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第10話「美しく可愛い男」

 16時半になると、制服を着た女子高校生が学園の正門外に集まり始めた。  正門内で待機している千鳥柄ズボンを履いた寮生は、自分の招待した女の子が現れると駆け寄っていく。そして親しげに話しかけ檜垣寮入口の受付へエスコートする。  一時間ほど前まで、スタッフとして動いてくれていたメンバーも、ここからは任務の全てを各プロへ引き継ぎ、夜会を楽しむ側へ回った。  俺も、正門近くの黄色く色づいた銀杏の木の下で、スマホを握りしめ立っている。 「ハヤセ。結局、招待状は誰かに渡せたのか?」  竹田が声を潜めて聞いてきた。 「まぁ、一応」 「一応って……。でも、よかったよ。てっきり見つからなかったで済ますつもりかと思った」 「うーん。来てくれるなら、主催寮寮長に相応しい、美しくて可愛い子のはず……」 「見栄張らなくていいぞ。あっ、マリちゃん、こっちこっち」  竹田の招待相手は、真っ黒の髪が腰まである清楚系の女の子だった。皆、どこで声をかけてくるのだろう。 「じゃあな、ハヤセ。その子が来てくれることを祈ってるよ」  夜会のスタートは17時だ。  開始まであと5分という時刻になると、待ちぼうけているのは、俺を含め6人だけになる。それも一人減り、二人減り、スマホが16:59と表示されたときには、俺一人となった。  やはり、いくらなんでも無茶ぶりだっただろうか……。思わずため息をついてしまった。  昨日。ユウヒとの電話を終えたあと、俺はダンススタジオへ行った。 「あら、ユウヒくんのお友達じゃない。結果、聞いた?残念だったわね。電話では、落ち込んでいる感じじゃなかったけど、本当はショックだったと思うわ」  ここへ報告の電話を入れたときには、まだ泣きだしていなかったようだ。  俺は受付のおばさんに「お願いがあるんです」と切り出す。  明日、ユウヒを夜会に招待したいと思っていること。この招待状を渡してほしいこと。もしユウヒが渋ったら、美味しいものがたくさん食べれるからと説得してほしいこと。 「あらま、金色の招待状」  おばさんは目を輝かせ、「いいわね!」と自分のことのように心躍らせている。確か何十年も前に夜会に招待されたことがあると言っていたはずだ。  俺はさらに図々しくも、ユウヒが着る女子校の制服を貸してもらえる心当たりはないか?と尋ねた。 「うちの娘のでよかったら。三年前に卒業したけど、綺麗に保存してあるのよ。背が高い子なの。それと、ウィッグもあったほうがいい?きっと似合うわよ」 「彼に女装をさせたいわけじゃないんですけど、制服で参加することが条件なんです」 「えぇ、分かるわ。上手くやってあげる。この招待状、お預かりするわね」  大切な物のように、両手で受け取ってくれる。  夜にでも、ユウヒからメッセージが来るかと思ったが、通知はこなかった。  おばさんとユウヒの間でどんな話になったのか、分からないまま今に至る……。  正門の向こうから、背の高い女子高生が走ってきた。  ボブヘアーというのだろうか、肩までの髪が揺れている。 「おい、ハヤセ。始まるぞ」  寮の入口から竹田が顔を出し、開会の挨拶をしなければならない俺を大声で急かした。 「あぁ、今行く」  俺は目の前の女の子の手首を掴み、受付へ向かって走った。 「ハ、ハヤセ……」  ユウヒが心細そうな声を出した。 「こんなことして、大丈夫?」 「大丈夫。絶対バレない。だって、めっちゃ美しくて可愛い。主催寮の寮長がエスコートするのに、こんな相応しい子はいない」 「だけど……」 「誰かに話しかけられたら、恥ずかしそうに俯けばいい。俺がフォローする。夜会の間はユウって呼ぶから」  タキシードを着た警備員に金色の招待状を提出する。 「ようこそ、いらっしゃいました」  漆塗りのお盆には赤いコサージュが一つだけ残っており、手渡された。  俺がユウヒの胸につけてやる。  俺たちは怪しまれることなく、寮へと入った。  食堂の入口の扉は閉まっていたけれど、ピアノの音や、楽しそうに歓談する声が漏れ聞こえる。  扉の前で、二人で一旦深呼吸をした。 「いくよ、ユウ」  そう声をかけ、俺はドアノブを引いた。  ちょうど、ピアノの演奏が終わったタイミングだったようだ。  会場中の視線が、俺たち二人に注がれる。  一瞬、静寂が訪れたのち、感嘆の声が湧き上がる。 「うわー」「めっちゃ、かわいい」「誰だろ?素敵」「お似合い」「寮長、さすが」  誰一人、青海波学園の2年A組の自宅生だと気が付いたものは、いない。  