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それは呪いか祝福か

#1 呪い  まだ真夏の酷く蒸し暑い日、俺の彼氏は死んだ。  交通事故でほぼ即死、外傷は酷いものだったが幸い身体は繋がっていてまだ見られる遺体だった。  彼氏――幼馴染だった雨宮健斗(あまみやけんと)の家族、雨宮家には俺達が付き合っていた事は知られていたしその事を受け入れられていた為ごく身内のみの家族葬にも呼んで貰えた。もう何も言ってくれない冷たい遺体に向き合って、どうして、何でこいつが……とそう泣きじゃくって真実を受け入れるのには時間がかかったし今でも正直信じたくは無い。  幼稚園からの幼馴染で家も近所、小学校も中学校も高校さえも一緒。大人になった今でも家族同士も仲が良い。  付き合い始めたのは高校生最後の冬だった。健斗と二人きりで公園のベンチに座り、自販機で買ったホットの缶に入ったコーンポタージュを回し飲みしていた時に急に告白され、それを切っ掛けに自分も健斗が好きだという事に気付かされたのだ。  その時に飲んでいたコーンポタージュの味は今でも鮮明に覚えている。初めてのキスもその味だったから。  独りになったその日の夜。またあの公園の自販機で、夏場の為今度は冷たいコーンポタージュを買った。あの時のベンチに座ってキャップを外し静かに啜るとひんやりとして甘くて、濃厚な味が口の中に広がった。  七森包(ななもりくるむ)、それが俺の名前。またあの優しい低めの声で「包!」と名前を呼ばれた気がして顔を上げるがそこには当然誰も居なかった。じりじりとした蒸し暑さも夜になって少しだけ落ち着いたとはいえやはり暑い。  本格的に汗をかく前に家に帰ろうとコーンポタージュを一気に飲み干して立ち上がり、ゴミ箱に空き缶を放りカランという音を響かせながら帰路を辿る。二人で暮らしていたマンションも今日から一人になるのかと思うとより寂しさが込み上げた。  足取りが重い。現実を見たくない。健斗が居ない日常なんて考えたく無い。あいつが何をしたって言うんだ。あいつは馬鹿が付く程真面目で、まっすぐで、言わなくても分かる位俺の事が大好きで……本当に心から愛していた。  朝は癖っ毛の黒髪に対していつもヘアアイロンとヘアワックスで格闘して、綺麗に整え終わったら見て見てとまるで犬の様に駆け寄って来るし料理も上手くてあいつの作る夕飯のハンバーグはどの店よりも美味い。180センチのデカい身長で、大きな目はいつだって俺だけを見ていた。そこまで考えてああ、どうして思い出してしまうんだろう。もう居ないというのにと思い知らされる。いつも当たり前に隣にあった温もりはもう何処にも無い。  葬儀の時、小さなセレモニーホールで泣きじゃくる俺に健斗の両親は肩を摩って優しく接してくれた。皆が皆、それぞれに涙を流していたのを覚えている。その位、本当に……良い奴だったんだ。  火葬場で焼かれ、骨だけになった健斗だったものを見てもあいつが死んだという現実はやはり受け入れられなかった。これは何かの悪い夢で、目が覚めたら隣で「おはよう、包」と大きな手で髪を撫でて笑い掛けてくれるんじゃないかと思いたかった。  夢ならば痛くない筈、そう考えて両手で自分の頬を叩くが無情にも微かな痛みが走る。夢なんかじゃないと現実を叩き付けられている様で最悪だ。  歩きながらそんな事をしている内に住んでいるマンションの前まで来てしまい、渋々ポケットから鍵を取り出し自動ドアを潜ってマンションの中に入り迷う事無く自分の家に辿り着く。マンションの廊下の電灯が瞬く様に点滅し、何か違和感を感じた。  そうは言ってももう疲れたし廊下の電気が切れそうだという報告は管理人に明日電話すれば良いだろう。そう思って扉の鍵穴に鍵をさし込み捻ればガチャ、とロックが外れる音がする。扉を開けて中に入れば当然家の中は真っ暗で、伺い見れるベランダからは月明りがリビングに注いでいた。 「……ただいま」  もう誰も居ないというのに、習慣というのは嫌な物でこうして帰宅の合図を呟いてしまう。手探りで電気のスイッチを入れるとパッと部屋に明かりが灯る。扉に鍵を掛けて靴を脱ぎ、片手でネクタイを緩めて我が家に上がった。 「おかえり、包」 「……は?」  変わらず重い足取りでリビングに入り電気のスイッチを入れると背後から何者かに抱き締められた。でもそれに温もりは無く冷たい。恐る恐る振り返ると、そこに居たのは肩に顎を乗せて甘える様に擦り寄って来る健斗で思考が停止する。何が起きているのか分からない。 「俺、やっぱ死んだんだよね?」 「……何で居るんだよ」  ぽた、ぽたと雨が降る。否、部屋の中で雨なんか降る訳がない。それが自分の涙だと気付くのは容易だった。 「人ってさ、未練があると魂が残っちゃうって言うじゃん?俺、包を置いて逝けなかったんだと思うんだよね」 「てか、何勝手に死んでんだよ!馬鹿野郎!」  一度流れ出した涙はもう自分では止められなかった。確かに抱き締められていると感覚では分かるのに、やはり温度はとても冷たい。その温度一つで、こいつは生きているものでは無いと分からされるのが辛かった。 「ごめんね、包。ごめん……」  温度こそ感じられなくてもその優しさはやはりこいつを健斗だと思わせてくれる。無理やり身体を反転させて健斗の唇にキスをした。こいつが今幽霊なのかそれとも何かの化け物なのかは分からないが、確かにそこに居て触れられる。この際もう何だって良い、一分でも一秒でも永く傍に居られるならそれで良かった。 「どこもかしこも冷てぇんだよ馬鹿」 「ごめん……俺、死んじゃってるし……」  温度の無い唇から離れ、視線が絡み合う。ああ、やっぱり健斗だ。見間違える筈が無い。また一筋涙が頬を伝って落ちていく。 「なら俺、お前に取り憑かれたって事?」 