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第2話「自由な男」

 制服に着替えた俺は、朝食の前に防災備蓄庫へ向かう。  早いうちに床に敷かれた段ボールを処分し、あそこで寝泊まりした者がいた証拠を隠蔽したかった。  段ボールをゴミ置き場へ運び、移動されていた備蓄品を元の場所に戻す。 「ハヤセ先輩。おはようございます」  突然、背後から声をかけられ、ビクリと肩を揺らしてしまう。  1年生4人が不安そうな顔をして立っていた。 「お、おはよう」  どうして俺が、こんなにもビクビクとしなければならないのだ。 「先輩、この備蓄庫に出る霊の噂をご存知ですか?」 「あぁ、うん。チラッとね、俺も耳にした」 「昨日の真夜中も、備蓄庫のほうからガタガタと音がして…」 「人が喋るような声も」 「怖くって」 「僕たち、この上の部屋だから」  1年生は口々に話し、備蓄庫に最も近い2階の部屋を指差す。本当に怯えているようで、揃って顔色が優れない。 「何か見たのか?」  4人はブンブンと首を横に振る。  バレてない。よかった……。 「中、覗いてごらん。俺も今、隅々まで点検していたんだけど、何もないよ」  4人は怖々と備蓄庫に首を突っ込む。 「ほら、怪しい感じはしないだろ?」  俺は彼らを諭しながら、こっそりと点検するように四隅へ視線を巡らせる。  すると自分の足元近くに、ワイヤレスイヤホンが片方だけ落ちているのが目に留まった。 「左の奥まで見てごらん。そしたら少しは安心できるだろう」  俺はさりげなく彼らの視線をズラし、イヤホンを拾いあげる。 「とにかく、今度また何かあったら俺に報告して。自分達だけで夜中に確かめたりしちゃダメだよ。いいね」 「はい」  彼らは神妙に頷いた。 —  朝食を食べ終え、いつもより早く学園へ向かう。  校章が緑色の2年生は、全3クラス。計120名だ。  学園にはクラス替えがなく、1年生から3年生まで同じクラスメイトと過ごす。  俺はC組で、クラスのメンバーは自宅生含め把握している。つまりあの男はA組かB組。そしておそらく自宅生。  とにかく、昨晩の男が誰なのか突き止め、二度と備蓄庫へ侵入しないよう忠告しなくては。  俺は拾ったイヤホンをズボンのポケットの中で握りしめ、今日中の決着を誓った。  廊下の壁にもたれかかり、教室に入っていく者を見逃さないように見張る。  あれだけ美しく可愛らしい顔をしている男だ。目の前を通ればすぐに気がつくだろう。  むしろ、今まで認識せずにいたのが、不思議なくらいだ。  予鈴が鳴るが、まだ現れない。  本鈴が鳴り、廊下の向こうから担任が歩いてくるのが見える。  それでもあの男が教室に入っていった形跡はなかった。 「どうした?成川」 「いえ、なんでもありません」  担任に不審がられ、俺は慌てて教室に戻り席に着く。  昼休みになったら、A組とB組の知り合いに欠席者がいるか、聞いてみよう。 「美しく可愛らしい顔をした男を知らないか?」と聞いて回ってもいいが、あの男をそのように称し問うことには、躊躇いがあった。  四限目が終わり、学食へ移動する誰かに欠席者のことを尋ねようとしていたときだった。 「ねぇ、僕のイヤホン知らない?」  背後から話しかけられた。俺はその声に反応し、勢いよく振り返る。 「えっ……」  そこに居たのは、黒縁メガネに、重たい前髪のモサっとした男だ。見るからに覇気がなく、授業中寝ていたのだろうと思わせる赤い跡が、頬についていた。  昨晩の男、……なのだろうか?声に聞き覚えはあった。  けれど、あの男はメガネなど掛けていなかったし、髪型も、オデコが見えていたと記憶している。 「だ、誰だ?」 「僕?A組の葉月(はづき)ユウヒだけど。ねぇ、イヤホン、どこかで落としたみたいなんだ。知らない?」  美しい顔は意図的なのか、巧妙に隠されていた。 「寮の備蓄庫に置いてきちゃったのかなぁ」  俺は慌てて彼の口を右手で塞ぐ。せっかく隠蔽してやったのに、人が行き交う廊下でベラベラ喋るとは、なんて無防備な男なのだ。 「ちょっとコッチへこい」  俺は彼を屋上へ続く階段の踊り場へ連れてゆく。 「え?なんだよ。僕、お腹空いたから早く学食に行きたいんだけど」  メガネと前髪で覆われている顔を、正面からよくよく見れば、巧妙に隠されていても美しい造形であることが分かった。 「ほら、コレ」  イヤホンを差し出す。 「よかったぁ。サンキュ」  男……ユウヒは、俺の手から摘み上げるようにイヤホンを受け取り、即学食へ向かおうとする。 「おい、待て。事情聴取がまだだ」 「事情聴取?」  誤魔化そうとしているのではなく、本当に昨日のことを、大したことではないと考えているようだ。 「昨晩、どうしてあんな場所で眠っていたのか聞きたい」 「あぁ。食べながらにしてくれない?お腹ぺこぺこ」  ユウヒは俺の返事を待たず、階段を降り、学食へ向かった。  学食は日替わりでAランチかBランチを選択できるが、出遅れたためAランチのコロッケは完売だった。Bランチは肉野菜炒めで、俺としては問題なかったが、ユウヒは不満があるようだ。 