会場にいる女子高生たちの胸には黄色いコサージュがついていたが、ユウヒだけは赤いコサージュをしている。  主催寮寮長の招待だと一目で分かる印。  招待状だって、皆は銀色だったけれど、ユウヒだけが金色だった。彼はそれに気づかないままだろう。    俺はウエイターさんに、ユウヒに飲み物を渡すよう頼み、壇上へと向かう。  すかさず竹田が近づいてきて、俺にオレンジジュースが入ったグラスを渡してくれた。 「やるなハヤセ。見直したよ」  ユウヒのほうを見ながら、そう囁く。竹田すら正体に気づかないことに安堵して、俺はマイクの前に立った。 「本日は、お集まりいただき、ありがとうございます。檜垣寮寮長、成川ハヤセです。伝統ある夜会を、本年もこのように開催できたことをうれしく思っています。短い時間ですが、どうぞお楽しみください。では、私たちの高校生の輝かしい未来に、乾杯!」 「かんぱーい!」  静まっていた会場は、ガヤガヤと賑わい出し、早速バイキング形式の料理には、行列ができた。  ユウヒも、さっきまでガチガチに緊張していたくせに、すでにその列に並んでいる。  俺は、感慨深く会場全体を見渡した。  タケル先輩の姿も目に入る。噂によると三年間、同じ女性を招待したらしい。寄り添う姿を見れば、夜会だけの付き合いではないのだろうと、すぐに分かった。  皆が笑顔で、皆が楽しそうで、俺の肩の力もようやく抜けていった。  一番端のテーブルにユウヒと陣取った。  彼は山盛り取ってきた料理を、パクパクと食べている。 「ユウ、美味い?」  コクリコクリと頷いて笑ってくれた。もちろんONのキラキラしたユウヒだ。  この会場にいる誰よりも、輝いている。  けれど、皿に盛られたパスタから、器用にピーマンをよけ、俺の皿へ移動させてきた。  ウィッグをつけて、女子高生の制服をまとっていても、ユウヒはユウヒのままだった。  そのとき、舞台の担当者が近づいてきて、俺に耳打ちをした。 「お願いしてたマジシャンの中に、鳩を出してくれる予定だった人がいただろ?」 「うん。その人がどうかしたのか?」 「それが、会が始まる少し前に、奥さんから予定より早くに産気づいたって連絡がきたらしくて」 「え?」 「俺、そういうのよく分かんないんだけど、行ってあげてくださいって、言っちゃった」 「いや、うん。それでよかったと思う」 「でも、出し物の時間が少し短くなっちゃうんだ」  彼がそう言ったとき、俺はユウヒを見た。  昨日たくさん泣いただろう顔に、もう涙の後は残ってない。今は、ソテーされたラムチョップを頬張ってる。 「俺にいいアイデアがあるから、任せてくれるか?」 「流石、助かるよ」  彼はホッとした顔になり、女の子のところへ戻っていった。 —  二組目のロープマジックが終わり、会場は拍手に包まれた。  すると一転、会場が暗転する。スマホからスピーカーに繋いだ音源が大音量で会場に流れ、ピンスポットが舞台中央に現れた女子高生にあたった。  皆、その子が赤いコサージュの持ち主、寮長の招待客だと気が付き、一気に盛り上がる。 「昨日の悔しさをさ、今このステージで晴らすのはどう?」  俺がそう尋ねたとき、ユウヒは少し迷いながらも「いいかも」と答えてくれた。  こういう舞台でいきなり踊れるほど、彼は練習を積んできたのだ。  二つだけ、確認をする。  そのウィッグは踊っても外れたりしないのか?スカートの中にはスパッツか何か履いているのか? 「受付のおばさん、こういうことを想定してた訳じゃないだろうけど、どっちもバッチリ」 「よし。じゃ、みんなに見せてやってよ、ユウヒのダンスを」  舞台上のユウヒは、水を得た魚。本当に生き生きとしていた。  飛び散る汗までもが照明に反射し、光り輝いている。  指先の動きまで計算されていて、キレのある動きが短いスカートと、ボブヘアーを揺らす。  とにかく華がある男なのだと思い知った。  鏡張りのレッスン室でコーチに指導されながら踊る姿とも、審査員に厳しい目を向けられながら踊る姿とも、違っている。  会場にいる皆が、いきなり始まったヒップホップダンスに心を掴まれ、手拍子をしたり歓声を上げ、身体を揺らしていた。  決めポーズとともに曲が終わり、会場には大喝采が巻き起きる。  ユウヒは肩で息をしながら、満足そうにキラキラの笑顔を皆へ向けた。 —  寮生から、それぞれが招待した女の子に一輪の薔薇とバームクーヘンを手渡し、閉会となった。  スタッフをした者の招待客には、テーブルに置かれていた淡い黄色のアレンジ花も「よかったらどうぞ」と配られた。  