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第5話
あ~。
まあ、そうだろうな。
俺はそう考えて頭を掻いた。
そもそも市中警邏隊なんて高位貴族の子息が入るところではない。警邏隊の隊員はほとんどが平民出身か、低位貴族の三男坊以下が来るところだ。華やかさもないし大きく活躍する場があるわけでもない。
ところがそんな市中警邏隊に自ら志願して入隊してきたのが、ユラール=ハザルインだったのだ。ユラールは次男とはいえ名門ハザルイン侯爵家の子息だったし、学院でも文武両道を地でいっていてかなり優秀だったと聞いていた。無論近衛隊や騎士団からも誘われていたらしい。それなのになぜか警邏隊に入ったのだ。
ハザルインが他の隊員から煙たがられていたのもそういう事情があるからである。どうせそのうち出ていくつもりなんだろう、貴族の気まぐれだろうとさんざん言われていたのだ。
だがユラールは警邏隊の仕事をきっちり五年もの間勤め、分隊長として後進の指導にも熱心に当たっている。少しずつ理解は進んでるんじゃないか、というところではあった。
だが、貴族側としてもこれ以上平民の多い警邏隊なんかに、高位貴族の子息を置いておくわけにもいかないのだろう。
おそらくユラールが望んでいなくても警邏隊の所属は解かれることになる。そして騎士団のどこかに配属されるのだ。
そうしたら宿舎も騎士団寮になるだろうし会う機会も減ってしまうのかもしれない。ていうかもう会わない方がいいのかもしれない。
「好きだなって、思った途端にこれかあ‥」
気持ちが沈むのを感じながら、のろのろと書類を取り上げた。
その後、丸五日ユラールと顔を合わせることはなかった。三日は警邏隊の仕事が忙しかったから、二日はユラール自身が騎士団に呼び出されて不在だったから。
三日に一度は隊内でユラールを見かけていただけに、そしてたった二度だけとはいえああいう付き合いをした後だっただけに、会えなかった五日間が長く感じた。
警邏隊の中でも、やっぱりユラールはここには長居しないんだろうな、という空気ができ始めてきていた。これではユラールはここにいたくてもいられないだろう。
その方が、ユラール自身にとってもいいのかもしれない。
こんな、いい加減な男に好かれているよりは。
だって俺はまだあの夜の事を全く思い出せていない。ユラールに「嬉しかった」と言わせ、あんなに可愛い顔をさせた夜の事を全く覚えていないのだ。
ユラールの事を騙しているようで、それは辛い。
次に会えたら、俺は正直にあの夜を覚えていないことをユラールに言うべきだ、と決めた。そして笑顔でお祝いを言って、綺麗に別れる。
‥‥のは無理かも。
俺は、またあのかわいいユラールの顔が見たい。
俺の下で喘ぐエロいユラールが見たいんだ。
あのユラールのしなやかな筋肉に覆われた引き締まった身体を抱きしめたい。
そう思った六日目、ユラールの方から俺のいる控えの間にやってきてくれた。ユラールの顔色は酷かった。
「ザンダー副長」
「ユラール」
まあ座れ、と椅子の埃をはたいて勧めた。最近入った評判のいい珈琲を淹れてやる。
「ミルク入れるか?砂糖は?」
「要りません」
テーブルにカップを置いてやると、ユラールは俺をすがるような目で見てきた。
「副長、俺は警邏隊に必要のない人間ですか?俺がいることで警邏隊に不利益が生じていますか?」
「‥‥何言ってんだお前」
俺がそう言うとユラールは力なくうなだれた。
「警邏隊の者は、そう思ってるやつが多いって‥聞いたので‥」
ユラールは弱々しい声でそう言うと、椅子に腰を下ろした。俺は色々と考えながらユラールに声をかけた。
「ユラール、まずお前がいることで生じる不利益なんかない。それは俺が断言する。そして必要な存在でもある。だがな、ユラール」
おれもユラールの向かいに座って、うなだれたままのユラールをじっと見つめた。
「お前のキャリアを考えれば騎士団に行った方がいいとは思ってる。どこからの引きだったんだ?」
「‥赤騎士団です」
「エリートコースじゃねえか」
