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第8話

自分の分隊と、市中警邏隊の三役が揃った飲み会だった。分隊員たちはユラールに対して一定の尊敬を向けてくれるので、いつもなら断る飲み会も今回に限り参加した。ユラールの分隊がこのところ被害が出ていた窃盗団を検挙したことから、そのねぎらいということで隊長が奢ってくれたのだ。 家族持ちの隊員たちは早めに土産を持って帰り、端っこで飲んでいたユラールが気づいた時には分隊員たちはみな帰った後だった。じゃあ自分もそろそろ帰るか、と思った時に隊長に呼ばれた。 「おい、ハザルイン、こいつの世話頼んどくわ」 「え?」 隊長が首根っこを掴んで提げてきたのはシュレンだった。顔を赤くしてへらへら笑っている。 「珍しくこいつ飲んじまってるみてえだからさ。世話頼む。家は宿舎だから、宿舎の玄関に放り込んでくれればいい。俺の家は宿舎と反対方向なんでな、もう帰るわ」 そう言ってぱちりと下手なウインクをすると、強面の隊長は他の三役とともに店を出て行ってしまったのだ、 残されたのは、隣に座っている‥というかほぼ突っ伏しているシュレンと自分一人。本当なら願ってもない機会ではあるが、何分シュレンが酷く酔っているので話にならない。 赤い顔で机に突っ伏しているシュレンに声をかける。 「ザンダー副長、皆さん帰りましたから、ほら一緒に帰りましょう」 店の払いは宣言通り隊長がすませておいてくれたようなので、そのまま帰るべくシュレンの腕を自分の肩に回してぐっと起こした。 「まだぁ、飲むぅ」 「もうお勘定しましたから飲めません、行きますよ」 「じゃあお前んちで飲むぅぅ」 そんなことを言うシュレンの顔は赤らんで、酒に酔った無防備さも加わり変な色気があって。 ユラールは無言でシュレンを抱えあげ、店を後にした。あの時、顔が熱かったから自分はきっと真っ赤になっていたのだろう、と後から思った。 宿舎に向かって歩こうとしたが、ここからなら自分の家の方が近いな、とふと思った。肩にかついだシュレンの身体は、さすがに鍛えたもので重い。 「副長、俺の家に行きます、飲みませんけど」 「ハザルイン、の家ぇ?」 「はい、その方が近いんで」 「‥‥貴族の、家は、だめだぁ、俺‥クソ平民だしぃ」 「俺の、独り暮らしの、家ですから」 ずるずるとシュレンを引きずって歩きながら、ああ、やはりこの人は貴族が苦手なんだな、と思い知らされて、ユラールは胸がぎゅっと締めつけられるようだった。 「ハザ、ルイン、だけの、家、かあ」 ようやく家の扉の前まで来た時、シュレンがそう言った。 「お前、しかいねえ、の?」 「独り、暮らしですから、ね!はい、入ってください」 何とか扉を開けて、一脚だけの大きな長椅子にどさりとシュレンの身体を座らせた。すぐにだらりと姿勢が崩れる。仕方ないな、と足をあげさせ靴を脱がせた。 そして制服の上着を脱がせようとボタンに手をかけたとき、シュレンがぐっとユラールの手を取った。思いがけないその力に、ユラールははっとしてシュレンの顔を見る。 「ユラール‥ハザルイン」 「‥は、い」 「お前‥貴族、やめんの」 どういう意味の問いなのだろうか。‥貴族でなくなってほしいのだろうか。だとしたらそれは、どういう意図があるのだろうか。 ぐるぐると考えても結論が出ない。どう答えていいかもわからずに、ただ黙ってシュレンの顔を見つめていた。 すると、シュレンの手がそっと持ち上がりユラールの頬にかかった。くい、と軽い力で引き寄せられる。 (‥え) ちゅ、と唇が重なった。 柔らかく、熱い唇の感触。 今、シュレンにキスをされたという事実が、ユラールには呑み込めない。 「副、ちょ‥」 「貴族じゃ、なくなる、なら‥俺と、付き合えよ‥ユラール」 「へっ?え、え?」 シュレンは、混乱してやたらと瞬きをしているユラールの顔を見て、へらっと笑った。 「お前、のこと、好きだ、ユラール。いつも、‥何、言われても、頑張ってて、すげえよな」 「副長‥」 シュレンは大きな手のひらですりすりとユラールの頬を撫でる。 「貴族じゃなくなる、なら‥俺と、付き合え、るよ、な‥?」 そしてまたくいと引き寄せられて、キスをされる。今度は唇の表面を舌先でねろりと辿られた。背中と下半身に、ぞくぞくとした快楽が奔り抜けた。 「あ‥」 またシュレンは笑う。 「感じてんのか‥?かぁわいいなぁ‥なあ、ユラール。抱かせろよ‥ただの、男のお前を、さ‥」 ユラールの理性はそこでぶちりとちぎれた。 今まで貴族としての肩書を見ないものはなかった。ユラールを求めているようでいて、必ず背後の貴族の家をも求められていた。 友も婚約者候補も、本当に自分という人間を見てくれたことなどなかったように思った。 自分という人間の価値が、貴族であることを上回ることはないのだろう、と漠然と思っていた。 だが、今目の前のこの男は、貴族ではない自分がいいと言った。 