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第2話

#7 八日  夏の夜明けは早く、手探りでスマートフォンを掴んでタップし画面を点灯すればおおよそ四時半。  カーテンの隙間から部屋に一筋差し込む朝日の光と小鳥の囀りが聞こえて来る。健斗がしてくれている腕枕がひんやりとしていてこの時期には心地いい。そんな事をぼんやりと思いつつ眠い目を擦り欠伸を噛み殺した。 「包、もう起きたの?」 「何時間寝た……」 「うーん、三時間位かな」 「思ったより寝れたけどだりぃ……てかなにこれ」  首元に違和感を感じて触れてみると夜には無かった細いチェーンが巻かれているのが分かる。下を向き辛うじて視界に入ったそれは黄緑色の鮮やかな宝石がワンポイントとして嵌め込まれたシルバーで洒落たデザインのペンダントトップが朝日に煌いた。 「本当は十二時に祝いたかったけどまぁ……ね!とにかく、誕生日おめでとう。今日は八月八日、包の二十五歳の誕生日だよ」 「……忘れてたわ」 「幸いというかなんと言うか、まだ生きてる内に買っておいたからちゃんと最後にプレゼント出来て良かった」 「最後とか言うな馬鹿」  ペンダントトップにそっと触れて形を確かめる。雫をモチーフにしたかの様な実にシンプルな作りで、これならばどんな服にでも合いそうだ。顔を上げて健斗に視線を合わせるとこいつは緩み切った顔でふにゃりと笑い掛けて来る。 「想像以上に良く似合ってる」 「……ありがとな」 「どう致しまして。この緑色の石、ペリドットって言って八月の誕生石らしいんだよね。愛の象徴なんだって」 「お前ほんとそういうの好きだよな」  こんな時でもやっぱり俺は中々素直になれなくて、本当は滅茶苦茶嬉しいのに言葉に出来なくて、抱き締めて癖毛の黒髪を撫で回してやる事が俺の精一杯だ。それでも嬉しそうに笑うこいつは本当にお人好しだと思う。 「きっとこの先、包には何もプレゼントしてあげられないから……形になる物を遺せて良かった」 「お前が居ればそれで良いし」 「包ならそう言うって思ってた」  抱き締め返されて、以前の温もりはもう無いのに暖かいと錯覚を起こしそうになる。てっきり朝まで抱き潰されるものとばかり思っていたが、このドが付く程真面目でお人好しで優しい馬鹿は割とすぐに理性を取り戻した。学生の頃みたいに一晩中盛ってヤりまくるなんて事は無くて、やっぱりこいつは優しさが過ぎると思う。  額を擦り合わせて睫毛がぶつかるのではないかという程至近距離で視線を合わせる。健斗のガラス玉みたいなキラキラした眼に映っているのは一体どんな世界なんだろう。顔も良くていつだって素直で爽やかで明るくて、誰がどう見ても百点満点の良い奴。そんな奴が俺だけをただ一心に見ている。 「……もう少し寝る」 「包が寝落ちちゃう前に一応水飲ませたけど、喉平気?水まだ有るよ?」 「へーき。てかお前が横に居たら冷房代浮くんじゃね?」 「あはは、冗談言える位には大丈夫そうで良かった」  視線を外せば意図を汲んだ健斗が俺の頭を腕で抱き、心地いい腕枕が再び完成する。筋肉質で柔らかくも何ともないのに妙に落ち着くのは何故だろう。前と違ってひやりとした健斗の身体、でも凍える程冷たい訳では無い。程良い温度に身を委ねて瞼を閉じる。 「おやすみ、包」 「……おやすみ」  健斗の匂いに包まれて安堵して、落ち着いた呼吸を繰り返しているとそう待たない内にすぐに眠気は降りて来て思考がブラックアウトした。  照り付ける太陽の下、今日はご馳走を作ると張り切る健斗を引き連れてスーパーで大量に買い物をしまさに帰路を辿っている最中。レンガ調の整備された歩道を並んで歩き、試しに熱さ凌ぎにと手で顔を仰いでみるが生温い微弱な風が当たる様な気がする程度の足掻きでしかなくげんなりする。  そんな俺を見兼ねたのか健斗がひんやりとした手を頬に当ててくれる。じわじわと其処だけ暑さが吸い取られていく心地がした。 「暑そうだけど大丈夫?幽霊になると気温も全然感じなくて」 「涼し気でいっそ羨ましいわ」 「でもまだ包はこうなっちゃダメです」 「そうそう簡単に死ぬかって」  健斗を肘で小突き小声で他愛ない束の間の会話を楽しむ。街行く人は特に気にもせず通り過ぎて行くだけ、の筈で。 「ああ、失礼。ボクとした事がぶつかりそうになるなんて、すみませんね」 「…………」  きっちりセットされたやたら派手な金髪に丸い黒のサングラス。それに高級そうなシャツとスラックスのまるでホストみたいな男が健斗とぶつかりかけてそう謝罪し此方を一瞬見た後ニィと口端を上げてから去って行った。 「健斗?」 「あの人、俺の事見えてた」 「あのホストみてぇな奴?」 