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第1話「謎の男」

 もうすぐ夏休みも終わりだ。  実家へ帰っていた寮生は、始業式の5日前から徐々に学園の寮へ戻ってくる。  地方都市にある青海波(せいがいは)学園は伝統を重んじる男子校で、わざわざ「あの学園に入れたい」と各地の名士が我が子を送り込んでくるのだ。  檜垣(ひがき)寮の寮長である俺は、先陣を切って実家から寮へ戻り、皆を出迎えた。 「夏休み楽しめた?」「髪、切ったんだ。似合うな」「お土産?ありがとう」「先輩、夏季講習どうでした?」  最も遅かった者は前夜の到着だったけれど、無事に全96名が帰寮した。  俺は寮長として、ひとまず胸をなでおろす。 —  様々な伝統が引き継がれている青海波学園では、新学期初日の朝食の席で、寮長が挨拶をするという面倒な習慣がある。  食堂のテーブルでは、皆が席につき食事を始めていた。すでに全員が学園の制服に着替えている。  夏服は白シャツに紺色の千鳥格子柄ズボン。胸ポケットに刺繍されている校章の色が何年生かを示している。 「えー、おはようございます。檜垣寮の77代目寮長、成川(なるさわ)ハヤセです」  皆、眠そうな顔だけれど、パチパチと拍手をしてくれる。 「あ、どうぞ、食べながら聞いてくれれば大丈夫です。1年生は学園にも寮にも慣れ、2学期はより充実した日々を過ごせるでしょう。3年生の皆さんは、いよいよ受験が近づいてきました。そして我々2年生は青春を謳歌するなら今がその時、といったところでしょうか」  寮の周りを囲んでいる太い樹々では、朝早くから蝉がうるさく鳴いている。終わりゆく夏に焦っているのかもしれない。 「2学期には、寮生活最大の行事が待ち構えています。籠目(かごめ)寮、立涌(たてわく)寮、檜垣寮の持ち回りで毎年開催される夜会ですが、今年は、檜垣寮の主催となります」  さっきより、大きな拍手が沸き起こる。 「夜会準備には、皆さんの協力を仰ぐと思いますが、どうぞよろしくお願いします。以上です」  そこまで話し、俺も席に座る。  皆、海老とトマトのオムレツにトーストという朝食を食べながら、夜会の話で持ち切りになった。  けれど俺は、皆に気づかれないよう、そっとため息をつく。  夜会を主催しなければいけない年に、寮長を引き受けたのは失敗だったかもしれない。  1人部屋欲しさに、率先して引き受けたことを、少しだけ後悔したくなる……。 —    学園と3つの寮は、同じ敷地内に建てられている。  1学年120名と、学園の規模は大きくないが、そのうち8割が寮で生活をし、2割が自宅生と呼ばれる実家から通う者だ。  寮生は自宅生とはあまり交流がなく、俺も名前と顔が一致しない者が数人いる。  昼休みの学食で、変な噂を耳にしたのは、2学期が始まって3週間ほど経った月曜日だった。 「ハヤセ、あの噂聞いたか?」  俺と同じ2年生で、籠目寮所属の知人が面白そうに話題を振ってきた。 「何の噂?」 「檜垣寮の裏に物置があるだろ?」 「災害用の備蓄庫のことか?」 「そうそう。最近、夜になるとあそこに何かいる気配がするって、1年生の間で持ち切りだぞ」 「それはオカルト的な意味で?」 「たぶんな」  彼は幽霊のように、両手を胸の前で垂らしてみせる。聞いていた皆は無責任に盛り上がった。 「オバケとか見てみてー」 「オマエ、そんなこと言ってると、祟られるぞ」 「夜会でフラれた女の子の生霊だったりして」 「ありえるー」 「今日中にはその噂、2年生にも広がるだろうな」  こういうことは、一度騒ぎになってしまうと収拾に時間がかかる。 「あぁ。