ただの男である自分を抱きたいと。 言い方からすれば、むしろその方がいいのだとも取れる。 分隊長として、侯爵家子息として気を張っていた自分の殻が、パキパキと割れて崩れていくのを感じた。 「副長、ザンダー副長‥!」 目の前の男の首に抱きすがる。目尻から涙がこぼれているのがわかった。情けない、こんな事で泣くなんて。 シュレンはのろのろと手をユラールの頭に当ててゆっくりと撫でた。愛おしそうに髪を梳く。 「‥‥ばっか、お前‥泣くなよ‥かわいいから抱き潰したく、なんだろ‥?」 そう言うや否や、シュレンはぐるりと身体の位置を変えてユラールの身体を下にして組み敷いた。じっと顔を見つめてへらりと笑う。 「俺以外に‥その泣き顔、見せんなよ」 そこから始まった熱い口づけと、すべてを奪われるような交合。 今まで味わったことのなかった未知の快楽にユラールは翻弄され、その中の甘さに溺れたのだ。 ユラールはすやすやと眠っている男に、軽く口づけた。貴族の役割と使命から逃れられない自分は、シュレンの傍にはいられないのかもしれない、シュレンはそんな自分を疎ましく思うかもしれない、という懸念が、昨日の甘い交合で溶け去っていった。 なんだかくすぐったい感じがして、意識が浮上する。薄く目を開けると、すぐ目の前にユラールの綺麗な顔があった。その顔は俺の唇にちゅっとかわいいキスを落としてくる。 俺は腕を回してユラールを抱きしめた。起きているとは思わなかったのか、ユラールが驚いて唇から離れようとする。 その頭を押さえ込んでぐっと深いキスをした。舌を絡めてユラールの甘い唾液を啜る。 「ふ、うう、んんっ」 鼻から抜ける声が艶めかしい。朝だから俺の息子も俄然元気を取り戻している。よし朝一発抜いとくかとユラールのちんこを探ろうとしたとき、ガジッと唇を嚙まれた。 「んあ、痛てっ」 「‥何しようとしてるんですか」 「‥‥朝のいちゃいちゃセックス?」 今度はなかなかの本気拳がガンと頭に降ってきて、マジで痛かった。 「いてえよ、ユル‥」 「仕事です!俺は今日早番なんでもう準備しないと」 そう言ってユラールはさっと起き上がってその裸身を晒した。背中には俺がつけた痕が散らばっている。 「今日も隊で着替えはすんなよ~」 後ろから声をかけてやると、真っ赤な顔で睨まれた。そのままユラールはシャワーを浴びに行ってしまった。 俺はユラールのベッドにごろりと横になった。 貴族と結婚、できないんだよなあ平民は。しかも、ユラールは次男とはいえ高位貴族ハザルイン侯爵家の子息だ。まあ、最近は魔法医学の発達で同性同士でも子どもは望めるらしいが、それにしたって相手に平民の男はない。 シャワーを浴びて戻って来たユラールに、俺はベッドから起き上がって声をかけた。 「ユル」 「はい、何ですか?すみませんが俺時間がないので、朝食は何でも好きに使ってください」 「お前俺と結婚したいか?」 髪をタオルで拭いていたユラールの手が止まった。ゆっくりと振り返ったその顔には、驚きと混乱が浮かんでいた。 「へ‥?」 「俺と結婚したいか、って聞いてんだよ」 ユラールは一度きゅっと唇を噛みしめた。それから鋭い目つきで俺のことを見てきた。 「シュレンはどう思ってるんですか」 「俺は、したいな、お前と結婚」 ユラールの鋭い目が見開かれ、そこに含まれていた険が消え去っていく。 「で、お前もしたいと思ってくれてんなら‥俺は平民でも入れる辺境の黒騎士団に入団して、騎士爵がもらえるように死に物狂いで頑張るわ」 ばさっとユラールの手からタオルが落ちた。茫然とした顔でこちらを見たまま、ユラールは突っ立って微動だにしない。俺はベッドから立ち上がって、裸のままユラールの身体を抱きしめた。 「俺のこと、好きなんだろ?頑張って来いって、言ってくれよ。待ってるって言え」 「‥‥待って、ます、シュレ、ン‥っ」 ユラールが涙声で俺に抱き着いてきた。俺も抱きしめ返して頭を撫でてやる。あ~ユラールの肌気持ちいい。 「ごめん、ユル、俺勃ちそう」 「‥っ、もう!あなたって人は!」 ドン、と俺の胸をついて距離を取ったユラールの顔は真っ赤で、まだ目尻には涙が溜まっている。 うん、かわいいな。 辺境に行ったらよくて半年に一回くらいしか戻ってこれない。年二回の逢瀬で俺が足りるとも思えないが、ユラールとの未来のためなら‥まあ頑張ってみるのも悪くはない。 「そんなかわいい顔、俺以外に見せんじゃねえぞ」 「‥‥はい」 ユラールは真っ赤な顔のまま、俺に笑ってくれた。 酒は‥まあ、騎士爵もらうまではやめとくかな。ユラール以外に俺がよろめくとは思えねえけどな。 ***************************** こちらで終わりです。お読みくださってありがとうございました。引っ張った割に「あの夜」大した内容がなくてすみません‥。

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