「…………悪寒がした、あの人は……多分やばい」  健斗が心なしか少し怯えている気がした。良く分からないが幽霊的に何か思う所があるのだろうか。そりゃ体質によっては見える人というのは一定数居るだろうとは思っていた。でもこの健斗の怯え方は何だ。こんな事一度たりとも無い。  せめて手を握ってやる位しか出来ないが、それでも手の震えは暫く止まなかった。 #8 招待  蝉の無く音が彼方此方から聞こえて来る真夏の夕方。  歩いているだけで汗が滲む程の猛暑日。暑さの所為で陽炎が見える程の日だ。それでも繋いだ手だけはひんやりとしていた。  健斗の震えが収まるまで少しだけ待ち、落ち着いたのだろう頃合いでまた歩き出す。 「大丈夫か?」 「ごめん、心配かけちゃったね。もう平気」 「幽霊にも怖いものあんだな」 「あの人は多分特別だと思う、近寄りたくないって咄嗟に思ったから」  ふうん、と相槌を打ち手を離してからポケットに捻じ込んである一枚の折り畳んだ紙を出して開くとそれは近所の洋菓子店の予約表で、健斗から出掛ける前に渡された物だ。支払い済みと書かれているそれにはホールケーキ×1と記載されている。 「しっかし毎年わざわざケーキまで予約して、用意周到過ぎんだろ」 「包、ここのお店のケーキ好きだからね。来年からはもう予約出来なくなっちゃったけど……」 「俺が予約すりゃ良い話じゃん」 「あはは、それじゃ意味ないでしょ」  確かに自分で自分の誕生日ケーキを予約するなんてアホらしい。でも健斗に切ない思いをさせる位ならその程度如何という事は無いしケーキがあるだけで特別感が出るのは事実だ。  買い物袋を片手に辿り着いた洋菓子店の自動ドアを潜り抜けると其処は涼しく快適だった。一番に目に飛び込むショーケースの中は鮮やかな夏のフルーツをふんだんに使用したケーキやタルトが陳列されていて、それらが目的ではないのに何処かワクワクとしてしまう。 「いらっしゃいませ」 「あ、ケーキ予約してた雨宮です」 「お待ちしておりました、4号のショートケーキをワンホールですね。少々お待ち帰り下さい」 「はい」  ショーケースの向こう側に居る店員に予約表を渡すとすぐに控えとの照合が済み、裏へと入って行った店員が今度は箱を持ってすぐに現れる。 「お待たせしました。代金は先にお支払い頂いておりますのでこのままお持ち下さい」 「どうも」 「ありがとうございました」  買い物袋を持つ手とは逆の手で、店員に差し出されたケーキの入った箱の持ち手を掴んで焼き菓子コーナーを横目に出入口に向かう。先を歩く健斗では自動ドアはやはり反応せず立ち止まったのを見兼ねて開いた自動ドアを抜けて追い越す。それに慌てて付いて来た健斗が少しだけ面白い。 「毎年こんな事してたんだな、お前」 「包が喜んでくれるなら何だってするよ」 「甘やかしすぎだっつーの」 「けど満更でもないでしょ?」  分かり切った様な顔で健斗が微笑み掛けて来る。この顔にはどうにも弱い。それに健斗に甘やかされて満更じゃないのも事実だ。  住んでいるマンションからこの洋菓子店は本当に近い。徒歩で五分と言った所だろう。健斗と喋っている内にあっという間にマンションの入り口に辿り着き集合ポストの前まで行くと、人が居ないのを確認してから健斗に荷物を渡してダイヤル錠を外し中身を確認する。大したものは入っていないと思ったが不意に目に留まったのは見慣れない一枚の招待状。 「何だこれ。八月のお誕生日の方限定、ステラの占いの館三十分無料ご招待券……」 「珍しい物入ってるね」 「ああ。でも占いなんて興味ねぇしな……」 「この人さ、朝のワイドショーの占いコーナーやってる有名占い師じゃないかな。ステラの今日の占い~とか書いてあった気がする」  背後から招待状を覗き込み、そう言えばといった表情で健斗が答える。占いコーナーなんて自分の星座が一位の時しか信じない位には興味が無いがテレビ番組の占いコーナーを任される程の占い師と言う点だけは気になった。 「まぁ行くだけ行ってみるか、タダらしいし……駅近くのビル内って随分良いとこに構えてんな」 「占いに幽霊は邪魔そうだから俺はお留守番してるよ」 「ん。まぁ明日にでも行ってみるわ。占いの館とか初めて行く」 「俺も行った事無いよ。女の子達が恋愛運占って貰いに行くイメージ強いし」  取り合えず招待状を鞄の中に詰め込み荷物を引き受けた健斗と共にエレベーターに乗って自宅へと向かう。質素なエレベーターには監視カメラは無い為、道中人と擦れ違わない限り不自然に思われる事も無いだろう。  それでも万が一に備えて急ぎ足で自宅の扉の前まで進み鍵を開けて周囲を警戒しつつ健斗と共に中に入った。鍵を確りと閉め空調が効いた涼しい家の中に安堵の溜息が出る。  