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最終話

 葬儀が済み、ブランデン辺境地の復興も終わりが見えてきた。  春の温かな日差しが部屋に差し込んでいる中、レナードたちは出立の準備に追われている。  「なんだか離れがたいですね」  「そうだな」  部屋を見回したフリッツは愛おしそうに目を細めた。約ひと月過ごした部屋に愛着が湧いているのだろうか。それとも母上の眠る土地を離れるのが寂しいのだろうか。  フリッツの横顔をじっと見つめているとふと視線がこちらを向く。  「おまえはこれからどうする?」  「どうしましょうか」  「遅れてしまったが叙任式は受けられるぞ」  「わかっています」  レナードは傷が癒えるまで半月かかり、体力が戻るまでもう半月かかった。治り切っていないのに無茶をしたからだ。  こぶしは幸い折れてはいなかった。  オメガの丈夫さに助けられた部分は多い。  部屋のノック音に振り返るとひょっこりとケニーが顔を出した。  「いま、少しいい?」  「大丈夫だ」  ケニーは部屋に入ってきて椅子に座った。フリッツはまだ険しい顔をしているが照れているのだろう。ケニーもどこか不機嫌そうな顔をしていて、親子そっくりだとレナードはほくそ笑んだ。  ケニーは足を組み、重々しく口を開く。  「次の辺境伯を決めなければならない」  「おまえがなればいいんだろ」  フリッツがおざなりに返すとケニーは鼻白んだ。  「金木犀を燃やし、魔獣に襲わせていた犯罪者を辺境伯にしたい奴なんているか?」  ケニーは重罪を犯し、罪を認めている。このまま王都ミナスへ連行され、しばらく罪を償う必要があった。  「それに僕はエルフだ。それだけで脅威になってしまう」  「確かエルフは権力を持つことは禁じられてたな。あんなものなんの意味があると思ってたが」  「それが正しいよ。クレマンが決めたんだろうね」  「父上はすべてお見通しだった、とうことか」  ケニーは深く頷いた。  クレマン皇帝の顔は何度か見たことがあるが、レナードは詳しくは知らない。二人の言葉からかなり頭の切れる人なのだろうと察せられた。  ケニーは座り直し、フリッツに視線を向ける。  「フリッツ、おまえが後を継がないか」  「俺が?」  まさかの名指しにフリッツは面食らっている。  「僕とダンテの息子だ。代々ここを護っているテイラー家の血筋でもある」  「そうだが。でも」  フリッツは納得できない様子だ。無理もない。皇族ではないとう事実がまだ彼を深く傷つけているのだろう。  でも悪くない話だ。  「いいですね」  レナードが同意を示すとフリッツは慌てて口を挟んだ。  「俺はなんの後ろ盾もない、ただの偽物だ」  「偽物なんかじゃありません」  レナードはフリッツの瞳を力強く見返した。  「あなた様が努力し続けたのはアーガイル帝国のため。それはブランデン辺境地でも同じではありませんか?」  フリッツは精神も身体も誰よりも鍛錬を積んできた。国のために御身を削るように努力し続けた彼には、辺境伯になる資格は充分にある。  「それとも小さな辺境地ではご不満だと?」  「そういうわけじゃない。ただここの民は認めないだろう」  「どうでしょうかね」  窓の外からは整合騎士団を見送る祭りが開かれている。踊り出したくなる陽気な音楽や領民たちの楽しそうな声が響いていた。  『フリッツ皇子に祝福を!』  『フリッツ皇子、ありがとうございます!』  領民たちからの歓声が城まで届いている。  レナードは続けた。  「確かに爵位が落ちます。王族から貴族になるのですから。暮らしは質素になるかもしれません」  「おまえは整合騎士になるのだろ?」  縋るようなフリッツにレナードは口角をあげた。  「ここの衛兵は少し鍛錬が足りないようです。僭越ながら講師を頼めないかというお話がきたんです」  「……レナードもここに残るのか?」  「あなたがいるところが、自分の生きる場所です」  レナードがにっこりとほほ笑んでみせるとフリッツに抱きしめられた。自分が行く先は彼がいる場所だ。もうどんなことがあっても離れないとこのうなじに誓っている。  ケニーはこほんと咳払いをするので、レナードは慌ててフリッツと離れた。  「レナードがいてくれるなら僕も安心できる」  「罪を償ってまた戻って来い。母上の眠るここに」  「そうするつもりだ」  決意を秘めたケニーの横顔は凛としていた。寂しさを受け入れられた強さが伝わってくる。  「では父上、行きましょうか」  「ジン皇太子!? 帰られたのではないですか?」  