「悪霊みたいに言わないで欲しいけど、でも実際そうなのかも?」 「なら俺が死ぬまで取り憑いてろ、先に成仏しやがったらマジで許さねぇから」 「けど良いのかな……俺多分幽霊でしょ?やっぱりこんなの変だよね」  健斗が渋い顔をして自分の身体を触ってうーんと唸りながら現状を確かめている。確かに普通の幽霊が触れるなんて聞いた事が無い。幽霊と言えば脚が透けてるとか白い服で佇んでるとか人を呪うとかそういうイメージだ。しかし健斗はいつも通りの小洒落た水色のシャツにジーンズで別に白い服を着ている訳でも無ければ透けてもおらず何より手を伸ばせば触る事が出来る。やはり温度は無いが。  触れると冷たい健斗の頬を撫でて、もう片方の手の甲で涙を拭う。例え他人からすれば可笑しな関係だろうと構わない。例えこれが一種の呪いだとしたらそれも上等だ、受けて立つ。 「幽霊なら幽霊らしく俺を呪えば良いだろ。死ぬまで絶対に離さないって」 「包らしいね。じゃあ包が死んでも愛し続けてやるって呪いをかけてあげる」  また温度の無い腕に抱き締められる。それは冷たい筈なのにどうしようもなく心を暖かくした。もう一度啄む様に唇を重ね、そしてそれを何度も繰り返す。  果たして、それは呪いか祝福か。 #2 写真  朝目が覚めると、隣には幽霊になった健斗が居た。  カーテンの隙間から漏れる朝日は外の暑さを感じさせる明るさ。気怠い寝起きの狭間で何度も瞬きしてやっと意識を浮上させる。  横を見ればいつもの様に、俺の殆ど金髪に近い茶色の髪とピアスの付いた耳を健斗が撫でてそのまま愛おしそうに見詰められた。 「おはよう、包」 「……おはよ」  何も変わらない朝、そんな風に錯覚してしまいそうになるが触れた手にいつもの温もりは無くて、ああやっぱりこいつが死んで幽霊になってしまったのは夢では無いのだと思い知らされる。  アラームより早く起きてしまったのか、手探りでスマートフォンを掴み画面を確認するとやはりまだ起きるには早い時間だった。 「健斗、寝てねぇの?」 「俺さ、眠れなくて……っていうかビックリする程全く眠くなくて、夜中に実家行って来たんだ」 「そっか……」 「仏壇にじいちゃんの遺影があるんだけど、その横に俺のも増えてて。あーやっぱ俺死んじゃったかーって」  困った顔で笑みを浮かべる健斗に何で笑えるんだよ、とそう思ったが言葉にはしない。何と声を掛けるのが正解なのか分からないからだ。 「薄々分かってたけど、実家に入る時ドア開いた音で母さんが出て来たのに俺の事見えてなかったみたいで。怖がらせただけだったし俺が何をしてもそっか、これ周りからはいわゆる心霊現象にしかならないんだって思った」  少しだけ寂しそうな声色で語る健斗を何も言わずに抱き締めてやると背中に温度の無い腕が回される。死んで幽霊になったなんて現実叩き付けられて、健斗だって辛い筈だ。 「……俺には見えてっから」 「うん」 「見えてるし、こうやって触れる。俺は健斗がちゃんと居るって感じられんだよ」 「……包は本当にあったかいね」  少しでも体温を分けてやりたくて、でもそんな事出来ないなんて分かり切ってるのに抱き締める腕に力を込めた。身体は冷たく、鼓動は聞こえない。生きていた頃の習慣でそうしているだけで実際は呼吸すら必要無いのかもしれなかった。  とてもじゃないが生きているとは到底言えない存在。触れる程に嫌という程現実を突きつけられる。でも生前の、俺が良く知っている健斗の姿で、声で、仕草で……全てがこいつは紛れもなく健斗なのだと物語っていた。 「お前、どこまで出来んの?」 「簡単な事なら多分大体は……まぁ傍から見れば全部心霊現象って事になっちゃうんだけど」 「じゃあ朝飯」 「ああそっか、お腹空いた?よね。待ってて、今試しに作ってみるから」  抱き締めていた腕を互いに解くとすぐに健斗がベッドから抜け出した。寝室から出て行く後ろ姿もいつもと何ら変わりない。透けている訳でもなければドアだってすり抜ける事無く開けている。  俺が健斗の死を受け入れられなかったから?それとも健斗が言った様に未練が形になったから?それは分からない。ただ真実なのは今此処に居る健斗は確かに死んでいて、幽霊で、俺にしか見えないという事。  スマートフォンを充電ケーブルから外してパジャマ替わりのハーフパンツのポケットに仕舞いベッドから降りると脱衣所にある洗面台へと向かった。洗面台の鏡を見れば我ながら酷い顔をしている。それはそうだ、恋人が死んだばかりなのだから。  二本並んだ青と黄色の歯ブラシから黄色の物を迷いなく手に取り、隣にあった歯磨き粉のチューブからブラシ部分に塗り付ける様に中身を絞り出す。歯ブラシを咥えると満遍無く前歯も奥歯も磨いて行き最後にプラスチックのカップに蛇口から注いだ水で口を漱いだ。  歯ブラシとプラカップを戻し前髪を掻き上げてから洗顔フォームを掌に出して泡立て、顔に塗り付ける。顔を洗っている内にリビングの方から良い匂いが漂って来て腹が鳴った。  急いで蛇口を捻って両手で水を掬い顔に塗布した泡を洗い流す。髭は永久脱毛している為剃る必要は無い。  フェイスタオルを手繰り寄せて水分を拭い、さっぱりした顔はほんの少しだけマシにはなった。そのままフェイスタオルを洗濯籠に放り込んでリビングへと向かう。漂う香りはベーコンの焼ける匂いだろうか。そもそも料理が出来る幽霊って何なんだと若干思いつつも横目にキッチンを覗き見ると健斗がフライパンでベーコンエッグを焼いている最中だった。  その姿だけを見れば生きている人間と何ら変わりない。至って普通の、いつもの朝の光景だ。  でも明確に違う事が分かる方法がある。テーブルと共にある椅子に座り、ポケットからスマートフォンを取り出す。ロックを解除しカメラアプリを開いてキッチンに居る健斗にカメラレンズを向けると此方に気付いた健斗が照れ笑いしているが画面には誰も写っては居なかった。  