靴を脱いでキッチンに向かうとまずは健斗がケーキの箱を冷蔵庫に仕舞い飲料や肉、野菜を詰め込んでから既に冷えたミネラルウォーターを一本取り出して渡してくれる。さんきゅ、と短く礼を述べてキャップを捻りそのまま口を付けて飲み込み喉を潤した。 「もう夕方だし俺はこのまま晩御飯の支度するけど、包はどうする?」 「疲れたからちょっと涼んどく」 「猛暑日だったみたいだしね~それじゃ水分確りとって休んでて」 「おう、悪ぃな」  キッチンから出てリビングに移るとソファーに倒れ込んでエアコンの風を浴びる。あー、と唸りながら外気温と灼熱の太陽で火照った身体を涼しい風が撫でて行く心地良さに目を細めた。ソファーに転がったまま鞄から先程の招待状を取り出して改めてじっくりと内容を確認する。 「駅前のファッションビルの八階、占いの館ステラ……占い師ステラが占星術であなたの運命にアドバイスを致します、か」  ふうん、とポストカードサイズの招待状を両面ぼんやりと眺めて果たして何を占って貰うか考える。仕事はまぁまぁ順調、恋愛運は今更必要ない、そうなると無難に健康運辺りだろうか。さっき健斗も言っていたがきっと女性客で賑わっているのだろうと思うと少しだけ気が重い。  だが行くと言った手前、前言撤回は男として許し難いので物は試しだと気持ちを切り替えて再び招待状を鞄に仕舞った。  ポケットからスマートフォンを取り出してSNSのアプリを開くと同級生のカップルが婚姻届けを出して来たという報告と写真を上げていて、賑わうコメント欄に対し俺も素直に『おめでとう、お幸せに』とコメントを送った。そう遠くない内に式を挙げるのだろうか、羨ましいな……なんて感傷に浸りそうになる。  ごちゃごちゃと考えている内にキッチンからは野菜を刻む小気味良い音が響く。健斗の指示するままにあれよあれよと籠に詰め込んで会計したが何を作るかまでは聞かされていない。次第にほんのりと甘辛い匂いが漂って来て腹が鳴った。 「あはは、包お腹空いた?今日の晩御飯はすきやきだよ」 「うん、腹減った」 「じゃあ少し早いけど晩御飯にしちゃおうか」 「俺も用意する」  鞄を置き、ソファーから立ち上がり手元のミネラルウォーターを飲み干すとキッチンに向かい空のペットボトルをゴミ箱に分別して捨てる。食器棚から器と箸、冷蔵庫の中の卵をひとつ取り出してダイニングテーブルに並べた。  健斗がカセットコンロをキッチンの上の棚から出してテーブルにセットし、続けてすきやきの入った浅い鍋をカセットコンロの上に乗せる。すぐに火を付けて煮立たせるとより良い匂いが立ち込め空腹に刺激を与えた。  綺麗にカットされた長ネギ、白菜、それに白滝と木綿豆腐。主役の牛肉も次第に煮えて色付いて行く。量こそ以前と違って一人分だがボリュームで言えば充分にある。  椅子に座って卵を器に割って入れ、箸でぐるぐると溶いているとキッチンに戻った健斗が白米を盛った茶碗と麦茶の入ったグラスを手に再び現れる。全てをテーブルの上に置き準備が出来ると両手を合わせた。 「いただきます」 「どうぞ召し上がれ」  健斗も向かい側の椅子に座りそう言って微笑み掛けて来る。ぐつぐつと煮える鍋から白菜と火が通った牛肉を箸で掴んで溶き卵の中に入れそれ絡め、息を吹きかけてから頬張ると甘辛い割り下が良く染み込んだ肉は蕩けそうな程に美味くて思わず笑みが零れた。 「うっま」 「それは良かった」  すきやきと白米を交互に食べ、胃が徐々に満たされて行くと満足感に包まれる。食事を共有する事はもう出来なくても、幽霊になっても、健斗が傍に居てくれる事が幸せなのだと――この日までは信じて疑わなかった。 #9 邂逅  今日も良く晴れた記録的な猛暑日。照り付ける日差しは強く、雲一つ無い快晴。  家で待つと言った健斗に留守番を頼み、人で賑わう駅前通りまで足を運んだ。ハンディファンで風を顔に当てながら歩く高校生位の女子達と擦れ違い、時代は進化して行くなと柄にも無く物思いに耽る。一定の速度で歩き続け、目的地に辿り着くと鞄を漁り一枚の招待状を取り出す。  手にした招待状に書かれた住所はこのファッションビルの名前で間違いない。こんなご立派なビルの中でテナントとしてやって行けているのを考えてもやはりそれなりに人気なのだろう事が伺える。  自動ドアを抜けてビル内に入ると空調が効いていて温度も丁度良い。フロア案内を確認してエスカレーターの場所まで行くと後は人の波に乗って上がって行くだけだ。八階なのだからエレベーターの方が良かったか?と思わないでもないが空いているとも限らないのでこの選択を良しとする。  目的の八階まではそう掛からず、人の波から抜け出して近くのフロアマップを眺める。現在地を示す赤い印から右の角へ向かうだけ。