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現在 プロローグ

 古びた木枠の窓の外に、春の花が咲いていた。リュンクスは花びらの数を数えて気をまぎらわす。窓の外を見つめる彼の瞳は、芽吹いたばかりの新緑の色をしていた。  春は、厳しい冬を越えて久方ぶりに花が咲く時期であり、出会いと別れが交差する特別な季節だ。  ここは魔術師の卵が集まる【研磨の塔】。    今年も国内外を問わず、各地から魔術師を目指す若者が集まってきた。  魔術師の子供は十代の中頃になると試験を受け、塔にやってくる。塔で魔力の制御と、魔術に関する専門知識や技術を学ぶのだ。  俗世から離れた深山の奥に、研磨の塔は建っている。  十二階建ての塔と、塔を取り巻く大小様々な学舎、衣食住を(まかな)う店さえ建っている広大な敷地を、灰色のローブを着た新入生たちは観光気分で眺めている。  入学式が終わり、教室に入ってもざわざわと落ち着かない様子だ。  かつては自分もそうだったと、リュンクスは懐かしく思い出していた。 「静粛に」    壇上に立った教師が木槌を鳴らした。  教師は、漆黒のローブをまとった壮年の男性だ。  新入生が着ている灰色のローブは、資格を持たない一般の魔術師がまとうもの。対して、黒いローブは教師と一部の生徒しか着ていない。  漆黒のローブは、貴石級の証だった。塔の教師ともなれば、最低でも貴石級の資格を持つ魔術師が雇われる。  リュンクスも学生ながら、黒いローブを羽織っていた。 「新薬の開発で、十二位の紫水晶の資格を取得した、五年生のリュンクス君から話がある。君たちの先輩だ。ちなみに、在学中に貴石級に上がる生徒は滅多にいない。今の内に知り合っておけば、研究の内容をこっそり教えてくれるかもしれんぞ?」    教師は隣に立っているリュンクスを、冗談めかして紹介した。   「先生、魔術師は自分の研究の内容を、他人に話さないものでしょう」 「そうだったそうだった」    軽口を叩く教師を、軽くにらむ。  新入生の緊張をほぐすジョークだと互いに分かってやっている。他愛ない雑談の応酬に、想定通り新入生の間から笑いが漏れた。  タイミングを見計らい、リュンクスは前に出る。   「先ほど紹介に与《あずか》った五年生のリュンクスだ。俺が駆り出されたのは、新入生歓迎会の告知のためだ。授業が終わった後、夜に食堂で歓迎会をやる。以上」 「ちょっとちょっとリュンクス君。それじゃ本当に告知だけじゃないか。もっと先輩らしく、ためになる話をしなさい」    壇上から必要事項を述べて下がろうとすると、教師が引き留めてくる。  面倒くせー。リュンクスは溜め息を噛み殺した。   「例えば、どんな話をすればためになるんですか? 魔術を教えるのは教師の役目でしょうに」 「魔術以外の話をしてはどうだ? 例えば、魔術師の属性の話とか」    教師は意地悪い笑みを浮かべた。  リュンクスがあまり触れたがらない事を見抜いて、わざとやっているのだろう。  属性……それは塔で学んでいく上で、避けては通れない話題だった。  いささか昼間にそぐわない話だが、とリュンクスは気の進まないものを感じながらも、軽快な口調で新入生に説明を始める。   「……じゃあ、属性の話をしよう。俺たち魔術師には、マスター、サーヴァント、ノーマルという三つのタイプがある。マスターは支配する属性。サーヴァントは支配される属性。ノーマルはそれ以外」     リュンクスは新入生の顔を見回し、ピンと来ない顔つきをしている者が半数程度いることに気付いた。   「魔術師の名家に生まれた奴は、もう色々知っているだろうけど。一般の家に生まれて魔力があったからここに来た奴、親がまだ早いと教えなかった奴。今の内によく聞いておけ。なんも知らないでいると、手痛い洗礼を受けるぞ」    昔の自分がそうだったように。  だが、いざその時にならないと当事者の実感は沸かないものだ。   「属性は、魔術にも関係がある。例えば召喚魔術。マスターの魔術師は、モンスターと戦って屈服させて支配する。その逆にサーヴァントの魔術師は、モンスターに自分の血や精液を与えて使役する。自分のタイプによって、魔術のアプローチが変わる」 「マスター、サーヴァントの魔術師は、魔力が総じて高くなる。貴石級の魔術師にノーマルはいない。だから魔術師として大成したいなら、子供の内に属性を決めろ、という教師すらいる」    マスター属性とサーヴァント属性の魔術師は、奇妙な主従関係を結ぶ。一般人が考える、主人と奴隷のような一方的な関係ではない。そこには利害の一致と、親愛がある。  魔力を通わせ、足りないものを補いあう。  そこには、友情を越えた執着が生まれることもある。   「……マスター属性の魔術師は、いつも下僕にできるサーヴァントを探している。お前ら、上級生には気を付けろよ。試験内容を教えてやるなんて甘言に乗って、人気の無い部屋に引き込まれたら終わりだからな」    これで義務は果たしただろう。  リュンクスは話を切り上げようとした。 「質問はあるか? 無ければこれで終わりにしよう」 「はい」    新入生の一人が手を上げた。  隠しきれない興味の色が、その表情に現れている。   「リュンクス先輩は、属性は何になるんですか?」    一番遠慮して欲しい質問が来た。  リュンクスは今度こそ溜め息を殺さずに、心底面倒くさそうに答えた。   「俺はサーヴァント属性」 「え?」    教室の一部に驚愕が広がる。  無理もない。  リュンクスは、サーヴァント属性に多い、いつも命令を待っている大人しい魔術師ではない。  細いが引き締まった体格で、全身から野生の獣じみた空気を発散している。綺麗めの顔立ちではあるが、新緑の瞳には強靭な意志がにじみ、剣呑な目付きをしていた。友人からは「いつも怒っているように見える」と評判である。   「以上。あとは先生に任せます」    言うだけ言って、壇上から降りる。  その颯爽とした後ろ姿に、多くの新入生が惹き付けられていると、リュンクス自身は気付いていなかった。 

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