真実を写すと書いて写真。ならば画面に写らない健斗は、生前と変わらず生きているかの様に振舞う健斗はやはり生者では無い。  すぐにカメラアプリを閉じて、代わりにフォトアプリを開く。最後に撮った健斗の姿はまるで子どもみたいにすやすやと眠っている寝顔で、いつも俺よりも先に起きているこいつの寝顔というのは大層貴重なものだ。  気が付いた時にはスマートフォンの画面に水滴が落ちていた。健斗の姿はもう二度と撮る事が叶わない。二人でふざけ合って写真を撮る事も、柄にも無くデートなんてして美しい背景と共にツーショットを撮る事も、何一つ出来ない。そう思うと涙が止まらなかった。 「包、泣かないで?ごはん出来たよ」 「泣いてねぇよ馬鹿」 「じゃあそういう事にしとこうか」  いつの間にか傍に居た健斗に頭を撫でられ我に返り慌てて手の甲で涙を拭いスマートフォンの画面を消灯しポケットに戻す。その後すぐテーブルに一人分のベーコンエッグの皿と茶碗に盛られた白米、箸と水の入ったグラスが置かれた。 「お前の分は……」 「幽霊が食事とると思う?」 「……馬鹿野郎」  向かい側の椅子に座り頬杖をついて笑顔で首を横に傾げて見せる健斗がこの時ばかりは恨めしく思った。死者と生者の境界線を引かれた気分だ。 「冷めない内に召し上がれ」 「いただき、ます」  多分きっと俺はまた酷い顔をしている事だろう。それでも生きる為に両手を合わせてから箸を手に取って焼きたてのベーコンエッグを一口大に千切り頬張った。健斗だって俺が生きる事を望んでる。だからこうして幽霊になってまで現れたのだろう。  健斗が作ってくれたベーコンエッグの味は生前作ってくれた物と殆ど変わらなかった。誰でも出来る簡単な料理だというのに胸が苦しくなる程美味しくて、また泣きそうになる。 「どう?美味しい?」 「腹立つ位うめぇよ」 「そっか、良かった」  白米を口いっぱいに頬張ると健斗が満足した様に微笑む。しかしもう二度と健斗と味覚を共有する事も出来ない。一つずつ、着実に出来ない事が増えて行く。それが何より俺の心を苦しめた。 #3 職場 「で、何でお前憑いて来てる訳?」 「まぁ誰にも見えない死人じゃ、仕事は当然買い物も全く出来ない上に家に居ても暇だし?じゃあ幽霊特権使って彼氏の職場見学してみようかなーって」  迷い無くいつもの出勤ルートを歩くすぐ後ろを恋人の幽霊が付いて来るなんてどんな状況だ。  清々しい程の快晴の空は青く澄んでいて朝から既に蒸し暑い。そんな中でも涼し気な声色でそう言ってのけた健斗に溜息を吐く。 「あのな……絶っっ対変な事すんなよ」 「はいはーい」  こうしている間も俺は確かに間違いなく健斗と話しているが、傍から見れば盛大に独り言を喋っている変人になりかねないと思い道端に居る学生を見てそっと口を閉じる。健斗も察したのか大人しく付いて来るだけで静かにしていた。  仕事は至って普通のウェブデザイナー、堅苦しい職場では無く私服通勤だし空調の効いたビルのオフィスで自分のデスクに向かいパソコンでクライアントから依頼された仕事を淡々と熟すだけだ。センスと知識を大きく問われる職業ではあるが割と気に入っている。  いつもより早く着いた職場のオフィスはまだ人がちらほらと居る程度で、流石に少し早過ぎたかと思いつつも鞄を置いてデスクの椅子に座る。ふう、と息を吐き出すと背中に一人分の体重が掛かる。前に腕を回され背後から抱き着かれたと分かるのにそう時間は掛からなかった。 「……おい」 「いつも通りで居ないと周りから不思議がられちゃうよー?」 「お前ぜってぇ楽しんでるだろ」 「さて、どうでしょう」  周りに聞こえない程度の小声で、不自然じゃない程度に背後の幽霊の額を小突いてやるとあははと軽い笑い声が耳元に届く。  誰一人として部外者がこんな所に居るなんて気付きもしないし見向きもしない。まぁ当たり前か、と少しだけ寂しい気持ちに浸りつつパソコンの電源スイッチを押してデスクトップを立ち上げ仕事の準備を進めた。  仕事の時だけ着けているブルーライトカットの眼鏡をして画面と向かい合うとほぼ同時に隣のデスクの同期、東堂のぞみが現れはぁーと盛大な溜息を吐きながら鞄をデスクの上に置き此方を見て「七森おはよ」といつも通りの挨拶をされる。 「おはよ東堂」 「昨日羽目外してちょっと飲み過ぎた……」 「ストレス?」 「帰りに彼氏が女と居るとこ見ちゃってサイッアクだったわ」 「そりゃそうもなるわな」  東堂は自分の長い黒髪をわしゃわしゃと搔き乱してまた盛大に溜息を吐いていた。しかし椅子に座ると少し二日酔いも覚めたのかそうだ、と此方を見て気まずそうに口を開く。 「そういえば七森……あんたの身近な人亡くなったって……聞いたけど」 「ああ、事実。交通事故で死んだ」 「あー……その、ゴメン……」 「何で俺より深刻そうな顔してんだよバーカ」 「だってさ……」  昨日は葬儀に出る為休暇を取っていた。理由は隠していなかったし東堂の耳にも入ったのだろう。余りにも沈んだ顔をする東堂に一呼吸置いてから彼女の額にデコピンをする真似をして見せた。 「そりゃショックだったし今でも信じらんねぇけどさ、お前が気にする事じゃないし」 「でも七森、酷い顔してるよ……?幽霊にでも取り憑かれたみたいな……」 「……それも事実って言ったら?」 「は?悪霊にでも憑かれたの?お祓い行きなってえ!?は!?何!?」 「おまっ……悪い、落ち着け東堂」  背後から離れフラフラと歩き出した健斗が何を思ったのかおもむろに東堂のデスクの上のスタンドカレンダーを指先で摘まみカタカタと揺らして見せる。慌てた東堂を宥めてすぐに辞める様にと手を離させた。 「……何……何これ、ほんとに?何で」 「混乱させて悪いな、でも本当」 「え、悪霊じゃないよね?