扉からジンが顔を出したのでレナードは悲鳴をあげそうになった。  悪戯が成功した子どものようにジンは意地の悪い笑みを浮かべている。  「父上の護送のお手伝いだよ。まぁ僕は魔力が弱いから太刀打ちでいないけど、お目付け役みたいな感じで」  ジンが屈託なく笑うとケニーはぶすっと頬を膨らませている。  ジンはケニーの話を聞いて最初はとても驚いていたそうだ。けれどすぐに受け入れ、いまではすっかり意気投合している。親子というより友人のような関係かもしれない。  ジンは笑みを消し、真剣な眼差しをフリッツに向けた。  「フリッツ、アーガイル帝国は任せて欲しい」  「兄上」  「もう私は逃げない。すべてを受け入れる」  ジンが背筋を伸ばし、しっかりとフリッツをみつめている。彼の覚悟の強さがひしひしと伝わってきた。  「兄上ならできると思います」  「ありがとう」  固く握手を交わす二人に、レナードはうっかり泣いてしまいそうになった。目尻を拭っているとジンの視線が自分に移る。  「レナードもいままでありがとう。お幸せに」  「ジン皇太子も」  ジンは深く頷いた。  レナードとフリッツが番であることは公にされ、ミシェルとの婚約は正式に破棄の申し出があった。  当然領民は荒れ、心のない言葉を多くかけられたらしい。  だからフリッツが臣籍に降り、王位継承権を放棄することで騒動を鎮めたのだ。  代わりに次期皇帝にジンが名乗りをあげた。ベータではあるが、彼の政に関しての知識にはずっと助けられている。  貴族院議会を開かれ、満場一致で可決された。クレマン皇帝も承諾したそうだ。  そしてジンはミシェルに婚約を申し込んだ。  二つ返事で答えた彼女とジンは来年の春に盛大な結婚式をするらしい。  怪我で療養中、レナードとフリッツ、ジンの三人は久しぶりに語りあい、お互い勘違いしていたことを知った。  ミシェルがフリッツと婚約したのはオメガ故にお見合いの話が途絶えないからだ。領地の娘である彼女は他国からの申し出もあったらしい。  その見合いを断るには皇族と結婚するしかないと踏んで、フリッツに提案したのだそうだ。  そしてフリッツは次期皇帝としての立場上、婚約者を立てなければならない。でも自分の気持ちはレナードにしか向けない。  それでも許してくれるならとミシェルに話すとジンを愛している彼女は大いに喜び、二人は無事に同盟を結んだそうだ。  ミシェルという後ろ盾を得て、フリッツはレナードを番にするつもりでいたらしい。  立場としては妾になってしまうが、レナードを手に入れるために手段は選んでいる暇はなかった、と恥ずかしそうに教えてくれた。  蓋を開けてみれば、呆気ない話だ。  初めからすべて話していればここまでこじれなかっただろうに、と思ったがレナードは口にしなかった。  回り道をしたからこそフリッツを愛する覚悟ができたのだ。  ジンは窓の外に視線を向けた。  「ではそろそろ行きましょう。騎士団が待ちくたびれています」  「そうだね。フリッツ、レナード達者で」  「はい。ジン皇太子、ケニーも」  レナードたちは一礼をして二人を見送った。  嵐のように二人が去ってしまうと部屋の静寂さが濃くなったような気がする。  レナードは床に置いた鞄に視線を向けた。  「せっかく荷造りしたのに無駄になってしまいましたね」  「そうだな。でも二人でここは手狭だし、もう少し広い部屋にするか」  「ど、同室ですか!?」  「いずれ結婚するんだから構わないだろ」  フリッツの言葉にレナードの耳殻はじりじりと熱を持ち始めた。その意味を考えられないほど子どもではない。  ずっと隣の部屋だったので毎日行き来はしていた。  レナードの回復を優先してくれたのだろう。フリッツはキスの一つもしてくれなかった。  だがいまはもうすっかり体力は戻っている。そういうことはご無沙汰で、フリッツから日に日にフェロモンの匂いが強くなっているのを感じていた。  年頃の若い番が同じ部屋にいてなにもしない方が無理な話だ。  「レナード」  フリッツに抱きしめられてしまい、レナードは固まってしまった。指先をぴんと伸びる。うなじに顔を埋めるフリッツの毛先が頬に触れてくすぐったい。だが笑い飛ばすことができないくらい緊張していた。  フリッツの吐息が首筋に触れて、肌が粟立つ。  「もうすぐ発情期だろ? 匂いが濃い」  「それはフリッツ様のフェロモンが濃いせいです」  「おまえの匂いに当てられてるんだよ」  くすぐったそうに笑うフリッツの情欲を掻き立てられてしまう。  膝に力が入らなくなり、フリッツに抱きつく形になると唇が触れた。