「オマエのせいでコロッケ食べ損ねたー」  唇を尖らせながらBランチのトレイを持ち、中央のテーブルに座ろうとするから、腕を引っ張って、端っこの二人席へ連行する。 「いただきます。あっ、肉野菜炒めも美味っ」  よくこんなにもマイペースで居られるものだと、感心してきた。  ユウヒの向かい側に座った俺も「いただきます」と手を合わせる。 「で、オマエさ、どこで拾ってくれたの?僕のイヤホン。やっぱり備蓄庫に落ちてた?」 「オマエじゃない。俺はC組の成川ハヤセだ。檜垣寮の寮長でもある。イヤホンは備蓄庫に落ちてた。床に敷いていた段ボールは片づけておいたから」 「えっ、酷い。次からどうすればいいんだよ。またコンビニでもらってこなくちゃいけなくなっただろ」 「いいか、備蓄庫は立ち入り禁止だ。次はない」 「なんだよハヤセ、昨日はあんなにやさしくしてくれたのに。わざわざ部屋に招き入れて、クーラーの効いたベッドで眠らせてくれただろ。いい人だなって感謝してたんだぞ」  俺は箸を止めて、大きく溜め息をつく。  このペースに飲み込まれるべきではない。これは寮長としての事情聴取なのだから。 「一つずつ聞くから、俺の質問に答えてくれ」 「OK!いいよ」  そう答えながら、ユウヒは箸でピーマンを摘み、俺の皿にいくつも移動してきた。  俺は、顔をしかめるも、心を乱されまいと会話を続ける。 「まず、ユウヒは自宅生だよな?」 「そう。ここから家までは自転車で40分もかかるんだよ。めっちゃ遠い。いいよな寮生は、移動が楽で」  基本的に寮生は自宅生を羨ましがるものだが、その逆はあまり聞かない。 「二つ目。昨晩はどうやって敷地内に入った?」 「僕、身軽なんだよ。あれくらいの塀は楽勝で越えられる」  確かに、窓から部屋に入れてやるときの身のこなしも、軽やかだった。 「三つ目。どうして備蓄庫で寝てた?」  ユウヒのご飯とおかずは、もう残り少なくなっている。 「だからね、家が遠いんだって。僕、習い事しててさ。それが終わるとかなり遅い時刻で。家に帰るより、ここに泊まったほうが、便利なの。朝練もあるからさ。今朝も助かったよ、ハヤセのおかげ」  そう言って、可愛らしく笑う。  メガネや前髪に隠れていても、その笑顔に見惚れてしまいそうになるから、酷く厄介だ。  ユウヒはトレイを持って席を立つ。いつの間にか食べ終わっていたようだ。 「とにかく、備蓄庫で寝泊りはもうダメだ」  一番伝えたかったことを告げる。 「了解!」  軽快な返事をし、彼は去っていった。  俺の任務は無事終了した。彼と話をすることはもうないだろう。  そう思いながら、彼が俺の皿に寄越したピーマンを口に放り込んだ。 —  放課後は気持ちを入れ替え、市内の共学校および女子高へ発送する手紙を、学園内近くの郵便局へ出しに行った。 本年度も、例年通り「夜会」を開催させていただきますので、御承知おきください。 社交界を疑似体験することを目的に、清く正しく伝統ある会として運営いたします。 11月24日(月・祝)17:00~19:00 青海波学園、檜垣寮食堂にて開催 立食にて食事を提供 我が学園の寮生より招待状を受け取った女子生徒のみ、入場可能 参加費無料 来会の際は、各校制服を着用のこと ※会への出入りは厳しくチェックいたしますので、ご安心ください  例年使われているフォーマットの日付や時間を変えただけの挨拶状だ。周辺の学校では、既にこの会を充分に把握している。  長年の実績があるからだ。  これから11月にかけて、招待状を手に入れるために学園周辺をウロウロし、アプローチしてくれる女子高生が増えることだろう。  郵便局のあとは、大手コーヒーショップへ入った。  持参した文庫本を読みながら、程よくザワザワとした空気の中で、一人過ごすのは心地いい。  ときどき本から目を離し、自分とは関わりのない人々が街を歩いていく姿を見るのも好きだ。  そう思いながら眺めていた窓の外を、自分と同じ紺色の千鳥格子柄ズボンを着た人物が横切った。  俺は、その美しく可愛い顔に、釘付けになる。……ユウヒだ。  学校で見たときとは違う、生き生きとした表情に、セットされた髪。背筋も廊下で会ったときより、シャキっと伸びているように感じる。  イヤホンで曲を聴いているようで、リズムを取るようにしながら軽やかに歩いていた。  彼にとっては学園にいる昼間はOFFの時間、それ以外がONの時間なのかもしれない。  変わった男だ。やはりもう、彼と接点を持つことはないだろう。  火曜日は平和な夜を過ごし、水曜日の昼間にユウヒを見かけることはなかった。 —  そんな水曜日の夜だった。  もう眠ろうと部屋の照明を消し、布団に入った。  ウトウトと眠りに落ちた頃、夢なのか現実なのか、「コンコン、コンコン」と高い音が聴こえてきた。  少しずつ意識が浮上し、俺はゆっくりと目を開ける。  白いカーテン越しに、明るく光る物体が浮かんでいた。 「えっ」  なんだろう……。オカルト話が頭をよぎるが、寮長としての責務でベッドを下りカーテンを開けた。  そして俺は慄く。危うく声を上げるところだった。  だってそこには、美しく可愛い顔の男がスマホのライトをこちらに向けて、微笑んでいたから。

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