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第11話
11話 幸せの仕込み方
定例になりつつある霧島との仕事終わりの飲み会は、相変わらず冬の中でも暖かな例の居酒屋で開催されていた。
霧島の流行風邪も完全に回復し、相変わらずの吹き出し笑いをしながら、少食だけれども色々な種類の居酒屋メニューを摘んでいる。人生を変える様な劇的な話題なんてお互い持ち合わせてなく、仕事がどうだ、最近買ったあれこれは、冬は寒いわ、なんてありきたりな言葉が語る話を繰り広げていた。でも、そんな話の中でも、ありふれた幸せというものは感じるもので、真歩は霧島の相変わらずのヘラヘラした笑顔が見れることを心から幸せに思った。しかし真歩は、この感情が特別なものではないと思っていた、否思う様にしていた。友情を深め合った友人故の一寸した特別感を霧島に抱いているだけ、だと。
「そういえば……」
蓮華を必死に動かしてモゴモゴと喋りづらそうにしている真歩が突然思い出したかの様に霧島へ問う。霧島と言えば、枝豆をプチプチと一粒ずつ口へ放り込み、ハムスターよろしく口をいっぱいにさせている真歩へ苦笑いしながら問い返す。
「話題は逃げねぇから、ちゃんと飲んでからしゃべろ〜ぜ?」
「むぐ……」
ごくん、と口内を嚥下した真歩は、次に焼き鳥串を手に取りながら目線を合わせず霧島への話を進める。
「この前霧島ん家に看病しに行った時」
「あ、喋りながら食べるのは変えねぇんだ」
「武灯冬和って人の小説見た」
突然呼ばれた霧島のペンネームにどきりとした霧島は、枝豆の皮をぽとりとその場に落としていた。それを意に返すこともなく真歩は焼き鳥を少しずつ頬張りながら続けた。
「おれ、武灯さんの小説読んでみたい」
「やめとこうか?神渡ちゃん」
語尾こそ媚びているが、霧島の表情といえば両目に携えた宇宙で真歩を射殺そうとしているのがよくわかる。暖かな室内なのに冷や汗を滲ませ懇願でもする様な必死さを下手くそな笑顔で覆っている。
「え?ダメなの?」
「ダメ」
「ケチー」
間髪をいれずに否定をした霧島に真歩は、ぶーっと頬を膨らませて抗議する。我儘で子供みたいな真似を敢えてする真歩の頬を霧島が人差し指を突き当てて空気を抜く様にぐりぐりと指を捩らせる。
「神渡からの珍しいお願いだから、何かと思えば……」
少し落胆した様な霧島は、両肩と首を垂れてがっくし、と効果音でも付きそうな体制をとっている。真歩はその仕草に疑問を覚える。霧島程言葉を、本を大切にしている人が書く小説なんて面白いに決まっているのに、何を出し惜しみしているのか。特技があることを敢えて隠そうとする霧島が腑に落ちない。真歩自身は取り柄がないからと、霧島の様に得意を仕事にしている人には少なからず憧れと敬意がある。眩しいとすら感じてしまう感性を、まさか霧島本人が隠そうとしていることがはたはた疑問でしかないのだ。
しかしながら、本気の形相で焦る霧島に少し踏み込み過ぎてしまったのでは無いかと、冷や汗が移る。件の姉との邂逅、その細かな詳細すら霧島は真歩に話そうとしない今、霧島冬一を知るには少し性急すぎたかもしれない。反省を焼き鳥と一緒に咀嚼して飛び出た言葉を慌てて引っ込める。「じゃあ、」苦し紛れの話題の路線変更を慌ててする真歩は霧島には異様に映ったか。
「今度の休み、付き合って欲しいところがあってね」
「ん?何すんの?」
「ちょっとしてみたいこと、あるんだ」
違和感は見過ごされ、いつもの調子に戻った霧島に安堵した。ニコニコと外面を貼り付けて霧島を見つめた真歩は次の休日を霧島へ丸々約束することとなる。
次の休日、霧島に休みを1日設けてもらった真歩は、1ヶ月半振りに霧島の最寄り駅で降り立った。ご丁寧に駅まで迎えにきてくれていた霧島は、いつもの真っ黒な格好と緩い雰囲気を崩さずに、日常の中で片手をゆるゆると振って真歩を出迎えた。当たり前の顔をして、当たり前の中に溶け込んでいる霧島を珍しいものでも見た様な気分になった真歩。以前霧島の家を訪ねた時は、この寂しげな道のりをひとりで歩いていたから、今霧島と並んで歩いているのが不思議で仕方ない。
「悪いね、待たせた?」
「いや、おれも今来たから」
合流した霧島と他愛のない話をして歩みを進めだす。前回と変わらない道と景色、でも隣に霧島がいるだけで、あの日彼を心配して家に急ぐ寒さは微塵も感じさせず、今は温かい気持ちで足取りは軽くなっていく。
ものの5分程話していたら目的地へ到着した。以前、霧島宅へ伺った時に前を通った古い本屋である。真歩はその時に思ったのだ、もし霧島ともっと仲良くなれたら、読んだことない本を取り合って読破するまで付き合って欲しい、と。今日はその夢を叶えるために態々霧島に休みを取ってもらってまでこの場所に来た。