一気に舌まで侵入する。  「んっ……んん! いま、なにを飲ませたんですか?」  レナードがフリッツを押し退けて喉を押さえる。なにか苦いものを飲まされた。 うなじがジクジクと熱い。  「うっ、なんだ……これは」  だがものの数秒で治まった。一体なにが自分の身に起こったのだ。  フリッツを見上げると彼は目を細めた。  「番解消薬だ」  「そんな……どうして」  慌ててうなじを触るとフリッツの歯型がなくなり、つるりとしている。  自分の半身を失ったような喪失感にレナードは声も出せなかった。  「レナード」  跪いたフリッツはレナードの手を取り、口づけを落とした。  「俺をレナードの番にさせて欲しい」  「……え?」  「最初の番はレナードの意志を無視した。でもそれじゃケニーと同じだ。俺はあいつのようにオメガの意見を聞かないアルファになりたくない」  ゆっくりとアクアマリンの瞳が向けられる。光りが差し、虹を映している。  レナードがフリッツに恋をしたときにあった虹だ。  「俺をレナードの番にさせてくれ」  「あなたって人は……」  「最高のプロポーズだろ」  「番解消薬を勝手に飲まして、俺の意見を無視していると思いませんか」  「……確かにそうだな。悪い。おまえのことになると、俺はどうしてもうまく立ち回れないみたいだ」  フリッツは後ろ頭を掻いて、恥ずかしそうに笑った。そんな不器用なところも大好きだ。  レナードは厚い胸に飛び込み、首に腕を回した。  「もちろんです。早く番にしてください」  「愛している」  「俺もです」  再び唇が下りてきた。マシュマロのような触れ合いに意識が微睡んでいく。  身体はどんどん熱くなっていき、腰をフリッツに押しつけると「ふふっ」と笑われた。  「俺の番は相変わらず可愛いな」  「そんなこと言うの、あなただけですよ」  「周りのセンスが悪くてよかった」  冗談を言い合いながらキスが深くなる。フリッツの瞳が情欲を掻き立てるように潤み始め、レナードの奥底から熱が湧き上がってきてしまう。  フリッツに手を引かれてベッドに押し倒された。  我慢できないとばかりにアクアマリンの瞳が獰猛な光を放っている。  (狩人に狩られる野うさぎになった気分だ)  でもその鋭さに陶然と酔いしれてしまう。身体が熱い。  フリッツは手の甲で鼻を押さえた。  「フェロモンすごいな……発情期きたんじゃないか」  「そ、うかも……身体……苦しい」  「ちょうどいいな。噛むぞ」  「……お願い、します」  フリッツがレナードのうなじに触れた。最初はキスだけだったのが、舌を這わし、強く吸いつかれる。まるで勿体ぶるような愛撫にレナードは非難の目を向けた。  「わかってるよ。今度はちゃんと堪能したくて」  「……何度でも噛めばいいじゃないですか」  「おまえ、後悔するなよ」  「えっ……まっ!」  ぎりっと犬歯が肌に食い込む感触にレナードの頭の中は真っ白になった。遅れて血の匂いがする。かなり深く噛まれたらしい。  だがそれは一度だけでは終わらず、何度も繰り返された。  痛いのに気持ちいい。眠っていた快楽を呼び起こすような痛みに次第にレナードは甘く酔いしれてしまう。  「フリッツ様……大好きです」  「俺も愛してるよ」  もう一度キスをして、レナードは幸せを噛みしめるように目を瞑った。  十年の月日が流れた。  ブランデン辺境地は新薬を作り続け、医療の発達に貢献している。その知識や技術を分け隔てなく他国に提供し、世界中の医療発達に役立てていた。  お陰でアーガイル帝国は世界一医療の進んだ国として名を馳せている。  そして同時にブランデン辺境地は騎士団を発足させた。対人間ではなく、魔獣専門だ。  「閃光の黒豹」と二つ名を持つレナードが指揮を執るので「黒の騎士団」と呼ばれている。  医療と黒の騎士団の二つがブランデンの平和を護っているのだ。  両親が成し遂げた偉業を吟遊詩人のように語る長男レインの言葉に弟妹たちは小さな手をパチパチと叩いた。  何度も聞かされて飽き飽きしているだろうに、興奮を抑えられない様子にレナードの頬はだらしがなく下がってしまう。  話し終えるとレインは丁寧にお辞儀をした。  「どう? 母様たちすごいでしょ」  「すごーい! すごい!!」  拍手喝采を浴びる長男の憎たらしい笑顔にレナードは内心笑ってしまった。そういうところが父親にそっくりだ。  春の日差しが降り注ぐ城の庭園には、色とりどりの花が咲き乱れている。庭師が丹精込めて育ててくれているおかげだ。  束の間の休息はこうして庭園のガゼボに子どもたちと過ごすことが多い。  