それ大丈夫な奴?」  周りが一瞬ざわついたが特に気にもされずすぐ通常時に戻る。困惑する東堂に頷いて見せると露骨に心配を滲ませて肩を揺すられた。 「俺も分かんねぇ。けど、もしも恋人の幽霊ってなったら放って置けるか?」 「死んだ身近な人って……こんな事聞くのアレかもだけど……まさか恋人なの?」 「そ、恋人。俺を遺して死んだ大馬鹿」  気が済んだのか背後に戻って来て椅子の背凭れに手を掛けた健斗が俺の言葉に少し切な気に俯く。それを横目に見て一息吐くと東堂が周囲を見渡してから此方を改めて見る。 「……今、居るの?」 「俺の後ろに、な」 「その、悪霊とか言ってごめんなさい。七森にはいつもお世話になってます……?」 「律儀だな東堂」  背後と教えたその直後姿勢を正して東堂が軽く一礼し恐る恐る顔を上げた。心霊現象を目の当たりにしたとは言え東堂は根は本当に良い奴だ。後ろの健斗も何かを考える素振りを見せた後俺の肩を一度ポンと叩く。 「包、驚かせてすみませんって伝えて?」 「ああ……東堂、こいつが驚かせてすみませんってさ」 「いえいえ……てか七森、霊と対話出来るの普通にやばくない?」 「やっぱ変だよな……いや分かってはいたっつーか」  元々は霊感なんて何一つ無く、夏場のテレビ番組で良く放映される心霊映像も大して信じていなかったというのにいざ取り憑かれてみるとその自分の中の常識は全て一瞬で書き替えられた。  幽霊は確かに存在するし、見えて、触れて、喋る事も出来る。限られたごく一部の人間だけなのか、それとも取り憑かれた事による拍子になのかは分からない。それでも健斗は確実にそこに居るのだと思えたし信じたかった。 「でもちゃんとご飯食べてお風呂入って充分寝なよ?顔色悪いのは事実だから」 「おー、そうするわ。サンキュ」  その遣り取りの後、それ以上東堂は深入りして来なかった。健斗の事で騒がれず済んだのも有難かったし彼女なりの気遣いなのだろう。溜息を吐いてデスクのパソコンに向かい、目の前の企業用ウェブサイトのデザインに打ち込んでいると不意に健斗がまた背後から抱き着いて擦り寄って来る。仕事の邪魔だと追い払いたい所ではあるが満更じゃない自分も何処かに居た。 「包の眼鏡姿、初めて見た」  此処で喋っては不審に思われると思い手元のブロックメモにボールペンを走らせ一枚捲り取り『仕事中だけ』と書いて自然を装って後ろに見せる。するとブルーライトカット眼鏡のフレームのサイドをつう、と健斗の指先が撫でた。 「眼鏡の包、すっごいえろい」  耳元に唇を寄せて吐息と共に吹き込まれて思わずゾクりと粟立った。すぐにまたブロックメモへ『セクハラ禁止』とペン先を走らせて捲るとそれを見せ付けて仕事に集中する。その後も「これ位なら良い?」とマウスを操作する手を重ねられたりと堪らなかったので明日からは職場は出禁にしようと心に決めた。 #4 愛情  業務は無事にひと段落し、今日の分を無事に終えてはぁと腕を上げ伸びをする。  途中からは仕事に集中出来る様に配慮してくれたのか、健斗はオフィスの彼方此方をこっそり見て回っていたのだ。それでも暇になれば椅子の背凭れにくっ付いて「邪魔はしないから」と宣言した上で大して面白くも無いだろうに作業の様子を真剣に見ていた。 「帰んぞ」 「多分問題なく出来ると思うから今日はハンバーグ作るよ、包好きでしょ?」 「んじゃ買い物してかねぇとな……東堂、先上がるわ。お疲れ。酒に溺れてないでちゃんと彼氏と話せよー」 「はいはいそうしますー!七森お疲れー」  マウスでカチカチと慣れた操作でパソコンをシャットダウンし、恐らくはもう少しで終わるだろう隣の東堂に声を掛けて鞄を手にすると中の眼鏡ケースを出しブルーライトカットの眼鏡を外してそれに入れ、鞄に戻して椅子から立ち上がる。  オフィスの出入口にそのまま向かって歩き始めると健斗がそれに付いて来た。 「包の仕事ってこんな風にしてたんだね、職場見学楽しかった。お疲れ様」 「おう。でも次からは出禁な」 「ええ!?何で?俺途中から大人しかったよ?」 「殆どくっ付いてたじゃねぇか」  すぐ横の健斗に聞こえれば良い程度の小声で喋りながらオフィスを出てエレベーターの前まで進むと下降のボタンを押して暫く待つ。不服そうな健斗を横目に、到着し扉が開いたエレベーターに二人で乗り込んで一階と閉のボタンを押せばガコンと扉が閉まりエレベーターはまた動き出す。  健斗の姿はこのエレベーターの監視カメラにも映ってはいないのだろう。居る事を教えてしまった東堂は例外として、案の定出勤から退勤する最後の最後まで誰一人として健斗が居る事に気付く奴は居なかった。  そりゃ当然か、と思いつつも何処か寂しいと感じてしまう。健斗は此処に居るのに、やっぱりもう死んでいるのだと現実突き付けられる様で良い気はしない。こいつが死んだという事実をまだ認め切れていないのだ。  そんな事を考えている内に一階に到着し扉が開く。出る前に一度健斗の方を向けばこいつも此方を見ていて視線が合った。 「誰にも見えてないなら、手を繋いでもバレないよね」 「馬鹿かお前」  口ではそんな事を言いつつも健斗の手が俺の手に触れると思わず握ってしまう。相変わらず温度が無い。冷たく感じる程だ。 「包はほんと素直じゃないね~」 「良いから行くぞ」  あくまでも自然を装って、エレベーターから降りてビルの正面玄関に向かって歩き出す。手を繋いだ至近距離の健斗は普段より少し嬉しそうだった。  帰り道にあるスーパーマーケットは生鮮食品を扱うだけあって涼しい。自動ドアを潜り抜けると心地良い温度が出迎えてくれて外の茹だる様な暑さから僅かな時間とは言え解放された気分になる。一度繋いでいた手を離し、入口のすぐ横にある買い物籠をひとつ手に取り健斗と青果コーナーを進んでいく。 