我が国の騎士団は四つあり、それぞれ名前に色がついている。赤騎士団は王都周辺の警備及び要人の護衛、青騎士団は海側領地における海戦用騎士団、黒騎士団は国境沿いに展開される屈強な防護隊、白騎士団は主に救護や非常時の避難を請け負う治癒に特化した騎士団だ。
赤騎士団は近衛隊とも近く、要人と接する機会も多いので出世する機会が多いと言われている。事実、赤騎士団出身の大臣なども多い。
ユラールは実家も名門貴族である上、見栄えもいいから赤騎士団から引きが入ったんだろうな。
「別に俺は出世したいわけじゃない」
「そう言うなよ。俺たちじゃ逆立ちしたって赤騎士団なんか入れねえんだ。こんな警邏隊なんかでお前をくすぶらせるのはもったいねえと俺は思ってる。‥受けろよ、その話」
ユラールはばっと顔をあげた。綺麗な青い瞳は涙で潤んでいた。
「‥副長は、俺が、警邏隊にいなくても、いいんですか?」
俺はテーブルの上の身を乗り出して固く握られているユラールの手を、自分の両手で包み込んだ。そしてそのまま引き寄せて手の甲に口づけを落とした。ユラールがぐっと息をつめたのがわかった。
俺はユラールの顔を見てニヤリと笑った。
「警邏にいなくても、俺はお前と会う。‥飯食って喋って、そんでお前を抱くよ」
ユラールの顔がじわじわと赤くなった。かわいいなおい!さっきまで泣きそうだったくせに、ちょっと嬉しそうじゃねえか!
「貴族の俺でも‥副長はいいんですか?」
そう呟いたユラールの顔が暗かったから、俺はかぶせるように言った。
「まあ、‥結婚はできねえけど、俺はお前のこと抱きたいと思ってるし、好きだぜ‥」
いや、でもその前に俺はユラールに言わなきゃなんねえことがあるんだよな。
俺は一度ユラールの手を離して席から移動すると、ユラールの後ろに回って抱きしめた。びく、とユラールの身体が硬くなったのがわかる。俺はユラールの首元に顔を埋めながら言った。
「‥でもな、ユラール。ごめん、俺、お前を初めて抱いた夜の事‥全然覚えてねえんだ」
ひゅ、と小さく息を吸ってユラールが身体を強ばらせたのがわかった。‥ああ、傷つけちまったかな。怖がらせてるかもしれない。
怒らせたかもしれないな。
でも俺は、今の俺の気持ちを正直に言うしかない。
「ごめんな、ユラールがあんなに喜んでくれてた夜の事を、俺全然覚えてなくて」
「‥‥‥副長、は、‥本当は俺と付き合いたいとは、思ってなかったんですか‥?」
俺はユラールを抱きしめている腕にぐっと力を込めた。そして首筋に口づけを落とす。
「俺はあの朝見たユラールのかわいらしさにやられたんだ。だから、あの後誘われた時お前の家に行っていいか‥ちょっと迷った。多分、お前のこと抱きたくなると思ったから。案の定我慢できなかったけどな」
少しずつ、ユラールの身体から力が抜けていくのがわかった。俺の気持ち、ちゃんと伝わってるだろうか。
「ユラール、あの夜のことは覚えてねえけど、お前が好きだ。他の奴にお前を触らせたくねえくらいはお前の事が好きだよ。だからこれからも俺と会ってくれるか?‥まあ、会ったら抱くと思うけど‥」
「俺の‥身体、が好きなんですか?」
ユラールは綺麗な顔を少しゆがめたまま、そう呟いた。あー、そうかそういう風にも取れちゃうか。だめだな俺やっぱ学がねえから、うまくユラールを説得できない。
「お前の身体も好きだよ。筋肉しっかりのってんのに、柔らかくて俺の手に吸い付いてくる、いい身体だ。でも、おれはユラール自身が好きだ。いつも一生懸命鍛錬してるところも仕事に真面目に向き合ってるところも部下の面倒見がいいところも」
そう言ってユラールの耳たぶにちゅっと口づける。失敗した、今ユラールがどんな顔してるか見えない。
「信じられねえかな?」
俺はユラールの甘い匂いがする首筋から顔を離して、ユラールの顔をこっちに向けさせた。身体をねじって俺の方に顔を向けたユラールは少しだけ頬を赤くして、でも、表情は固いままだった。
「‥信じ、たいです。でも‥あの夜を覚えていないんですよね、副長」
「‥‥わりい」
「少し、頭を整理したいので‥時間をください」
ユラールはそう言うとゆっくりと立ち上がり、俺から離れてお辞儀をすると控えの間から出て行ってしまった。
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