面倒だがなんとか対応しないと」 「大変だねぇ、寮長も」  俺が考え込んでいるうちに、オカルト話はいつの間にか文化祭の話題に移り変わっていた。  夜会の準備がある俺は、学園の文化祭を手伝うまで手が回らないだろう。  寮での夕食時、1年生の何人かが備蓄庫の話をしているのを耳にした。  俺は聞こえないふりをして、ことを大きくしないように努める。  夏も終わるのに、肝試し感覚で夜中に見に行ってみよう、なんて言い出す者が出る可能性もある。  そんな不届き者が現れる前に、俺が確かめに行くしかないだろう……。 — 「ここいい?」  食堂には他にも空席があるのに、俺のことを何かと気にかけてくれる前寮長のタケル先輩が、俺の隣に座った。  普段は孤高を気取り、皆とほどほどの距離を築き上げている俺も、先輩のことは無下にできない。 「夜会の準備はどう?」 「まだ始まったばかり、という感じです。文化祭実行委員にこちらの当日開始時刻を伝え、了承は得ました」 「近隣の女子高生は招待状の配布はいつからだろって、ソワソワしてるはずだよ」 「まだ先なのに……」 「困ったことや、気掛かりがあったら言ってね。ハヤセはなんでも自分でしようとするから、そういうの良くないよ」 「ありがとうございます」  タケル先輩が寮長のときが、檜垣寮の夜会の持ち回りの年だったらよかったのに……。  彼は人望も厚く、人付き合いも上手いのだから。 「お先に失礼します」  俺は先輩が食べ終わるまでは待って、すぐ席を立った。 —  その夜。25時。  俺は、寝巻替わりのジャージとTシャツ姿に、予め部屋に持ってきておいた靴を履く。そして、スマホと念のための武器、雨傘を持つ。  寮父に警報の通知がいくかもしれない非常口を避け、部屋の窓から外へ出た。  寮長には伝統的に、1階の一番奥の1人部屋が与えられる。  1年生のときの4人部屋は、1人時間を好む俺にとっては地獄のようだった。2年生の3人部屋も誰が相手になろうと嫌で、寮長に立候補したのだ。  さらに今年度寮長をしっかりと勤め上げれば、功労賞ということで、3年生も2人部屋が免除され、1人で部屋を使わせてもらえる。  だから何としても、この1年間、問題を未然に防ぎ、立派に寮長としての勤めを果たしたいのだ。  くだんの備蓄庫には、鍵がかかっていないはずだ。  災害時、施錠されていては役に立たないという配慮だろう。  そもそも学園の敷地は、レンガの塀で囲まれており、外部からの侵入者をあまり想定していない。  オカルト的なことを信じない俺としては、備蓄庫の中にいるのはおそらく猫か狸。  ただ、それらの動物が、どうやって重い戸を開け中に入ったのか、と問われれば、明確な答えは用意できない。  俺は、外灯を頼りに裏門近くの備蓄庫へ辿り着き、一旦深呼吸をする。  9月も後半なのに外は蒸し暑い。空は晴れていたが、新月なのか月は見当たらなかった。  中にいるのが人だろうが、霊だろうが、動物だろうが、いきなり開けるのは良くないはずだと「コンコン」とノックをする。  全く反応はなく、そもそも何もいない可能性のほうが高いと思い至った。噂はあくまでも噂だったのだ。  それでも念のため雨傘をバットのように構え、重い引き戸を右へ引っ張った。 「えっ」  心臓が止まるかと思うほど、驚く。  だってそこには、紺色の千鳥格子柄ズボンに白シャツという学園の制服姿の男が、こちら側に顔を向け丸まるように倒れていたから。 「だ、大丈夫か?」  まさか死んでいるのかと一瞬ヒヤリとしたが、触れた肩は温かい。どこかに怪我をしている様子もなく、もちろん拘束もされていない。  よく見れば、男はスースーと穏やかな寝息を立てていた。 「は?」  備蓄庫の中の物を多少移動してスペースを作り、床には段ボールを敷いたようだ。  