「包、この玉ねぎ籠に入れて」 「これでいいのか」 「そう、丸くて皮がツヤツヤの方が美味しいんだよ」 「へぇ……」  玉ねぎの選び方なんてものはさっぱり分からないが健斗が言うのならそうなんだろう。次は挽肉か、と鮮魚コーナーを通り過ぎようとした所で健斗にTシャツの裾をほんの少し引かれる。 「ん?ハンバーグに魚いらねぇだろ」 「でも見て、このアジ。鮮度良さそうだから刺身かたたきで食べたら美味しそうじゃない?」 「アジ……」 「今日食べる気分じゃなかったら、明日南蛮漬けか塩焼きにでもしようか」  確かに目も綺麗で腹もふっくらしていてきらきらとした魚――これがアジ?という事は今聞いたので分かる。アジの開きとか朝飯で食べた事はあるしアジフライだって何度も夕飯に出て来た。目利きに自信のあるらしい健斗が言うならそれなりに上物なのだろう。一応買っておくか、と健斗が興味を示した一尾入りのアジのパックをひとつ籠に入れる。 「てか捌けんの?お前」 「簡単な魚ならね。魚用の包丁もあるし。ただ余りにも大きいのとか小さすぎるのは流石に、だけど」 「ほーん。じゃ刺身。飯の後の酒のつまみにする」 「任せて。包の大好きなスナック菓子より最高のつまみにしてあげるから」  やたら自信満々な健斗にふっと小さく笑む。夕飯の後は一息吐いてから二人で晩酌するのがルーティンだった。テレビのバラエティ番組やサブスクの映画を見ながらつまみはその時次第でスナック菓子だったり健斗が何か作ったりと様々で、一緒に飲む安いウィスキーのハイボールは特別なものだ。  酒好きの俺は二十歳を過ぎた頃から良く飲み会に行っていたのもあり、そんな俺に対して一緒に過ごす時間を少しでも長く大切にしたいという健斗の提案から二人だけの晩酌会が始まったのを覚えている。それ以降は最低限だけで殆ど飲み会には行っていない。 「次、挽肉だろ?」 「そう、鶏の挽肉とか豚の挽肉とか合挽とか色々あるけど惑わされずに牛の挽肉。合挽とかも使った事あるけど、包は牛挽肉だけのハンバーグが好きだから」 「子どもの頃からの仲良しで、付き合ってからだって七年近くも一緒に居ると好みも完全に把握されてるわなそりゃ」 「うん、包の胃袋は完全掌握してるしずっと一緒だからね。包が最初で最後の恋人だよ」 「本当の意味で最後になっちまったけどな」  感傷に浸りそうになるがすぐにそれを飲み込んで精肉コーナーへと足を向け歩き始める。健斗の指示通りに牛挽肉のパックを厳選してその中からひとつを買い物籠に入れた。 「あとは何が要るんだ?」 「パン粉も卵もあるし、スパイスとハーブもまだ残ってたから大丈夫。必要なのは牛乳とハイボールに使う炭酸水位かな?」 「ん、分かった」  まずは牛乳を探して乳製品コーナーへと行き、健斗が指差した低脂肪乳の紙パックをひとつ手に取り籠に入れる。その後は酒類コーナーへと先導する健斗に付いて行き、積まれた段ボールの上から炭酸水のペットボトルを二つ掴んでまた籠に入れた。なんやかんやで重みが増した買い物籠を確りと掴み無駄な買い物はせずにレジへと向かう。 「セルフレジ使える?包」 「馬鹿にすんな。この位今時誰でも出来んだろ」  比較的空いているセルフレジのレーンに並ぶと程無くして自分の順番がくる。セルフレジの籠置き場に買い物籠を置いてから横にある大き目の袋を一枚取ってバーコードをスキャンし、読み込み済みの物を乗せる台にセットした。後はひとつずつバーコードを読み込んで袋に詰め込んで行くだけなので簡単だ。  詰め込む作業に少々難航したが食べるのは自分なので余り気にしない事にして、飲み物から先に次々適当に放り込んだ。鞄から去年の誕生日に貰った健斗とお揃いのブランドの財布を出し現金払いのボタンを押して機械に札と小銭をそれぞれ入れる。会計が済むと釣銭を忘れずに取り財布に戻してそれをまた鞄に入れ、レシートを捨てて買い物籠を所定の場所に置いてから袋を手に持ち健斗と共にスーパーを後にした。  外は案の定そう簡単に涼しくなる訳も無く相変わらず蒸し暑い。はぁと溜息を零して帰路を辿る。八月に入ったばかりの空はまだ明るく、西日が眩しかった。足元にある影は一人分。横に健斗が居るのに陽に照らされ伸びる影は俺のものだけ。  些細な事でもやはりひとつずつ着実に現実を示されて胸が苦しくなる。見えるだけでなくどんなに触れて話せていても、健斗はもう故人だ。その事実は揺るがない。  何よりこいつはもう幽霊で、本当であれば――自然の摂理に従うなら此処に居てはいけない存在だ。それでもこいつは……健斗は生前と何ら変わりない笑顔で当たり前の様に横に居る。死んでも傍に居続けるとか愛が重いんだよ馬鹿、と罵りたくてもまた涙が込み上げて来そうで言葉にする事は出来なかった。 「包」 「何だよ」 「俺の世界はいつだって包だけなんだよ?包しか欲しくないし俺には包しか見えない。それは死んだって変わらないよ。だからそんな顔しないで」 「お前の愛の重さは良く知ってるよバーカ」  寂しい気持ちがうっかり表情に出ていたのかもしれない。健斗に顔を覗き込まれ、こいつは色々察したのかそう言って微笑み掛けて来る。悔しいけどこいつが好きで好きで堪らないと自覚させられてしまう。  俺だって健斗が最初で最後の恋人だろう。これ以上好きになれる相手なんか出来る筈が無いし、そもそもこの幽霊は俺が死んでも離してくれるとは到底思えない。  次の冬が来れば俺達は付き合って七年になる。子どもの頃を含めたらどんな長い時間を共に過ごしているか分からない。今思えば健斗が告白して来るまで気付かなかっただけで、俺だってずっとこいつが好きだったんだ。  初恋で、初めての恋人で、初めての相手。そして最初で最後の愛だ。幽霊と付き合い続ける事が本当に幸せなのかは分からない。でも、どうしようもなく好きなのだ。例え他人に間違っていると言われてもその気持ちは変わらない。