これなら迷う事は無いと安堵して右方向へと歩き出せばひそひそと嬉しそうに小声で喋る二人組の女性達が見えた。来た方向からして占って貰った後の客なのだろう。その楽し気な様子にまぁ占いも考え様によっては悪い物でも無いんだろうと思わされた。  フロアマップの通りに右の角へ向かうと完全に区切られたひとつのブースとして存在している占いの館が現れる。時間帯が丁度良かったのか並んでいる人数は少なく、その最後尾に並んで暇潰しにスマートフォンをポケットから手に取りネットニュースを確認した。  芸能人の熱愛報道や交通事故、政治の話にビジネス関係と様々。適当に流し読みして行き、女性客が出て行くと共に列が進むと自分も一歩前に出て暫く待つ。ブースの壁に掛けられている案内を見るに如何やらこの占いの館にはメインのステラだけでは無く数人の占い師が居るらしい、それぞれ西洋占星術やタロット等役割分担している様だ。それなら思いの外進みが早いのも頷ける。  順番が近付き、占いの館のブース内をチラリと覗けば会計兼案内人らしい女性スタッフが一人と防音と思われる小さな個室が三つ。それぞれに担当の占い師名の札が掛けられている。噂に聞く占い師のイメージはパーテーションやカーテンで区切った程度の最小限の設備しかない物だとばかり思っていた為に此処まで金を掛けている事に驚いた。 「お待たせ致しました、今日はどの占いをご希望ですか?」 「あ、招待状貰ってて……これなんですけど」 「確認させて頂きました、七森様ですね。では此方の部屋にお入り下さい」 「はい」  自分の順番が回ってくると女性スタッフに招待状を渡して見せる。すぐに向こうも把握した様子で一番手前の個室――ステラと書かれた札が掛かっている場所に案内され、扉を数度ノックした後に開いた扉の中へと入ったと同時に女性スタッフによってゆっくり扉が閉まった。中は薄暗く上からぶら下がった照明がひとつ。 「ようこそ、七森包サン」 「げっ」 「まぁまぁそう嫌そうな顔しないで。どうぞ座って下さい」  前を向いた途端目が合ったのはにこにこと擬音が付きそうな程に胡散臭い笑顔を浮かべた派手な金髪の青のカラコンをしたホストみたいな男。昨日健斗が怖がっていたまさにそいつだ。 「ステラってお前かよ……てか男かよ……」 「男の占い師だって沢山居ますよォ?さて、此処にお呼びしたのはアナタと少~しお話させて頂きたかったからです」 「俺は用事ねぇけど」 「釣れませんねェ~?七森包サン、二十五歳、誕生日は八月八日で獅子座のO型。ご職業はウェブデザイナー、ご兄弟は弟さんがお一人……まだまだありますよ?」 「何で……」  渋々椅子に座ると両手の上に顎を乗せテーブルに肘を付いたステラが此方を見透かす様に青い眼を向けて来る。つらつらと俺のプロフィールを述べ始めるこいつに冷や汗が一筋伝った。その反応に気を良くしたらしいステラは続けて口を開く。 「ああ、これは占いで言い当てている訳ではありません。此処まで個人情報視えたら流石に怖いですからネ!ちょーっとしたツテを使って調べただけです」 「普通に最悪じゃねぇか」 「まぁそう言わずに!つい先日アナタの職場にウェブデザインのご相談をしに行かせて頂きまして。其処でついつい包サンに一目惚れを」 「猶更タチ悪ぃわ!」  この僅かほんの数分間だというのにどっと疲れが込み上げる。相変わらず胡散臭いが顔がやたら良いのが更に腹立つ要因だ。ホストに絶対こんな奴居る。間違いない。 「でもですねェ……どうやらアナタには邪魔なモノが憑いている様で。いやぁ困りました」 「…………」 「ボク、表面上は占い師やってますけど神社の家系の次男でして」 「何が言いてぇんだよ」  ほんの少しの不機嫌を感じ取ったのだろうステラがすっと目を細める。心の奥底まで見通そうとする視線が居心地の悪さを加速させた。 「ではそうですね、回りくどいのは辞めて単刀直入に言いましょう。ボクは霊能力者の側面も持っています。つまり浄霊も出来ると言う事ですね」 「……必要ねぇし」 「ではこうお話しましょうか、成仏出来ないでいる霊は不成仏霊と言って放って置けばいつか悪霊になってしまいます」 「そんなの信じられるかよ」  信じたくない、というのが正しいのかもしれない。だがあの健斗の怯え方から察するにこの男が言っている事は多分間違いないんだろう。でもそんな事認められない。 「未練や執着でこの世に残り続けるのは正しい事ではありません。そんな事が罷り通ってしまえば霊で溢れてしまいますからね」 「そもそも大体、俺が決めて良い事じゃねぇんだよ……」 「来週から丁度お盆ですね。あの世に送るには丁度良いかと思いますが?」 「何度も言わせんな、俺が決めていい事じゃねぇんだって」  何を言っても正論で返される、いい加減うんざりして来た所でステラがふむと何か考える素振りを見せた。 