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部屋で夕食を終えた後は、ロビーのお土産売り場を見に行く事にした。 館内でお得に使えるチケットをチェックイン時に貰ったらしい。と言っても、白いA4のコピー用紙に印刷しただけの簡易的な物だった。 銀ちゃんが読んでいるのを横から覗き込むと、すぐに、ある文字列が目に入る。 「また間違えられてる」 「ん?」 薄青色の浴衣と紺色の半纏の袖を捲り、書かれている内容を指差す。 「ほら、銀世の(せい)が星になってる」 銀ちゃんも眼鏡を上げて顔を近付ける。 「あらら」 読めたってその程度のリアクションで、本人は特に気にしていないようだ。五十年以上この名前で生きてきて、今更気にしても仕方ないと思っているのかも知れない。 「コピペすれば間違えるわけないのに。何のための印刷なんだろ」 僕が呆れて言うと、まあまあ、と本人の方が宥めてくる。 「間違われる度に思うよ。銀の星の方がかっこ良かったのにって」 コピー用紙を四つ折りにして半纏のポケットに差し込み、いそいそと財布を取りに行く。部屋の敷居の前で待っている僕のポケットには、既にスマホが入っている。 「銀色の星(シルバースター)?」 「老人の星みたいになっちゃうか。あっはっは!」 自分で言って自分で笑っている。銀ちゃんは、オヤジギャグが好きだ。僕は、ふふん、と鼻で笑う事しかできない。 シルバースター、銀の星、と頭の中で繰り返しながらスマホを操作する。実はとっくに、その発想は僕の中にあった。 『Silver Star』は、僕が作った中で、一番人気と言っても過言ではない曲だ。 まさかこれが、親と同年代の男に向けたラブソングだなんて、誰も思わないだろう。銀ちゃん本人だって知らない。 銀ちゃんは別に、夜空の星のように輝くようなタイプじゃない。誰かにとっての一番星でも、煌めきを放つ宝石でもない。 そんなに素敵で夢見がちな存在でも、関係でもない、ただの普通の恋人だ。 館内はどこも閑散としていて、僕と銀ちゃんのスリッパがシュルシュル鳴った。若い男女のカップルみたいに、手を繋いで歩いてみたいと思わない事もない。でも、そんなに強く願ってもいない。 売り場ではカゴを手に提げてお土産用のお菓子を見て回る銀ちゃんの後に、それとなくついて行った。 銀ちゃんは機嫌良さそうにふらふら歩いて、いくつか目星を付け、どんどんカゴに入れていく。大きい箱を何個も。 「買いすぎじゃない? そんなに食べきれないよ」 僕が小声で言うと、銀ちゃんはきょとんとして振り向いた。 「会社用だよ。本社のオフィスと、受付と、営業所と、支社と、あと甘い物苦手な人もいるから……」 ああ、と納得した。自分だけ浮かれていたみたいで少し恥ずかしい。 「大変だね、サラリーマンは」 「フリーランスと違って共同体だからね」 今の僕には、人と協力して何かをする必要はほとんど無い。社員を家族だとか、共同体だとか、そういう考え方にも賛同できなくなってしまったからちょうどいい。 そんな中で銀ちゃんとだけは、ひとつになれる気がしている。だから一緒に暮らしている。恥ずかしくて本人には言えないけれど。 「誰と行ったって言うの?」 「別に。聞かれない」 「聞かれたら?」 「それはまあ、適当に」 「ふぅん」 「氷治も美味しそうなの選んでいいよ。お父さんが買ってあげよう」 銀ちゃんはたまに、自分のことを「お父さん」と呼ぶ。オヤジギャグと同じで、本人は面白いと思っているのだろう。僕は、あまり好きじゃない。 「……いいよ。明日、下の温泉街で何か食べよ」 部屋に戻ると、お膳は壁の方へ寄せられ、上品な和柄の布団が二組、微妙な距離を空けてきちんと並べられていた。 広い部屋だから、確かにわざわざくっ付けて寝る必要はないのかも知れない。ただ、たとえ親子だとしても、友達だとしても、この年齢の男二人が仲良く肩を並べて寝るのは、やっぱり普通じゃないと言われている気分になる。 おおらかな銀ちゃんは特に気にする様子もなく、洗面所に近い方の布団に寝転がった。夜中にトイレに起きた拍子に僕を起こさないように、らしい。 僕は布団を近付けようとしたけれど、それだとコンセントが遠くて、ノートパソコンが繋げなかった。だから仕方なく、微妙な距離のまま作業をした。 うつ伏せで枕元にパソコンを開く形で、イヤホンを繋ぎ、指でパッドを操作する。 今日のうちに思い付いたメロディと歌詞を、スマホのメモからパソコンに移して保存しておく。頭に浮かんでくる内容を、ソフトで再現できるだけ再現して、細かい調整は家に帰ってから。 ふと横を見ると銀ちゃんは枕を胸に敷いて、家から持ってきた文庫本を読んでいる。 何も言わずこの時間を作らせてくれるのも、銀ちゃんの優しさだ。同じ家に、極端に言えば閉じ込められたようなステイホーム期間でも、銀ちゃんと一緒にいられるという嬉しさが勝つくらい、つらくなかった。 銀ちゃんは僕に合わせてくれる。やっぱり、甘やかされている。 ただ、電子書籍にすればいいのに、買い方も教えてあげるのに、紙の方が頭に入ると言って本を持ち歩くのは譲らない。優しくても、曲げられないこだわりもあるらしい。 データの保存が始まって、パソコンを閉じられるようになるまでしばらく時間が出来る。 イヤホンを外して顔を上げると、銀ちゃんも読んでいたページにリボンを挟んで本を閉じた。 「お疲れ様。今日は旅館だけだったけど、楽しかったね」 銀ちゃんが労ってくれるが、もう、一泊二日の半分が終わってしまうという事だ。明日もきっと雨だろうし、温泉街が営業しているとも限らない。 かと言って、今日はもう晩酌をするような雰囲気でもなかった。二人とも酒に強い方でもない。僕は夜の方が作業が捗る日もあるが、銀ちゃんはどんどん夜更かしができなくなっているらしい。 歯磨きをして、後は寝るだけになってしまった。

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