テーブルにはサンドイッチやスコーン、一口サイズのケーキがスリーティアーズという三段のケーキスタンドに置かれている。随分長い話だったので紅茶冷めてしまっていた。  けれど子どもたちの笑顔にレナードの胸は温かさに包まれている。  「幸せだな」  ぽつりとこぼすと子どもたちが一斉にレナードを見上げた。膝に乗せた一歳の末っ子の乳歯が生えたばかりの笑顔が可愛らしい。  「みんな、こっちにおいで」  手招きすると子どもたちがわらわらと集まって来る。  レナードは五人の子どもたちを両手いっぱい広げて抱きしめた。腕が長くてよかった、とこういうときは思う。  上から九歳、七歳の双子、三歳、一歳と年齢も性別もバラバラだが、どことなくレナードとフリッツの面影がある。  レインはレナードに抱きしめてもらいながら顔を上げた。  「母上、自分はいつになればペイジになれるのですか」  「……まだ早いと言っているだろ」  「お言葉ですが、母上は十歳でペイジになったと聞きました。自分に少し甘すぎやしませんか」  「だが」  レインはレナードを咎めるようにアクアマリンの眦を吊り上げた。子を持ってわかったが、自分はかなり過保護な性格をしているらしい。  子どもたちに危ないことはさせたくないし、健やかにのびのびと育って欲しい。  できることなら一生城から出ないで欲しいくらいだ。  それをレナードに言うと彼は呆れていた。少し、いやかなり親馬鹿なのだろう。  眉間の皺を揉んでいると下の子たちがレナードの足にまとわりついた。  「ははうえ」  「はぁ〜」  子どもたちに次々と呼ばれ、レナードは目尻を下げた。愛おしさは際限なく溢れる。  幸せを噛み締めていると外の見張り塔から耳をつんざく鐘の音が聞こえてきた。  「魔獣が現れた! 南門だ!」  レナードはすっと立ち上がり、乳母を呼んだ。  「子どもたちを頼む」  「かしこまりました」  乳母は下の子たちをさっと抱きあげて城の中に避難した。従者たちが城内を慌てて走り回っているのが見える。  レナードは剣帯をひと撫でし、立ち上がった。南門の空に花火が打ちあがっている。  レナードの行く手を阻むようにレインは両腕を広げていた。  「母上、自分も行きます!」  レインはまだ諦めていななかったらしい。その両目は鋭さがあり、一丁前に剣帯まで付けている。  その負けん気の強さはフリッツに似たのだな、と夫の顔が浮かんだ。  レナードが小さな頭を撫でてやると黒い髪がしっとりと手に馴染む。  「レインはこの城を守ってくれ」  「城を、ですか?」  「そうだ。レインが弟妹、これから避難してくる領民たちを守ってくれるとわかってくれるだけで、俺たちは安心して戦える」  役目を貰えたレインの瞳に光が刺す。すくっと背筋を伸ばし、胸に手を当てた。  「わかりました」  「頼んだぞ」  レナードは外に飛び出した。領民が城へ避難してくるのとは逆に門へと向かう。  「レナード様、お願いします!」  「頼みましたよ!」  「任せておけ」  すれ違う領民たちに喝をもらい、レナードはぐんとスピードをあげた。  「遅い!」  門へ着くとすでに衛兵たちと陣形を取っていたフリッツが眉を寄せていた。  「すいません。レインにまた愚図られてしまって」  「おまえも過保護過ぎるぞ。あいつも九つだ。自立させてやれ」  「でもどうしても心配なのです」  「はぁ……まさかレナードがこんなに子離れできない奴だとは思わなかった」  「それはあなたもでしょ? 双子たちはそろそろ婚約者を決めなければいけないのに、まだ早いまだ早いって」  「七歳に婚約者は早いだろ」  「あなたは七歳でミシェル様と婚約してましたよ」  「あれは同盟だ」  「御二方、来ますよ!」  レナードとフリッツの口喧嘩の仲裁に入った衛兵は呆れている。  本音を言っても受け取ってもらえるという信頼感があるから、衝突することは多い。でも剣幕になるどころか、フリッツの心根を知れて嬉しくなってしまうのだ。  だから安心してぶつかれる。  それはフリッツも同じのようで、瞳にはレナードに対する好意が見えていた。つい甘い雰囲気になりそうになると魔獣の咆哮が二人の間を引き裂いた。 フリッツが杖を構える。  「では行くぞ。レナード、おまえは時間を稼げ」  「はい」  フリッツが詠唱を始める。空気がピンと張り詰めて、気温が下がった。  ふぅと白い息を吐き、レナードは重心を低くする。  「俺に続け!」  レナードは一歩踏み出し、魔獣に飛びかかった。

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