霧島との読書をする為の本は、この店がいいと真歩は考えていた。中にこそ入ったことがない真歩であるが、霧島がこの店を語る時の顔はなんだか柔らかな日差しの様な表情をしていたのを今でも覚えている。きっと思い入れがあるのだろう、真歩はそう考えていた。品のいい老夫婦が商いしているらしいその本屋は店構えこそ田舎っぽいが、本のためになるべく遮光をしているようで、中はオレンジ色のランタンのような明かりがぼんやり灯っており、ヴィンテージの様な雰囲気すら感じられる。引き戸のガラス面には〝竹内書店〟と電話番号のみが時代を感じさせるフォントで書かれている。今も昔も文字ばっかりの霧島も贔屓にする様な店だから、恐らく知る人ぞ知る昔からある店なのだろう。
「タケの じっちゃん、いるかぁ〜?」
「……こんにちは」
戸惑いもなく引き戸を開け放つ霧島の後ろから声をかける。容赦なく店主を愛称で呼ぶ霧島に遅れをとった。すると、そんな事に意も返さずにハタキを持った一人の老人が姿を見せた。白い髪とたっぷりした髭を蓄えた70歳程に見える老人は見た目に反して背筋がキリリと伸びている。白い襟付きのシャツに緑のベストと合わせた品の良いこの人が、〝タケのじっちゃん〟なのだろう。
「おぉ、霧島クン。また来てくれたのかい?そちらの方は?」
「こんちわ、こっちは神渡、俺の腐れ縁」
「はじめまして、神渡真歩です。霧島がお世話になっていると聞いて来てみたくなってしまって……」
余計な事をツラツラと語ってしまったが、霧島がここ迄フットワーク軽く話しているのに影響されたのが原因かもしれない。簡単な自己紹介を終えた真歩を見てタケのじっちゃんは「ふぉっふぉっ」と円な笑いを漏らした。
「そうかそうか、キミが神渡クンかね」
「え?知ってたんですか?」
「あぁ、霧島クンから話は色々聞いているよ。実はなぁ…」
「じっちゃん!じっちゃん!そこまでにして!」
焦った様子の霧島は「年寄りの話は長くなる」と真歩に耳打ちしているが、タケのじっちゃんには丸聞こえで、ハタキの肢で丸空きの手の甲を叩かれていた。
「っぃてぇ〜」
「誰かさんの口が軽くて、ついつい手が出てしもぉたわい」
「相変わらず野蛮だよなぁ〜。まあ、でも安心した」
「元気そうで何より」息を吐く様な、気を緩める様な顔をして笑う霧島に、タケのじっちゃんも目の縁に皺を寄せて微笑んでくれた。仲が悪い、というより、言葉遊びを楽しんでいる様で『小説家』と『老舗本屋』の言葉の熟練者達による応酬が見事で見入ってしまっていた。
「それで、今日はどの本を買いにきたのかね?」
本題を忘れたけていた真歩は、タケのじっちゃんによって本題を思いだす。
「実は、おれと霧島様に読んだ事ない本を見つけようと思ってて、おれなんてほとんど読んだ事ない本だらけだろうけど……」
「ほう、神渡クンはあまり読書をしないのかね?」
「霧島に勧められた本ぐらいなら読みますけど、彼程熱心には……」
「そうかい、そうかい。それもまた一つの人生じゃと、ワシは思うよ」
温かい言葉をかけてくれるタケのじっちゃんは、相変わらずの目を溶かす様な笑みを携えている。長い事1つの商いをしているから頭が硬い人だったらどうしようかと思ったが、霧島が『品のいい』と説明してくれたのが良くわかる様な人柄だった。
「それで遥々ワシの店にデートしにきてくれたんじゃな」
「「デートじゃ ないです!/ねぇ!」」
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ」
一瞬、本屋の電気ランタンがチリチリと光を弱くした。それなりの声量で2人してツッコミを入れ、シンと静まり返った空間が冬の外気の様だった。タケのじっちゃんが肩を上下させる笑い方で春を覚えさせる。そのまま本棚の方へ踵を返し、「あとはお若いお二人で」なんて事を言うから、真歩は真っ赤な顔になってしまう。
タケのじっちゃんが本の山に消えたのを見送ってから、真歩も霧島も一言も発せずに場に固まってしまった。カップルに、見えたのだろうか……?どう見ても男性2人で買い物に来ただけだと思っていたが。ただ、そういう風に見えてしまったのに見えてしまった事に対して真歩は、嫌悪感を感じるでもなく優越感すら覚えた。
変わりつつある内心に答えが出せず、この赤ら顔の抑え方もわからず霧島と目を合わせられない微妙な時間が過ぎる。
「……とりあえず、本。探そっか」
「ソウダネ……」
霧島による鶴の一声に片言になりながらもどうにか返答した真歩は、スラックスのポケットに手を突っ込んだまま静かに歩く霧島とは反対側の棚へ歩みを進める。
タケのじっちゃんに揶揄われたのは火を見るまででもなく明らかだったが、それに対して嬉しいと思っている事が何よりも心を掻き立てて、思考の切り替えがうまくできない。ぎゅっとコートの裾を握りしめて目前の本棚を睨みつける。一寸でもこの感情を誤魔化せるならと、背表紙を穴が開くほど見つめた真歩は恋だの、愛だのが書かれていない本を探そうと決意した。
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