好きという気持ちに嘘は吐けない。 「ねぇ包」 「ん?」 「愛してる」 「……俺も」  帰り道を歩いている最中、少し冷たい温度を感じると共に手に下げた買い物袋の重みが軽くなる気がした。健斗が手を繋ぐ様に、傍から見ても自然に見える形で袋を持ってくれている。こいつのそんな些細な気遣いも大好きで仕方なかった。 #5 晩酌  腹は丁度八分目。肉汁滴る牛挽肉百%のハンバーグは健斗が作る料理の中でもダントツで美味い。俺が良く食べるのを見越して大き目のハンバーグを用意してくれるのはいつもの事だ。  夕飯を終えて一息つくと、食器を片付けてダイニングテーブルを健斗が布巾で綺麗に拭いて行く。それを合図にした様に椅子から立ち上がってキッチンの食器棚からグラスを二つ取り出して冷蔵庫の製氷室の引き出しを開けてそれぞれに氷を入れてから閉める。  テーブルを拭き終えた健斗がキッチンに戻ってくると、冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを一本と、既に刺身にし盛り付けてあるアジの皿を取り出してパタンと閉じた。  リビングにある二人で奮発して買った大型のテレビの前にあるローテーブルと二人掛けのソファー。そのローテーブルにグラスを並べて、続いて健斗が皿と炭酸水のペットボトルを置く。あとは醤油差しと箸と小皿か、とキッチンまで戻りこれらは一人分用意した。 「グラスも一人分で良いんだよ?包」 「気分だけでも味わいてぇだろ」  一通り晩酌の用意が整うとソファーに座り、リモコンでテレビの電源を入れて適当なバラエティ番組にチャンネルを変えるとリビングには複数の笑い声が木霊した。  健斗が差し出してくれた安物のウィスキーのボトルのキャップを回して開け、二つのグラスにそれぞれ目分量で注ぎ入れ、キャップを閉めてから横に座った健斗が開けた炭酸水を更に注ぐ。注いだ勢いである程度は混ざる為このままで良い。 「それじゃ乾杯」 「乾杯」  気分だけでも、という俺の意図を汲んでくれた健斗がグラスを手にする。同じくグラスを掴んでカチリと軽くぶつけ合ってから冷えたハイボールが入ったグラスに口を付けて喉を潤す。口の中でパチパチと弾ける気泡とアルコールの苦みに続けてウィスキーの香りが広がる。 「包はさ、食べるのも酒飲むのも好きだから前は良く飲み会行っちゃって寂しかったなーって」 「何だよ今更。だからこうやってお前と晩酌する様になっただろ?」 「だね。まぁ寂しかったのもあるけど、包はモテるから本当はずっと心配してた」 「モテてねーし」  突然昔話を始めた健斗を不思議に思いつつ、醤油差しから小皿に中身を注ぎ箸を握って用意してくれたアジの刺身を一切れ摘まんで醤油を付けてから頬張る。健斗の目利き通り脂が乗っていて旨味が口一杯に広がった。 「包はずーっとモテてた。中学の時も高校の時も、大学入ってもラブレター何通も貰ってたし呼び出されもしてたでしょ?全部知ってる」 「お前だってモテてたろ。成績優秀運動神経抜群のバスケ部のエース様?」 「あはは、でも俺は包にモテなきゃ意味が無かったからね。全部必死だったよ」  またハイボールを一口飲み、横に居る健斗に視線を向ける。何となく意地悪な質問をしたくなって思い付いた事を口にする。 「なら、俺がもしお前じゃない誰かと付き合ったらお前あの頃如何した?」 「死ぬ気で包を寝取ったかも」 「発想がだいぶヤベェ」  確かに学生の頃、何度も告られたのを覚えている。でも誰かと付き合おうとかまるで考えもしなかった。性欲だってそれなりにあったし発散したいと思わなくは無かったが、多分健斗以外といる自分を想像出来なかったのもある。  中学高校と二人でバスケ部に入り、大会だって優勝した事もあった。高校二年の夏、健斗は怪我を切欠にバスケをやる事は無くなったが、俺がボールを奪って健斗にパスを回しそのまま逆転シュートを決めるあの瞬間の興奮はいつまでも忘れられない。  最後までなんやかんやバスケを続けていた俺には大学のスポーツ推薦が幾つも来たが結局健斗と同じ大学を選んで一緒に勉強し、共に合格発表を祈る気持ちで見た。揃って合格が分かった時の安堵感も今は懐かしい。 「俺ね、包じゃないとダメなんだよ。小さい時からずっとずっと包だけを見て来た」 「お前確か俺と結婚する―ってガキの時から騒いでたよな」 「今でも変わらないよ、包と結婚していいのは俺だけだから」 「ほんっと重てぇな」  そんな願いももう叶わないと分かっている。まだ同性婚は認められていないし、何より役所に出されたのは婚姻届ではなく健斗の死亡届。この先同性婚が認められたとしても、もう叶わない。 「ごめんね包。俺が――」 「それ以上言うな大馬鹿野郎」 「……うん。でも、ごめん」  カラリとグラスの中で氷が解けてぶつかる音がした。視線を向けたテレビは未だに笑い声が絶えない。横に在る冷たい温度にももう徐々に慣れて来た気がする。ハイボールの残りを一気に飲み干してテーブルに置き、健斗が持つグラスを奪うとそれも一口喉に流し込んだ。合間につまむアジの刺身が本当に美味くて共有出来ない事に腹が立つ。 「お前が目利きしたアジ、美味ぇよ」 「そっか、良かった」 「俺一人で食うの勿体無い位な」 「じゃあキスだけさせて、食べられなくても味覚はあるかもしれないし」 「好きにしろバーカ」  テーブルにグラスと箸を置き、また健斗の方を向くと頬にひんやりとした手が添えられる。目を閉じるとその後すぐに唇が重なり二度、三度とキスをする。最後にぺろりと唇を舐られ瞼を開けば間近で健斗と視線が絡み合った。 「美味しい、気がする」 「……そうかよ」 「ありがとうね、包」 「何にもしてねぇし」 「俺がちゃんと居ると思わせてくれて、ありがとう」  そう言った健斗に強く抱き締められる。やっぱり暖かな体温は其処には無い。