皆、名残惜しそうに正門へと見送っていく。  タキシードの警備員は、今度は正門に立ち、招待客全員が全員帰路に着くかを、厳しくチェックしていた。 「ユウヒは、バスで帰るのか?」 「まさか、この格好でバスに乗る勇気はないよー」 「似合ってるけどな」 「レッスン室に戻って着替える。この薔薇とバームクーヘンは、佐藤さんに渡すよ。お礼として」 「佐藤さん?」 「受付のおばさん」 「あぁ、それがいい。よろしく伝えて」 「今日はさ、ありがとね。僕、すごい楽しかった。あんな歓声の中踊ったの、初めてだし。やっぱりダンス好きだなって思った。もう一度頑張ってみるよ」 「そっか」 「というわけで、ハヤセ。今夜、鍵開けておいてね」 「へ?」 「だって、今日は振替休日だけど月曜日だもん。居残りレッスンして、明日の朝練にも参加しなきゃ」  ユウヒはそう言うと、警備員のチェックを受け、レッスン室へと飛ぶように走っていった。 — 「楽しかったなー」「盛り上がったし」「美味しかった」  夢のような時間は終わり、あっという間に現実となる。  スタッフをしてくれた者も、そうじゃない者も、寮生総出で片付けが始まった。  僅かだが残った料理は、小分けにされ、夜食として食べたい者が部屋に持ち帰る。  鳩を出す予定だったマジシャンからは、無事に女の子の赤ちゃんが生まれたと連絡が来た。 「ハヤセ、お疲れ様。やり遂げたね、夜会。とてもよかったよ。いい会だった」  タケル先輩も労ってくれた。 「で、あの子は誰?あんな素敵な彼女がいるなんて知らなかったな」 「いや、あの子は……彼女っていうか……」 「そんなこと言ってないで、自分の気持ちをしっかり伝えて捕まえとかないと、逃げられちゃうぞ」  タケル先輩はそう口にしたあと、「おっさんくさかったかな?」と照れたように笑う。  いや、タケル先輩の言う通りだと、俺はその言葉をありがたく心に留めた。 — 「コンコン」  珍しくノックの音がしてから、窓が開いた。冷たい風が部屋に流れ込んでくる。 「ごめん。一旦家に帰ってたら、遅くなった」 「わざわざ帰ったのか?」 「うん。制服を取りにね。ここに忍び込むには青海波の制服がいるでしょ?」  ユウヒは、いつも通りの彼で、早速、俺が用意しておいた部屋着に着替え始める。  けれど、俺は妙に緊張していた。  タケル先輩に言われたことが、頭に残っていたから。  俺は彼がラグの上で眠るための毛布を、渡さなかった。  ユウヒも「貸して」とは言わず、最初からベッドの中に入ってくる。  そして、俺の背後に周り、柑橘系のいい香りとともに背中に抱きついてきた。 「暖かい……」  今にも寝息を立ててしまいそうな、ユウヒ。 「あ、あのさ」 「ん、なに?」 「告ってもいい?」 「こくって?」  いつかの俺みたいに、ユウヒも咄嗟に漢字が思い浮かばなかったようだ。 「俺さ、ユウヒのことが好きだよ」 「……うん。知ってる」  彼は、俺の背中にピタリと張り付き、俺の愛の言葉と、早鐘を打つ心音を聞いていた。 「ユウヒは?好きな人、いるのか?」  ズルい聞き方だと自分で自覚しながら、問いかける。 「いるよ……」 「誰なのか、……聞いてもいい?」 「うーん。どうしようかな。……キスしてくれたら、教えてあげる」  やっぱりユウヒのやること、言うことは、いつだって俺の想像通りではない。この男に、翻弄されてばかりだ。  ベッドの中で、クルリと身体の向きを変えれば、すぐそこにユウヒの顔があった。  ゆっくり唇を近づけると、彼のほうからも顔を寄せてくれた。  唇は軽く触れあって、すぐに離れてゆく。  ごく短いキスだったのに、指の先まで痺れるような電流が走り抜ける。  これが、キス……。 「僕が好きなのは……、ハヤセに、決まってるじゃん」  ユウヒはそう告げて、もう一度、唇を押し付けてきた。  彼の腕が俺の後頭部に回り、温かな舌が、淫らに絡み合う。  まるで二人とも、ずっとずっと我慢してきたみたいに。相手のことを欲していることを隠せなくなって、何度も何度も角度を変えては、キスをした。 「ね、また泊まりにきてよ。そしたら、もっともっと、色んなことしよ」  呼吸を乱しながらそう言ったユウヒの顔は、酷く男らしい。  ユウヒを食べてやろうと思っていた俺は、自分が食べられる側なのだと、そのとき気が付いた……。  やはり、ユウヒはままならない男だったが、俺は今、堪らなく幸せだった。

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