「余程あの霊に御執心な様で」 「恋人の幽霊を祓いますって言われて、はいそうですかなんて言える訳ないだろ」  相も変わらず腹が立つ程の笑顔で言われたかと思えば俺の返答にステラが急に真顔になった。それは圧を感じる程で何となく息苦しくなる。さっきまでの和やかなこいつは何処に行ったのかと問いたくなる位だ。 「妬けますね。よりによって幽霊が恋敵なんて」 「恋敵って」 「ボクはこう見えて本気ですよ?顔も良いし金もあるし尽くしますし浮気もしなければセックスも上手い。優良物件だと思いません?」 「触んな、つーか自分で言うかよ普通……」  一切笑っていない目で見据えられ、不意に立ち上がり近付いて来たステラに頬を撫でられ至近距離まで詰められると耳元で囁かれる。ふわりと柑橘系の香水の匂いがした。手を払って拒否するが健斗の手もこんな風に暖かかったなと少しでも考えてしまった自分が嫌になる。 「仕事中じゃなければキスしてしまいたかった所ですが、今日はこの位で」 「充分職権濫用してんじゃねぇか」 「では折角なので占って行きますか?」 「んな気分になるかっつーの。もう行くし……っておい!?」  椅子から立ち上がると同時に引き寄せられて腰元から尻に掛けてを撫でられゾワゾワした感覚に思わずステラを引き剥がす。すっかり最初と変わらない胡散臭い笑顔に戻っていたこの男の考える事がさっぱり分からない。 「また会いましょうね、包サン」 「セクハラで訴えんぞ!……もう会わねぇ」 「いいえ、アナタは必ずボクに会いに来ます」 「どんな自信だよ……じゃあな」  踵を返して扉を開けて個室から出て行く。三十分に満たなかったが凄く疲れた気がする。そこからどうやって帰ったのかはよく覚えていない。  今日の話が本当だとしたら健斗は本当は居てはいけない存在なのだろう。成仏出来ずに幽霊として其処に居る。感覚がマヒして当たり前の様に思っていたが本当はそうじゃない。お盆は来週、それまでにこの気持ちが整理できるかと思うと気が遠くなった。 #10 宿命  アスファルトに陽炎が揺らぐ猛暑日の気温は最悪で、それだけでも気が滅入るのに帰り道はひたすらムシャクシャしていた。あの男――ステラに言われた事は理解出来る。でもそれを受け入れろというのは余りにも酷だ。  うだうだと悩んでいる間に自宅のあるマンションまで辿り着いてしまって果たして健斗に何と言えば良いものかと考えると頭が痛い。  エントランスを抜けてポケットから鍵を取り出すと意を決して自宅へと向かった。 「おかえり、包……くるむ?」 「あー……ただいま」  鍵を差し込み扉を開けると様子が可笑しいと早速気付かれたのか健斗が首を傾げている。近付いてくるその姿に安堵感が湧き出して思わず泣き出しそうになった。 「大丈夫?何か……痛っ」 「健斗……?」 「いた……い、なんで……触れない」 「おい、どうした」  此方に延ばされた手が触れるか触れないかという所で急に健斗が顔を顰めた。何が起きたのか全く分からずその手を取ろうとすると静電気の様なものが走る感覚と共に健斗が絶望した顔で嘆く。  何故こんな事に?と頭が混乱する。何か変わった事は無かっただろうか、と今日起きた事を思い出して行くとあの男の影がチラ付く。 「まさか……マジかよ」 「なに、それ」  最後に触れられただけだと思っていたがジーンズの後ろポケットに手を伸ばすと気付かぬ間に電話番号が書かれた名刺とひとつのお守りが入れられていた。それはまるでこの状況は異常なのだという改めての警告の様にも思えて手が震える。同時にあの男は、ステラは間違いなく本物であるという確固たる証明でもあった。  浮かれていたんだ。健斗が傍にいてくれればいいという想いだけで。この可笑しな現状を作ってしまったのは自分だったのかもしれない。 「なぁ、健斗」 「うん」 「お前このままだと悪霊になっちまうってさ」 「……うん」 「俺の所為だ、俺が……俺が健斗の死を受け入れられなかったから、こんな……」  声が震える、健斗の事を真っ直ぐに見られない。涙が溢れ出して止まらなくて、雫と共に手元からお守りが床にポトリと落ちる。その場に泣き崩れると健斗に抱き締められた。分かっている、分かっているんだ。触れたって体温も心音も何もない事位。嫌という程自分が一番分かっている。でも手放したくなくて……こんなのエゴでしかないと理解させられた。 「……包は悪くないよ、俺が包を置いて逝けなかっただけ。でもそっかぁ~俺、どう足掻いても幽霊だもんね。こんなの可笑しいって薄々分かってた」 「やだ……おれ、やだよ。何でお前が……」  俺を包み込む温度の無い腕にぎゅ、と力が籠った。顔を上げてみても健斗の表情は伺えない。 