でも離したらいつか消えてしまいそうな気がしてそっと腕を回して抱き締め返す。背中を優しく撫でてやれば安心した様に健斗が小さく笑ったのが何となく伝わった。 「健斗」 「なぁに?」 「お前の事ちゃんと分かってっから」 「……包は優しいから他の幽霊にまで好かれないか心配になる」 「これ以上憑かれんのは勘弁だわ」 「大丈夫、俺が護るよ」  いつの間にかテレビのバラエティー番組は終わり合間のニュースが流れている。甘えた様に擦り寄って来る健斗の頭を撫でてやるといつもと変わらなくて何だか少し安心した。  こいつなら本当にあらゆるものから護ってくれそうで心強い。絶対に本人には言ってやらないが。 「ほら、まだ晩酌中だからそろそろ離れろ」 「じゃあ後でまた抱き締めさせて」 「後でな。先に風呂」 「準備してきます」  健斗の腕の中から抜け出してハイボールの入ったグラスを再び掴んで中身を飲み込む。名残惜しそうにしつつもソファーから立ち上がって風呂の準備をしに行った健斗を横目にまたアジの刺身を頬張った。 #6 情交  熱すぎずぬるくもない絶妙な温度で沸かされた風呂から上がり、タオルで全身を拭って寝間着のTシャツと緩めのハーフパンツに着替え洗面台でドライヤーを掛ける。光に当たるとより明るく見える茶髪は割と気に入っていて、大学に入って染めたばかりの時も周りからは好評だった。それからはずっとこの髪色だ。  シャンプーに拘りは特に無かったが、染めた本人の俺よりも俺のヘアケアに情熱を燃やしているらしい健斗に勧められるがままに今のシャンプーとコンディショナーを使っている。  ご立派なシャンプー特有の甘ったるい香りもせず、ふわっと何かの花の匂いが周囲にほんのり香る程度。シャンプーを変えるまで気にもしてなかったが髪を触った時の指通りもツヤも全然違うのが流石の俺でも分かって驚いた程だ。 「健斗ー!上がったぞ」 「ああ、うん。ねぇ、幽霊でもお風呂って入れるのかな……」 「悩んでる位なら入ってみりゃいんじゃね?」  ドライヤーを戻して脱衣所の扉を開けリビングに向かいがてら声を掛けると少々不安そうな声色で健斗が顔を覗かせたがこの際もう悩んでも埒が明かない。 「それもそっか。あ、ちょっとだけ包のスマホ借りた」 「は?あー……そっかお前のはもう」 「交通事故で木っ端微塵になっちゃった」  健斗があはは、とおどけて見せる。どうせやましい事なんてありはしないからと健斗の誕生日四桁にゼロを二つ付けただけの六桁のパスワードで簡単にロックが外れてしまう様なスマートフォンだ。その事は教えてあったし、それ故に実際こいつに見られた所で今更如何とも思わない。 「俺の名義でもう一つスマホ契約しとくわ。俺と連絡取るのに無いと不便だろ?」 「ありがと、包。手間掛けさせてごめんね」 「別に。さっさと風呂入ってこいよ」 「いってきまーす」  スマートフォンを擦れ違い様に手渡され、それをハーフパンツのポケットに捻じ込むと同時に夏用のパジャマを脇に抱えた健斗が代わりに脱衣所へと入って行く。俺には全て認識出来るが、どうやら健斗が直接身に付けている物であれば着替えたり持ち歩いたりしていても周りからは見えないらしい。それが今日の職場で分かった収穫だ。つまりは服だけが浮いて歩いているなんて事には幸いならなかったと言う訳で、これならもし健斗が外に出たとしてもその辺をふら付く位であればまだ安心出来る。  キッチンに向かって冷蔵庫を開き、幾つか冷やしてあるミネラルウォーターのペットボトルを一つ掴むと後ろ手に冷蔵庫の扉を閉めてペットボトルのキャップを捻る。喉を鳴らして半分程飲み込んだ所で一息ついた。  ペットボトルのキャップを閉めてそれをそのまま手に持ち寝室に向かうと、ダブルベッドのシーツには丁度腰の位置辺りにバスタオルが敷かれていて溜息が出る。  それは暗黙の了解で、セックスの時にシーツを汚さない為にと健斗が気を利かせてやり始めた事。つまりバスタオルが敷かれている日は抱くつもりだと示されている様なものだ。 「まさかあいつそれで……」  ポケットからスマートフォンを出してブラウザの検索履歴を見れば恥ずかし気も無く最後に『幽霊 セックス』と表示されている。試しにそのまま検索してみると体験談が幾つも表示された。出来んのかよ……と頭を抱えて愕然としたが、ついいつもの癖で風呂場で準備してしまった自分も存在していて居た堪れない気持ちになる。  サイドチェストの上にあるルームライトの明かりを点けて其処にペットボトルを置き、スマートフォンを充電ケーブルへと繋いでからベッドに寝転がった。ご丁寧に普段から使っていた温感ローションとゴムが枕元に置いてある。毎度思うがバスタオル然り、用意周到過ぎていっそ感心する程だ。ヤる気満々状態の寝室で待ってるこっちの身にもなれと言いたい。悶々としていると脱衣所の扉が開く音が響き健斗がリビングを消灯し寝室に向かって来る。 「一応お風呂入れたけど、やっぱり鏡に写らなくててちょっと苦戦しちゃった。大丈夫?癖毛酷くない?」 「俺はそのぽやぽやしてる髪も好きだけどな」 「包の前では格好付けたいでしょ……」  寝室に現れた健斗が髪を気にしながらベッドに近付き腰掛けると上半身を起こしてワシャワシャと乾かしたての黒い癖っ毛を撫で回す。頑固な癖毛の割には猫の毛の様に柔らかくて触り心地は抜群だが本人曰くコンプレックスらしい。 「で?いつになくセックスする気満々の健斗くんは俺を如何したいワケ?」 「優しく抱かれたい?それとも激しい方が好き?」 「質問に質問で返すなっつーの。いいよ、激しくて」 「お風呂でちょっとでも暖かくなってると良いんだけど、冷たくてつらかったら言ってね」  そう言ってひたりと健斗の手が頬に添えられる。まだ到底人肌と言える温度ではないがいつもよりは冷たくない。これならだいぶマシかと安堵した。 