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第10話 ユウヒ視点

 受付のおばさんこと佐藤さんに、16時にダンススタジオへ来るように言われていた。  でも僕は、それより早い14時にスタジオへ行き、基礎レッスンを1本受けた。  家にいても、一度自覚してしまった悔しい気持ちは、度々僕を襲った。それに今月は、レッスン受け放題の高額プランに加入しているから、もったいないと思って……。  久しぶりに受けた基礎レッスンは、楽しく踊ることが最優先のクラスだった。  隣で踊っていた小学生の男の子が「兄ちゃん、めっちゃ上手じゃん」と言ってくれたことが、僕の気分を持ち上げる。  気持ちの良い汗をかき、レッスン着のまま受付に行くと、今日はお休みだという佐藤さんが来てくれていた。 「ユウヒくん、ちょっとどうしたの?汗だくじゃない!」 「あっ、佐藤さん。こんにちは。やっぱり僕、競わずに踊るほうが好きかもー」 「今はそれどころじゃないでしょ!夜会よ、夜会。金色の招待状よ!」 「えー、僕、本当に行くの?大丈夫かなあ。バレてハヤセに迷惑かけるとか嫌なんだけど」 「そのハヤセくんからのご招待でしょ?とにかく、シャワー浴びてらっしゃい。時間が無いわよ」  白いタンクトップと、黒いショート丈のスパッツを渡され、これに着替えてこいと送り出される。  シャワーを浴び着替えを済ませ、再び受付に行くと、どこぞの女子高の制服が僕を待っていた。  これを着るのは抵抗があるけれど、昨日佐藤さんに言われたように、ムダ毛は全部処理してきた。  ハヤセが準備した夜会を覗いてみたい気持ちは、正直少しあったから……。  そこからは佐藤さんと、なぜか現れた佐藤さんの娘の手によって、着せ替え人形のように女子高生へと変身させられてゆく。  ウィッグまで用意されているとは、知らなかった。 「うん、めちゃくちゃ可愛い」 「うん、本当に美しいわ」 「どっからどう見ても、ばっちりね!」 「これなら主催寮寮長の招待状持ってても、胸張って行ける!」  僕の意見など関係なく、親子は満足げに頷きあう。 「あー、もう時間ギリギリよ。走って行かないと」 「いってらっしゃい、ユウヒくん。美味しいものたくさん食べてきてね」 「ウィッグ、踊っても取れないようしっかり付けたから、踊っちゃってもいいのよ」  どんなタイミングで踊るんだよ……。  僕は佐藤さん親子のよく分からない期待を背負い、夜会へと挑んだ。 — 「昨日の悔しさをさ、今このステージで晴らすのはどう?」  ハヤセがそう訊いてくれたとき、僕は、ラムチョップのソテーの三本目を頬張っていた。最初こそ、女子高生な自分に戸惑っていたけれど、今は美味しい料理に夢中になっている。  踊る?ここで?今から?  夜会は僕がイメージしていたよりも、はるかに参加人数が多く、立派な会だった。 「いいかも」  そう答えてしまったのは、この雰囲気に気持ちが高揚していたせいもあるし、それがハヤセのやさしさだと伝わってきたから。 「よし。じゃ、みんなに見せてやってよ、ユウヒのダンスを」  彼は僕が上手く踊れると、信じ切った目でそう言った。  僕がソテーを食べ終わるのを待って、ハヤセは動き出した。  スマホに音源があることを音響さんに伝え、照明さんとも手短に打ち合わせする。  僕は、一旦廊下へ出て、この制服とウィッグで軽く踊ってみる。履いていた革靴は自分のものだったけれど、踊りにくく、靴下で踊ることを選ぶ。  スカートの揺れ、ボブヘアーの揺れが面白く、意図的にもっと揺れるよう踊ってみたいと、アレンジのアイデアも湧く。  僕の短いヒップホップダンスショーは、予めステージ上にスタンバイしておく、板付きで始まった。  曲が流れ、ピンスポットが当たって僕の姿が照らし出されれば、歓声が上がる。  僕が誰かも知らないだろうに、皆の視線がステージに集まり、とてもとても気分がいい。  これはレッスンでも、オーディションでもない。ハヤセの大切な夜会を、盛り上げるためのショー。それを意識して踊る。  ひねった足の痛みも、着慣れない制服も、なんの問題にもならず、同世代たちの反応のお蔭で、いつも以上のパフォーマンスができた。  決めポーズとともに曲が終われば、会場には大喝采が巻き起こる。  僕は肩で息をしながら、満ち足りた気持ちで、観客を見渡した。  こんな風に人前で踊る快楽を知ってしまったら、もう一度、もう一度と、ステージに立つ機会を求めてしまうのではないだろうか……。 —  翌朝。  枕元で充電していたスマホが、小さくアラームを鳴らす。僕は手を伸ばし、その音を止めた。  ハヤセを起こさないように、慎重に上半身を起こそうとするが、彼の腕はしっかりと僕の背中に回されていた。  布団の中は温かく、ハヤセのスースーという規則正しい寝息が二度寝を誘う。  それでも、決めたのだ。僕はまたオーディションを受ける。競い合って勝ち取って、いつかステージに立つ。  だから朝練に行かなくてはならない。  ゆっくりと、愛おしいハヤセの腕を解き、身体を起こしベッドを降りた。  借りた部屋着を脱いで、制服に着替え、リュックサックを背負う。 「ハヤセ」  小さな声で話しかけた。深く眠っている彼に僕の声は届かない。 「ハヤセ。僕、ダンス頑張るよ。だからこれからも週に三回、泊まらせてね。寮長なのに、こんな隠しごとをさせて、ごめんね」  そう言って眠っている彼の唇に、そっと触れるだけのキスをした。  本当は昨夜みたいに、もっと深く、もっと求めあう、ハヤセの全てが欲しくなるようなキスがしたかったけれど、我慢する。  なのに、ハヤセが「もっと……ねぇ、ユウヒ、もっと」と呟いた。 「へ?起きてるの、ハヤセ?」  スースー……。  もう寝息しか聞こえない。寝言だったようだ。  僕は「もうー」と頭を掻きむしり、もう一度だけ「チュッ」とキスをした。  窓を開け外へ出れば、朝の冷たい空気が僕を包み込む。  大きく大きく深呼吸をして、堪らなく幸せな気持ちを噛みしめた。

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