「それ以上は言わないで。まぁ、これが逆に奇跡だったって事なんだ」 「なんでっ!なんでお前は受け入れられるんだよ!」  ぽたりぽたりと降り始めた雨粒がアスファルトに落ちる様に涙の粒が零れて止まらない。背中を撫でられて、でもその優しさが今は余計につらかった。 「ねぇ包、きっとこれは神様がくれた猶予で悔いの無いようにって存在してる時間なのかもしれないね」 「猶予……?」 「そう、俺が死ぬ運命はきっと変わらなかったけど。きっと最後に笑ってバイバイする為の猶予」 「俺の事死ぬまで離さないって呪うんじゃなかったのかよ!?」 「包には笑ってて欲しいんだ、俺。だからこのまま悪霊になって呪うんじゃなくて、俺として居られる内に包に祝福を送りたい。包は俺が悪霊になっても良いの?」  いっそ苦しい程に健斗は優しくそっと語り掛けて来る。ちゃんと全部分かっているのに、頷くというただそれだけの事が出来ない。いっそ悪霊になって呪い殺して欲しいなんて言ってはいけないと分かっていても脳裏をどうしても過ってしまう。でもこの誰よりも優しい男はそれを絶対に良しとはしないのも分かっている。 「……ばかやろう」 「うん、馬鹿野郎でごめん」  きっとこいつも言わなくても全部分かってるんだろう。俺が何を考えてるかも、全部。そんな狡くて優しいのがいっそ憎らしい程だと思いながら手に残った名刺を横目に見た。もう結論は出ているも同然だ。 「生まれ変わっても俺の事見つけなかったら許さねぇから」 「来世でも愛してくれるの?」 「当たり前だ馬鹿」  きっとどんな姿形で生まれ変わってもこいつはまた大型犬みたいに俺を見付けてはしゃぐんだろう。そう思ったら自然と笑みが浮かんだ。泣いて笑って、俺も俺で馬鹿みたいだ。ポケットからスマートフォンを取り出してショートメールのアプリを開くと名刺の番号を打ち込んで手短に文章を送った。これで全て終わってしまう、魔法が解ける。最後に頬を伝った雫は健斗の肩にぽたりと落ちた。 #11 覚悟  ザァザァと熱いシャワーが降り注ぐ。  向かい合った健斗のずぶ濡れの癖毛に手を伸ばして指先で遊ぶと唇が静かに重なった。シャワーの熱を冷ます様な温度の無い唇を甘く食み、もっとと囁けば舌が絡み合う。漏れ出す吐息がバスルームに木霊してシャワーの音と共に鼓膜に響き渡る。  後ろ手にシャワーの栓を捻って止めるとより一層食らい付かれると錯覚する程のキスに変わった。ちゅぷ、と舌先が触れ合い、それを飲み込む様に掬い上げられて互いの唾液が絡み合う。 「ん……ふ」  蕩けてしまう程の口付けひとつで腰が砕けそうになるのを見計らった様に健斗が名残惜しそうに唇を解放しそのまま腰を抱かれて密着する。身に纏うものひとつない素肌はやはり温度は無くて、浴びていたシャワーの熱気だけが伝う。 「キスだけで足りる?」 「足りない……今の内にもっと健斗が欲しい」  はしたないとは思いつつ、灯った欲望のままに下肢を擦り付ける。性器は僅かに兆しを見せており既に芯を持っていた。  すると腰を抱き撫でていた健斗の手が臀部に添えられて揉み込む様に手付きが変わる。より密着して幾度もキスを交わし、下肢を擦り付け合えば徐々に性器が頸を擡げた。  互いにその気であると分かれば話は早かった。俺が誘う様に腰を揺らして、先走りの助けを借りてぬるりと擦れる陰茎同士は徐々に膨れ上がり、揉みしだかれる臀部は気持ちいいがやはり物足りなさを感じている。 「健斗……」 「大丈夫、わかってる」  臀部の割れ目に沿って健斗の指が肌を撫でていく。その指先が後孔に触れると期待が隠し切れずそこがひくりと脈動した。  健斗がバスルームに置いてあったローションの蓋を開けて手に出しそのぬめりを頼りにそれを丁寧に塗り付けて、そっと中指が侵入して来る。もうすっかり慣れてしまった異物感に熱い溜息を零してもっとと誘い込む。 「ッ、ぁ、健斗……」 「もう少し、待って」  馴染んだ頃にもう一本の指を挿し入れ、腹側にある前立腺を明確に二本の指先で捏ね回されるとびくりと過剰な程に全身を震わせた。  そうしている間に健斗の腹筋を撫でながら下肢へと手を辿らせ、起ち上がった擦れ合う性器を撫で、そして震える手でゆるゆると扱き始める。  くちゅちくちゅりと淫猥な水音がバスルームに響き渡り、二人の熱い吐息が漏れ出した。  気付けば三本に増えていた後孔を解す指は縦横無尽に動き回って明確な意図をもって拡げていく。俺が扱いていた性器は既に完全に反り立ち、既に臨戦態勢と言える状態だった。 「くるむ、後ろ向いて」  その言葉を合図に後孔から指が引き抜かれ、健斗に背を向ける様にしてバスルームの壁に手をつく。  とろとろに解されたひく付く後孔にひたりと健斗が性器を宛がい力を籠めるとそのままずぷずぷと入ってくるのが分かる。 