい。 どうやら小さな体躯とシルバーグレーの髪のせいで老人に見えただけのようだ。 実際のところは年齢不詳、もしかすると小間使いの女性と同じくらいかそれより若いかもしれない。 助けていただいた礼を言いたいからと粘ってみたが、 「こちらがお怪我をさせたのですから、礼は不要にございます。お体が良くなられるまでじっくりお休みください」 美しい微笑みと優美な礼で断られてしまった。 けれど一緒の館にいるのだから、起き上がれるようになれば再びあの方に会えるだろう。 この場は大人しく引き下がった。 次の日、頭の痛みはだいぶ治まっていた。 そうだ、護衛さまの稽古が始まる。 俺は、庭を眺められる小さな窓のそばにいそいそと椅子を運んで開始を待った。 なのに、その日は稽古がされなかった。

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