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第16.5話 ――Side.白鷺春・恋心

蓮と別れてから、どうやって家に戻ったのか、ほとんど記憶がなかった。 ただ、去り際に彼に向かって吐き出した言葉だけは、鮮明に残っている。 「もう家に来ないでください! 鍛錬は一人で出来ます! 無茶もしません! 約束します!」 一方的にぶつけた言葉。 蓮の顔を見る余裕なんてなくて、人生で一番の速さで走り去った。 「はあぁぁぁ……」 ベッドの上でうつ伏せになったまま 帰宅してから、何度目になるかわからないため息を吐く。 自分から指導をお願いしておいて、 もう来なくていい、だなんて。 ――いったい、どの口が言うんだ。 気づけば、 無意識に指先が唇をなぞっていた。 そこに残る、蓮の唇の感触を思い出しながら。 瞬間、春は勢いよく枕に顔を沈めた。 なんで、と思う。 手をかざせば十分なはずだった。 それなのに、どうしてキスなんか。 それに、生気を吹き込まれて、 わりと早い段階で体は元に戻っていた気がする。 なのに、蓮はキスをやめてくれなかった。 逃げられないように押さえ込んで、 強引に、何度も唇を重ねてきて……。 蓮の言葉が、脳裏をよぎる。 『――キスされるのが嫌なら、二度と約束を違えないことだ』 春は、その言葉を頭の中でなぞって、はっと息を呑んだ。 まさか、嫌がらせで? 約束を破って、彼方に命を吹き込んだから。 キスしたのも、そうすれば僕が嫌がって、 二度と約束を破らないと思ったから――? でも。 ――嫌じゃ、なかった。 蓮との口づけは、嫌ではなく、 むしろ――その逆で。 瞬間、春はベッドの上で足をばたつかせた。 ――――いや、そもそも、あれはキスじゃない。 人命救助だ。 削られた命を元に戻すための行為。 そう、人命救助だから!! ばたつかせていた足が、ぱたりとベッドに沈む。 部屋に、長い沈黙が落ちた。 春は枕に顔を埋めたまま、 深く、長く息を吐き出す。 (……ああ…… 僕、蓮さんのこと……好きなんだ……) 体を反転させると、 見慣れた天井が視界いっぱいに広がった。 「恋心を自覚したとたん、失恋かぁ……」 誰に言うでもなく漏れた言葉に、 胸の奥がズキンと痛む。 蓮の過去を知って、 春は、分かってしまった。 この想いが、報われる未来は、きっと来ない。 この体に白鷺の血が流れている限り、 蓮に選ばれることは、未来永劫あり得ないのだと。 「僕が、白鷺の人間じゃなかったら……」 ぽつりと零れ落ちた言葉。 考えても仕方のないことを、考えてしまう。 そもそも、春が白鷺の能力者でなければ、 蓮の人生と春の人生は、 交わることなく終わっていただろう。 白鷺一族であるがゆえに、 今の蓮との|縁《えにし》が生まれた。 ――皮肉だ。 その時、ふいに蓮の言葉がよみがえった。 『兄の死と、お前は無関係だ』 それでも、と春は思う。 それでも蓮が、 白鷺の人間を許せる日は、きっと来ない。 (……僕はまだ、分かっていない) 蓮が背負ってきた怨恨の深さが、 どれほどのものなのかを。 怒りも、憎しみも、正しさも。 どれ一つとして、簡単に割り切れるものじゃない。 「……もう、蓮さんには会えないなぁ」 一人呟き、静かに瞳を閉じる。 閉じた瞳の端から、一滴の涙が零れ落ちた。 春は、それを拭おうとは思わなかった。 そのまま 深い眠りへと落ちていく。 自分の命を脅かす影が、 すぐそこまで迫っていることも。 そしてその先で、 再び、蓮と向き合う運命が待っていることも。 まだ、何ひとつ知らないまま――。

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