「いい。大丈夫そ」 「ねぇ、包」 「ん?」 「大好き」  完全にベッドに乗り上げ向き合った健斗の手によってTシャツを捲り上げられ素肌にひんやりとしたエアコンの風が当たる。中途半端に脱がされたTシャツを自ら脱ぎ捨てて健斗のパジャマのボタンをひとつずつ外して行くと不意に顔が間近に迫りそのまま唇が重なった。  最初は啄む様なバードキスを角度を変えながら何度か。形の良い鼻先を擦り合わせて次第に息を奪うかの如き激しいキスに変わっていく。唇を舐られて薄く口を開くとその隙間を縫って健斗の舌が侵入し、そのまま歯列をなぞり好き勝手に味わい尽くされる。微かに息が上がり震える舌を掬い上げられて絡み合う音が静かな寝室に響いた。  貪り合う様な口付けを繰り返している最中にも健斗のパジャマのボタンを全て外し終えて肩から外させる。名残惜しそうに唇が離れていく瞬間、銀の細糸が伸びてふつりと途切れた。  少しマシになったとは言えやはり少しばかり冷たさを感じる掌が俺の両肩を掴んでそのままベッドに優しく押し倒され視界が薄暗い天井と健斗の顔だけになる。いつもは優しく穏やかで陽の光を浴びたガラス玉みたいなきらきらした瞳が今、欲に塗れた雄の眼をしていて俺にそれが注がれているというだけでゾクリと背筋が強張るのが分かった。喉仏を甘く噛まれ、耳朶から徐々に首筋、胸元へとキスの雨が降り注ぐ。 「っ、激しくすんじゃねぇのかよ」 「もっとがっつかれたかった?」 「んな事言ってねぇし」 「じゃあご要望に応えないとね」  キスだけで既に緩く擡げていた性器を布越しに撫で上げられて期待に身体が震えるのが分かる。撫でる手が何度か往復して緩く刺激を与えて来るのがもどかしい。 「ぁっ……ちゃんと、触れって」 「じゃあ少し腰浮かせて、そう」  言われるままに腰を浮かせると隙間に手が入り込み、手慣れた様子でハーフパンツを下着ごと俺の足から引き抜いてそれを脱がせた。腰をベッドに降ろすと脚を開かされて全身隈無く余す事無く見られているのが分かり、何年もこいつに抱かれているとはいえ流石に細やかな羞恥心が湧いて来た。 「……そんなに見んなよ」 「幽霊でもちゃんと好きな人には欲情出来るんだなぁってちょっと感動してたとこ」 「そんな幽霊がホイホイ居て堪るかって話だけどな」 「不能になってたらどうしようかなって割と本気で心配だったんだよ?ってちょっと……!」  俺の手を取って健斗が股間を触らせる。其処は確り芯を持っていて興奮しているのが嫌でも伝わった。先程の仕返しにパジャマのボトムと下着を指で引っ掛けて降ろし、出て来たそれに対してとびきりいやらしく裏筋を撫でてやると健斗が焦るのが分かって口角が上がる。 「お喋りはもう充分だろ?」 「煽るの本当上手くなったね……」 「お前に何年抱かれてると思ってんだよ」 「なら包、煽られた俺がどうなるかもよーく分かるよね?」  分かりやすく膨張した健斗の性器に気を良くしていると、もうなる様になれとボトムと下着を脱ぎ捨てた健斗に手を掴まれシーツに押し付けられた。射貫く様な視線にああ、これはスイッチを入れたなと頭の何処かでぼんやりと思う。優しさをありったけどろっどろに煮詰めたのが普段のこいつなら、今のこいつはきっとそれ以上に強欲と執着を上から塗り固めた危険物だ。  でもそれが心地良いとすら思う。いっそ気が狂う程求められたい。俺も大概強欲な生き物だった。  いつもならご丁寧にしつこい程愛撫されるのに全てをすっ飛ばして健斗がローションに手を伸ばしチューブのキャップをパチンと開けて手に絞り出す。辛うじてキャップを閉める事を忘れない程度の理性はまだあるらしい。  肩を甘噛みされ、後孔にはローションに塗れたいつもより冷たい指が入り込む。最初の頃は異物感が酷かったというのに今では健斗の指だと思うとすんなり受け入れてしまう。 「ふ、あ……ッ、そこっ」  性急に前立腺を指先で抉る様に刺激されて腰が震え喉が反る。じっくりと年月をかけ開発されてバグった身体はそれだけでスイッチが入った。それが気持ち良い事だと認識した途端、腹の奥が切なく疼いて健斗の指に喜んでしゃぶり付く。 「ぁ、はぁ……っん、んぅ……っ」 「包、気持ち良さそうだね」  指が二本に増えてくぱりと拡げられるのすらも快感だと刷り込まれて陸に打ち上げられた魚の如く全身を跳ねさせるこの様だ。耳をピアスごと口に含まれ舐られてぴちゃりという水音が鼓膜を震わせゾクゾクと快感が背筋を走る。性器はすっかり反り立ち腹に先走りを滴らせていた。 「っう、ァ……やば、だめ」 「前立腺指でグリグリされてイきそうなの?でももう少し待ってね」  ふう、と耳に息を吹き込まれてびくりと震えシーツを握り締めると綺麗に整えられていた筈のそれはそこを中心にして皴が刻まれる。わざと前立腺を外して三本目の指を挿し込まれ抜き差しを繰り返されて上擦った嬌声が止まらなくなる。 「アっ、ン、けんと……も、奥、ほし……いッ」 「じゃあ、ちゃんとおねだりしてみて?」  唇で首筋を何度も食まれた後に底無しの闇の様に黒く染まって見える健斗の眼に見詰められて仕舞えば小さく頷く事しか出来なかった。 「ッ……健斗のちんこでっ、奥……めちゃくちゃに、して」 「はは、上手におねだり出来た包にはご褒美あげないとだね」 「ひッ、あ――ぁ!!!」  指を引き抜かれるといつの間にかゴムを装着していた健斗のデカブツをひたりと後孔に宛がわれて一気に貫かれる。その拍子に前立腺も強く抉られて腹に吐精した。 「まだイけるよね、いっぱいめちゃくちゃにしてあげる」  その甘い囁きは朝まで離さないの意だと知っているのは俺だけで良い。  明日が休みで良かったとこれ程思った日はないだろう。

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