腰のあたりには、布団替わりなのか申し訳程度にバスタオルが掛かっていた。  枕にしているのは、リュックサックだろうか。右手にはスマホも握りしめている。  俺がこんなに観察していても、この男は起きる気配がない。  スマホのライトを顔に充ててみたが、誰なのかピンとはこなかった。檜垣寮のメンバーでないことだけは確かだった。  彼の肩を揺さぶる。 「おい、起きろ。こんなところで何してる?おい!」 「んー」 「起きろってば。おい」 「んんー」  彼が寝返りを打ったことで、制服のポケットに縫われた校章の色が見えた。緑。俺と同じ2年生のようだ。 「オマエ、誰だ?ここで何してる?おい」  大きな声を出して、寮父や寮生に気づかれるのも得策でないと思い、押し殺した声で問い詰める。 「ん、朝?」  寝ぼけた声を出す男の顔は、ドキッとするほど美しく整っていた。アイドルグループに所属していると言われても納得しそうな容姿だ。  こんな状況なのに、胸が変に高鳴って、俺はその顔から思わず目を逸らす。 「とにかくこっちへ来い」 「へ?」  俺は男の腕を取り、リュックサックとバスタオルを拾い上げ、戸を閉める。  男は右手に持ったままのスマホで時刻を見て、「まだ真夜中じゃん」と文句を言ってきた。 「静かに!」  彼の腕を引っ張って、俺は自分の部屋の窓の下へ連れてゆく。 「靴を脱いで、ここから中に入れ」 「ん」  男は軽々とした身のこなしで、俺の部屋への侵入を果たす。  そして俺を振りむき、「エアコンついてて、めっちゃ快適」と可愛らしく笑った。  色々と問い詰めたかったが、男はベッド横に敷かれたラグの上にゴロンと寝転ぶ。  そして、さっきと同じように横を向いて丸まり、あっという間にスースーと寝息を立て始めた。  どういう神経をしていたら、こんなに図太くいられるのだろう。  腹が立ったが、予備のタオルケットを棚から出し、この可愛らしい男に掛けてやる俺も、どうかしていると自分自身に呆れた。 —  ふと、目が覚めると窓の外は、まだ薄暗かった。  それにしても、今俺が眠るベッドの中は快適だ。エアコンが部屋の室温を低く保ち、タオルケットの中は温かく心地よい。柑橘系シャンプーのいい匂いも仄かに香っている。  スースーと規則的に聞こえる寝息は、まるで子守歌のようだ……。え?寝息? 「え?えーーー!」  ラグで寝ていたはずの男が、図々しくも俺のベッドに入り込んでいる。いつの間にか俺たちは身を寄せ合って眠っていたようだ。 「ありえない、まじでありえない」  なにより1人で過ごすことを大事にしてきた俺が、見知らぬ男とタオルケットに包まり、それを「快適」だと思うなんて……。  俺は、男をベッドに残しラグの上に移動する。 「どうして俺がこんなに気を使わなきゃいけないんだ……」  そう文句を口にしながら、男のために出した予備のタオルケットを自分に掛け、ギュッと目を閉じて再び眠りにつく。 「……ピピピ、ピピピ」  火曜日の朝。スマホのアラームが鳴り響き、いつもの時間に目を覚ます。窓の外からは太陽光が降り注ぎ、9月なのに今日も暑くなりそうだと思えた。  それよりも……。  どうして俺はラグの上で寝ているのだろう?  自分のベッドを見ると、綺麗に畳まれたタオルケットが置かれていた。  寝ぼけた頭が徐々に覚醒し、昨晩のことを思い出す。  あの男はいったい誰だったのか。どこから備蓄庫に侵入し、どこを通って帰っていったのか。  それを考えようとすると、可愛らしい笑顔や、ベッドの中で触れ合った体温が先に思い出され、心がザワザワと騒めく。  これは若干寝不足なせいだと頭を振り、洗顔するために廊下へ出た。

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