「ぁ……!アあ……ァ、ッ」 「は、ァ……くるむのナカ、相変わらずすごいね」  ゆっくりと挿入されコツリと結腸弁に先が当たるとゆるゆると馴染ませる様に健斗の性器が中を掻き回し始める。それだけでも快楽が襲い背筋を反らせて身を捩った。  健斗が俺の腰を掴み、程良く慣れた頃合いを見定めてトントンと奥をノックするかの動きで腰を振り始めるとぶるりと背筋に快感が走った。 「ッぁ……アン、ぁぁ!ァぁ!ンン、ァ!っ」 「包、気持ちいい……ッ?」 「あっ、けんと、もっとぉ」  完全に蕩け切った顔ではふはふと熱い吐息を零しもっと強請る俺に、強くグラインドを繰り返し突き上げて来る。そうしている内に緩み出した結腸弁にぐりぐりと先端を押し付けるとぐぽりとさらに奥へと飲み込まれ、俺の全身が大きく震えてぴしゃりとバスルームの壁に白濁が散った。 「ァ―――!!!!……ァあ……あ、ぁアん……ッん、ア……ぁ」  皮膚同士が勢い付けてぶつかり合いパンパンと音が鳴る。健斗が達したばかりの俺の性器を掴み、亀頭を撫で回して刺激し始めると大きく首を振り快楽に抗おうと腰が逃げそうになるが、構わず強く挿出を繰り返す健斗が背中に何度もキスを落とす。 「あ……イく、ァぁ!イ、あぁ!ア……、ァン……ぁ!っ」 「くるむ……ッ」  執拗に亀頭を責められて、結腸を突き上げて快感という快感を責め抜くと俺の鈴口から透明の液体が断続的に放たれ、その反動でこれ以上無い程に締め付けると健斗が中に精液を吐き出し、それを擦り付ける様に本能のまま腰が揺らぐ。  そっと顔に健斗の手が添えられて後ろを向かされると労わるかのごとく頬を擦り合わせて首筋にキスを落とされる。  絶え絶えな二人分の呼吸がバスルームに反響して余韻を感じさせるがまだ足りなくて、もっと健斗を感じていたくて腰を揺らす。まだ中に居る健斗の性器が脈打つのが伝わった。 「はぁ、っ……ア、ッ!けんと……ぉ!」  バスルームに止め処ない嬌声と吐息が響き渡り、後孔の奥までぐぽりと性器を叩き込まれ塞がらない口端からは唾液が雫となって零れ落ちる。ずっとゾクゾクと背筋を電流が駆け巡る様な快楽が止まず壁に爪を立てた。 「ッッ、くるむ、気持ちいいの?」 「ぐ、っ……ぁア!いい、もっとぉ……!」 「ふ、ッもう少しだけ」  耳を舐りながら囁かれてまたゾクリと背筋が震え腰が疼く。もう何度達したか数える余裕もない、すっかり咥え込む事に抵抗の無くなった肉体は浅ましく腰が揺れ動く。どんな激しい挿出にも感じる身体は一体いつ達しているのかも分からず前後不覚に陥る。 「ひ、ぁあ!イく……!!も、イってる、……ッ!」 「くるむ、かわいい」 「ハ、っ……は、ァ」  肌のぶつかり合う音が響く中、背が仰け反り叩き込まれる快楽に酔い痴れ絶頂を迎えるとこれ以上無い程奥を貫かれ再び中に熱い迸りを感じた。  疲れ果てた身体を鎮める様に二人でベッドに転がり、向かい合うと健斗に抱き寄せられすっぽりと腕の中に仕舞われる。それが何だか心地良くてそのまま好きにさせた。 「このまま二人でどろどろに溶けちゃえばいいのにね」 「なんだよ急に」 「覚悟決めたのにやっぱ包が恋しくて?」 「そんなの俺だって……」  額がそっとぶつかる。鼻先が擦れて、どちらともなく口付けて、やっぱり名残惜しいと心が叫ぶ。でも健斗が呪いを振り撒く所なんて見たくない。相反する気持ちが苦しくて胸がツンと痛む。  本当にこのまま二人で溶けてしまえたらどれだけ良いだろう。悲しみも苦しみも無くひとつになって……でもそれは叶う事の無い夢物語だ。 「ねぇ、包。俺の事愛してる?」 「……愛してるよ」 「……そっか、ありがとう」  ぎゅう、と健斗の腕に力が籠る。今思えばこいつだって滅茶苦茶つらい筈で、苦しいのも俺だけじゃない。恋人と離れて下さいと言われてはいそうですか、なんて簡単に頷ける訳がない。なのに健斗は俺を想ってあっさりと受け入れた。本当に馬鹿な奴だ。 「明日、東(あずま)神社に来いだとよ」 「うん。でももうちょっとだけ包と居たかったなぁ」 「先に覚悟決めたのお前だろ馬鹿」 「まぁね……俺さ、包と出会えて幸せだった」 「俺だって……」  不意に健斗が小さく鼻を啜るのが聞こえた。背中に腕を回して撫でてやるとハハッという笑い声で返されるがその声は震えている。 「俺と出会ってくれて、愛してくれてありがとう」 「……おう」 「来世ではさ、しわしわのおじいちゃんになるまで二人で幸せになろ?」 「今世でなりたかったっつーの」 「それはほんとゴメンって」  言葉を交わせば交わすほど、止まったと思った涙が溢れて来る。健斗も珍しく泣いている様だった。本当なら馬鹿みたいに笑って二人で泣きたかったなと思ってももう俺達に未来という二文字は無くて、そう思うとまた目尻から雫が零れた。  