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変わる関係

 あれから数日、秋とはヤったりヤらなかったりでセフレ関係は継続中。今日はどうしてもミネストローネを食べて欲しいと秋のアパートに呼ばれて遊びに来ていた。  いつもとそう変わらないミニマリストな室内。しかし気になる点があった。洋菓子の本が詰め込まれている本棚に見覚えの無い本が混ざっている。  料理に夢中な秋の背を横目に、そっとその本を手に取るとそれは旅行雑誌でパリと書かれていた。自分の記憶が正しければこんなものは無かったと記憶している。  パリといえばフランスの首都。洋菓子の聖地と言ってもいいだろう。そんな地名が乗った雑誌があるという事は秋がフランスへ行く事の示唆なのではないだろうか。本棚をよく見れば抜き取った雑誌の横にフランス語の入門書がある。毎日だらだらと喋って飯を食べて……そんな日々が当たり前だと思っていた。けれど秋は将来有望なパティシエ見習いで、彼にとってはこの留学は寧ろチャンスかもしれない。  秋のお陰でオレは錯覚していただけで孤独感を欲望で発散するような悪い大人だった事を改めて突き付けられる。秋が居なければ、また夜の街に帰るだけ……そう、思った筈なのに……それが何故か苦しくて、心が辛い。  すぐに本を棚に戻してポーカーフェイスでソファーに戻る。そうすれば笑顔の秋が出来立てのミネストローネのスープ皿をテーブルまで持ってきた。 「お待たせしました」 「相変わらず手際の良い事で」  着々と飯の準備を終えて向かい側に秋が座る。いつも通り「頂きます」と手を合わせてからスプーンを掴んで熱々の具沢山なミネストローネを掬った。息を吹きかけてから頬張るとトマトの酸味とコンソメのバランスが調和した実に美味なスープ。ベーコンとタマネギ、そしてニンジンとブロッコリーが入っていて食べ応えもありそうだ。 「どうでしょう」 「ん、美味い」 「良かったぁ……頂きます」  安心した様子の秋も両手を合わせてからスプーンでミネストローネを食べ始める。この日常もこれまでなのだろうか、そう思うとまた胸が痛む。 「なぁ、秋」 「なんです?」 「……秋、留学すんの?」 「何でそれ……はい」  秋は否定しなかった、やっぱりこんな妙な関係は此処までだろう。秋の為を思えばそれが良い。 「ふうん、そっか……じゃあオレ達の関係も此処までにしよ」 「…………っ、分かり、ました」  何処か泣き出しそうな表情で秋が応じる。秋の事だから嫌ですとか言うんだろうなと思っていただけに少々驚いたが、所詮この関係はあくまでも遊びでセフレだ。そんなもんだろう。だというのに泣き出しそうな秋を見れば見る程辛くなって、あれ、オレ何でこんな感情搔き乱されてるんだろうと自分自身へと疑問が浮かぶ。 「秋ならすぐ有名パティシエになれるでしょ」 「……その時はまたケーキ食べてくれますか?」 「さてね……」  その頃にはどうせオレも遊び人に逆戻りして夜の街の住人だろう。やっぱり自分には秋は眩し過ぎたんだ、そう結論付けて黙ってミネストローネを食べ進める。  オレの心なんて誰も知らなくていいし知る必要もない、孤独感はいつだって誰かの体温が癒してくれる。  子どもの頃からずっと、忙しい両親と勉学に励む良く出来た兄と遊べる時間なんて殆ど無くて、友達を作るのも億劫だった。表面上は誰とでも仲良く出来る優等生。でも蓋を開ければただ孤独を抱えた寂しい子ども。そのまま大きくなって、夜遊びを知って、一時の快楽に染まる事も覚えた。お手軽に孤独感を埋められると分かればそれに味を占めない奴は居ないだろう。  恵まれたルックスも相まって引く手は数多、バイセクシャルのお陰で男も女も関係無かった。後腐れ無く、気持ちよくなれるなら何だって良かったんだ。  そんな中で現れた秋という存在は余りにもイレギュラーで、閉ざした心にまで踏み込んで来ようとする危険因子そのもの。だというのに放って置けず構ってしまって気が付いた時には絆されて――凍てついた心を溶かしていく秋を必要としている自分が居た。 「俺が居なくなったら、寂しいですか?」 「……寂しいよ、バカ」  今にも泣き出しそうな秋より先に、自分の頬を一粒の雫が伝った。苦しい、辛い、胸が痛い。離れ離れになると分かった瞬間押し寄せるこれらの感情は一体何だ。 「何で智也さんが泣いてるんですか」 「うるさい、バカ秋」  膨らんで破裂しそうなこの感情、その名前をオレは本当は知っている。でもずっと見えないフリをしていた。……これが恋だと気付くのは余りにも遅過ぎる。 「必ず戻ってきます、だから泣かないで智也さん」 「ちゃんと成長して来なかったら許さないからな」  立ち上がった秋がソファーの横に座って不器用に抱き締めて来る。日溜まりの様に暖かい。その背中に腕を回して距離を縮めた。 「お陰で決心付きました。……寂しくても俺以外で遊ばないで下さいね」 「もう遊びじゃない」 「……え?」 「好き。秋の事」  そっと唇を寄せて一瞬だけのキスをする。ざわつく心がほんの少しだけ満たされた。そのあとすぐに秋から深い口付けを返される。言葉にしてしまえばこんなに簡単なのに、どうしてこんなに遠回りしてしまったんだろう。  凍てついた心が溶けてトラウマの様だった孤独感から解放される。秋の前では何も繕わなくていい、何の仮面も被らなくていい。秋という男はいつだって真っ直ぐに好きだと伝えてくれていた。それにやっと答えを出した、ただそれだけ。 「大好きです、智也さん」 「……オレも」  何度も何度もキスをして、その度に心に火が灯されたかの様にじんわりと温かくなる。ぎゅう、と強く抱き締められて心の底から笑みが零れた。こんな風に笑ったのはいつ振りかも分からない。 「三か月だけ待ってて下さい、三か月で戻って来ますから」 「年単位で待たされるかと思ってた」 「それ以上は俺が保たないです」 「ねぇ秋、えっちしよ」 「ッッッ……その、食べ終わったら」  耳元で囁いてやれば秋の頬が染まる。慌てて離れて向かい側に戻り急いでミネストローネの残りを食べ始めたのを見て笑いながら自分も食べ進める。最初はただの客と占い師、それがセフレになって、今では恋人。こんな未来は到底自分では――どんなにタロットカードを捲ったとて自分の恋は占えないのだ。  最後のひとくちを頬張って水を飲みそれを見計らった秋が早々に皿を重ねて片付けを済ませ、戻ってくるなり手を引かれる。寝室に誘われてそのままベッドへと沈み込んだ。

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