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四年前 01 塔からの招待状
行かないで。
置いていかないで。
「お母さん!」
自分の声で、目が覚めた。
「……夢か」
リュンクスは、日が差し込んでいる木製の天井を見上げる。
もう十二になるのに、子供の頃の夢を見てしまった。母親がいなくなったのは、物心付く前だ。ずっと父子家庭で育ってきた。
朝だよ。朝だよ。
ピチピチと鳴く鳥の声と、窓辺で踊る小さな妖精。
あら、お客様だわ。
「ん?」
大きな白いフクロウが、父親の部屋の窓を突っついている。
リュンクスは飛び起きて、まだ寝ている父親の部屋に急いだ。窓を開けてやると、フクロウは部屋に飛び込み、寝坊助の父親を起こしてくれる。
「うわあっ」
父親の悲鳴を無視し、いつも通り、水汲みと朝食作りをしようと、外に出ようとする。
「待って、リュンクス! 合格だって!」
「え?」
部屋から飛び出して来た父親は、呆気に取られるリュンクスを呼び止め、狂気乱舞した。
その手には、フクロウが運んで来たと思われる、巻物が握られている。
「すごいよ! 君はやっぱり、シルヴィーの子供だ。君のお母さんはね、とても有名な魔女だったんだよ!」
リュンクスが、魔術師の学校【塔】について知ったのは、父親の元に、子供に魔力があるなら、魔術を学ばせるよう、地域の魔術師のまとめ役から手紙が来た時だ。
正直、リュンクス当人は、乗り気ではなかった。
「もし万が一受かったら、少なくとも三年は帰れないんだろ。俺が家事をやってるのに、父さんは何を食べて生きてくつもりなのさ」
父子家庭なので、リュンクスは自然と家事を覚えた。
薬師をやっている父親の仕事を手伝い、大人と話す事も、しばしばある。そんな環境で育ったので、リュンクスはしっかり者だった。
癖のある猫っ毛の黒髪をうなじで括り、翡翠の瞳は少し吊り気味。背丈は同世代の平均だ。よく見れば整った顔立ちなのだが、身なりを気遣っていないので、農民の子供に見える。
近くに、リュンクス達親子と同じような魔術師は住んでいない。
唯一、同類と触れあう機会があったとしたら、隣町に住んでいた年老いた魔女ぐらいだ。
「妖精を見て話せるくらいの魔術師は、どこにでもいるさね。小僧っ子は塔に入れるような才能は持っておらんよ」
可愛がっていた孫娘が塔の入学試験に落ちて帰ってきたので、リュンクスが受かるものかと、彼女は辛辣《しんらつ》だった。
老婆の言うとおりだと、リュンクスも思った。
魔術師の子供と言っても、出来る事はせいぜい、妖精に頼んで近所の家に悪戯を働くくらい。
その程度で合格できるほど、世間は甘くないはず。
「リュンクスがいなくても、何とかなるよ……たぶん」
「たぶん?」
「それよりも、駄目でもともとじゃないか。試験を受けてみなさい」
無理だろうなぁ、と思ったが、リュンクスは父親がどうしてもと勧めるので、軽い気持ちで試験を受けに行った。
筆記試験で回答を書けたのは半分ほど、実技試験はまともな魔術など教わっていなかったため棄権。試験会場にいた妖精と世間話をして、落ちたとなかば諦めて帰った。
だが、驚いたことに数日後に合格通知が届いた。
「なんで?!」
父親は狂喜乱舞したが、リュンクスは合格した理由が分からない。
しかし、受かってしまったものは、仕方ない。
リュンクスは支度をして、父親と共に、遠方にある塔へ向かった。
空を飛ぶ魔術も使えず、使い魔を召喚もできない親子は、地道に徒歩で山を越える。
塔のお膝元の街、ミスティアまで約一ヶ月かかった。
「元気でね」
「……父さんも」
名残惜しい気持ちを振り払い、父親と別れて、森に足を踏み入れた。
森の中は、一本の細い道が続いている。
真っ直ぐ続く道は、途中で深い乳白色の霧に覆われて、行方を失っていた。
「道なりに歩けば着くって書いてあったけど」
案内状を持っている者しか塔に辿り着けないよう、森に魔術が掛けられているらしい。何も知らない一般人は霧に迷わせられ、いつの間にか森の外に出ているという寸法だ。
「本当に、この先に建物があるのかなあ」
一人で不安に思いながら、リュンクスは歩いた。
しばらく進むと、霧が風に吹かれて消えた。
「うわっ……あれが塔?!」
リュンクスは息を呑む。
突如、霧が晴れて森にそびえ立つ塔が現れた。天辺が確認できないほど高い円筒形の建造物が、視界を圧倒する。霧さえ無ければ、森の外からでも見えるかもしれない高さだ。鳥の群れが中層近くを飛翔し、天から降り注ぐ光が象牙色の外壁を照らしている。
生まれて初めて見る高層建築に、リュンクスは驚愕する。
しばらく突っ立っていたが、我に返って歩き出した。
もう迷うことはない。目的地が見えているのだから。
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