泣いても笑っても明日でこの束の間の幸せも終わりを告げる。なら最後位こうして求め合っても罰は当たらないだろう。涙を拭ってもう一度唇を重ねた。 #12 最終話 それは呪いか祝福か  蝉の声がこれ程煩わしいと思った日は無いだろう。  記録的な猛暑日を繰り返す八月の昼下がりは外に居るだけで嫌な汗が滲む。苛立つ程の雲一つ無い快晴の空は澄み渡っていて、アスファルトには陽炎が揺れている。  スマートフォンのナビゲーションに従いつつ比較的マシな日陰を優先的に通り、後ろをついて来る健斗を時折振り返って確認した。  物思いに耽っているのか珍しく口数が少なくて、ああ本当に終わるのかと奥歯を噛み締めた。 「東神社、考えたら来た事無かったな」 「うん。初詣はいつも別の神社だったしね」 「……ついた」 「もうついちゃったかぁ」  ナビゲーションが終わると共に目的地を見れば林に囲まれた涼し気な鳥居越しに境内が見える。それ程大きくはないが管理の行き届いた立派な神社である事が伺えた。ポケットにスマートフォンを捻じ込んで鳥居に向かい、潜る前に一礼して入ると健斗も続けて鳥居を潜ったものの様子がおかしな事に気付いた。 「健斗?」 「ごめ、ちょっと苦しくて……多分大丈夫」 「ならいいけど……」 「ようこそ、お二人とも」  手水舎まで向かい両手を交互に清めていると白衣に袴姿のステラが近付いて来る。幽霊なりに危険を察知したのか健斗の身体が震え出すが手を繋いでやると少しだけ治まった。 「……ステラ……出来れば会いたくなかった」 「言ったでしょう?アナタは必ずボクに会いに来ると。あと今は占い師ステラではなく東智也とお呼び下さい。そちらの幽霊は……」 「雨宮健斗……です」 「ではちゃっちゃと始めましょうか、もう既に半分剝がれていますがネ。幽霊にはこの神社は相当耐え難いでしょう」 「健斗お前……」  大丈夫、と目配せして来る健斗にそれ以上何も言えなかった。ステラ――東が言う通りなら今こいつは相当しんどい筈だ。 「この分であれば剝がすだけなら祝詞で充分でしょう。剥がせば後は成仏するだけですので。さぁこちらに」  東の案内に従って境内の中央に呼び寄せられる。余りにも簡単に言われて苛立ちを隠し切れないが今はもう東に委ねるしかない。 「では包サン、ボクの唱える祝詞を復唱して下さい」 「繰り返すだけでいいのか?」 「ええ。それだけです」 「……分かった」  もっと大層な儀式かと思っていた分、東の言葉に呆気に取られる。苦しそうな健斗を早く解放してやりたくて意を決して頷いた。それを見た東が口を開く。 「では続けて……祓え給い、清め給え、神ながら守り給え、幸え給え」 「祓え給い、清め給え、神ながら守り給え、幸え給え」 「くるし……っなに、これ、ぅっ」 「健斗!?健斗!」 「言ったでしょう、剝がれてしまえばあとは成仏するだけと」  東の唱えた祝詞を復唱すると露骨に苦しみ出した健斗を慌てて抱き締めようとするが、現実は無常でもうこいつに触る事は出来ず手はただ宙を舞った。  取り憑かれていたから触れただけで、本来の俺には霊感も何もない。故に触る事も出来ない。元に戻ってしまっただけの事だ。辛うじて見えているのが奇跡なのだろう。 「あ……そんな……」 「くるむ、ごめんね……泣かないで」 「……っ、泣いてねぇよ馬鹿」 「そっか、じゃあそういう事に……しとこうか」  苦しいだろうに健斗が俺をそっと抱き締める。でももう温度どころか感触も何もかもが、何ひとつない。気が付けば頬を一筋の雫が伝っていて、でも空はやっぱり澄み渡る晴天で……もう何度涙を流しているだろう、本当は笑って見送る筈だったのに。 「ボクの仕事は此処までです。本来あるべき摂理に戻す、それだけ」  東が気を利かせて背を向ける。徐々に健斗の姿が薄れていく中でやっぱりつらくて泣きじゃくった。涙は雨の様に地面に吸い込まれていく。 「包、今まで本当にありがとう」 「っ……」 「本当に、本当に愛してた」 「俺だって……!ずっと愛してる」  涙で視界が滲む。健斗はもう殆ど見えない。最後に触れる事の無い口付けをして、健斗が微笑む気配がする。でも瞬きする間にはもうそこには誰も居なかった。 「……東」 「ハイ、何でしょう」 「ありがとうな」 「礼には及びません」  東がひらひらと手を振り背を向けたまま去って行く。手の甲で涙を拭って、空を見上げた後自分も神社を後にした。 『次のニュースです。本日朝、都内のマンションで男性の遺体が発見されました。男性は――』  永遠の愛――それは呪いか、祝福か――

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